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秋のコンサート
昨日、「次のコンサートの予定は何時頃ですか?」と、あるお母さんに聞かれました。ありがとうございます*ミディーさん曰く、今回は、ふれあいホールが一杯で借りることが出来ないから、中止の方向だと伺いました。もし秋に、こんな歌を唄ったら、聴きに来て下さった方々が、きっと喜んで頂けるだろう?と、勝手に思い込み、密かに練習していた曲を、ご紹介しながら想いを綴らさせて下さい。スケートの村上さんを観て急に私も謙虚になりました!笑 こんなことを書いていましたら、ミディーさんから、また違うお誘いを受けました。 有り難いことです。もしかしたら、瀬戸蔵の側でミニコンサートに出られるかも知れません。正式に決まりましたら、このボログ!笑 で、お知らせ致します。
私のブログの書き方が無茶苦茶ですみません。戦争を知らない子供達まで遡って書き加えています。所々ですから解り難いです。気にしないで下さいね*大した話ではありませんから!笑 でも何時も真剣ですよ*
安奈
「♬ 寒い夜だった 辛く悲しい 独りきりの 寒い夜だった☆」
寒いから余計に寂しさが身に沁みます。季節が心に与える影響は図り知れません。逆に寒いからこそ寂しさの中に、様々な想いが湧いてくるのだと思います。季節の中で感じ方が違いますもんね* 春夏秋冬!起承転結!喜怒哀楽!諸行無常!蛙鳴蝉噪?は私の文章のことです。アハハ 私の子供の時は、誕生日であろうが、クリスマスであろうが何も買って貰った記憶がありません。母が内職をして買ってくれたギターが、そっとべットに置いてあった事だけは覚えています。その日は誕生日でも何でもない日でした。私は、クリスマスや誕生日の日が近づいても嬉しくありませんでした。 「何か買って貰えるかなあ?」との甘い考えや、淡い期待を持たない。そうは思いつつも子供ですから、小学3年生くらいまでは、間違って何か良いことがあるかも知れない*と考えていましたが、期待に反して何時も落胆してばかりでした。その内に、こう考える様になったのです。「一日は一日だろう?特別な日でも何でもないんだ、早く過ぎちゃえばいいのに*」・・・
大切な人は何時も大切でしょ?
そう言う経験からでしょうか?彼女や人の誕生日が中々覚えられないのです。未だに家族の誕生日さえ知らないこともある?歳も正確には知らない。きっと覚える気がないのでしょうね!笑 しかし、母と妹だけは知っています!母は、11月11日生まれでヘビ年!☠ 妹は3月3日で羊年す。何故覚えられたのかと申しますと、11月22日はケネディー大統領が暗殺された日で、その暗殺された映像が強烈に印象に残っていた為、その日にちは忘れられないモノになっていたのです。そして、母の誕生日は偶々同じ月の「揃目」だったから覚え易かったのでしょう?妹の誕生日は得ですよね?雛祭りだから、覚えようとしなくても分かる!笑 それに妹は、お雛さんと言うよりも、ゾウ見たいな腕と言うか?前足をしていて、そのギャップが面白いからだと思います☠ アハハ 剣道をやっていまして、確か初段か二段です。 彼女に棒を持たせてはいけませんね!笑 腕はともかく、性格は優しいのですよ* 先日、こんな事がありました。私の母は、とても綺麗好きで、何時も朝早く起きて一番に掃除をし、家をピカピカにするのですが、恥ずかしいことに、下の妹がグウタラで汚し放題なのです!それに手伝いは一切しない ☠ それを見かねて、上の妹が実家の大掃除を手伝いに来てくれていました。 そして、下の妹と大ケンカし、泣きながら手伝っていました* 「お母さんが可哀想だ*」と言って涙を拭い私に訴える妹の姿を見ていて、何か胸に迫るモノを感じました。一人でも良い妹が居てくれて本当に良かったです。 話を戻しますが、昔の江戸時代や、それ以前も誕生日に対して余り拘っていなかったのではないでしょうか? そう言う文化はなかった様に思います!むしろ亡くなった日を大切にしていた。 供養重視社会!だから年齢不詳の方が多いですよね?生年月日は不明なんてよくあります。有名な方でも結構いますもんね! 昔の価値観と似ているのか分かりませんが、私も誕生日などを大切に思えないのです*大切な人なら、何時も大事にすれば良いと思ってしまう*何か使命感に駆られて遣ることではない気がします。そういったことは、人間の裏側に潜む嫌な部分が、出易くなるのではないでしょうか? その時だけ、その人の事を深く想うのか?そうではないですよね* 私に夢がないと言えば、それまででしょう* でも、そういう作られたイベント事! 誕生日・クリスマス・バレンタインデー・ホワイトデー・などを特別に位置付けするのは、どうなのでしょうか?みんながするから行う?従うのは、迎合している様に感じているのかも知れません? 自身で何も考えることなく、大衆やマスコミ、業界に踊らされてる様に観えてしまう*それらを嬉しく感じられれば良いですよね!でも、真心のない贈り物ほど虚しく感じませんか?また、貰う方も自分が気に入らなければ使わないでしょう*食べ物でもそうです。誰かにあげるか、ゴミ箱行きになってしまいます!味は、歌と同じで直ぐ分かりますね!このチョコレートは形式的な物ではなく、本当に心を込めて作って下さったんだなあと・・・
物を貰う恥ずかしい気持ち
キャバクラの綺麗なお姉ちゃんたちや、若いお姉さんが、二人の男から同じバックをプレゼントされたと、笑いながら質屋に持ち込み、現金化して喜ぶ姿は今珍しくありませんよね ☠ 日本が腐っている証拠の一つだと思います。 私の考えが正しいのではなく、ただ変わっているだけで、特別な孤独に慣れてしまったのかも知れません!しかし、トラウマではないと思いますが、深く考えれば考えるほど醒めて行く自分自身が居るのです。 心から、その特別と称される日を楽しみながら過ごせない* 皆さんも誰か一緒の時、二人でも大勢で居ても、無性に寂しさや、孤独感に苛まれ、何か得体の知れないモノに襲われたことってないですか!私はよくあるのです。特にイベントの時!物欲的なことを自分が欲したり、何か期待していたりする自身に気付くと、己の卑しさが情けなくて、どうしようもなく一人に成りたいと思うのです* 子供達といる時には、全くその様な感情が湧き起こったことはありませんから、やはり子供達は純粋なのでしょうね* 私が素直に成れなくて汚れているだけかも知れません? テニスを教えていた女の子から、チョコレートを渡され、「3月14日を忘れないでね!」と、ハッキリ言われ、「可愛いなあ*」と感じたことを、これを書きながら思い出しました。笑 ☠ 下心と言うよりも、正に見返りは義務だから絶対忘れないでよ!何てハッキリ言われますと噴き出して笑えて来ませんか?笑
涙のクリスマスケーキ
もうひとつ思い出深い話があります。 それは、私が二十三歳くらいの出来事だったのですが、クリスマスの小雪が舞う寒い日のことです。残業が終わり帰宅しようとすると、私の職場の先輩が専務に、「家族にクリスマスケーキを買ってやるお金がない*」と、カネの無心をしていました。可哀想に一瞬思いましたが。それが情に訴えてお金を引き出している様に映って観え、とても情けなく思ったのです。 オレは、そう言う男には絶対成りたくないと強く感じたことを覚えています。その夜、カネを貰った人の家の団欒する光景を想像してしまい、子供達の笑顔までも思い浮かび、非常に虚しくなりました。 借りたお金で楽しく過ごすことが本当に幸せだろうか?と・・・その日に食べたケーキの味は甘くなく、ショッパイ味でした*
いつのまにか少女は
この曲はハープ(ハーモニカ)を使います。 ハープが入りますと、物悲しい曲が、更にシミジミとなってゆきます。何故こんな詩が陽水さんは書けるのでしょう?人生や生きることの意味をお若い時から、真剣に考えていたのかなあ?私と一緒で自分自身を持て余していたのだろうか?全然レベルは違いますが・・・
秋桜(コスモス)
山口百恵さんが唄ったこの曲は、私にとって、とても印象に残る一曲でした*引退する時に百恵さんは、こうおっしゃったそうです。「引退をするにあたって思うことは、ファンの期待を裏切れない*想いを裏切れない*と言うことです*」と・・・スポーツ界も、芸能界も一度引退した人がよく再復帰して来ます。きっと、百恵さんは死んでもそんなことはしないでしょう*その辺が、人間として尊敬出来るところだと思います。一度辞めると言って、また遣るのは、裏切る?騙したことになりかねない。自分の私利私欲や我儘でファンや世間をバカにしてはいけません。過去の栄光にしがみ付いてしか生きられないのでしょうか?百恵さんにも色んな復帰の誘惑が沢山あったと思いますが、出て来ませんもんね!だから信用もされ、尊敬されるのでしょう! 百恵さんは、母子家庭に育ちました*苦労した母親に対して感謝の念が強くあるのが分かります。その想いを込めて唄った曲が、この「秋桜」です。ファンの気持ちとは何でしょう?幸せになってね*との純粋な願い!気持ち良く送り出してくれた優しい心!おめでとうと言う気持ちと辞めないでと言う惜しまれるボイス* その全てを真剣に受け止められたのでしょう!目に見えないモノを大切にして、自分に厳しくあったのだと思います。 偉い人間です。
♬ 薄紅の秋桜が秋の日の 何気ない陽だまりに揺れている 此頃涙脆くなった母が庭先でひとつ咳をする 縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を 何度も同じ話繰り返す 独り言みたいに小さな声で~ こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさが浸みて来る 明日嫁ぐ私に苦労はしても 笑話に時が変えるよ 心配いらないと笑った ♬
私は、二番が好きですが、琴線に触れますので書くのを控えさせて頂きます*
シクラメンのかほり
昔は、レコード大賞を取ると言うことは日本中の人に、その歌が認められたと言う様な賞であったと思います。今みたいに軽くはありませんでした。ヒカルゲンジ辺りから可笑しくなったのでしょうか?まあ、その中で子供ながら、とても集中して聴いた曲が、「シクラメンのかほり」でした。小椋桂さんは東大出です。東大でも色々ですが、この当時の東大生は、どこか謙虚だった様に感じます。頭が良いからと威張ってなかった。教養がある分だけ人間が出来ていたのでしょうね!人間の哲学や、人の生き方を悟っておられたのかも知れません。今は、金儲けが上手く、場にそぐわないチャラチャラした格好で、いい加減な日本語を遣い、投げ槍な振る舞いをし、偉そうです。この曲を書いた小椋 桂さんは東大を卒業後、また哲学を学ぶ為に再入し勉強されたそうですから、本当に学びたい人間だったことが窺われます*資格免許の様に東大の看板で生きることをしなかったのです。今の子供のサッカー界でも、オレはサロンパス?笑 失礼!グランパスに入ってたことがあるとか、愛知FCに在籍していたとか、小さな自慢をしますが、そんな看板何て何の価値もありません。何処のクラブであっても関係ない!そこで何を学んだのかが大切なのです。グランパスも愛知も良いクラブです。でも、小学生の時だけちょっと上手かったで何が誇れるのでしょうか?そこそこの選手を寄せ集めれば強いに決まっています。百万回生きたネコの童話を思い出します。「オレはこれも出来たんだぜ~?」「オレは、こんなこともして来たんだぜ~?」と、恥ずかしいことです。一緒ですね*恥を知らない日本*クラウドの子供のお姉ちゃんが、こんな事を言っていたそうです。 「日本は、もうオワリだと思う*」と・・・ 私達は子供達に何をしているのでしょうか?
♬ 真綿色したシクラメンほど寂しいモノはない 出会いの時の君の様です 躊躇いがちに掛けた言葉に驚いた様に振り向く君に 季節が頬を染めて過ぎてゆきました ♬
「季節が頬を染めて過ぎてゆきました*」詩人ですね*シクラメンに香りはない?しかし香りを感じる!あるモノだけを信じないで、無いモノを知り信じる*素晴らしい!真綿は白色*雪の白*雲の白*儚さと清潔の象徴!脆く壊れ易いけれども、全ての汚いモノを全て包み込み綺麗にしてしまう!私は、白いバラが好きです。直ぐに枯れてしまいますが、そこがまた良い*触ってはいけないと思わせるくらい綺麗な花です。神に近い花でしょうか?
あなた(クラウドの怪獣編)
♬ もしも私が手裏剣だったなら 小さなあなたに当てるでしょう 大きな態度と笑えない悪戯と 部屋には呪いの藁人形があるのよ そして私はハチマキをするのよ 鉢巻の横にはロウソク ロウソク ロウソクが居て欲しい それが私の願いだったのよ 可愛かったあなたは今何処に~♬ 笑 鉢巻の横の意味は、「八墓村」です。
♬ もしも私が家を建てたなら 小さな家を建てたでしょう 大きな窓と小さなドアと 部屋には古い暖炉があるのよ そして私はレースを編むのよ 私の横にはあなた あなた あなたが居て欲しい それが私の願いだったのよ 愛しいあなたは今何処へ~ ♬
こんな素晴らしい良い歌が私に掛かると台無しです。子供達が事務所で遣りたい放題している姿を観て、こんな変え歌を思い付きました ☠
ラスト・クリスマスイブ
クリスマスソングは沢山ありますが、私が好んで唄う曲は、この「ラスト・クリスマスイブ」です。ギターの響きやコードが好きで、よく弾いています。最後の夜と思えば、特別な強い想いも湧いて来る*何事も、最後だと思えれば取り組み方も真剣になりますね*難しいコードで指が吊りそうです!アハハ
長い旅
「♬ 二度と言わないオレに お前をくれないか ♬」 こんな渋い歌詞でこの歌は始まります。一度でよいから言って見たいものです ☠ 笑 歌の中ならいくらでも言えます。 自分の想いを伝える手段は沢山ありますが、歌は、一人の相手から大勢の方々まで、一瞬にして想いを伝えることが出来る数少ない方法ではないでしょうか?恥ずかしがり屋で、ピュアな!笑 私には有り難い方法です。ギターありがとう* 終ります。
昨日、「次のコンサートの予定は何時頃ですか?」と、あるお母さんに聞かれました。ありがとうございます*ミディーさん曰く、今回は、ふれあいホールが一杯で借りることが出来ないから、中止の方向だと伺いました。もし秋に、こんな歌を唄ったら、聴きに来て下さった方々が、きっと喜んで頂けるだろう?と、勝手に思い込み、密かに練習していた曲を、ご紹介しながら想いを綴らさせて下さい。スケートの村上さんを観て急に私も謙虚になりました!笑 こんなことを書いていましたら、ミディーさんから、また違うお誘いを受けました。 有り難いことです。もしかしたら、瀬戸蔵の側でミニコンサートに出られるかも知れません。正式に決まりましたら、このボログ!笑 で、お知らせ致します。
私のブログの書き方が無茶苦茶ですみません。戦争を知らない子供達まで遡って書き加えています。所々ですから解り難いです。気にしないで下さいね*大した話ではありませんから!笑 でも何時も真剣ですよ*
安奈
「♬ 寒い夜だった 辛く悲しい 独りきりの 寒い夜だった☆」
寒いから余計に寂しさが身に沁みます。季節が心に与える影響は図り知れません。逆に寒いからこそ寂しさの中に、様々な想いが湧いてくるのだと思います。季節の中で感じ方が違いますもんね* 春夏秋冬!起承転結!喜怒哀楽!諸行無常!蛙鳴蝉噪?は私の文章のことです。アハハ 私の子供の時は、誕生日であろうが、クリスマスであろうが何も買って貰った記憶がありません。母が内職をして買ってくれたギターが、そっとべットに置いてあった事だけは覚えています。その日は誕生日でも何でもない日でした。私は、クリスマスや誕生日の日が近づいても嬉しくありませんでした。 「何か買って貰えるかなあ?」との甘い考えや、淡い期待を持たない。そうは思いつつも子供ですから、小学3年生くらいまでは、間違って何か良いことがあるかも知れない*と考えていましたが、期待に反して何時も落胆してばかりでした。その内に、こう考える様になったのです。「一日は一日だろう?特別な日でも何でもないんだ、早く過ぎちゃえばいいのに*」・・・
大切な人は何時も大切でしょ?
そう言う経験からでしょうか?彼女や人の誕生日が中々覚えられないのです。未だに家族の誕生日さえ知らないこともある?歳も正確には知らない。きっと覚える気がないのでしょうね!笑 しかし、母と妹だけは知っています!母は、11月11日生まれでヘビ年!☠ 妹は3月3日で羊年す。何故覚えられたのかと申しますと、11月22日はケネディー大統領が暗殺された日で、その暗殺された映像が強烈に印象に残っていた為、その日にちは忘れられないモノになっていたのです。そして、母の誕生日は偶々同じ月の「揃目」だったから覚え易かったのでしょう?妹の誕生日は得ですよね?雛祭りだから、覚えようとしなくても分かる!笑 それに妹は、お雛さんと言うよりも、ゾウ見たいな腕と言うか?前足をしていて、そのギャップが面白いからだと思います☠ アハハ 剣道をやっていまして、確か初段か二段です。 彼女に棒を持たせてはいけませんね!笑 腕はともかく、性格は優しいのですよ* 先日、こんな事がありました。私の母は、とても綺麗好きで、何時も朝早く起きて一番に掃除をし、家をピカピカにするのですが、恥ずかしいことに、下の妹がグウタラで汚し放題なのです!それに手伝いは一切しない ☠ それを見かねて、上の妹が実家の大掃除を手伝いに来てくれていました。 そして、下の妹と大ケンカし、泣きながら手伝っていました* 「お母さんが可哀想だ*」と言って涙を拭い私に訴える妹の姿を見ていて、何か胸に迫るモノを感じました。一人でも良い妹が居てくれて本当に良かったです。 話を戻しますが、昔の江戸時代や、それ以前も誕生日に対して余り拘っていなかったのではないでしょうか? そう言う文化はなかった様に思います!むしろ亡くなった日を大切にしていた。 供養重視社会!だから年齢不詳の方が多いですよね?生年月日は不明なんてよくあります。有名な方でも結構いますもんね! 昔の価値観と似ているのか分かりませんが、私も誕生日などを大切に思えないのです*大切な人なら、何時も大事にすれば良いと思ってしまう*何か使命感に駆られて遣ることではない気がします。そういったことは、人間の裏側に潜む嫌な部分が、出易くなるのではないでしょうか? その時だけ、その人の事を深く想うのか?そうではないですよね* 私に夢がないと言えば、それまででしょう* でも、そういう作られたイベント事! 誕生日・クリスマス・バレンタインデー・ホワイトデー・などを特別に位置付けするのは、どうなのでしょうか?みんながするから行う?従うのは、迎合している様に感じているのかも知れません? 自身で何も考えることなく、大衆やマスコミ、業界に踊らされてる様に観えてしまう*それらを嬉しく感じられれば良いですよね!でも、真心のない贈り物ほど虚しく感じませんか?また、貰う方も自分が気に入らなければ使わないでしょう*食べ物でもそうです。誰かにあげるか、ゴミ箱行きになってしまいます!味は、歌と同じで直ぐ分かりますね!このチョコレートは形式的な物ではなく、本当に心を込めて作って下さったんだなあと・・・
物を貰う恥ずかしい気持ち
キャバクラの綺麗なお姉ちゃんたちや、若いお姉さんが、二人の男から同じバックをプレゼントされたと、笑いながら質屋に持ち込み、現金化して喜ぶ姿は今珍しくありませんよね ☠ 日本が腐っている証拠の一つだと思います。 私の考えが正しいのではなく、ただ変わっているだけで、特別な孤独に慣れてしまったのかも知れません!しかし、トラウマではないと思いますが、深く考えれば考えるほど醒めて行く自分自身が居るのです。 心から、その特別と称される日を楽しみながら過ごせない* 皆さんも誰か一緒の時、二人でも大勢で居ても、無性に寂しさや、孤独感に苛まれ、何か得体の知れないモノに襲われたことってないですか!私はよくあるのです。特にイベントの時!物欲的なことを自分が欲したり、何か期待していたりする自身に気付くと、己の卑しさが情けなくて、どうしようもなく一人に成りたいと思うのです* 子供達といる時には、全くその様な感情が湧き起こったことはありませんから、やはり子供達は純粋なのでしょうね* 私が素直に成れなくて汚れているだけかも知れません? テニスを教えていた女の子から、チョコレートを渡され、「3月14日を忘れないでね!」と、ハッキリ言われ、「可愛いなあ*」と感じたことを、これを書きながら思い出しました。笑 ☠ 下心と言うよりも、正に見返りは義務だから絶対忘れないでよ!何てハッキリ言われますと噴き出して笑えて来ませんか?笑
涙のクリスマスケーキ
もうひとつ思い出深い話があります。 それは、私が二十三歳くらいの出来事だったのですが、クリスマスの小雪が舞う寒い日のことです。残業が終わり帰宅しようとすると、私の職場の先輩が専務に、「家族にクリスマスケーキを買ってやるお金がない*」と、カネの無心をしていました。可哀想に一瞬思いましたが。それが情に訴えてお金を引き出している様に映って観え、とても情けなく思ったのです。 オレは、そう言う男には絶対成りたくないと強く感じたことを覚えています。その夜、カネを貰った人の家の団欒する光景を想像してしまい、子供達の笑顔までも思い浮かび、非常に虚しくなりました。 借りたお金で楽しく過ごすことが本当に幸せだろうか?と・・・その日に食べたケーキの味は甘くなく、ショッパイ味でした*
いつのまにか少女は
この曲はハープ(ハーモニカ)を使います。 ハープが入りますと、物悲しい曲が、更にシミジミとなってゆきます。何故こんな詩が陽水さんは書けるのでしょう?人生や生きることの意味をお若い時から、真剣に考えていたのかなあ?私と一緒で自分自身を持て余していたのだろうか?全然レベルは違いますが・・・
秋桜(コスモス)
山口百恵さんが唄ったこの曲は、私にとって、とても印象に残る一曲でした*引退する時に百恵さんは、こうおっしゃったそうです。「引退をするにあたって思うことは、ファンの期待を裏切れない*想いを裏切れない*と言うことです*」と・・・スポーツ界も、芸能界も一度引退した人がよく再復帰して来ます。きっと、百恵さんは死んでもそんなことはしないでしょう*その辺が、人間として尊敬出来るところだと思います。一度辞めると言って、また遣るのは、裏切る?騙したことになりかねない。自分の私利私欲や我儘でファンや世間をバカにしてはいけません。過去の栄光にしがみ付いてしか生きられないのでしょうか?百恵さんにも色んな復帰の誘惑が沢山あったと思いますが、出て来ませんもんね!だから信用もされ、尊敬されるのでしょう! 百恵さんは、母子家庭に育ちました*苦労した母親に対して感謝の念が強くあるのが分かります。その想いを込めて唄った曲が、この「秋桜」です。ファンの気持ちとは何でしょう?幸せになってね*との純粋な願い!気持ち良く送り出してくれた優しい心!おめでとうと言う気持ちと辞めないでと言う惜しまれるボイス* その全てを真剣に受け止められたのでしょう!目に見えないモノを大切にして、自分に厳しくあったのだと思います。 偉い人間です。
♬ 薄紅の秋桜が秋の日の 何気ない陽だまりに揺れている 此頃涙脆くなった母が庭先でひとつ咳をする 縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を 何度も同じ話繰り返す 独り言みたいに小さな声で~ こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさが浸みて来る 明日嫁ぐ私に苦労はしても 笑話に時が変えるよ 心配いらないと笑った ♬
私は、二番が好きですが、琴線に触れますので書くのを控えさせて頂きます*
シクラメンのかほり
昔は、レコード大賞を取ると言うことは日本中の人に、その歌が認められたと言う様な賞であったと思います。今みたいに軽くはありませんでした。ヒカルゲンジ辺りから可笑しくなったのでしょうか?まあ、その中で子供ながら、とても集中して聴いた曲が、「シクラメンのかほり」でした。小椋桂さんは東大出です。東大でも色々ですが、この当時の東大生は、どこか謙虚だった様に感じます。頭が良いからと威張ってなかった。教養がある分だけ人間が出来ていたのでしょうね!人間の哲学や、人の生き方を悟っておられたのかも知れません。今は、金儲けが上手く、場にそぐわないチャラチャラした格好で、いい加減な日本語を遣い、投げ槍な振る舞いをし、偉そうです。この曲を書いた小椋 桂さんは東大を卒業後、また哲学を学ぶ為に再入し勉強されたそうですから、本当に学びたい人間だったことが窺われます*資格免許の様に東大の看板で生きることをしなかったのです。今の子供のサッカー界でも、オレはサロンパス?笑 失礼!グランパスに入ってたことがあるとか、愛知FCに在籍していたとか、小さな自慢をしますが、そんな看板何て何の価値もありません。何処のクラブであっても関係ない!そこで何を学んだのかが大切なのです。グランパスも愛知も良いクラブです。でも、小学生の時だけちょっと上手かったで何が誇れるのでしょうか?そこそこの選手を寄せ集めれば強いに決まっています。百万回生きたネコの童話を思い出します。「オレはこれも出来たんだぜ~?」「オレは、こんなこともして来たんだぜ~?」と、恥ずかしいことです。一緒ですね*恥を知らない日本*クラウドの子供のお姉ちゃんが、こんな事を言っていたそうです。 「日本は、もうオワリだと思う*」と・・・ 私達は子供達に何をしているのでしょうか?
♬ 真綿色したシクラメンほど寂しいモノはない 出会いの時の君の様です 躊躇いがちに掛けた言葉に驚いた様に振り向く君に 季節が頬を染めて過ぎてゆきました ♬
「季節が頬を染めて過ぎてゆきました*」詩人ですね*シクラメンに香りはない?しかし香りを感じる!あるモノだけを信じないで、無いモノを知り信じる*素晴らしい!真綿は白色*雪の白*雲の白*儚さと清潔の象徴!脆く壊れ易いけれども、全ての汚いモノを全て包み込み綺麗にしてしまう!私は、白いバラが好きです。直ぐに枯れてしまいますが、そこがまた良い*触ってはいけないと思わせるくらい綺麗な花です。神に近い花でしょうか?
あなた(クラウドの怪獣編)
♬ もしも私が手裏剣だったなら 小さなあなたに当てるでしょう 大きな態度と笑えない悪戯と 部屋には呪いの藁人形があるのよ そして私はハチマキをするのよ 鉢巻の横にはロウソク ロウソク ロウソクが居て欲しい それが私の願いだったのよ 可愛かったあなたは今何処に~♬ 笑 鉢巻の横の意味は、「八墓村」です。
♬ もしも私が家を建てたなら 小さな家を建てたでしょう 大きな窓と小さなドアと 部屋には古い暖炉があるのよ そして私はレースを編むのよ 私の横にはあなた あなた あなたが居て欲しい それが私の願いだったのよ 愛しいあなたは今何処へ~ ♬
こんな素晴らしい良い歌が私に掛かると台無しです。子供達が事務所で遣りたい放題している姿を観て、こんな変え歌を思い付きました ☠
ラスト・クリスマスイブ
クリスマスソングは沢山ありますが、私が好んで唄う曲は、この「ラスト・クリスマスイブ」です。ギターの響きやコードが好きで、よく弾いています。最後の夜と思えば、特別な強い想いも湧いて来る*何事も、最後だと思えれば取り組み方も真剣になりますね*難しいコードで指が吊りそうです!アハハ
長い旅
「♬ 二度と言わないオレに お前をくれないか ♬」 こんな渋い歌詞でこの歌は始まります。一度でよいから言って見たいものです ☠ 笑 歌の中ならいくらでも言えます。 自分の想いを伝える手段は沢山ありますが、歌は、一人の相手から大勢の方々まで、一瞬にして想いを伝えることが出来る数少ない方法ではないでしょうか?恥ずかしがり屋で、ピュアな!笑 私には有り難い方法です。ギターありがとう* 終ります。
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