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夕暮れ時はさみそう
「♬ 田舎の堤防夕暮れ時に ぼんやりベンチに座るのか~」
秋と言えばこの歌を思い出します。中学生の頃、学校からキャンプに出掛けました。ラジオカセット=ラジカセをクラスの誰かが持って来ていて、そこから、「夕暮れ時はさみしそう」と言う歌が流れていたのです。夕暮れになると人恋しさと申しましょうか?さみしい気持ちが何処からともなくどっと押し寄せて来たことを思い出します。「あの気持ちは何だったのかなあ?」と、友人に呟きましたら、「それは純粋だったからだよ!」と教えてくれました。思春期*しかし、段々成長と共に、大人の汚さや社会の柵の中で、そういったモノを感じなくなったのだと思います。慌ただしい日々の中でも、何気なくふっと我に返り道に目を向けますと、小さな草や雑草を見て考えます。排気ガスに塗れ、人や車に踏まれながらも懸命に生きているのだなあ*「私も頑張らなくっちゃ~!」と・・・ちょっとシンミリした話になりましたが、この時私はギターを持って行きました。何故かと申しますと、クラスの出し物があったからです。 歌を唄いながら芝居を見せると言う私のアイデアで、さだまさしさんの「雨やどり」を遣ったのでした。これが大爆笑でした!大成功でクラスのみんなも大喜び* ♬ 「自信たっぷりに紹介したら、彼の靴下に穴がポカリん~慌てて隠したけどしっかり見られた!」笑 秋には、やっぱり夕暮れが一番似合うと私は感じます。オカリナと言う楽器から始まるこの曲は、モノ悲しい歌を引き立てています。土から作られているからでしょうか?温かい音色ですね*でも儚い音*温かいモノと寂しいモノが合わさっている!何処か人間の心に似ているのかも知れません?琴線に触れる音*
月は人生
月が昇り、沈んで行きます。そして、満月から新月までを繰り返します。雲に隠れたと思えば、また顔を見せてくれます。人生を表している様です。自然に生まれるモノは全て、潮の満ち引き、即ち月が関係していると言われています。目に見えない力が働いているのでしょう!秋の月は大きく見えてとても綺麗です。夜の練習がある時に子供達と、よく一緒に月を観て感動を味わっているのですよ*「スゲ~」と!笑 私が、「凄い!」と言いなさいと教えても、「スゴイ・ガン!」と、更に汚い言葉になってしまいます☠ 指導者が悪い
虫の声
友人が言いました。「秋の夜長、春は曙と言うが、オレは秋が嫌いだ!虫の声がシミジミと心に沁みる*今までの悲しみが湧いてくる様だ*」と言います。 幼い時に聞いたコオロギの鳴き声を、今一度よ~く聴いて見ますと、本当に泣いている様に聞こえて来ます。
生物多様性のウソ
今、名古屋でCOP10が開かれています。地球に生きる一員として、自然や生き物のことを考えようとの趣旨だと思っていましたが、開催中にも拘わらず沢山のクマが射殺されています! 動物と如何に共存していけるのか?と考えていながら、人的被害が及べば麻酔銃ではなく、実弾で殺すことを選択する人間の頭の構造は理解出来ません?希少動物でなければ何を遣っても良い! そればかりか、途上国との間では、希少な動植物や、微生物を先進国が商品化した場合の利益配分で揉めているそうです!これが最大の案件だと新聞に載っていました。 COP10とは、そう言うモノだったのですね*もっと崇高なものだと私は勘違いしていました。 世間知らずでした!笑 病原体をめぐり対立するのは変ではありませんか?笑 お金の事の話し合いなら他で遣れば良いのに何て思ってしまいます。きっと理由があるのでしょう?頭の良い人たちが考えて行っているのですから!反面、頭が良過ぎると、考えなくても解る当たり前のことが忘れがちになるのも事実だと思います。牛やクマ、サルも希少動物になれば殺されないのでしょうか?人間は何処までも身勝手ですね!希少動物と言う言葉すら疑わしいと感じます。本当は希少でも何でもないではないかと!珍獣=人間!笑 私は、自然保護派でも、何でもありませんが、人間が生きて行く以上仕方ないことが沢山ある!その上で身近に出来ることをすれば良いのではないのか?そう考えます。コインの裏表が解らない?主張していることと、その裏側にあるものが見えない?見ようとしない安易さに、私は呆れてしまうのです。徒党を組んでしか出来ないと言うのも、男として情けなく思っています。暴力団や暴走族だけで十分ではありませんか?笑 ☠
人類絶滅
人間は、動物達を上から観ている様ですが、人類絶滅を心配した方が良い ☠ 人間同士仲良く遣れないのに、他の動物との共存はあり得ないのではないか?COP10を開くのなら、先ず保健所で殺されている犬や、猫を何とかする手立てを講じてからにして欲しい?そう思いますが、如何でしょう?多様性は種類ばかりではないと考えます。人間だって多種多様ですもんね!多様性と言う一見綺麗で心地良い言葉は、ケネディーさんの演説で遣われましたが、多様性を認め合う為には、もっともっと人間の思考や哲学が進化しなければならないと申しましょうか?神仏に近づかないと出来ることではないと思います。言い換えれば人間の原点に戻ると申し上げた方が良いのかも知れません? 国の境界線に拘り、国益を守るとか、損をするのはイヤだ!何て考えている内は、多様性を認める何て言えないのではないか?自分の都合ばかり言っていてはダメですね! 自分の欲から離れられることとは、どんなことでしょう? 絶滅危惧動物を心配していると叫びながら、自分達が食するクジラやマグロは捕り続ける無神経ぶり!他国の意見には耳を傾けません? 更に調査捕鯨などと嘘の名目を付け、都合の良いことだけは行うのですから、何を言っても説得力はありませんね*ご都合主義は日本の悪しき慣習です。 他国から尊敬される訳がない。国連常任理事国に成りたいと言っていますが、自分が行いたいことも我慢出来ないで認められますか???そう言いつつ、私も理不尽に挑発されると我慢出来ませんが!☠ 笑 日本は、変わることを恐れているのか、現状にしがみ付いてしか生きられないのか?どっちでしょう? 無いならないでどうにかなるし、どうにもならなければ受け入れて行くしかない* 私が楽天的だから、そんな風に思うのかも知れませんが、実際そうやって地球上の生物たちは、変化に対応?順応して来たからこそ今があるのではないですか?小さな事を大問題にしたがるのは、余程暇か?やはり変わりたくない証拠だと思います。 マグロが食べれなければ、イワシを食べれば良いだけ!当たり前のことが嫌なんですかねえ~???美味しいです。一番私が好きなのは、銀鰆の酒カス漬けを焼いたヤツです。本当に頬っぺたが落ちそうなくらい*
サンゴ
そう言えばサンゴの増殖とか言って、有名人たちが加わり、NPOが活動していますが、現地の人たちは迷惑がって反対をしています。それは、その土地に長年住み、本当の自然を知っているからなのです!科学では解明出来ないモノがある。人間が手を加えれば、他に影響が及ぶことを知っています。皮膚感覚で知っているのでしょう!人間が良かれと思い手を出しても、自然の事は解らないモノです。森羅万象*自然は、自然に任せるしかない。共生!共生と格好の良いことばかり言いますが、全く違う!自然の中に生かされているのが人間であり生物だと思います。 人間が一番上ではない。自然が一番上です。
クマも増え過ぎた!
先日、よくお世話になっている庭師のお爺さんに、栗を頂いたお礼に伺いました。 そして、クマの話題になりますと、今年はクヌギの大きな木が立ち枯れになっているから、餌は少ないとおっしゃっていました。でも、それは温暖化とか猛暑だけが原因ではなく、そう言う周期が自然にはあることを教えて下さいました。 同時に、クマを殺して食べていけないと世間が余りにも極端に言うから、クマの数が増え過ぎている事実もあるそうです。オール・オワ・ナッシングなのかも知れませんね?「山は限られているのに数が増え過ぎれば、餌が少なくなるのは当たり前だわなあ!とも言われていました。やっぱり本職の意見は違いますね!私も反省しました。もう一度素直な気持ちで考え直してみなければいけません。驕りは私にもある*
秋に弾いたギター
秋によく弾いた曲は村下孝蔵さんの、「ゆうこ」です。秋にピッタリ*ギターの音色は聴く人によって様々な音に響くでしょうが、私には悲しみの音に聴こえます。涙は流さないですが、心で共に泣いてくれる楽器だと思っています。この歌は、私の好きなピアノの音から始まります。
ゆうこ
「♬ ゆうこ~ どんな過去が君を変えてしまったの 瞳の陰りが切な過ぎるよ 言い出せない愛は海鳴りに似ている 遠くから絶え間なく押し寄せ胸を強く揺さぶる~♬」
何て素晴らしい表現でしょうか*人や愛の気持ちをこんな風に詩に出来るなんて本当に素晴らしい*私的な話で恐縮ですが、昔、叔父の付き合っていた人の名前が、「ゆうこ」さんだったのです!保育士をしておられ、優しくとても綺麗な人でした。しかし、長く付き合っていましたが、結局結ばれなかった。 どんな理由だったのか、その時私は中学一年生でしたから解りませんでした。今は何となく理解出来ます。 ただ好きなだけではダメだったんですね*大人は難しい!でも、今から数年前とてもビックリすることがありました。 ボランティアで偶々保育園に行きましたら、そのお姉さんと再会したのです。お姉さんも、何となく私と何処かで会った様なと感じておられたみたいです?その後、お話させて頂き再会を喜んで頂けました。そして、お姉さんが、「一度ゆっくり食事でも如何ですか?」と、誘ってくれたものですから約束して一度だけ食事をしました。私が子供の時に優しくしてくれたことや、高いオモチャを新潟で買ってくれたことのお礼が言えて良かったです。 ゆうこさんが、色々な思い出話を語ってくれながら、少し間が空いておっしゃいました。「何か昔の恋人と会っているみたい*」と・・・その瞳の奥に私は陰りを感じて色々あったんだなあ*余り根掘り葉掘りお聞きしてはイケナイと思いました。言わない方が良いこと!聞かない方が良いことは沢山ある*そんな気遣いが出来る人間に成りたいですね・・・知ったから、どうなるモノでもありません*黙って頷くだけで分かち合える!
初恋
また、これは春の歌なのかも知れませんが、私は秋が似合う歌だと感じます。それは、「初恋」です。人を好きになる自由があることを小学生の時に知って、とても感激と申しましょうか?幸せに感じたことを覚えています。今から思えば、純粋でウブだったのだなあ*好きな人と一緒に暮せる何て、そんな良いことがあってもいいのかなあ?と、本気でそう考えていました。それが今はこの有様です* ☠ 笑
「♬ 好きだよと言えずに初恋は 振り子細工の心 放課後の校庭で走る君を見た 遠くで僕はいつでも君を探してた 浅い夢だから胸を離れない~♬」
綺麗な心
良い歌です*村下さんの歌は、ご本人の誠実さや純粋さが手に取る様に伝わって来ます。そして嘘がない*綺麗な心を感じます。若くして亡くなってしまいました。きっと生きていれば、まだまだ沢山名曲を作って下さったことでしょう*惜しまれます。純粋で真面目と言う言葉がピッタリでした。人間的に心から好感が持てる有名人や歌手は中々居ません。今は偉そうなスポーツ選手や芸能人ばかりで魅力を余り感じません。何処か奢っている様に観えてしまいます。常に上から、「何々なんで~何々なんで~ここまでが僕の作品です?力はあると思うし~」と、何様でしょうか?ボールを投げたり、蹴ったり、打ったりすることが、そんなに偉い事だとは私には思えません。その利益を得たことでどんなことをしたのか?人間的な行いこそが評価されるべきです。
悲しい絵
そう言えば少し前に虚しい番組を観ました。 有名なタレントたちが、サッサッと描いた絵をテレビでオークションに掛け、売って貧しい国に寄付をするという番組でした。 とても嫌な気持ちと申しましょうか?品がないと申しましょうか?溜息が出ました。下劣な事?豊かさの驕りだと思います。高額で売れ芸能人が涙を流している姿を観て、日本も終わったなあ*と感じました。 善意はそっと遣るモノです。購入する方々も自分の豊かさを、さり気なくアピールし、「貧しい人たちの為に?」と言いながら、自分の好きな有名人が描いた絵が欲しい!と欲を出す。本当は何がしたいのでしょうか?訳ワカンナイ?根っこからオカシイ!腐っています*自分達のしていることが客観的に観てどうなのか?と考える力がない。自分が貧しい側に立って物事が観れないのでしょう?人の事を批判してはいけませんが、余りにも情けないです。まあ、そんなインタビューやテレビを観て、気分が悪くなる様では私も修行が足らないか、時代遅れなのでしょうね!
銀盤の美しい姿
真央ちゃんには悪いですが、キム・ヨナさんとはライバルではなかった気がします* レベルなど明らかに違いましたね*でも先日、この子ならばライバルになると感じた選手がいました!それは村上佳菜子さんと言うスケーターです。それだけではありません。滑りを観たり、インタビューを聞いて、久しぶりに好感が持てる選手が出て来たと思いました。屈託のない笑顔*謙虚な姿勢!ちゃんと日本語を話すこと!人間性や考え方も含めて素晴らしいと感じます。「今日、観に来ているお客さんが元気になる様に一所懸命に滑ります。」と・・・ 素直で思い遣りの心を備えていることが分かりました。 きっと、この選手なら世界一になりますね!応援をしたくなりました。 私が至らない分、クラウドの子供達も、こんな選手や人間に育ったら良いなあ?何て考えていました。
いつのまにか少女は
「♬ いつのまにか愛を遣う事を知り 知らず知らず愛と遊ぶ人になる だけど春の短さを誰も知らない 君の笑顔は悲しいくらい大人になった~ン~ん ♬」
深い詩とは?
陽水さんの歌詞は、一度読んでも意味が解らないことが多いです。しかし、その分、理解出来た時は本当に深く体に入って来ます。後から後から沁みて来る詩です*幼く可愛い女の子が純粋に人を好きになり、愛の意味を少しずつ理解し、儚さを知る*また、幸せが一瞬にして不幸に変わり、絶望の淵に追いやられ、信じることの怖さを覚え、愛とは何か?幸せとは何かを悟って大人に成って行くのでしょう* 人が成長して行くことは、嬉しいことですけれど、悲しいことでもありますね* 人間と言う生き物は、一体何なのだろうと本当に考えさせられます。
「♬ 田舎の堤防夕暮れ時に ぼんやりベンチに座るのか~」
秋と言えばこの歌を思い出します。中学生の頃、学校からキャンプに出掛けました。ラジオカセット=ラジカセをクラスの誰かが持って来ていて、そこから、「夕暮れ時はさみしそう」と言う歌が流れていたのです。夕暮れになると人恋しさと申しましょうか?さみしい気持ちが何処からともなくどっと押し寄せて来たことを思い出します。「あの気持ちは何だったのかなあ?」と、友人に呟きましたら、「それは純粋だったからだよ!」と教えてくれました。思春期*しかし、段々成長と共に、大人の汚さや社会の柵の中で、そういったモノを感じなくなったのだと思います。慌ただしい日々の中でも、何気なくふっと我に返り道に目を向けますと、小さな草や雑草を見て考えます。排気ガスに塗れ、人や車に踏まれながらも懸命に生きているのだなあ*「私も頑張らなくっちゃ~!」と・・・ちょっとシンミリした話になりましたが、この時私はギターを持って行きました。何故かと申しますと、クラスの出し物があったからです。 歌を唄いながら芝居を見せると言う私のアイデアで、さだまさしさんの「雨やどり」を遣ったのでした。これが大爆笑でした!大成功でクラスのみんなも大喜び* ♬ 「自信たっぷりに紹介したら、彼の靴下に穴がポカリん~慌てて隠したけどしっかり見られた!」笑 秋には、やっぱり夕暮れが一番似合うと私は感じます。オカリナと言う楽器から始まるこの曲は、モノ悲しい歌を引き立てています。土から作られているからでしょうか?温かい音色ですね*でも儚い音*温かいモノと寂しいモノが合わさっている!何処か人間の心に似ているのかも知れません?琴線に触れる音*
月は人生
月が昇り、沈んで行きます。そして、満月から新月までを繰り返します。雲に隠れたと思えば、また顔を見せてくれます。人生を表している様です。自然に生まれるモノは全て、潮の満ち引き、即ち月が関係していると言われています。目に見えない力が働いているのでしょう!秋の月は大きく見えてとても綺麗です。夜の練習がある時に子供達と、よく一緒に月を観て感動を味わっているのですよ*「スゲ~」と!笑 私が、「凄い!」と言いなさいと教えても、「スゴイ・ガン!」と、更に汚い言葉になってしまいます☠ 指導者が悪い
虫の声
友人が言いました。「秋の夜長、春は曙と言うが、オレは秋が嫌いだ!虫の声がシミジミと心に沁みる*今までの悲しみが湧いてくる様だ*」と言います。 幼い時に聞いたコオロギの鳴き声を、今一度よ~く聴いて見ますと、本当に泣いている様に聞こえて来ます。
生物多様性のウソ
今、名古屋でCOP10が開かれています。地球に生きる一員として、自然や生き物のことを考えようとの趣旨だと思っていましたが、開催中にも拘わらず沢山のクマが射殺されています! 動物と如何に共存していけるのか?と考えていながら、人的被害が及べば麻酔銃ではなく、実弾で殺すことを選択する人間の頭の構造は理解出来ません?希少動物でなければ何を遣っても良い! そればかりか、途上国との間では、希少な動植物や、微生物を先進国が商品化した場合の利益配分で揉めているそうです!これが最大の案件だと新聞に載っていました。 COP10とは、そう言うモノだったのですね*もっと崇高なものだと私は勘違いしていました。 世間知らずでした!笑 病原体をめぐり対立するのは変ではありませんか?笑 お金の事の話し合いなら他で遣れば良いのに何て思ってしまいます。きっと理由があるのでしょう?頭の良い人たちが考えて行っているのですから!反面、頭が良過ぎると、考えなくても解る当たり前のことが忘れがちになるのも事実だと思います。牛やクマ、サルも希少動物になれば殺されないのでしょうか?人間は何処までも身勝手ですね!希少動物と言う言葉すら疑わしいと感じます。本当は希少でも何でもないではないかと!珍獣=人間!笑 私は、自然保護派でも、何でもありませんが、人間が生きて行く以上仕方ないことが沢山ある!その上で身近に出来ることをすれば良いのではないのか?そう考えます。コインの裏表が解らない?主張していることと、その裏側にあるものが見えない?見ようとしない安易さに、私は呆れてしまうのです。徒党を組んでしか出来ないと言うのも、男として情けなく思っています。暴力団や暴走族だけで十分ではありませんか?笑 ☠
人類絶滅
人間は、動物達を上から観ている様ですが、人類絶滅を心配した方が良い ☠ 人間同士仲良く遣れないのに、他の動物との共存はあり得ないのではないか?COP10を開くのなら、先ず保健所で殺されている犬や、猫を何とかする手立てを講じてからにして欲しい?そう思いますが、如何でしょう?多様性は種類ばかりではないと考えます。人間だって多種多様ですもんね!多様性と言う一見綺麗で心地良い言葉は、ケネディーさんの演説で遣われましたが、多様性を認め合う為には、もっともっと人間の思考や哲学が進化しなければならないと申しましょうか?神仏に近づかないと出来ることではないと思います。言い換えれば人間の原点に戻ると申し上げた方が良いのかも知れません? 国の境界線に拘り、国益を守るとか、損をするのはイヤだ!何て考えている内は、多様性を認める何て言えないのではないか?自分の都合ばかり言っていてはダメですね! 自分の欲から離れられることとは、どんなことでしょう? 絶滅危惧動物を心配していると叫びながら、自分達が食するクジラやマグロは捕り続ける無神経ぶり!他国の意見には耳を傾けません? 更に調査捕鯨などと嘘の名目を付け、都合の良いことだけは行うのですから、何を言っても説得力はありませんね*ご都合主義は日本の悪しき慣習です。 他国から尊敬される訳がない。国連常任理事国に成りたいと言っていますが、自分が行いたいことも我慢出来ないで認められますか???そう言いつつ、私も理不尽に挑発されると我慢出来ませんが!☠ 笑 日本は、変わることを恐れているのか、現状にしがみ付いてしか生きられないのか?どっちでしょう? 無いならないでどうにかなるし、どうにもならなければ受け入れて行くしかない* 私が楽天的だから、そんな風に思うのかも知れませんが、実際そうやって地球上の生物たちは、変化に対応?順応して来たからこそ今があるのではないですか?小さな事を大問題にしたがるのは、余程暇か?やはり変わりたくない証拠だと思います。 マグロが食べれなければ、イワシを食べれば良いだけ!当たり前のことが嫌なんですかねえ~???美味しいです。一番私が好きなのは、銀鰆の酒カス漬けを焼いたヤツです。本当に頬っぺたが落ちそうなくらい*
サンゴ
そう言えばサンゴの増殖とか言って、有名人たちが加わり、NPOが活動していますが、現地の人たちは迷惑がって反対をしています。それは、その土地に長年住み、本当の自然を知っているからなのです!科学では解明出来ないモノがある。人間が手を加えれば、他に影響が及ぶことを知っています。皮膚感覚で知っているのでしょう!人間が良かれと思い手を出しても、自然の事は解らないモノです。森羅万象*自然は、自然に任せるしかない。共生!共生と格好の良いことばかり言いますが、全く違う!自然の中に生かされているのが人間であり生物だと思います。 人間が一番上ではない。自然が一番上です。
クマも増え過ぎた!
先日、よくお世話になっている庭師のお爺さんに、栗を頂いたお礼に伺いました。 そして、クマの話題になりますと、今年はクヌギの大きな木が立ち枯れになっているから、餌は少ないとおっしゃっていました。でも、それは温暖化とか猛暑だけが原因ではなく、そう言う周期が自然にはあることを教えて下さいました。 同時に、クマを殺して食べていけないと世間が余りにも極端に言うから、クマの数が増え過ぎている事実もあるそうです。オール・オワ・ナッシングなのかも知れませんね?「山は限られているのに数が増え過ぎれば、餌が少なくなるのは当たり前だわなあ!とも言われていました。やっぱり本職の意見は違いますね!私も反省しました。もう一度素直な気持ちで考え直してみなければいけません。驕りは私にもある*
秋に弾いたギター
秋によく弾いた曲は村下孝蔵さんの、「ゆうこ」です。秋にピッタリ*ギターの音色は聴く人によって様々な音に響くでしょうが、私には悲しみの音に聴こえます。涙は流さないですが、心で共に泣いてくれる楽器だと思っています。この歌は、私の好きなピアノの音から始まります。
ゆうこ
「♬ ゆうこ~ どんな過去が君を変えてしまったの 瞳の陰りが切な過ぎるよ 言い出せない愛は海鳴りに似ている 遠くから絶え間なく押し寄せ胸を強く揺さぶる~♬」
何て素晴らしい表現でしょうか*人や愛の気持ちをこんな風に詩に出来るなんて本当に素晴らしい*私的な話で恐縮ですが、昔、叔父の付き合っていた人の名前が、「ゆうこ」さんだったのです!保育士をしておられ、優しくとても綺麗な人でした。しかし、長く付き合っていましたが、結局結ばれなかった。 どんな理由だったのか、その時私は中学一年生でしたから解りませんでした。今は何となく理解出来ます。 ただ好きなだけではダメだったんですね*大人は難しい!でも、今から数年前とてもビックリすることがありました。 ボランティアで偶々保育園に行きましたら、そのお姉さんと再会したのです。お姉さんも、何となく私と何処かで会った様なと感じておられたみたいです?その後、お話させて頂き再会を喜んで頂けました。そして、お姉さんが、「一度ゆっくり食事でも如何ですか?」と、誘ってくれたものですから約束して一度だけ食事をしました。私が子供の時に優しくしてくれたことや、高いオモチャを新潟で買ってくれたことのお礼が言えて良かったです。 ゆうこさんが、色々な思い出話を語ってくれながら、少し間が空いておっしゃいました。「何か昔の恋人と会っているみたい*」と・・・その瞳の奥に私は陰りを感じて色々あったんだなあ*余り根掘り葉掘りお聞きしてはイケナイと思いました。言わない方が良いこと!聞かない方が良いことは沢山ある*そんな気遣いが出来る人間に成りたいですね・・・知ったから、どうなるモノでもありません*黙って頷くだけで分かち合える!
初恋
また、これは春の歌なのかも知れませんが、私は秋が似合う歌だと感じます。それは、「初恋」です。人を好きになる自由があることを小学生の時に知って、とても感激と申しましょうか?幸せに感じたことを覚えています。今から思えば、純粋でウブだったのだなあ*好きな人と一緒に暮せる何て、そんな良いことがあってもいいのかなあ?と、本気でそう考えていました。それが今はこの有様です* ☠ 笑
「♬ 好きだよと言えずに初恋は 振り子細工の心 放課後の校庭で走る君を見た 遠くで僕はいつでも君を探してた 浅い夢だから胸を離れない~♬」
綺麗な心
良い歌です*村下さんの歌は、ご本人の誠実さや純粋さが手に取る様に伝わって来ます。そして嘘がない*綺麗な心を感じます。若くして亡くなってしまいました。きっと生きていれば、まだまだ沢山名曲を作って下さったことでしょう*惜しまれます。純粋で真面目と言う言葉がピッタリでした。人間的に心から好感が持てる有名人や歌手は中々居ません。今は偉そうなスポーツ選手や芸能人ばかりで魅力を余り感じません。何処か奢っている様に観えてしまいます。常に上から、「何々なんで~何々なんで~ここまでが僕の作品です?力はあると思うし~」と、何様でしょうか?ボールを投げたり、蹴ったり、打ったりすることが、そんなに偉い事だとは私には思えません。その利益を得たことでどんなことをしたのか?人間的な行いこそが評価されるべきです。
悲しい絵
そう言えば少し前に虚しい番組を観ました。 有名なタレントたちが、サッサッと描いた絵をテレビでオークションに掛け、売って貧しい国に寄付をするという番組でした。 とても嫌な気持ちと申しましょうか?品がないと申しましょうか?溜息が出ました。下劣な事?豊かさの驕りだと思います。高額で売れ芸能人が涙を流している姿を観て、日本も終わったなあ*と感じました。 善意はそっと遣るモノです。購入する方々も自分の豊かさを、さり気なくアピールし、「貧しい人たちの為に?」と言いながら、自分の好きな有名人が描いた絵が欲しい!と欲を出す。本当は何がしたいのでしょうか?訳ワカンナイ?根っこからオカシイ!腐っています*自分達のしていることが客観的に観てどうなのか?と考える力がない。自分が貧しい側に立って物事が観れないのでしょう?人の事を批判してはいけませんが、余りにも情けないです。まあ、そんなインタビューやテレビを観て、気分が悪くなる様では私も修行が足らないか、時代遅れなのでしょうね!
銀盤の美しい姿
真央ちゃんには悪いですが、キム・ヨナさんとはライバルではなかった気がします* レベルなど明らかに違いましたね*でも先日、この子ならばライバルになると感じた選手がいました!それは村上佳菜子さんと言うスケーターです。それだけではありません。滑りを観たり、インタビューを聞いて、久しぶりに好感が持てる選手が出て来たと思いました。屈託のない笑顔*謙虚な姿勢!ちゃんと日本語を話すこと!人間性や考え方も含めて素晴らしいと感じます。「今日、観に来ているお客さんが元気になる様に一所懸命に滑ります。」と・・・ 素直で思い遣りの心を備えていることが分かりました。 きっと、この選手なら世界一になりますね!応援をしたくなりました。 私が至らない分、クラウドの子供達も、こんな選手や人間に育ったら良いなあ?何て考えていました。
いつのまにか少女は
「♬ いつのまにか愛を遣う事を知り 知らず知らず愛と遊ぶ人になる だけど春の短さを誰も知らない 君の笑顔は悲しいくらい大人になった~ン~ん ♬」
深い詩とは?
陽水さんの歌詞は、一度読んでも意味が解らないことが多いです。しかし、その分、理解出来た時は本当に深く体に入って来ます。後から後から沁みて来る詩です*幼く可愛い女の子が純粋に人を好きになり、愛の意味を少しずつ理解し、儚さを知る*また、幸せが一瞬にして不幸に変わり、絶望の淵に追いやられ、信じることの怖さを覚え、愛とは何か?幸せとは何かを悟って大人に成って行くのでしょう* 人が成長して行くことは、嬉しいことですけれど、悲しいことでもありますね* 人間と言う生き物は、一体何なのだろうと本当に考えさせられます。
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