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何とか無事にコンサートが終わりました。沢山の保護者さんや、子供達が聴きに来てくれて本当に嬉しかったです。3時間以上待って聴いて下さいました!皆さんを待たせてしまうことに、私もホトホト疲れてしまいましたが、何の文句も言わないで待っていて下さいました。心から感謝申し上げます。言葉もありません*
紙飛行機
私が最初に、「紙飛行機と言う歌を唄います。」と申しましたら、最前列の子供達が、「ガハハ」と笑いました。紙飛行機と言う題名だけで笑えるとは?恐ろしき奴等よ ☠ クラウドの子供はヤッパリ素晴らしい!そんなこと私は忘れていました*子供って本当に面白いです。子供達は席に座らないで、ステージに手を置いて最最前列で聴いていました!笑 私の方から客席はライトの関係で殆ど見えないのですが、子供達は非常によく見えます。それもサラシ首の様に首から上だけが並んでいて、とても不気味で気味が悪いのです ☠ 笑 ズラッーと首がこちらを見ている!ライトが変な角度から当たって!奇妙な光景でした*ドロドロドロドロ ウラメシヤ~アハハ 笑いを堪えるのが大変でした!
帰ろうか
次に、「帰ろうか」と言う歌を唄いました。散々お待たせした上で直ぐ、帰ろうか?では申し訳ないと思いましたが、唄いました ☠ 男が夢破れて、まだ寒い故郷に帰る歌です。でも、そこには愛した人が待っていてくれる*哀愁漂う歌なのですが、伝わりましたでしょうか?唄い終わると、首から上だけ見える子供達が、「ウン!上手い*」と褒めてくれました。笑 誰に褒められるよりも嬉しいです*自然に、「ありがとう」と静かに呟いていました。
雪化粧
中学生の時、夜中によく唄っていた曲、「雪化粧」と言う歌は、クラウドの女の子Yちゃんの為に唄いました。それは、私のコンサートにどうしても行きたいとお母さんに言ってくれ、可愛い洋服を着てオシャレをして来てくれたからです。夜の街が雪化粧され、嫌なモノや汚いモノは、全て純白の雪によって塗り潰され幻想的な世界に変えられて行く*切なく悲しい歌ですが、純真なYちゃんにピッタリです。誰かの為にオシャレするってカワイイ*ハニカミながら、そっと聴いてくれました*
傘がない
私の行き場のない想いや、収めどころのない気持ち?収められないモノが強く放射される曲があります*それが、「傘がない」です。ギターを始めて間もない中学生の頃、大阪に嫁いでいた母の姉が精神を病んでしまいました。そして、自殺未遂を繰り返した為に、三重県の四日市に帰って来させたそうです。その直後に家出をしました。数日後のある日、新聞の片隅に、三重県菰野の河原で焼死体が発見された記事が載っているのを父が見つけ母に教えていました。菰野は生まれた所です。 急いで問い合わせると、やっぱり叔母さんだったのです。 しかし、私は、その事実を全く受け入れませんでした。人間は、余りにも酷くとんでもないことが起こりますと、心が拒否反応を起こして受け入れられなくなると、お聞きしたことがありますが、本当にその通りです。涙ひとつ流れませんでした。でも今流しています*情けないですが・・・中学生の時は、まだ半分子供ですから、「心の病気」何て言っても一体どう言う病気なのか解りませんでした。うつ病と言う言葉すらなかった時代です! その内に段々意味が分かるにつれて、怒りが込み上げ、「誰だ叔母さんをあんな目に遭わせた奴は!」などの感情が芽生えて、持って行き場のない悶々とした感情を押せえ切れない時期もあったと思います。叔母は本当に優しい人間でした。正直で嘘が付けなく、またズルイことが大嫌いで、とても気前の良いサッパリとした人だったのです。 一番よく覚えていますのが、こんな会話をしたことです。「やすゆき!学校は楽しい?」「ウン!叱られてばっかやけど・・・」「家は楽しい?」「楽しくない*叱られてばっか~」「そうなん*」と言い憐れみの表情を浮かべ、潤んだ優しい目で、そっと私の頭を撫でてくれました。多分それは、私が小学三年生くらいの出来事だったと思います。真面目で正直者がバカを見るのは、今に始まったことではなく昔も同じです。PTAの役員を二つ掛け持ち、町内の組長も引き受け、それはそれは大変だったことでしょう!大阪の土地柄は、何でもモノ言わねば損の様なところがあります。今は全国展開されていますが・・・ 人権とか?平等?公平?には特に敏感です。運動会で手を繋ぎ、皆一緒にゴールすると言う発想は大阪から生まれました!きっと、そんな小さなことには拘らない叔母にとっては生き難かったのでしょう?大阪気質に馴染めなかったのかも知れません*何をどう悔いても戻って来ない* 何時しか、怒りを通り過ぎ仕方ないなあ*という諦めた気持ちに変わって行ったのです。叔母さんには、「傘」がなかった*今ならオレが傘になってあげれたのに* そんな様々な想いが沢山交差しながら唄うのが、私の、「傘がない」と言う歌です。 亡くなる前の数年は会えなかった!悔やんでも悔やみ切れません。バカなオレの姿を見せていれば叔母さんも気が晴れたのかも知れないのに?この歌を聴いて子供達はどう感じたのでしょうか?家で、「行かなくちゃ~君に会いに行かなくちゃ~*」と唄っていたことをお聞きしました。辛い時に思い出してくれたら幸いです。 君とは、叔母であり、猫であり、恋人だったりします。その時々で想いが重なり合う時もありました。身近に、どんな大きな問題があろうとも、そんなことはどうでもよく、ただその人に会いたい*そんな気持ちだったんですよね!陽水さんも・・・どんなことよりも、大切なモノって何でしょう?人から見れば何でもないことでも、その人にとっては何よりも大切にしたい事はそれぞれあるものです。傘なんかなくても、ずぶ濡れになっても会いに行きたい*コンサートで、この歌を唄っていましたら、サビに入る直前、ギターの弦が切れました!それも滅多に切れない3弦がです。1弦や2弦は時々切れますが、3弦は珍しいのです。私は初めてです。私は弦を切らない演奏者なのですが・・・きっと叔母さんが存在を教えたくてそうしたのだと思います*つい私が、「叔母さんかなあ?」と言いましたら、前の子供達が、「ホント!」と、ビックリしていました。笑 「そんなに強く弾いていないのに切れたね?」と、ミディさんも不思議がっていました。「叔母さん聴いてくれてありがとう***」 叔母が亡くなったのは、40歳くらいでしたから今の私よりも若い*私の命と交換してあげたかった! そう思うのは、それだけ善い人間だったから・・・大阪弁を聞く度に、温かい叔母さんの懐かしい思い出と、切なく悲しい想いとが交差します*
星
流れ星がひとつ 夜空に消えゆく
さよならも言わず 彼方へ消えゆく
今日の帰り道で 君と会えたら ン~・・・
人生が二度あれば
親のことを何時も考え生きている訳ではありませんが、ふっとこの歳になり我に帰った時、何とも言えない想いに気付きます。特に子供達の純粋な親に対する優しい気持ちに触れますと、自身の至らなさに苛まれます。私の二本目のギターは、ある日学校から帰宅すると、部屋のベットにそっと持たれ掛けて置いてありました。初めて見る立派な黒いギターケース!黒のボカシのある渋いギター*夢中で取り出し、深夜まで弾き続けました。誰が買ってくれたのかも知ろうとしないで・・・母が内職をしたお金で買ってくれたのです。 それを大人になるまで知りませんでした。母は言いませんし、私も聞きません。そう言う親子関係なのです。テレがあるのと、言い難いことは触れない*そんなことも知らない不肖な私は、それを売ってしまったのです。その罪を少しでも償いたいと、今回は、恥を忍んでコンサート会場に呼び、この、「人生が二度あれば」を唄った次第です。私事ですみませんでした。
夢の中へ
大きな夢を持つことが人間には必要なのでしょうか?また、それが幸せに繋がるのでしょうか?子供達と一緒に過ごしていますと、夢よりも今の小さなことの遣り取りが嬉しく感じます。それらの方が大切なことではないのか?そんな風に感じます。ささやかなこと*小っちゃな思い遣り*何気ない遣り取りや、雰囲気で察すること*日々の中で沢山感じています。小さな喜びこそ大切なモノなのかも知れませんね? 優しさとは、何か物欲的な物を満たすことではなく、ちっぽけで小さなことをしてあげられる気持ちだと私は思います。夢の中へとは子供達の中です。汚いことがない*穢れもない世界って良いもんです。
待つ*
「待つことが好きだ*」と言える人を、私は尊敬します。大抵は待たされますと、怒りが込み上げてくるものですが、真の優しさを持ち合わせていると、待つことも好きになれる!私も見習わなければいけません。気の短い私では無理でしょうか?でも子供達の為なら何とか我慢出来そうです???アハハ 今回は、お待たせする立場でしたから本当に疲れ果ててしまいました。待たせてはいけません*
笑顔
私の演奏が終わり、袖に引っ込みましたら、控室のドアを大勢で叩く音がしました!最前列で観ていた子供達が、大急ぎで駆けつけてくれたのです。息を弾ませ切らしていました。その笑顔の素晴らしいこと*喜びに満ち溢れた気持ちになりました。皆様本当にありがとうございました。
紙飛行機
私が最初に、「紙飛行機と言う歌を唄います。」と申しましたら、最前列の子供達が、「ガハハ」と笑いました。紙飛行機と言う題名だけで笑えるとは?恐ろしき奴等よ ☠ クラウドの子供はヤッパリ素晴らしい!そんなこと私は忘れていました*子供って本当に面白いです。子供達は席に座らないで、ステージに手を置いて最最前列で聴いていました!笑 私の方から客席はライトの関係で殆ど見えないのですが、子供達は非常によく見えます。それもサラシ首の様に首から上だけが並んでいて、とても不気味で気味が悪いのです ☠ 笑 ズラッーと首がこちらを見ている!ライトが変な角度から当たって!奇妙な光景でした*ドロドロドロドロ ウラメシヤ~アハハ 笑いを堪えるのが大変でした!
帰ろうか
次に、「帰ろうか」と言う歌を唄いました。散々お待たせした上で直ぐ、帰ろうか?では申し訳ないと思いましたが、唄いました ☠ 男が夢破れて、まだ寒い故郷に帰る歌です。でも、そこには愛した人が待っていてくれる*哀愁漂う歌なのですが、伝わりましたでしょうか?唄い終わると、首から上だけ見える子供達が、「ウン!上手い*」と褒めてくれました。笑 誰に褒められるよりも嬉しいです*自然に、「ありがとう」と静かに呟いていました。
雪化粧
中学生の時、夜中によく唄っていた曲、「雪化粧」と言う歌は、クラウドの女の子Yちゃんの為に唄いました。それは、私のコンサートにどうしても行きたいとお母さんに言ってくれ、可愛い洋服を着てオシャレをして来てくれたからです。夜の街が雪化粧され、嫌なモノや汚いモノは、全て純白の雪によって塗り潰され幻想的な世界に変えられて行く*切なく悲しい歌ですが、純真なYちゃんにピッタリです。誰かの為にオシャレするってカワイイ*ハニカミながら、そっと聴いてくれました*
傘がない
私の行き場のない想いや、収めどころのない気持ち?収められないモノが強く放射される曲があります*それが、「傘がない」です。ギターを始めて間もない中学生の頃、大阪に嫁いでいた母の姉が精神を病んでしまいました。そして、自殺未遂を繰り返した為に、三重県の四日市に帰って来させたそうです。その直後に家出をしました。数日後のある日、新聞の片隅に、三重県菰野の河原で焼死体が発見された記事が載っているのを父が見つけ母に教えていました。菰野は生まれた所です。 急いで問い合わせると、やっぱり叔母さんだったのです。 しかし、私は、その事実を全く受け入れませんでした。人間は、余りにも酷くとんでもないことが起こりますと、心が拒否反応を起こして受け入れられなくなると、お聞きしたことがありますが、本当にその通りです。涙ひとつ流れませんでした。でも今流しています*情けないですが・・・中学生の時は、まだ半分子供ですから、「心の病気」何て言っても一体どう言う病気なのか解りませんでした。うつ病と言う言葉すらなかった時代です! その内に段々意味が分かるにつれて、怒りが込み上げ、「誰だ叔母さんをあんな目に遭わせた奴は!」などの感情が芽生えて、持って行き場のない悶々とした感情を押せえ切れない時期もあったと思います。叔母は本当に優しい人間でした。正直で嘘が付けなく、またズルイことが大嫌いで、とても気前の良いサッパリとした人だったのです。 一番よく覚えていますのが、こんな会話をしたことです。「やすゆき!学校は楽しい?」「ウン!叱られてばっかやけど・・・」「家は楽しい?」「楽しくない*叱られてばっか~」「そうなん*」と言い憐れみの表情を浮かべ、潤んだ優しい目で、そっと私の頭を撫でてくれました。多分それは、私が小学三年生くらいの出来事だったと思います。真面目で正直者がバカを見るのは、今に始まったことではなく昔も同じです。PTAの役員を二つ掛け持ち、町内の組長も引き受け、それはそれは大変だったことでしょう!大阪の土地柄は、何でもモノ言わねば損の様なところがあります。今は全国展開されていますが・・・ 人権とか?平等?公平?には特に敏感です。運動会で手を繋ぎ、皆一緒にゴールすると言う発想は大阪から生まれました!きっと、そんな小さなことには拘らない叔母にとっては生き難かったのでしょう?大阪気質に馴染めなかったのかも知れません*何をどう悔いても戻って来ない* 何時しか、怒りを通り過ぎ仕方ないなあ*という諦めた気持ちに変わって行ったのです。叔母さんには、「傘」がなかった*今ならオレが傘になってあげれたのに* そんな様々な想いが沢山交差しながら唄うのが、私の、「傘がない」と言う歌です。 亡くなる前の数年は会えなかった!悔やんでも悔やみ切れません。バカなオレの姿を見せていれば叔母さんも気が晴れたのかも知れないのに?この歌を聴いて子供達はどう感じたのでしょうか?家で、「行かなくちゃ~君に会いに行かなくちゃ~*」と唄っていたことをお聞きしました。辛い時に思い出してくれたら幸いです。 君とは、叔母であり、猫であり、恋人だったりします。その時々で想いが重なり合う時もありました。身近に、どんな大きな問題があろうとも、そんなことはどうでもよく、ただその人に会いたい*そんな気持ちだったんですよね!陽水さんも・・・どんなことよりも、大切なモノって何でしょう?人から見れば何でもないことでも、その人にとっては何よりも大切にしたい事はそれぞれあるものです。傘なんかなくても、ずぶ濡れになっても会いに行きたい*コンサートで、この歌を唄っていましたら、サビに入る直前、ギターの弦が切れました!それも滅多に切れない3弦がです。1弦や2弦は時々切れますが、3弦は珍しいのです。私は初めてです。私は弦を切らない演奏者なのですが・・・きっと叔母さんが存在を教えたくてそうしたのだと思います*つい私が、「叔母さんかなあ?」と言いましたら、前の子供達が、「ホント!」と、ビックリしていました。笑 「そんなに強く弾いていないのに切れたね?」と、ミディさんも不思議がっていました。「叔母さん聴いてくれてありがとう***」 叔母が亡くなったのは、40歳くらいでしたから今の私よりも若い*私の命と交換してあげたかった! そう思うのは、それだけ善い人間だったから・・・大阪弁を聞く度に、温かい叔母さんの懐かしい思い出と、切なく悲しい想いとが交差します*
星
流れ星がひとつ 夜空に消えゆく
さよならも言わず 彼方へ消えゆく
今日の帰り道で 君と会えたら ン~・・・
人生が二度あれば
親のことを何時も考え生きている訳ではありませんが、ふっとこの歳になり我に帰った時、何とも言えない想いに気付きます。特に子供達の純粋な親に対する優しい気持ちに触れますと、自身の至らなさに苛まれます。私の二本目のギターは、ある日学校から帰宅すると、部屋のベットにそっと持たれ掛けて置いてありました。初めて見る立派な黒いギターケース!黒のボカシのある渋いギター*夢中で取り出し、深夜まで弾き続けました。誰が買ってくれたのかも知ろうとしないで・・・母が内職をしたお金で買ってくれたのです。 それを大人になるまで知りませんでした。母は言いませんし、私も聞きません。そう言う親子関係なのです。テレがあるのと、言い難いことは触れない*そんなことも知らない不肖な私は、それを売ってしまったのです。その罪を少しでも償いたいと、今回は、恥を忍んでコンサート会場に呼び、この、「人生が二度あれば」を唄った次第です。私事ですみませんでした。
夢の中へ
大きな夢を持つことが人間には必要なのでしょうか?また、それが幸せに繋がるのでしょうか?子供達と一緒に過ごしていますと、夢よりも今の小さなことの遣り取りが嬉しく感じます。それらの方が大切なことではないのか?そんな風に感じます。ささやかなこと*小っちゃな思い遣り*何気ない遣り取りや、雰囲気で察すること*日々の中で沢山感じています。小さな喜びこそ大切なモノなのかも知れませんね? 優しさとは、何か物欲的な物を満たすことではなく、ちっぽけで小さなことをしてあげられる気持ちだと私は思います。夢の中へとは子供達の中です。汚いことがない*穢れもない世界って良いもんです。
待つ*
「待つことが好きだ*」と言える人を、私は尊敬します。大抵は待たされますと、怒りが込み上げてくるものですが、真の優しさを持ち合わせていると、待つことも好きになれる!私も見習わなければいけません。気の短い私では無理でしょうか?でも子供達の為なら何とか我慢出来そうです???アハハ 今回は、お待たせする立場でしたから本当に疲れ果ててしまいました。待たせてはいけません*
笑顔
私の演奏が終わり、袖に引っ込みましたら、控室のドアを大勢で叩く音がしました!最前列で観ていた子供達が、大急ぎで駆けつけてくれたのです。息を弾ませ切らしていました。その笑顔の素晴らしいこと*喜びに満ち溢れた気持ちになりました。皆様本当にありがとうございました。
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