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人は何処に生まれるのか?
高倉健さんが、貧しいアフリカの少年を見た時に、こんな事を心の中で話しかけました。「どんな土地に生まれるのか?どんな親に育てられるのか?誰にも分からない。子供は何も選べず、ただ生まれてくる。だが夢なら自由に見ることが出来る。その夢を叶える時間は、まだ君には限りなくある筈だ。砂嵐にうずくまる君を現地の大人たちは助けない。砂嵐に耐える力を、子供の時から身に付けさせる為だろう。そうしなければ、この土地で生きていくのは辛い。だから大人たちは見て見ぬ振りをする。君をおいてきぼりにする。 それも大人の優しさだ。旅人の僕は尚更、君を助けられない。ずっと君のそばにいる訳にはいかないからだ。悪いな!だから夢を見てくれ!僕は名前も知らない少年に心の中で話しかけていた。
私は、この話を読んでボーとして静寂に包まれました。風景が思い浮かび、まるでその場に居た様に感じた*子供と大人*何が正しくて何が間違っているのでしょうか?そんなに明確なモノなのでしょうか?
家庭の中での葛藤は他と違う!
家の外、職場、学校、恋愛、仲間の中でも様々な事がありますが、家庭の中での葛藤は、また別格なモノがあるのだと思います。虐待、イジメ、理不尽なことがあっても、子供達は、そこからは逃れられません*確執が生まれる!何と言うのでしょう?言葉では表現出来ないモノなのかも知れません。外で起こることなら逃げることや、開き直ることも出来るでしょうが、家の中では無力です。抵抗出来るのは家出くらいでしょうか?でも、生きる糧がない子供は直ぐ連れ戻されます。
親父がいないことと居ること
スティーブ・マックウィーンさんには、お父さんが居ませんでした!飛行機乗りのお父さんは、家族を顧みず家を出て行きました。お母さんの再婚相手と上手く行かず、家を飛び出しては悪いことを繰り返していました。 そして、少年院に入れられます。それもお母さんの手によって*その後、映画俳優になるのですが、一度で良いから父親に会いたい*きっと有名になれば会いに来てくれる!そんな想いもあったそうです。結婚をして子供が出来ましたが、自分に似ている息子を見て、気味が悪いと感じたと言います*親の愛情に飢えたのに、自分がそう出来ないで、どうして良いのか分からない?そんな生き方だったのかなあ?と思います。親は無くとも子は育つと言われます。親が居たって幸せだとは限りません。虐待をされて殺される事もありますから!形態ではなく、関係性だと感じます。理想と現実は違う*傍から見るのと、当事者は全然違うものです。お父さんが居るから幸せ?居ないから不幸せ?両親が居るから幸せ?お父さんがいるから不幸せと言うこともある*私には解りませんが、きっと明確なモノなどないのでしょう!ある番組で、スティーブさんが取り上げられ、その一生が綴られていました。そして、番組の終わりにプロフィールが流されました。名前・年齢・趣味・職業・など!そして最後に、今一番欲しいモノ?実の父親* 同じ番組を観ていた親友は、次の日、真剣な顔をして私にこう言いました。「ヤスくん!オレ、最後の一言で涙が出たもんで*」と教えてくれました。私とは正反対のことを言われて、解ってあげられないこともあるんだなあ?と、少し寂しい気持ちになりましたが、その夜にこんな事を考えました。親父が居るとか居ないとかではない!その悶々とした気持ちは、一緒ではないのか?表面的なものは正反対でも、その奥?根っ子の部分は同じなんだと・・・同性には何とも言えないモノがある!逃れられないモノがある*お互いの同性本能のせめぎ合いによって、体力では及ばない中で消化しなければいけません。狂いそうな日々を耐え忍び生き抜くのです。
心と本能
虐待された子供の施設を訪問した時に、腕が曲がっている子供や、性的虐待を受けた少女たちと会いました。その後、所長さんのお話の中で、「こんな酷い虐待をされた子供でも、決して親の悪口を言わないのです。殆ど全ての子供達は親を庇うのです*」と聞き健気さに涙ぐみましたが、今の私は違う見方をしています。 それは、親を庇いたいから庇っているのではなく、生きて行く為の本能なんだと!そう感じます。そうでなければ、皆一様に親を庇うことはないでしょう!100%皆一緒?そうなることは人間の考えの中では余りありません。本能がそうさせるから子供達は親を庇っているのです。心地良い親子愛と言うモノに大人たちは、直ぐ結びつけたくなりますが、生きることとは、そんなに甘いモノではありませんよね*子供は子供で、たった一人の人間なのです。必死で生きている* 色んな子供たちの姿や、様々な出来事、友人の家庭環境、己の経験から鑑みて、こんな風に感じています。心は綺麗なもので、本能は汚いモノではない!私から観ると、心は汚く、本能は美しい* 尾張旭で虐待され死んだ少年を思い出しました。自分とは血の繋がっていない両親に対してでも、庇っていました*生きて行く為に***生徒の中にも、時々アザがある子供がいますが、可哀想に聞いてもウソを言い庇っています。解ってしまう自分が嫌になる*
ジョン・レノン
ジョンさんが子供の時に、漁師のお父さんが居なくなり、お母さんが死に親戚の叔母さんによって育てられました。ジョンさんは、両親を失くし生きる為に何をすれば生き抜くことが出来るのか? どうすれば生き延びられるのか?本能的に動いたのでしょう?それが詩や歌に表れているのではないのでしょうか?環境によって子供は適応しようとする筈です。また、それによって感性や声質まで変えて?育むのだと思います。生きるとは、動物の本能の第一のモノですから、影響を与えない訳はない*私はそう思います。皆さまは、どう思われますか?
高倉健さんが、貧しいアフリカの少年を見た時に、こんな事を心の中で話しかけました。「どんな土地に生まれるのか?どんな親に育てられるのか?誰にも分からない。子供は何も選べず、ただ生まれてくる。だが夢なら自由に見ることが出来る。その夢を叶える時間は、まだ君には限りなくある筈だ。砂嵐にうずくまる君を現地の大人たちは助けない。砂嵐に耐える力を、子供の時から身に付けさせる為だろう。そうしなければ、この土地で生きていくのは辛い。だから大人たちは見て見ぬ振りをする。君をおいてきぼりにする。 それも大人の優しさだ。旅人の僕は尚更、君を助けられない。ずっと君のそばにいる訳にはいかないからだ。悪いな!だから夢を見てくれ!僕は名前も知らない少年に心の中で話しかけていた。
私は、この話を読んでボーとして静寂に包まれました。風景が思い浮かび、まるでその場に居た様に感じた*子供と大人*何が正しくて何が間違っているのでしょうか?そんなに明確なモノなのでしょうか?
家庭の中での葛藤は他と違う!
家の外、職場、学校、恋愛、仲間の中でも様々な事がありますが、家庭の中での葛藤は、また別格なモノがあるのだと思います。虐待、イジメ、理不尽なことがあっても、子供達は、そこからは逃れられません*確執が生まれる!何と言うのでしょう?言葉では表現出来ないモノなのかも知れません。外で起こることなら逃げることや、開き直ることも出来るでしょうが、家の中では無力です。抵抗出来るのは家出くらいでしょうか?でも、生きる糧がない子供は直ぐ連れ戻されます。
親父がいないことと居ること
スティーブ・マックウィーンさんには、お父さんが居ませんでした!飛行機乗りのお父さんは、家族を顧みず家を出て行きました。お母さんの再婚相手と上手く行かず、家を飛び出しては悪いことを繰り返していました。 そして、少年院に入れられます。それもお母さんの手によって*その後、映画俳優になるのですが、一度で良いから父親に会いたい*きっと有名になれば会いに来てくれる!そんな想いもあったそうです。結婚をして子供が出来ましたが、自分に似ている息子を見て、気味が悪いと感じたと言います*親の愛情に飢えたのに、自分がそう出来ないで、どうして良いのか分からない?そんな生き方だったのかなあ?と思います。親は無くとも子は育つと言われます。親が居たって幸せだとは限りません。虐待をされて殺される事もありますから!形態ではなく、関係性だと感じます。理想と現実は違う*傍から見るのと、当事者は全然違うものです。お父さんが居るから幸せ?居ないから不幸せ?両親が居るから幸せ?お父さんがいるから不幸せと言うこともある*私には解りませんが、きっと明確なモノなどないのでしょう!ある番組で、スティーブさんが取り上げられ、その一生が綴られていました。そして、番組の終わりにプロフィールが流されました。名前・年齢・趣味・職業・など!そして最後に、今一番欲しいモノ?実の父親* 同じ番組を観ていた親友は、次の日、真剣な顔をして私にこう言いました。「ヤスくん!オレ、最後の一言で涙が出たもんで*」と教えてくれました。私とは正反対のことを言われて、解ってあげられないこともあるんだなあ?と、少し寂しい気持ちになりましたが、その夜にこんな事を考えました。親父が居るとか居ないとかではない!その悶々とした気持ちは、一緒ではないのか?表面的なものは正反対でも、その奥?根っ子の部分は同じなんだと・・・同性には何とも言えないモノがある!逃れられないモノがある*お互いの同性本能のせめぎ合いによって、体力では及ばない中で消化しなければいけません。狂いそうな日々を耐え忍び生き抜くのです。
心と本能
虐待された子供の施設を訪問した時に、腕が曲がっている子供や、性的虐待を受けた少女たちと会いました。その後、所長さんのお話の中で、「こんな酷い虐待をされた子供でも、決して親の悪口を言わないのです。殆ど全ての子供達は親を庇うのです*」と聞き健気さに涙ぐみましたが、今の私は違う見方をしています。 それは、親を庇いたいから庇っているのではなく、生きて行く為の本能なんだと!そう感じます。そうでなければ、皆一様に親を庇うことはないでしょう!100%皆一緒?そうなることは人間の考えの中では余りありません。本能がそうさせるから子供達は親を庇っているのです。心地良い親子愛と言うモノに大人たちは、直ぐ結びつけたくなりますが、生きることとは、そんなに甘いモノではありませんよね*子供は子供で、たった一人の人間なのです。必死で生きている* 色んな子供たちの姿や、様々な出来事、友人の家庭環境、己の経験から鑑みて、こんな風に感じています。心は綺麗なもので、本能は汚いモノではない!私から観ると、心は汚く、本能は美しい* 尾張旭で虐待され死んだ少年を思い出しました。自分とは血の繋がっていない両親に対してでも、庇っていました*生きて行く為に***生徒の中にも、時々アザがある子供がいますが、可哀想に聞いてもウソを言い庇っています。解ってしまう自分が嫌になる*
ジョン・レノン
ジョンさんが子供の時に、漁師のお父さんが居なくなり、お母さんが死に親戚の叔母さんによって育てられました。ジョンさんは、両親を失くし生きる為に何をすれば生き抜くことが出来るのか? どうすれば生き延びられるのか?本能的に動いたのでしょう?それが詩や歌に表れているのではないのでしょうか?環境によって子供は適応しようとする筈です。また、それによって感性や声質まで変えて?育むのだと思います。生きるとは、動物の本能の第一のモノですから、影響を与えない訳はない*私はそう思います。皆さまは、どう思われますか?
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