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三國連太郎さん
この方は他の役者さんと雰囲気が違います。画面に迫る迫力と申しましょうか?凄みがある役者さんです。マルサの女と言う映画では、宗教法人の代表役で出演されていました。その映画を観て恐ろしいくらい役に成り切っておられました。ジャーナリストを脅すシーン!国税局の取り調べで狂乱するシーン!などなど、他の役者さんでは出せない様な演技だったと思います。 思い返せば、それより数十年前、山口百恵さんのドラマでもお父さん役で出演されていましたが、子供ながら異様な雰囲気を出されて、本当に怖かった記憶があります。
部落差別
この方は、珍しく出自を公言していました。子供の時には、何の罪もないのに差別を沢山受け友達がいませんでした。そして、親の金を盗み、その金をばら撒くことで他の子供達と遊べたそうです。
日本人は村人
マルサの女のあるシーンで、「日本人は皆村人だ!全部覗き魔だ!みんなゲスだ!何よりも人の不幸を観ることが好きなんだよ!」と言う場面がありました。鬼気迫る演技でした。演技ではないのかも知れません。胸に突き刺さりました。三國さんだから、その台詞が言えたのかも知れません。もしかしたら、アドリブも入っていたのでないか?とも思えます。よく監督さんとそれが元でケンカになったそうですから?役作りには人一倍念入りに考え、誰よりも台詞を何回もお読みになる三國さんだから、きっとそうだ思います。子供は、何処に生まれて来るのか?誰の子供に生まれて来るのか?それは選べない!高倉健さんの言葉が甦ります。
父親との確執
父親は、自分が教育を受けられ無かったから、息子には受けさせたいと考えていたそうですが、三國さんはそう言う考え方に反発をしました。それだけが原因かは分かりませんが、死に目にも立ち会いませんでした。余程の事がおありになったのでしょう?また、差別する意地の悪い人の中で、様々な葛藤があったことは、何となく想像出来ます。そんな経験が、演技に反映されているのではないのでしょうか?恵まれた環境や親の七光りで役者に成ったのではない。あの迫力のある演技は人生の経験がそのまま出ていると思います。今は、テレビの影響で親の夢を子供に託しているのを沢山目に致しますが本当に可哀想です*私も親の言うことを聞かない子供でしたから、三國さんのお気持ちが何となく分かります。また、理不尽なことで叱られたり、殴られたりすれば心の芯に残り、様々な影響を与えるのでしょう!戦国時代では、親子であっても殺し合っていたそうですから、同性親子の確執は結構根が深くなりますね*他人以上なのかも知れません。三國さんは、父親から火箸で太腿を刺されたそうです。
恥じらいと赤面症
三國さんは、今でも赤面症が直らないそうです。私も小学2・3・4年生くらいまでは赤面症でした。人に見られるのが恥ずかしかったのです。それが、私の場合、段々慣れて来たのでしょうか?いや、もしかしたら直っていないかも知れません。子供達に私が女の子の話をしていると、「先生!顔が赤くなってる*」と指摘を受けたりもしていますから***笑
自信満々
三國さんは、役者をしているご自身のことを、下手だ!自信がない!とおっしゃいます。何時辞めても良いとも言われます。反面、自信過剰な役者は伸びないとも言われているのです。それは何時も自分の芝居に疑いを持たないからだと・・・指導者と本当に似ています。自信満々なコーチほど大したことはない*視点を子供達に向けても同じことが言える様に思います。サッカーを観ていましても良く感じるのですよ!この子は、今は自信満々にプレーしていて、親からも過剰な期待をされているけど、余り伸びないだろうなあ?何てことはよくあります。しかし指導者は、それで終わる訳には行きません。じゃあどんな指導が出来るのか?を模索!創意工夫をするのです。でも、正直に申し上げれば中々難しいモノがあります。心の中まで入って変える事は本当に困難です。私はそういう時は、さり気なくさり気なく注意を促し、自分を厳しい目で観られる様にするのですが、全て上手くは行きませんね*指導力不足です。一旦持った自信は、驕りに変わり修正が困難になってしまう。
コンプレックス
コンプレックスは誰しもあるのでしょう?悪い方ばかりに捉える必要はありません。それがバネとなる!ある人の方が魅力的です。完全であればある程ツマラナイ*ノーミス!ノーミスと言いますが、表現者としては全然面白くありません。自分を全て曝け出していない*
映画監督とスポーツ監督
監督は絶対的なものじゃないのに妙に威厳ぶる!と三國さんはおっしゃっていました。これはスポーツ指導をしていて私が何時も思っていることです。本当にそうだと思います。どんだけ偉いんだ~と・・・また、もうひとつ同調することがありました。それは、ブレている役者は伸びる!ブレていた方が魅力的!だと言うことです。スポーツも同じだと思います。自由にプレーするって結構難しいのです。 また、よく監督が「シンプルにやれー!」と、怒鳴っていますが、それが一番難しい*簡単にやることとは、全てを削ぎ落し最も良いことだけをしなければいけないのですから*自信過剰な人はスポーツや芸術?即ち感性に関わるものほど伸びない訳は何でしょう?私が思いますのは、おそらく反省?色んな自分を練らないからではないかと考えます。もう少し頑張ろう!一歩階段を上がろう!でも大丈夫かな?ダメかなあ?そのブレが感性を磨き成長を促進すると思います。
この方は他の役者さんと雰囲気が違います。画面に迫る迫力と申しましょうか?凄みがある役者さんです。マルサの女と言う映画では、宗教法人の代表役で出演されていました。その映画を観て恐ろしいくらい役に成り切っておられました。ジャーナリストを脅すシーン!国税局の取り調べで狂乱するシーン!などなど、他の役者さんでは出せない様な演技だったと思います。 思い返せば、それより数十年前、山口百恵さんのドラマでもお父さん役で出演されていましたが、子供ながら異様な雰囲気を出されて、本当に怖かった記憶があります。
部落差別
この方は、珍しく出自を公言していました。子供の時には、何の罪もないのに差別を沢山受け友達がいませんでした。そして、親の金を盗み、その金をばら撒くことで他の子供達と遊べたそうです。
日本人は村人
マルサの女のあるシーンで、「日本人は皆村人だ!全部覗き魔だ!みんなゲスだ!何よりも人の不幸を観ることが好きなんだよ!」と言う場面がありました。鬼気迫る演技でした。演技ではないのかも知れません。胸に突き刺さりました。三國さんだから、その台詞が言えたのかも知れません。もしかしたら、アドリブも入っていたのでないか?とも思えます。よく監督さんとそれが元でケンカになったそうですから?役作りには人一倍念入りに考え、誰よりも台詞を何回もお読みになる三國さんだから、きっとそうだ思います。子供は、何処に生まれて来るのか?誰の子供に生まれて来るのか?それは選べない!高倉健さんの言葉が甦ります。
父親との確執
父親は、自分が教育を受けられ無かったから、息子には受けさせたいと考えていたそうですが、三國さんはそう言う考え方に反発をしました。それだけが原因かは分かりませんが、死に目にも立ち会いませんでした。余程の事がおありになったのでしょう?また、差別する意地の悪い人の中で、様々な葛藤があったことは、何となく想像出来ます。そんな経験が、演技に反映されているのではないのでしょうか?恵まれた環境や親の七光りで役者に成ったのではない。あの迫力のある演技は人生の経験がそのまま出ていると思います。今は、テレビの影響で親の夢を子供に託しているのを沢山目に致しますが本当に可哀想です*私も親の言うことを聞かない子供でしたから、三國さんのお気持ちが何となく分かります。また、理不尽なことで叱られたり、殴られたりすれば心の芯に残り、様々な影響を与えるのでしょう!戦国時代では、親子であっても殺し合っていたそうですから、同性親子の確執は結構根が深くなりますね*他人以上なのかも知れません。三國さんは、父親から火箸で太腿を刺されたそうです。
恥じらいと赤面症
三國さんは、今でも赤面症が直らないそうです。私も小学2・3・4年生くらいまでは赤面症でした。人に見られるのが恥ずかしかったのです。それが、私の場合、段々慣れて来たのでしょうか?いや、もしかしたら直っていないかも知れません。子供達に私が女の子の話をしていると、「先生!顔が赤くなってる*」と指摘を受けたりもしていますから***笑
自信満々
三國さんは、役者をしているご自身のことを、下手だ!自信がない!とおっしゃいます。何時辞めても良いとも言われます。反面、自信過剰な役者は伸びないとも言われているのです。それは何時も自分の芝居に疑いを持たないからだと・・・指導者と本当に似ています。自信満々なコーチほど大したことはない*視点を子供達に向けても同じことが言える様に思います。サッカーを観ていましても良く感じるのですよ!この子は、今は自信満々にプレーしていて、親からも過剰な期待をされているけど、余り伸びないだろうなあ?何てことはよくあります。しかし指導者は、それで終わる訳には行きません。じゃあどんな指導が出来るのか?を模索!創意工夫をするのです。でも、正直に申し上げれば中々難しいモノがあります。心の中まで入って変える事は本当に困難です。私はそういう時は、さり気なくさり気なく注意を促し、自分を厳しい目で観られる様にするのですが、全て上手くは行きませんね*指導力不足です。一旦持った自信は、驕りに変わり修正が困難になってしまう。
コンプレックス
コンプレックスは誰しもあるのでしょう?悪い方ばかりに捉える必要はありません。それがバネとなる!ある人の方が魅力的です。完全であればある程ツマラナイ*ノーミス!ノーミスと言いますが、表現者としては全然面白くありません。自分を全て曝け出していない*
映画監督とスポーツ監督
監督は絶対的なものじゃないのに妙に威厳ぶる!と三國さんはおっしゃっていました。これはスポーツ指導をしていて私が何時も思っていることです。本当にそうだと思います。どんだけ偉いんだ~と・・・また、もうひとつ同調することがありました。それは、ブレている役者は伸びる!ブレていた方が魅力的!だと言うことです。スポーツも同じだと思います。自由にプレーするって結構難しいのです。 また、よく監督が「シンプルにやれー!」と、怒鳴っていますが、それが一番難しい*簡単にやることとは、全てを削ぎ落し最も良いことだけをしなければいけないのですから*自信過剰な人はスポーツや芸術?即ち感性に関わるものほど伸びない訳は何でしょう?私が思いますのは、おそらく反省?色んな自分を練らないからではないかと考えます。もう少し頑張ろう!一歩階段を上がろう!でも大丈夫かな?ダメかなあ?そのブレが感性を磨き成長を促進すると思います。
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