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ふれあい
悲しみに出会う度 あの人を思い出す
そんなとき傍にいて 肩を抱いて欲しいと
慰めも涙も要らないさ 温もりが欲しいだけ
人は皆ひとりでは 生きてゆけないものだから
一人で生まれ 一人で死ぬ
先日、母の兄が亡くなり、葬式で静かに泣いている母の後姿を見ていましたら、「ふれあい」と言う歌の詩が頭に思い浮かびました*人の死は儚いものです。一人で生まれて、一人で死んで逝きます*生まれる前のことは誰も知りませんから、きっと死んだ後も同じでしょう? 綺麗です。
お坊さん
最近のお坊さんも様変わりをしました。頭は丸めていない上、今風のイケ面でした。坊主が坊主ではない!自由なんですね?外車に乗り酒や煙草も嗜みます。戒律的なモノはない!薄まったのでしょうか?スポーツも内面的なモノは二の次、三の次で、技術だとか、勝敗、格好良さなど見たくれが一番です。そして、威勢のよい言動が目立ちますね*これも時代の流れなのかも知れません ☠ みんな偉くなりました* ご老人や年配者を馬鹿にして、自分だけの力で生きていると勘違いしているのでしょう?残念に思います。叱る人間がいないのです。私が若い頃も、「新人類」何て言われていましたが、しかし、その新しい価値観のエネルギーを跳ね返し、ぶち壊す様な力が年配者にはあったと思います!でも今はない*見て見ぬ振りをします。平和になって豊かになって、気概を持つ事、規範を大切にしようとの気持ちが消えうせてしまったのでしょう!豊かになることは必ずしも良いことだけを運んではくれません。社会は皆で作るモノではなくなった!個人個人の自由が大切なのでしょうか?病院の椅子で寝転がる子供の親!待合のソファーの上に足を乗せる大人!横断歩道で止まってくあげても会釈一つしない人減!我先に列に割り込む星人!笑 足を踏んでも、「あっ!」としか言わないスーツ男聖!子供に怪我の手当てをして貰っても何も言わない恩嫌?皆可愛いもんですね*それがどうした!良いじゃないか!大したことはない!勝手だ* 私でも自分自身を持て余しているのですから、人のことをとやかく言う資格はありません。お坊さんが着替える時、扇子を投げて置いた時は、流石にビックリしました。
お寺
お寺に行きますと、心が落ち着くのは何故でしょう?安らかな気持ちになります*世俗から離れられ小さな現代的価値観から解放されるからでしょうか。時間の流れる空気が違う様に感じます。また京都に行って見たくなりました。
老い
人間誰しも老いて行きます。そして振り返り嘆くこともある*「あの頃は良かったなあ!」とか、「もっと体が動いたのになあ!」「自由だったなあ!」色々な想いが湧いて来ます。しかし、人間は今を生きています。今を生きていることには中々気付けない?ああしたいなあ*こうなれば良いのになあ!と・・・過去も未来も確かにあるのでしょうが、人間は確実に今を生きています。若い頃、私が友人の家にいた時、その友人のお婆さんが孫に会いに来てくれたことがありました。そのお婆さんがお帰りになられるのを見送りしていた時、友人がそっと呟きました。「お婆さんも歳を取ったんだなあ*」私が「どうして?」そう聞くと、「去年までは、手摺りを持たずに階段を降りとったのに、今日は手摺りを持ちながらだったから*」と・・・寂しそうに教えてくれたのでした*その友人の優しさを嬉しく思う気持ちと、私の至らなさに気が付き情けないと申しましょうか?恥ずかしい気持ちになりました。人間の老いを感じた瞬間でした。今、その老いを私の母にも感じています。
悲しみにどれだけの価値あるの?
何故人は泣くのでしょうか?悲しんでも元には戻りません。私は子供の頃、毎日の様に泣いていました。それはよく叱られていたからです☠ 直ぐに泣く姿が男らしくないと憤慨し、父は更に怒りのボルテージを上げていました。涙が自然に溢れ出て来るものですから止めようがありませんでした。今からは、想像も出来ませんがそんな幼少だったのです。♬ 悲しくて~悲しくて~とてもやりきれない~そんな感じだった!敢えて善意に解釈すれば「感受性が豊かだった」とそう思います。些細なことの矛盾が私の気持ちの中に突如として湧きあがり、大波の様に襲って来て感情が押さえ切れなかったのでしょうね?
考えても無駄
人間が遣れることや、考えること何て小さなことばかりだと思います。人間の体のことだって本当に解明すること何て出来ていない。 ここに存在して或るもの? 手にとって触れ見えているモノでも解らないことだらけです。!言葉や口にすると矛盾して説明がつかないことは沢山ありますね*不思議なモノを解明して、人間の欲望を満たすことは善い行いなのでしょうか?クローンなどその典型です。分析とか解明と言う言葉に弱い人間ですが、私は余り信じていません。そう言えば昨日の新聞広告の中にこんなモノがありました。 「ぶつからない車」が誕生した!人間が運転していてもぶつからない???またひとつ便利になりました*
若者
若いスタッフと接していたり、若い人達を面接していまして感じることは、未来に過大な期待を持っている自信過剰な人と、何を遣って良いのか分からないと言う人が多くいます。豊かな時代に育ったからなのでしょうか?良く考えて?少し考えて見れば、世の中の人達が全て望む職業に就いていないのは明白です。皆働かなければ生きていけませんから、どんな職業でも見つけ頑張っておられることでしょう!選ぶことが出来るくらい優秀な人は別として!そして、安易に働き、簡単に辞める*イメージと違っていたと言って?昔から、「石の上にも三年」と申しますが、我慢しないで本質は分かりませんし、喜びも味わえないと思います。「遣りたい仕事が見つからない*」と言って、もう30半ばです☠ 継続は力なり!これは、若者の自分本位な考え方を象徴している話ですが、例えば友達同士遊びに行っても、他に自分の遣りたいことが出来たり、発生しますと、「先にオレ帰るから☠」や「オレ次の予定があるから!じゃあね☠」と言い何の躊躇もなく去って行きます。相手に対する思い遣りの欠片もありません。クラウドカップや試合でも、「次の予定があるから先に失礼します☠」と言われることもありますが、その辺の考え方からして、「心のふれあい」がない*残される友達の気持ちが分からないのか?自分が遣りたいことだけ遣ったら帰る?他者に対する思いさえ考え及ばないのかも知れません。最初から最後まで付き合うのが当たり前ではないのか?。男なら尚更で、トコトン最後の最後まで付き合う!我慢してもです。嫌なら最初から参加するな!それが男だと私は教えられました。途中で帰る奴は女だとも言われていたのです。自分が大事*女性の方には申し訳ないことです。男女関係なく参加したら終わりまで居なくてはいけません。礼儀だと思います。後片づけもあるでしょう!みんなの気持ちを考えて、そこに居てあげられるのも思い遣りであり優しさです。草食系だから友達さえ大切に出来ないのでしょうか?しかし、自分は大切にされたい?難儀なことです。
言葉何ていらない
虚しさに悩む日は あの人を誘いたい
一言も語らずに おなじ歌うたおうと
何気ない心のふれあいが 幸せを連れて来る
ひとは皆一人では 生きて行けないものだから
山川 啓介