×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
鏡で観る
自分の姿を映す鏡ですが、人間は鏡で心まで観ようとは中々しません。しかし、良く観て見ると観える気がします!姿を見て身嗜みを整えると言う当たり前の行動ですから気が付き難いモノです。どんなことも同様に思います。本当に観るって難しいですね!スポーツも同じだと私は感じています。選手は確かに相手やボールを見ているのですが観ていない!それは、多分テレビ画面を見ている様な感覚なのでしょう?全体を何となく観ているだけなのです。人ごとの様に!笑 怒られた事のない子や、危険に直面した事のない子などなど、感性が育まれていないと感じ方が遅い様に思います。芽生えていない*親の庇護の下では中々難しい?ツイツイ口を出してしまうのです。危険だから当たり前ですけどね!しかし、そればかりですとキッカケを掴めないですし、後に大きなケガの元になると思います。可愛い子には旅をさせろと言いますが、後ろ盾がない中で、培うモノは本当に身に付くものです。褒められるから遣るとか、叱られるから遣るとかと言うものではない。 全然次元が違うものなのでしょう!鏡は大昔から、魔力がある物の様に人間は捉えて来たと思います。天皇家の三種の神器の中にもありますね!私が子供の頃、鏡を割ると罰が当たる!☠などと祖母から聞いた覚えがあります。また、昔、母の三面鏡があって、自分の横顔や後ろ姿をずーと眺めていたこともありましたね?不思議な感じがしました。鏡で観る自分は、もう一人の自分の様に思えました。知らない自分?笑
巧い選手とは?
技術も戦術も身に付けることは可能です。ビデオで研究も出来て、技も取得し易い時代ですからね!私が思う巧い選手とは、相手や味方の気持ちや、「本能的?」これを話し出すと長くなりますから省略しますが、一瞬で感じ取れて反応する選手だと思います。勿論、そこには自分がどうするかの判断行動が含まれます。逆に、自分を感じさせ誘える選手も巧い選手だと思っています。これは、私が自分の頭で考えて、自分の言葉で喋っています。受け売りや人の書物からの引用ではありません。真剣に指導に打ち込んで来た産物です。
身体が先か?技術が先か?
卵が先?鶏が先か?ではありませんが、答えを直ぐに求めたがる人にとっては重要な事なのでしょう?しかしながら、機能性を高めないで?噛み砕けば身体の使い方を身につけないで、技術が先行するのは、どんなものかなあ?と疑問はあります。両方をナチュラルにバランス良く育めば、遠く間違っていないのではないしょうか?でも余り子供の育つ環境に大人が入り込んでは、いけない様な気が致します。自然が一番です。日本では、技術的なことを小さな内から学ばさせています。コーチも監督も、親に至るまで!技術的な事の繰り返しをしていれば、ニワカ?何も知らない親は特に安心致します。コーチも同じで、誰からも見た目の良い指導をしたがります。また、それが生徒を増やす手段でもあるのです。 「当クラブは、プロを育成することを目的としている!」とか何とか言っちゃって!笑 何方かの解説者が言っていました。それは、アナウンサーに、外国との育成の違いについて聞かれた時に、こう答えていました。「日本は、技術が先で体が後なんです。」と* これは大方当たっていると思います。 日本は表面的なものを大切にしますから、見た目が重要且つ大事なのです。私は、女性の内面が一番大切だと思っています?美人は直ぐに飽きるが、心の美しい人はドンドン魅かれて行くでしょう!あっ!ちゃった!笑 ☠ しかしながら、私は、体力や身体の機能性を育むと同時に感性を磨かせたいと考えています。 既に行っていますが!小さな内は心が綺麗です。私達大人の様に、「これをしたから、これをくれ!」なんて考えていない*その小さな内から、小学生を終えるまでに、どれだけ感性豊かな選手に出来るかが勝負だと思っています。それはスポーツだけに限ってのことではありません。幅広い意味に於いてです。子供達が楽しく生きていける為に* 母親のお腹の中にいる時のことを聞きますと、小さな内なら大抵は覚えていると、お聞きしたことがありますけれども、現世に毒されていないからこそ、何の疑いも持たずに答えられるのでしょう!それ位純粋な時は二度と取り戻せませんから、一番大切なのかも知れません。中学に上がりますと、決め事や戦術など監督の戦い方の信念で方向性を決められます。悪いことではありませんが、しかし監督やコーチの言われてないことを遣って点を決め、勝てば本当の喜びを味わうことが出来るのです。これこそがサッカーだと思います。 コーチや監督の言われていることを遣らなくても、勝てば文句の付け様がありませんもんね!笑 そんな選手に成って欲しい*
感性と持って生まれたモノ
この子は持って生まれたモノがあるなあ?何て感じることは時々あります。走り方や反応の仕方、感じ方、考え方によって感じます。ただ巧いとか、直ぐに出来てしまうとか、そう言うこともありますが、私の見方は何時しか長期的な捉え方をする様になりました。今だけ巧い!今は活躍出来ている!それは誰しも分かることです。今上手なのですから*笑 でもそこには裏があります。ただ単に身体の成長が他の子よりも早かったりするだけの事が往々にしてある。当然と言えば当然ですよね。でも忘れがちです*指導者も親も!生まれ持っているなあ?と思うことは不思議な力があることです。教えられてもいないのに、身体の中に備わっていることがある。動き出しやジャンプの仕方、猫の様にしなやかなんです。教えられて出来ることと出来ないことはありますが、私は、そこに関与出来たら良いなあ*と試行錯誤しています。プレーの中で、「相手を感じながら*」と言うことを私はよく言って指導をしていますが、6年生の中に数名それを理解した選手がいます。二人は、全く違うタイプですが、忍者みたいになりました!笑 一人は、自分の気配を消して相手を翻弄するタイプです。 ワザと自分の後ろ姿を見せて、後方の相手を感じて裏を取ります。もう一人は、動きながら相手を感じて、相手の意識と意識の隙間を突いて間一髪で交わしているのです。驕ったモノ言いですが、もしかしたら、潜在能力を引き出してあげられたのかも知れません。将来が本当に楽しみです。5年生や4年生の中にも、その様な選手が育っています。皆、個性的です*
心の解放が大切
子供達を健全に育もう!との言葉は躍りますが、大人が考える健全と言葉の意味にはズレがある様に思います。大人の考える健全は、「全て善」でなければならない*でも本当の健全とは、悪いことも含まれている*イケナイことも、ケンカもしながら自分に気づいて行くことではないでしょうか?善と悪とを、大人が判断していては、健全と言えないと思います。大きい子から小さい子までの中で、子供達自身で迷いながら善と悪を自分達で考え、自分達で答えを導き出してゆく* その為には、心が解放されていないといけない!本能の赴くままに遊ぶのが良いと思います。出来れば自然の中が良い*自然の中で心が解放された時、心の平和が訪れ、人間の本能が甦り、自由を喜べ感性も広がるのだと思います。感性とは、目に見えないことを感じ取る力だと私は思います。5年性や4年生の中にも、数名その様な選手が育っています。
自分だけでは無理
人は誰しも一人では生きてゆけません。苦境に立てばそのことがよく分かります。離れて行く人、自分の様に考えてくれる人*ウサギは、寂し過ぎると死んでしまうと言うこともお聞きしたことがありますが、動物は全てそうなのかも知れないなあ?何て思ったりします。
足助村の人々
ある人から、足助村の出来事をお聞きしました。それは、村の過疎化が進み、冠婚葬祭が皆自分の家で出来なくなった為、お寺に頼みに行って了承されたのだそうです。そして、その費用を一件当たり、数万円ずつ集めることになりました。しかし、その集落の大半がお金を出したにも拘わらず、3件くらいが反対したので、話が壊れ現金を元に戻しました。その理由は、名古屋に住んでいる息子に相談したら、「ダメだ!家は家だ!」瀬戸市に住んでいる娘が反対している!とのことでした。その話をしてくれた人曰く、お年寄りの皆は、足助にコミュニティーがあるのに、離れて住んでいる人たちが反対するとは、オカシイと言っておられました。生活基盤のない人に何が分かるのだろう*と・・・皆を大事にしない!その土地を大切に思わない!隣のことは知らない!という都会と同じになったと悲しんでいました。反対は遠くに住む息子や娘だ何て*輪を乱し、自分だけ!自分が一番!何か遭っても助け合うことも無くなります。自由は自分の事だけの損得ではない筈です。幸せも同じですよね*
直ぐ忘れてしまう日本
よくも悪くも日本人は直ぐに忘れます。犯罪を犯した人でも知事になれる!軍団で暴力事件を起こして逮捕されても、映画で勲章を貰えば賞賛されます。喉元過ぎればとよく言いますが、戒めの言葉ではなく、日本人の資質を言い当てた言葉なのかも知れません。
日本崩壊
節操がない日本*プライドがない日本*オレオレ詐欺で老人から金を毟り取っても恥じない若者がいる日本*まだまだ働ける若者達が、炊き出しの列に並んで施しを受ける日本*「あの人はどうなんだ!」と理屈を捏ねることや、ウソをつき通すことに長けた日本*インフルエンザに世界一過剰過敏に反応する臆病でバカな日本*ワザと過激に挑発し質問をするマスコミ天国の日本*意地悪な人が沢山いる日本*クレーマーやキレーマー大国日本*陰で隠れて仕返しする姑息な日本*戦争で命を懸けて散って逝った日本兵の方々が、今の日本を見たら何ておっしゃるのでしょう*先日のアジアカップの日本対韓国戦の中で、PKを取られた後に、日本の解説者の一人が、「フザケタPKは、もう要らない!」などと格好を付けて言って審判を中傷していました。この辺が今の日本人を象徴していると思います。更に、その解説者は一々審判がファールを取る度に、ケチを付けていました。その解説を聞かされていた私は気分が悪くなり、チャンネルを変えてしまいました。こんな解説者の発言を許しているから、サッカーが汚れて行くのです。それが分からないのでしょうか? 審判に従わなかったら試合は成立しないのに!子供達には、フェアの精神を養おうと、グリーンカードを推奨し、リスペクトなどと聞こえの良いことを言っておきながら、自分達大人は何をやっているの?笑 あれでは、監督やコーチ、親などが、審判にクレームを付けることを、それこそ推奨している様なモノです。日本崩壊!スポーツ精神崩壊です。スポーツマンシップを忘れ、勝ち負け根性だけで乗っ取られている*私は、どんな審判にも一度もクレームを付けたことがありません。これからもないです。見苦しいだけ*日本が勝って本当に良かった!あれで負けていたら、審判が悪いと大騒ぎしていたことでしょう*抗議していたに違いありません。少し前の試合でも、日本のキーパーが退場させられるのは絶対オカシイ?と言って、訴えるとか何とか言っていましたから*サッカー協会が推奨する、「リスペクトプロジェクト」とは、相手を大切に思う事!規則を守ること!審判の判定を尊重すること!です。言葉だけでは虚しいですね*クラウドではそんなこと当たり前にやっていますよ*そこは指導の根幹部分です。クラウドの子供達はちゃんとそうしています*怒らなくても分かる*心から理解していることが伝わってきます。試合を観て下されば一目了然ですね*きっと良い大人に成ることでしょう!
自分の姿を映す鏡ですが、人間は鏡で心まで観ようとは中々しません。しかし、良く観て見ると観える気がします!姿を見て身嗜みを整えると言う当たり前の行動ですから気が付き難いモノです。どんなことも同様に思います。本当に観るって難しいですね!スポーツも同じだと私は感じています。選手は確かに相手やボールを見ているのですが観ていない!それは、多分テレビ画面を見ている様な感覚なのでしょう?全体を何となく観ているだけなのです。人ごとの様に!笑 怒られた事のない子や、危険に直面した事のない子などなど、感性が育まれていないと感じ方が遅い様に思います。芽生えていない*親の庇護の下では中々難しい?ツイツイ口を出してしまうのです。危険だから当たり前ですけどね!しかし、そればかりですとキッカケを掴めないですし、後に大きなケガの元になると思います。可愛い子には旅をさせろと言いますが、後ろ盾がない中で、培うモノは本当に身に付くものです。褒められるから遣るとか、叱られるから遣るとかと言うものではない。 全然次元が違うものなのでしょう!鏡は大昔から、魔力がある物の様に人間は捉えて来たと思います。天皇家の三種の神器の中にもありますね!私が子供の頃、鏡を割ると罰が当たる!☠などと祖母から聞いた覚えがあります。また、昔、母の三面鏡があって、自分の横顔や後ろ姿をずーと眺めていたこともありましたね?不思議な感じがしました。鏡で観る自分は、もう一人の自分の様に思えました。知らない自分?笑
巧い選手とは?
技術も戦術も身に付けることは可能です。ビデオで研究も出来て、技も取得し易い時代ですからね!私が思う巧い選手とは、相手や味方の気持ちや、「本能的?」これを話し出すと長くなりますから省略しますが、一瞬で感じ取れて反応する選手だと思います。勿論、そこには自分がどうするかの判断行動が含まれます。逆に、自分を感じさせ誘える選手も巧い選手だと思っています。これは、私が自分の頭で考えて、自分の言葉で喋っています。受け売りや人の書物からの引用ではありません。真剣に指導に打ち込んで来た産物です。
身体が先か?技術が先か?
卵が先?鶏が先か?ではありませんが、答えを直ぐに求めたがる人にとっては重要な事なのでしょう?しかしながら、機能性を高めないで?噛み砕けば身体の使い方を身につけないで、技術が先行するのは、どんなものかなあ?と疑問はあります。両方をナチュラルにバランス良く育めば、遠く間違っていないのではないしょうか?でも余り子供の育つ環境に大人が入り込んでは、いけない様な気が致します。自然が一番です。日本では、技術的なことを小さな内から学ばさせています。コーチも監督も、親に至るまで!技術的な事の繰り返しをしていれば、ニワカ?何も知らない親は特に安心致します。コーチも同じで、誰からも見た目の良い指導をしたがります。また、それが生徒を増やす手段でもあるのです。 「当クラブは、プロを育成することを目的としている!」とか何とか言っちゃって!笑 何方かの解説者が言っていました。それは、アナウンサーに、外国との育成の違いについて聞かれた時に、こう答えていました。「日本は、技術が先で体が後なんです。」と* これは大方当たっていると思います。 日本は表面的なものを大切にしますから、見た目が重要且つ大事なのです。私は、女性の内面が一番大切だと思っています?美人は直ぐに飽きるが、心の美しい人はドンドン魅かれて行くでしょう!あっ!ちゃった!笑 ☠ しかしながら、私は、体力や身体の機能性を育むと同時に感性を磨かせたいと考えています。 既に行っていますが!小さな内は心が綺麗です。私達大人の様に、「これをしたから、これをくれ!」なんて考えていない*その小さな内から、小学生を終えるまでに、どれだけ感性豊かな選手に出来るかが勝負だと思っています。それはスポーツだけに限ってのことではありません。幅広い意味に於いてです。子供達が楽しく生きていける為に* 母親のお腹の中にいる時のことを聞きますと、小さな内なら大抵は覚えていると、お聞きしたことがありますけれども、現世に毒されていないからこそ、何の疑いも持たずに答えられるのでしょう!それ位純粋な時は二度と取り戻せませんから、一番大切なのかも知れません。中学に上がりますと、決め事や戦術など監督の戦い方の信念で方向性を決められます。悪いことではありませんが、しかし監督やコーチの言われてないことを遣って点を決め、勝てば本当の喜びを味わうことが出来るのです。これこそがサッカーだと思います。 コーチや監督の言われていることを遣らなくても、勝てば文句の付け様がありませんもんね!笑 そんな選手に成って欲しい*
感性と持って生まれたモノ
この子は持って生まれたモノがあるなあ?何て感じることは時々あります。走り方や反応の仕方、感じ方、考え方によって感じます。ただ巧いとか、直ぐに出来てしまうとか、そう言うこともありますが、私の見方は何時しか長期的な捉え方をする様になりました。今だけ巧い!今は活躍出来ている!それは誰しも分かることです。今上手なのですから*笑 でもそこには裏があります。ただ単に身体の成長が他の子よりも早かったりするだけの事が往々にしてある。当然と言えば当然ですよね。でも忘れがちです*指導者も親も!生まれ持っているなあ?と思うことは不思議な力があることです。教えられてもいないのに、身体の中に備わっていることがある。動き出しやジャンプの仕方、猫の様にしなやかなんです。教えられて出来ることと出来ないことはありますが、私は、そこに関与出来たら良いなあ*と試行錯誤しています。プレーの中で、「相手を感じながら*」と言うことを私はよく言って指導をしていますが、6年生の中に数名それを理解した選手がいます。二人は、全く違うタイプですが、忍者みたいになりました!笑 一人は、自分の気配を消して相手を翻弄するタイプです。 ワザと自分の後ろ姿を見せて、後方の相手を感じて裏を取ります。もう一人は、動きながら相手を感じて、相手の意識と意識の隙間を突いて間一髪で交わしているのです。驕ったモノ言いですが、もしかしたら、潜在能力を引き出してあげられたのかも知れません。将来が本当に楽しみです。5年生や4年生の中にも、その様な選手が育っています。皆、個性的です*
心の解放が大切
子供達を健全に育もう!との言葉は躍りますが、大人が考える健全と言葉の意味にはズレがある様に思います。大人の考える健全は、「全て善」でなければならない*でも本当の健全とは、悪いことも含まれている*イケナイことも、ケンカもしながら自分に気づいて行くことではないでしょうか?善と悪とを、大人が判断していては、健全と言えないと思います。大きい子から小さい子までの中で、子供達自身で迷いながら善と悪を自分達で考え、自分達で答えを導き出してゆく* その為には、心が解放されていないといけない!本能の赴くままに遊ぶのが良いと思います。出来れば自然の中が良い*自然の中で心が解放された時、心の平和が訪れ、人間の本能が甦り、自由を喜べ感性も広がるのだと思います。感性とは、目に見えないことを感じ取る力だと私は思います。5年性や4年生の中にも、数名その様な選手が育っています。
自分だけでは無理
人は誰しも一人では生きてゆけません。苦境に立てばそのことがよく分かります。離れて行く人、自分の様に考えてくれる人*ウサギは、寂し過ぎると死んでしまうと言うこともお聞きしたことがありますが、動物は全てそうなのかも知れないなあ?何て思ったりします。
足助村の人々
ある人から、足助村の出来事をお聞きしました。それは、村の過疎化が進み、冠婚葬祭が皆自分の家で出来なくなった為、お寺に頼みに行って了承されたのだそうです。そして、その費用を一件当たり、数万円ずつ集めることになりました。しかし、その集落の大半がお金を出したにも拘わらず、3件くらいが反対したので、話が壊れ現金を元に戻しました。その理由は、名古屋に住んでいる息子に相談したら、「ダメだ!家は家だ!」瀬戸市に住んでいる娘が反対している!とのことでした。その話をしてくれた人曰く、お年寄りの皆は、足助にコミュニティーがあるのに、離れて住んでいる人たちが反対するとは、オカシイと言っておられました。生活基盤のない人に何が分かるのだろう*と・・・皆を大事にしない!その土地を大切に思わない!隣のことは知らない!という都会と同じになったと悲しんでいました。反対は遠くに住む息子や娘だ何て*輪を乱し、自分だけ!自分が一番!何か遭っても助け合うことも無くなります。自由は自分の事だけの損得ではない筈です。幸せも同じですよね*
直ぐ忘れてしまう日本
よくも悪くも日本人は直ぐに忘れます。犯罪を犯した人でも知事になれる!軍団で暴力事件を起こして逮捕されても、映画で勲章を貰えば賞賛されます。喉元過ぎればとよく言いますが、戒めの言葉ではなく、日本人の資質を言い当てた言葉なのかも知れません。
日本崩壊
節操がない日本*プライドがない日本*オレオレ詐欺で老人から金を毟り取っても恥じない若者がいる日本*まだまだ働ける若者達が、炊き出しの列に並んで施しを受ける日本*「あの人はどうなんだ!」と理屈を捏ねることや、ウソをつき通すことに長けた日本*インフルエンザに世界一過剰過敏に反応する臆病でバカな日本*ワザと過激に挑発し質問をするマスコミ天国の日本*意地悪な人が沢山いる日本*クレーマーやキレーマー大国日本*陰で隠れて仕返しする姑息な日本*戦争で命を懸けて散って逝った日本兵の方々が、今の日本を見たら何ておっしゃるのでしょう*先日のアジアカップの日本対韓国戦の中で、PKを取られた後に、日本の解説者の一人が、「フザケタPKは、もう要らない!」などと格好を付けて言って審判を中傷していました。この辺が今の日本人を象徴していると思います。更に、その解説者は一々審判がファールを取る度に、ケチを付けていました。その解説を聞かされていた私は気分が悪くなり、チャンネルを変えてしまいました。こんな解説者の発言を許しているから、サッカーが汚れて行くのです。それが分からないのでしょうか? 審判に従わなかったら試合は成立しないのに!子供達には、フェアの精神を養おうと、グリーンカードを推奨し、リスペクトなどと聞こえの良いことを言っておきながら、自分達大人は何をやっているの?笑 あれでは、監督やコーチ、親などが、審判にクレームを付けることを、それこそ推奨している様なモノです。日本崩壊!スポーツ精神崩壊です。スポーツマンシップを忘れ、勝ち負け根性だけで乗っ取られている*私は、どんな審判にも一度もクレームを付けたことがありません。これからもないです。見苦しいだけ*日本が勝って本当に良かった!あれで負けていたら、審判が悪いと大騒ぎしていたことでしょう*抗議していたに違いありません。少し前の試合でも、日本のキーパーが退場させられるのは絶対オカシイ?と言って、訴えるとか何とか言っていましたから*サッカー協会が推奨する、「リスペクトプロジェクト」とは、相手を大切に思う事!規則を守ること!審判の判定を尊重すること!です。言葉だけでは虚しいですね*クラウドではそんなこと当たり前にやっていますよ*そこは指導の根幹部分です。クラウドの子供達はちゃんとそうしています*怒らなくても分かる*心から理解していることが伝わってきます。試合を観て下されば一目了然ですね*きっと良い大人に成ることでしょう!
PR
この記事にコメントする