×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
キックベースボール
十数年、毎年9月の日曜日に子供会のキックベース大会決勝リーグの審判をさせて頂いています。場所は、先日中学生が自殺した学校のグラウンドと、その隣接する野球場です。気が重いまま伺いました。
開会式での出来事
今年から会長さんが代わり、ボランティアの方達も一新されました。人員不足と言うことで、高校生や大学生が手伝っていましたが、本部席にふんぞり返って返事もしませんでした。 頷くだけです!無償でやらされているからでしょうか?遣る気が全く伝わって来ません。おまけに役員達が学生達のご機嫌をとっています。 まだ試合も始まってない!まだ何も仕事をしていないのに?「また来年も来てくれるわよね*良い子たちだから?」と・・・ 大人なのに子供扱い? 開会式の時にペラペラ喋り、突然大きな笑い声を上げます。そして、誰も注意しない?残念です。残念なことがもうひとつあります。それは、子供会に参加する町内が毎年少なくなっていることです。十数年前と比べれば半減してしまいました。時代の流れですかね?これも*私達、体育指導員の意義も薄れつつある様に感じます。私は、ボランティアに加わった時に、こんな場面を見て大変勉強になったことがありました。それは、ある時、ボランティアの一人が集合時間に遅れて来たのでした。 遅刻は二度目だった!それを役員が呼び止めこう言いました。 「あなたボランティアだからと言って、いい加減に考えているのか?お金を貰わないからこそ、そこに高い意義があるんだろう!だから皆、より一生懸命汗を掻いているんだ*仕事よりも厳しいモノだと認識して貰いたい*」と・・・嫌なことが沢山あった大会でしたが、帰りの車の中で子供に対する大人の想いが何時から変わってしまったのだろう?と、真剣に考えていました。 子供を大切にすると言う綺麗な言葉だけが世間で踊り、方向性が歪んだ。 子供達にとって嫌なこと*辛いことや試練に成りうることでも、大人や親は全否定し、それらを取り省くことだけに専念執着している。裏側にあるモノや、その先を見越し、敢えてそっとして置く様な大人の対応が出来なくなっていると感じます。政治家や各団体の方々がよく言われる、「未来の子供達の為に!」と言う言葉を聞く度に虚しさを覚えます。外の飾りだけや、見せ掛けの環境だけで本当に良いのでしょうか? 最も大事な根本は何でしょう*
ルール
このブログを書いていますと、本当の自分が分からなくなります。書き続けなければ、見て頂いている方々に対して申し訳ないと言う気持ちと、リスクを背負って少しでも役立つことをお伝えしよう!との自己満足の部分が入り混じり、そこまでは深く考えていない事まで書いてしまっている様に感じます。読み返せば読み返すほど、恥ずかしくなります。 そんなに気に止めてないことや、問題視していない事でも、大袈裟に書いてしまっているのかも知れません。本来、楽観的で嫌なことでも黙って受け入れる人間です。例え悪いことをされても、考えが及ばない分、ずっと後で気が付く性質ですから、きっと猪木さんの言う大バカ者なのでしょう!笑 但し、正しく律しているのに、そこに悪意や意地悪なことを感じますと瞬間湯沸器になります。☠ 人間社会のルールは、暗黙の了解があるものですが、それがこの近年は崩れてしまいました。定款に書いてあるのか?法律はそうなっていないだろう!個人の権利だ!と理屈?屁理屈が横行して、またそれが通ってしまう世の中になりました。本当に残念です。正義が正義では無くなっている*法を司る!法の番人が人の道に外れたことをして、陥れ様とするのですから、この国はもう立ち直れないのかも知れません。マスコミも節操がない* テレビ局の記者は、お金や名誉、欲の為にスクープに飢えています。河野さん事件で懲りたはずなのに、また繰り返す。真実を報道して欲しい。
スパイクを投げ捨てた少年!
毎年、クレームを言われるのが、スパイクの事です。事前の説明会等で、3度も4度も説明申し上げていますが、何時も発生します。今回は、先手必勝なのか分かりませんが、試合開始前に私の所まで来て、「これで予選はOKだった」と、キツイ顔して言い張るお母さんや、「これはスパイクではありません!」と、何度も強く訴える子供達が数名いました。お伺いを立てるのではなく、強行的に突破しようとして来ます。私は、グッと堪えて、これはフットサルシューズですよ!これはトレーニングシューズだよ!と説明致しました。でも、中々引き下がらない*「従わない場合は、試合には出れません!何度も説明会で、これどっちかなあ?と判断に迷う場合は二足持って来て下さいとお願いしていた筈です。」 子供達にも、「残念だけど、これでは出られないよ」と言いましたら、何と振り向き様に、スパイクを地面に叩きつけたのでした!近くに居た指導員や有識者の方々もビックリしていました。ある有識者の方が、「あれはイカン!あれは注意しないといかん!」と立腹して言いますが、ご自分は動かれませんでした。でも何度も何度も言われるモノですから、私が、「試合開始前に必ず言いますから*」とその場を収めました。数分後、試合開始前のスパイクチェックの時、その子に聞きました。「自分、さっきスパイクを何度も地面に叩きつけていたけど、あれはどう言う意味で遣ったのか、教えてくれ?」と聞きましたら、直ぐ素直に、「すいません」と言いました。私は、瞬間的にその子の頭を撫でていましたが、続けて、「ねえ~叔父さん達は、意地悪して注意することはないんだよ*皆が楽しくスポーツが出来る様に一生懸命頑張っているんだ!分かるよね~試合頑張れ!」そう言うと、怯えていた目が急に笑顔に変わり頷いていました。私もニッコリ!そして、無事にその試合が終わり暫くすると、その子がまた近寄って来て訴えます。「審判さん!次の試合のチームでボクと同じスパイクの子がいたよ!あれもダメですよね~」と必死に言います!私は、「勿論ダメだよ!君だけがダメだと言う事は絶対ない!心配しなくても、ちゃんと見るから信用しなさい*」と、言ったら安心して帰って行きました。
「すみません」の一言
傲慢な監督
監督の中で言葉が汚い方がいました。見苦しい大人の姿でした。傲慢で偉そうです。全部謙虚ではなくていいのですが余りにも酷かった!子供達も可哀想*リモコンロボットの様に動かされ、勝つ為の道具でしかない?もっと前に行けッ!もっと前だと言っとるだろうが!もっと後ろやろう!もう少し右や!左や!見逃せ!自分の判断何てない*子供達は無表情な顔をしていました。勝って喜んでいても、目は死んでいて心から笑っていない!
子供会の意義
子供達は社会皆で育むものです。大人の一員として避けてはいけない。引率している人や、責任者だけ責めても、子供達をより善き道に導くことは出来ないのではないか?と私は思います。
十数年、毎年9月の日曜日に子供会のキックベース大会決勝リーグの審判をさせて頂いています。場所は、先日中学生が自殺した学校のグラウンドと、その隣接する野球場です。気が重いまま伺いました。
開会式での出来事
今年から会長さんが代わり、ボランティアの方達も一新されました。人員不足と言うことで、高校生や大学生が手伝っていましたが、本部席にふんぞり返って返事もしませんでした。 頷くだけです!無償でやらされているからでしょうか?遣る気が全く伝わって来ません。おまけに役員達が学生達のご機嫌をとっています。 まだ試合も始まってない!まだ何も仕事をしていないのに?「また来年も来てくれるわよね*良い子たちだから?」と・・・ 大人なのに子供扱い? 開会式の時にペラペラ喋り、突然大きな笑い声を上げます。そして、誰も注意しない?残念です。残念なことがもうひとつあります。それは、子供会に参加する町内が毎年少なくなっていることです。十数年前と比べれば半減してしまいました。時代の流れですかね?これも*私達、体育指導員の意義も薄れつつある様に感じます。私は、ボランティアに加わった時に、こんな場面を見て大変勉強になったことがありました。それは、ある時、ボランティアの一人が集合時間に遅れて来たのでした。 遅刻は二度目だった!それを役員が呼び止めこう言いました。 「あなたボランティアだからと言って、いい加減に考えているのか?お金を貰わないからこそ、そこに高い意義があるんだろう!だから皆、より一生懸命汗を掻いているんだ*仕事よりも厳しいモノだと認識して貰いたい*」と・・・嫌なことが沢山あった大会でしたが、帰りの車の中で子供に対する大人の想いが何時から変わってしまったのだろう?と、真剣に考えていました。 子供を大切にすると言う綺麗な言葉だけが世間で踊り、方向性が歪んだ。 子供達にとって嫌なこと*辛いことや試練に成りうることでも、大人や親は全否定し、それらを取り省くことだけに専念執着している。裏側にあるモノや、その先を見越し、敢えてそっとして置く様な大人の対応が出来なくなっていると感じます。政治家や各団体の方々がよく言われる、「未来の子供達の為に!」と言う言葉を聞く度に虚しさを覚えます。外の飾りだけや、見せ掛けの環境だけで本当に良いのでしょうか? 最も大事な根本は何でしょう*
ルール
このブログを書いていますと、本当の自分が分からなくなります。書き続けなければ、見て頂いている方々に対して申し訳ないと言う気持ちと、リスクを背負って少しでも役立つことをお伝えしよう!との自己満足の部分が入り混じり、そこまでは深く考えていない事まで書いてしまっている様に感じます。読み返せば読み返すほど、恥ずかしくなります。 そんなに気に止めてないことや、問題視していない事でも、大袈裟に書いてしまっているのかも知れません。本来、楽観的で嫌なことでも黙って受け入れる人間です。例え悪いことをされても、考えが及ばない分、ずっと後で気が付く性質ですから、きっと猪木さんの言う大バカ者なのでしょう!笑 但し、正しく律しているのに、そこに悪意や意地悪なことを感じますと瞬間湯沸器になります。☠ 人間社会のルールは、暗黙の了解があるものですが、それがこの近年は崩れてしまいました。定款に書いてあるのか?法律はそうなっていないだろう!個人の権利だ!と理屈?屁理屈が横行して、またそれが通ってしまう世の中になりました。本当に残念です。正義が正義では無くなっている*法を司る!法の番人が人の道に外れたことをして、陥れ様とするのですから、この国はもう立ち直れないのかも知れません。マスコミも節操がない* テレビ局の記者は、お金や名誉、欲の為にスクープに飢えています。河野さん事件で懲りたはずなのに、また繰り返す。真実を報道して欲しい。
スパイクを投げ捨てた少年!
毎年、クレームを言われるのが、スパイクの事です。事前の説明会等で、3度も4度も説明申し上げていますが、何時も発生します。今回は、先手必勝なのか分かりませんが、試合開始前に私の所まで来て、「これで予選はOKだった」と、キツイ顔して言い張るお母さんや、「これはスパイクではありません!」と、何度も強く訴える子供達が数名いました。お伺いを立てるのではなく、強行的に突破しようとして来ます。私は、グッと堪えて、これはフットサルシューズですよ!これはトレーニングシューズだよ!と説明致しました。でも、中々引き下がらない*「従わない場合は、試合には出れません!何度も説明会で、これどっちかなあ?と判断に迷う場合は二足持って来て下さいとお願いしていた筈です。」 子供達にも、「残念だけど、これでは出られないよ」と言いましたら、何と振り向き様に、スパイクを地面に叩きつけたのでした!近くに居た指導員や有識者の方々もビックリしていました。ある有識者の方が、「あれはイカン!あれは注意しないといかん!」と立腹して言いますが、ご自分は動かれませんでした。でも何度も何度も言われるモノですから、私が、「試合開始前に必ず言いますから*」とその場を収めました。数分後、試合開始前のスパイクチェックの時、その子に聞きました。「自分、さっきスパイクを何度も地面に叩きつけていたけど、あれはどう言う意味で遣ったのか、教えてくれ?」と聞きましたら、直ぐ素直に、「すいません」と言いました。私は、瞬間的にその子の頭を撫でていましたが、続けて、「ねえ~叔父さん達は、意地悪して注意することはないんだよ*皆が楽しくスポーツが出来る様に一生懸命頑張っているんだ!分かるよね~試合頑張れ!」そう言うと、怯えていた目が急に笑顔に変わり頷いていました。私もニッコリ!そして、無事にその試合が終わり暫くすると、その子がまた近寄って来て訴えます。「審判さん!次の試合のチームでボクと同じスパイクの子がいたよ!あれもダメですよね~」と必死に言います!私は、「勿論ダメだよ!君だけがダメだと言う事は絶対ない!心配しなくても、ちゃんと見るから信用しなさい*」と、言ったら安心して帰って行きました。
「すみません」の一言
傲慢な監督
監督の中で言葉が汚い方がいました。見苦しい大人の姿でした。傲慢で偉そうです。全部謙虚ではなくていいのですが余りにも酷かった!子供達も可哀想*リモコンロボットの様に動かされ、勝つ為の道具でしかない?もっと前に行けッ!もっと前だと言っとるだろうが!もっと後ろやろう!もう少し右や!左や!見逃せ!自分の判断何てない*子供達は無表情な顔をしていました。勝って喜んでいても、目は死んでいて心から笑っていない!
子供会の意義
子供達は社会皆で育むものです。大人の一員として避けてはいけない。引率している人や、責任者だけ責めても、子供達をより善き道に導くことは出来ないのではないか?と私は思います。
PR
この記事にコメントする