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鶴さん
私事で恐縮ですが、私の親友の一人に中学からの同級生で、「鶴さん」と言う人間がいます。普段から鶴さんと呼んでいますが、名前に鶴のツの字もありません!笑 しかし、何時から誰からともなくそう呼ぶ様になっていました。鶴の様に善い人と言う意味です。 鶴の恩返しと言う物語は余りにも有名ですが、本当にあんな感じです。自分の事など何時も後回し*また自分に余裕がなくても困っている人を見れば何の躊躇もなく手を差し伸べる人間です*
商売に手を出した*
二十代後半の頃、人が良過ぎるにも拘わらず商売に手を出し、従業員に裏切られて大きな借金をしてしまいました。それをやっと最近完済しました。今では、「カネなんて要らない!働ける場所があって、ご飯が食べられ、住める家があり、ビールが少し飲めれば幸せだ!」と言っています。鶴さん見たいな善い人間にでも、神様は過酷な試練を与えるのですから、私が小さな試練だらけなのは当たり前です!笑 是非に及ばず*
忘れられない彼女
鶴さんには今でも忘れられない彼女がいます♡ それは二十代前半の頃、高校生だった彼女のことです。 でも、何故か自分から別れを告げて無理矢理別れてしまいました。それはさて置き、その出会いが何とも言えない良いものですから、少し話します。鶴さんは毎朝4時に起き、大きな10tトラックに乗り、荷物を港まで運ぶ仕事をしていました。今もその仕事をしていますが、その往復を5時までするのです。港近くには女子高があったのでしょうか?よく横断歩道で止まり、渡らさせてあげていたそうです。女子高生だからとか、そんな事は考えない鶴さんですから、当たり前のことでしたが、ある女子高生は、何時も優しく微笑んで、渡らさせてくれる鶴さんに恋をしたのです。 その高校生は、「まちぶせ」をして車のナンバーと会社名をメモして自身で調べ、自分一人で探しに来たのです。名古屋の熱田区6番町から瀬戸市品野町まで*高校生の可愛い子が・・・ 瀬戸市でも山の奥の奥ですから、どんなに大変な思いをして探しに来たのかは私にでも想像がつきます。 会社まで尋ねて来ました。でも、もう鶴さんが帰っていたりして中々会えませんでした*そして、三度目か四度目にやっと会えたのです* きっと、恥ずかしさもあったと思いますが、しかし、純粋で一途な気持ちが胸を打ちます*そして、つき合う様になりました。 相手の親も鶴さんの親も公認でした。鶴さんに、この話を聞かせましたら、少し違うと言っていました!相手の親は公認ではなく、黙認だったそうです*笑 お兄さんが大変優しく理解のある方で、妹を何時も庇ってデートに行かせてくれていたそうです。
出会いは横断歩道から
今でも一人
その子の名前はM.K子さんですが、十数年前に、「まだ一人いる*」と突然会いに来てくれたそうです。その数年後、鶴さんは、掃除が出来ない奥さんと離婚をして、K子さんに会いに行くと、お兄さんが出て来て、「遅過ぎるわ!」と殴られました。妹思いのお兄さんでしたから、気持ちはとてもよく分かります。そして、妹はまだ一人で居るからと、住所を書いて教えてくれましたが、しかし、そのメモを持ったままお兄さんと飲みに行き、二人とも酔っぱらってしまい、鶴さんがおカネを払う時に落としてしまったのです* こんな話があったなんて、私は最近知りました。鶴さんのことですから、何時でも聞けば教えてくれていたと思いますが、私達はお互いの色恋のことを何故か余り話題にしません。勿論、相手が喋れば聞きます。 遠慮している訳でもないのですが、もしかしたら友情の優しさとして、触れないであげているのかも知れませんね?何でも言えるばかりが親友の証しではない気が致します。言えるけれど!聞けるけどそのままにそっとしておく*
パチンコ
鶴さんはパチンコ好きです。しかし、パチンコをするキッカケは父の病気と死でした*毎日、仕事が終わると病気の父を病院に見舞っていました。まだ若く遊びたい盛りでしたが、本当に一日も欠かさずに行っていました。 しかし、段々意識が薄れ、誰が見舞いに来たのか分からなくなっていったそうです。その現実が悲しくて悲しくて遣り切れなくなって、その捌け口が偶々パチンコだったのです*誰とも会話をせず、黙々と打ち続けている時だけは、何も考えることなく嫌な事が忘れられたそうです。現実逃避の手段でした。
火傷か病気
私が自宅へ会いに行っても居ない時は、必ずパチンコ屋に居ました。パチンコが余り好きではない私ですが、でもある時、とても和んだ気持ちになれたのです。 それは、顔が爛れている三十歳くらいの人と、仲良く喋っていたからでした。実は、その方の事を私は子供の時から知っていました。近所に住まわれていなかったのですが、街に出掛けると偶々見掛けていました。 通り過ぎる人々が顔をシカメて見ては、ヒソヒソと話し遠巻きに去って行くのを、何度も見た記憶がありましたから覚えていたのです*私は、そんな光景を見ていて子供ながら可哀想に思っていました。鶴さんは差別することなく他の人間と同じ様に接していました。私も挨拶をして頭を下げました。その方の目は私の事を警戒していたみたいですが、鶴さんに冗談を飛ばすと、安心した様子になりました。初対面の挨拶は難しいのでしょうか?硬い挨拶では、形式っぽくなり、警戒心を抱かせ!軽過ぎれば、逆にいい加減に思われてしまいます。深く考え過ぎないで自然体で良いのかも知れませんが、心に深く傷がある方に対しては、たった一言の言葉やちょっとした一瞬の行いで取り返しがつかないこともある*そんなことを考えること自体私が間違っているのかも知れませんね*
悟りを開いた鶴
鶴さんの口癖は、「オレは働く人間が好きだ!」です。 どんな事でも一生懸命に働く人間には頭を下げるのです。道路で働くガードマンさんには、何時も畏敬の念を持って挨拶しています。「ありがとね~」と言って*偉い人たちだなあと・・・私も頭が下がります。 親友のことを書くことに対して、皆さんに誤解を招くかも知れないと、少し戸惑いもあったのですが、現代の友人関係の価値観とは、全く違う次元の関係なものですから、ありのままを書きました。 承諾も取りませんでした。それくらいの友達です。損得や善悪を超越している* 了解を取ること自体、不自然で他人行儀!私達の関係は、定期的に会ったり、連絡を取っている訳ではありません。一年に一度しか会わない年もあれば、毎月会う時もあります。そんな不安定な関係です。だから有り難い*損得がない関係は、生身の人間同士があるだけで自分の悪いところも隠さず本能のままで付き合える*お互いがお互いの愚かさを笑い飛ばしています*
親友の有り難さ
先日、瀬戸市の中学生が自殺してしまいました。何を悩んだのか分かりませんが、学校に行きたくない*と言っていたそうです。その次の日に、クラウドの子供達と話をさせて頂きました。今の大人達は、みんなに考えさせる時間や、余裕を持たせることが出来ないでいる。直ぐに結果を求め、直ぐに白黒を付けたがる!また、子供達を乞う人間にしてしまっている!乞うとは、何でも誰かに何かして貰おう!と考える人のことです。そういう人間になると、どうにもならなくなった時、自分を追い詰め死んでしまうのではないだろうか?あだ名一つや、些細な子供のケンカ一つで直ぐ親が出て来る時代です。コーチも同じ、毎週の様に試合を組み、子供達にゆっくり考えさせたり、他の事が出来る余裕も与えません。外国ではあり得ない試合の組み方です。 大人の責任だと思う*私は、そんなことではなくて人の役に立てられる人間や、弱い人を助けられる人になって欲しいと願いながら皆に指導しています。その為には、どんな考え方を持つのか?どんな生き方をするのか?どんな友達を持つことが出来るのか?自分がどういう人間になりたいのか? それを自分で真剣に考えて欲しい*生きていれば、自分ではどうにも出来ないことが沢山あります。 善いことをしても、悪口を言われることだってある*良いことも悪いことも悲しいこともあるけれど、乗り越える心が必要*今の日本社会は上しか見ない世の中です。その原因は大人にある。コーチ側にも、親にもあります。子供達は、その見えない隠されたモノには気がつきません。それを利用し流れに乗り食い物にしています。その結果、指示を待つだけ!許可を貰わないと何も出来ない!友達の作り方も分からない!仲直りの仕方が解らない?そんな子供達を育てている私達大人の考え方を見直さなければ、自殺して行く子供達を救うことは出来ないのではないでしょうか?自分ひとりで悩むことは辛いことです。親友と呼べる人がいるだけで救われます。 私が仕事を辞めてサッカーの仕事を始めた時、鶴さんはこう言ってくれました。「秋田小町は食べさせて遣れんけど、普通の飯は食べさせてあげられるよ*」と*
私事で恐縮ですが、私の親友の一人に中学からの同級生で、「鶴さん」と言う人間がいます。普段から鶴さんと呼んでいますが、名前に鶴のツの字もありません!笑 しかし、何時から誰からともなくそう呼ぶ様になっていました。鶴の様に善い人と言う意味です。 鶴の恩返しと言う物語は余りにも有名ですが、本当にあんな感じです。自分の事など何時も後回し*また自分に余裕がなくても困っている人を見れば何の躊躇もなく手を差し伸べる人間です*
商売に手を出した*
二十代後半の頃、人が良過ぎるにも拘わらず商売に手を出し、従業員に裏切られて大きな借金をしてしまいました。それをやっと最近完済しました。今では、「カネなんて要らない!働ける場所があって、ご飯が食べられ、住める家があり、ビールが少し飲めれば幸せだ!」と言っています。鶴さん見たいな善い人間にでも、神様は過酷な試練を与えるのですから、私が小さな試練だらけなのは当たり前です!笑 是非に及ばず*
忘れられない彼女
鶴さんには今でも忘れられない彼女がいます♡ それは二十代前半の頃、高校生だった彼女のことです。 でも、何故か自分から別れを告げて無理矢理別れてしまいました。それはさて置き、その出会いが何とも言えない良いものですから、少し話します。鶴さんは毎朝4時に起き、大きな10tトラックに乗り、荷物を港まで運ぶ仕事をしていました。今もその仕事をしていますが、その往復を5時までするのです。港近くには女子高があったのでしょうか?よく横断歩道で止まり、渡らさせてあげていたそうです。女子高生だからとか、そんな事は考えない鶴さんですから、当たり前のことでしたが、ある女子高生は、何時も優しく微笑んで、渡らさせてくれる鶴さんに恋をしたのです。 その高校生は、「まちぶせ」をして車のナンバーと会社名をメモして自身で調べ、自分一人で探しに来たのです。名古屋の熱田区6番町から瀬戸市品野町まで*高校生の可愛い子が・・・ 瀬戸市でも山の奥の奥ですから、どんなに大変な思いをして探しに来たのかは私にでも想像がつきます。 会社まで尋ねて来ました。でも、もう鶴さんが帰っていたりして中々会えませんでした*そして、三度目か四度目にやっと会えたのです* きっと、恥ずかしさもあったと思いますが、しかし、純粋で一途な気持ちが胸を打ちます*そして、つき合う様になりました。 相手の親も鶴さんの親も公認でした。鶴さんに、この話を聞かせましたら、少し違うと言っていました!相手の親は公認ではなく、黙認だったそうです*笑 お兄さんが大変優しく理解のある方で、妹を何時も庇ってデートに行かせてくれていたそうです。
出会いは横断歩道から
今でも一人
その子の名前はM.K子さんですが、十数年前に、「まだ一人いる*」と突然会いに来てくれたそうです。その数年後、鶴さんは、掃除が出来ない奥さんと離婚をして、K子さんに会いに行くと、お兄さんが出て来て、「遅過ぎるわ!」と殴られました。妹思いのお兄さんでしたから、気持ちはとてもよく分かります。そして、妹はまだ一人で居るからと、住所を書いて教えてくれましたが、しかし、そのメモを持ったままお兄さんと飲みに行き、二人とも酔っぱらってしまい、鶴さんがおカネを払う時に落としてしまったのです* こんな話があったなんて、私は最近知りました。鶴さんのことですから、何時でも聞けば教えてくれていたと思いますが、私達はお互いの色恋のことを何故か余り話題にしません。勿論、相手が喋れば聞きます。 遠慮している訳でもないのですが、もしかしたら友情の優しさとして、触れないであげているのかも知れませんね?何でも言えるばかりが親友の証しではない気が致します。言えるけれど!聞けるけどそのままにそっとしておく*
パチンコ
鶴さんはパチンコ好きです。しかし、パチンコをするキッカケは父の病気と死でした*毎日、仕事が終わると病気の父を病院に見舞っていました。まだ若く遊びたい盛りでしたが、本当に一日も欠かさずに行っていました。 しかし、段々意識が薄れ、誰が見舞いに来たのか分からなくなっていったそうです。その現実が悲しくて悲しくて遣り切れなくなって、その捌け口が偶々パチンコだったのです*誰とも会話をせず、黙々と打ち続けている時だけは、何も考えることなく嫌な事が忘れられたそうです。現実逃避の手段でした。
火傷か病気
私が自宅へ会いに行っても居ない時は、必ずパチンコ屋に居ました。パチンコが余り好きではない私ですが、でもある時、とても和んだ気持ちになれたのです。 それは、顔が爛れている三十歳くらいの人と、仲良く喋っていたからでした。実は、その方の事を私は子供の時から知っていました。近所に住まわれていなかったのですが、街に出掛けると偶々見掛けていました。 通り過ぎる人々が顔をシカメて見ては、ヒソヒソと話し遠巻きに去って行くのを、何度も見た記憶がありましたから覚えていたのです*私は、そんな光景を見ていて子供ながら可哀想に思っていました。鶴さんは差別することなく他の人間と同じ様に接していました。私も挨拶をして頭を下げました。その方の目は私の事を警戒していたみたいですが、鶴さんに冗談を飛ばすと、安心した様子になりました。初対面の挨拶は難しいのでしょうか?硬い挨拶では、形式っぽくなり、警戒心を抱かせ!軽過ぎれば、逆にいい加減に思われてしまいます。深く考え過ぎないで自然体で良いのかも知れませんが、心に深く傷がある方に対しては、たった一言の言葉やちょっとした一瞬の行いで取り返しがつかないこともある*そんなことを考えること自体私が間違っているのかも知れませんね*
悟りを開いた鶴
鶴さんの口癖は、「オレは働く人間が好きだ!」です。 どんな事でも一生懸命に働く人間には頭を下げるのです。道路で働くガードマンさんには、何時も畏敬の念を持って挨拶しています。「ありがとね~」と言って*偉い人たちだなあと・・・私も頭が下がります。 親友のことを書くことに対して、皆さんに誤解を招くかも知れないと、少し戸惑いもあったのですが、現代の友人関係の価値観とは、全く違う次元の関係なものですから、ありのままを書きました。 承諾も取りませんでした。それくらいの友達です。損得や善悪を超越している* 了解を取ること自体、不自然で他人行儀!私達の関係は、定期的に会ったり、連絡を取っている訳ではありません。一年に一度しか会わない年もあれば、毎月会う時もあります。そんな不安定な関係です。だから有り難い*損得がない関係は、生身の人間同士があるだけで自分の悪いところも隠さず本能のままで付き合える*お互いがお互いの愚かさを笑い飛ばしています*
親友の有り難さ
先日、瀬戸市の中学生が自殺してしまいました。何を悩んだのか分かりませんが、学校に行きたくない*と言っていたそうです。その次の日に、クラウドの子供達と話をさせて頂きました。今の大人達は、みんなに考えさせる時間や、余裕を持たせることが出来ないでいる。直ぐに結果を求め、直ぐに白黒を付けたがる!また、子供達を乞う人間にしてしまっている!乞うとは、何でも誰かに何かして貰おう!と考える人のことです。そういう人間になると、どうにもならなくなった時、自分を追い詰め死んでしまうのではないだろうか?あだ名一つや、些細な子供のケンカ一つで直ぐ親が出て来る時代です。コーチも同じ、毎週の様に試合を組み、子供達にゆっくり考えさせたり、他の事が出来る余裕も与えません。外国ではあり得ない試合の組み方です。 大人の責任だと思う*私は、そんなことではなくて人の役に立てられる人間や、弱い人を助けられる人になって欲しいと願いながら皆に指導しています。その為には、どんな考え方を持つのか?どんな生き方をするのか?どんな友達を持つことが出来るのか?自分がどういう人間になりたいのか? それを自分で真剣に考えて欲しい*生きていれば、自分ではどうにも出来ないことが沢山あります。 善いことをしても、悪口を言われることだってある*良いことも悪いことも悲しいこともあるけれど、乗り越える心が必要*今の日本社会は上しか見ない世の中です。その原因は大人にある。コーチ側にも、親にもあります。子供達は、その見えない隠されたモノには気がつきません。それを利用し流れに乗り食い物にしています。その結果、指示を待つだけ!許可を貰わないと何も出来ない!友達の作り方も分からない!仲直りの仕方が解らない?そんな子供達を育てている私達大人の考え方を見直さなければ、自殺して行く子供達を救うことは出来ないのではないでしょうか?自分ひとりで悩むことは辛いことです。親友と呼べる人がいるだけで救われます。 私が仕事を辞めてサッカーの仕事を始めた時、鶴さんはこう言ってくれました。「秋田小町は食べさせて遣れんけど、普通の飯は食べさせてあげられるよ*」と*
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