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美音  

美音先生お元気でしょうか?幸せなことを願います*唐突ですが、私は音楽が好きです*その中でもピアノの音色が一番好きなのです。ピアノは、女性そのモノの様な気が致します。女好き???と言う意味ではありません。根っからの硬派です。話を戻しますが、普段から私は、どんな楽器や歌声も生の音には絶対に敵わないと思っています。また音楽は、スポーツや武術にも共通する?大切な目に見えないモノがあると、最近特に私は感じていますから、クダラナイ話ですが少しお付き合い下さい。私が中学生の頃、音楽の時間に大好きだった美音先生がピアノの生演奏をして下さいました。その音色に私の心はイチコロでやられてしまいました!「先生の美しいピアノ」に心を奪われたのです☆純粋で純真な心の奥底に触れた気がしました。朝焼けの静寂の中で小鳥が囀っている*そんなピアノでした。多分、他の方が同じ曲を演奏されても、きっとそう感じられなかったでしょう!私もギターを弾きますから、よく実感として分かるのですが、同じ曲でも弾き手によって全く違うモノになります。 それは、上手いとか下手ではなく、演奏者の心が湧き出て来るからだと思います。 歌も同じですね!カバー曲の方が売れたりもしていますから* きっと音楽というモノは、その方々の気持ちや心、人生が湧き出て表れるからではないのでしょうか?ご苦労をされた人生の苦悩や、喜びと言う年輪があればあるほど歌に味が出てきます。逆に少年少女の合唱は、人生の?大人の穢れを知りませんから、打算的な気持ちがなく響き伝わり、それ故に透明で純朴な歌声となってメロディーを奏でられる!そんな歌声を聞いた大人達は、儚さに堪え切れずに涙してしまうのだと思います*

来生さんと名古屋フィルハーモニー

演奏には心が表れる。そして、それらが調和すると神秘的な? 人間を超越したモノが、生まれるのだと思います。20年前、一度だけ来生さんと、名フィルが一緒になったコンサートに出掛けた事がありました。それはそれはお見事で感動致しました。ハーモ二ーとは、正しくハーモニーでした?違うものが和合して、より良いものになる!調和とは物凄い力があることを知りました。それも体感して!よくスポーツチームが強い選手を集めて勝とうとし、失敗することがあります。子供の内は、個人の能力だけで通用しますが、年齢が段々上になって行きますと、逆に勝てなくなるのは何故でしょうか?私が感じますのは、調和です。個性と個性とが、ぶつかり合い調和しないからだと思います。不協和音です。和音は、違う音と音がお互いの良いモノを引き出し、合わさるからこそ良い響きを生み出すのです。ド~ミ~ソ~と言う様に*お互いが高めあう! 一つずれたり、遅れたり、同じ個性が強過ぎますと、調和を乱し汚い音になります。作用反作用ではありませんが、調和はとても大切です。子供たちが偶に、ジュースを飲んでいると、「このジュースとあのジュースを混ぜると、どうなるんだろう?」と言い、混ぜ合わせ飲んで「ウゲッェ!」と吐き出すことがあります!笑 調和が取れていないのです*例えが変!確かにそうです。でも、メロンジュースにアイスクリームは合いますが、オレンジジュースやトマトジュースにアイスクリームを入れても美味しくないのは事実です★仕事でもそうではありませんか?一人の能力が、いくら高くても限界はどうしてもあります。しかし、二人、三人と力を合わせて協力すれば、何倍もの力となる!但し、チームでも俺が俺がの人間ばかりだと、逆に作用して弱くなってしまいます。どこまでも調和が大切ですね*

調和=和音

同じ様なタイプ?個人技に優れた良い選手同士では、チームで戦う場合に調和しないことがよくあります。一人の個人技が素晴らしい選手能力を10と例えて、その選手が二人になれば10+10が良くても20にしかならないと思います。しかし、個人技には劣りますが、また違うタイプの選手と組んだ時には、10+7=21にも25にもなったりするのです。以前、オシムさんもこう述べられていました。「中村選手を10人集めても強くはならない」と・・・真意は分かりませんが、私の感じていることと遠く離れていない気が致します。真面目に正確なパスをする選手が居て、大胆にロングボールを蹴る選手、小技はないが冒険心旺盛な選手、常識を無視して無鉄砲に突破する選手、絶対ボールを奪うという気の強い選手、繊細で敏感な選手、そういう様々な選手の集合体は、一人一人の役割を手助けし、より相手の個人能力を更に高めます。その為には、個々の感性や仲間を大切にする人間的な部分が伴わなければいけないと私は思っています。俺だけ出来れば良いという自分勝手な選手は、ある所までは行ってもそこで止まり伸びません。私の力不足なのかもしれませんが、指導をさせて頂いて残念に思うことは、小学生の今上手い選手や、その保護者様に誤解を生ませてしまうことがあります。「少し今上手いから将来が有望だ!」などと楽観的な見方をしてしまわれる?本当に残念です*小学生で上手かったら将来が約束されている訳ではありません。余りにも安易なお考えです。 最近の保護者さんの中にでも、プロにする為にと躍起になる方もお見えですが、どうすればプロに成れるのか、確実な方法でもあるのでしょうか?少し早くサッカーを始めただけ!少し体の成長が早かっただけ!少しボールを触る機会が沢山あっただけ!などで小学生の内は差異があるものです。セレクションをして、今能力の高い選手を集めている愛知県の有名サッカークラブチームから、一体何人のプロサッカー選手が輩出されているのか、調べて見られたら直ぐ分かります。感性も育まず、ただ今勝ってクラブの面子を保ち、コーチの威厳や指導能力を誇示する?上手い選手を集めれば、誰でもある程度の結果は残せるでしょう!そして子供達に、「この時はこうする」と言う今勝つ方法を教えた上で、更に大人並みのレギュラー争いをさせ、陰湿な闘争心を煽り、殺伐とした雰囲気の中でサッカーを「ヤラセル」のです*サッカーを楽しみながら学ばせるのではなく、競争の中で他人を蹴落としてでも自分が浮き上がろうとする!そんな小学生で本当に良いのでしょうか?また、そんな育み方で将来的に本当に大丈夫でしょうか*心配です。感性の部分がなければ、味方の選手が今何をしようとしているのか?どうしたら助けられるのか?そして、自分が何をするべきか?相手はどうしてくるのか?「感じて一瞬の判断する!」と言うことが出来なければ、個人能力がいくら高くても思い遣りに掛ける平凡な選手で終わります。創造性が大切だと教科書通りのことを、どのコーチでもおっしゃるのですが、言葉だけが専行して掘り下げられていない気が致します! 私が全て正しい何て一度も考えたことはありませんが、試合へ行く度に色んな指導者を拝見いたしますが、子供達に対するアドバイスをお聞きしていますと、何時もそう感じてしまいます。人のことを言える人間ではありませんが、人を鏡として!教科書として謙虚に学ばさせて頂きます。

クラブコーチと部活コーチ

ピアノの先生の中にも、様々な方がお見えになるとお聞きしていますが、スポーツコーチも同様です。先ず部活のコーチの方々と、接しさせて頂き率直に感じますことは、残念なことに威張る方が大変多いと言うことです。中には謙虚な方も稀に御見掛け致しますが、圧倒的に多いと思います。だからと言って、指導者が遜り過ぎて、お願いする様ではイケマセン!勘違いさせてしまいます。エリカさんを作ってしまう!私の見方が可笑しいのかも知れませんが、「僅かなお金しか貰っていない」「自分の貴重な休みを削って、子供たちの面倒を見てやっているのだぞ!」という心が、私にはどうしても観えてしまいます。ですから、椅子に踏ん反り返り、感情の赴くまま指導をします。例え子供たちが悪いことをしたとしても、また指導者の言う通りの?プレーや、ゲームが出来なかったとしても、指導者の態度が傲慢で良い筈がありません!叱る時こそ真剣な態度や姿勢を示し正すべきだと私は思います。 休日に、ご指導されておられますから、ご苦労は理解出来ます。本当にお疲れ様です*指導の勉強をする機会も時間も少ない中で、精一杯の事をされていることはよく分かりますが、しかし、指導方法は、「精神論」一辺倒だったり、目先の「技術的なモノ」ばかりが多い様に感じられます?それは、仕方が無いことなのかも知れませんね*では、クラブコーチは、全てに於いて素晴らしいのか?と、言えばそうでもありません。私も含めて色々です。コーチの人間的な質の問題があります。織田信長と同様の癲癇性ヒステリーがある私自身一番問題なのですが★それはさて置き、何処までも資質が重要だと思います。どんなに自分の経歴や、技術が優れていても、それだけではダメなのです。逆に弊害になる部分の方が大きいこともあります。自分が今まで培ったモノだけで指導をして省みることをしません。「驕り」と言うものが邪魔をする!そして、それらを子供達に押し付けてしまうのです。それが子供たちの無限の可能性を潰してしまう*広がりを持たせないで、ドンドン狭い世界に引きずり込みます。しかし、コーチの仕事は初めから誰でも出来て整っている訳ではありません。継続的かつ、謙虚な姿勢で指導をすることにより、コーチ自信も成長して良い指導者になって行きます。 ある整体の先生から、「スポーツ指導者は、何年くらいで一人前に成れるの?」と、お聞き頂いたことがありましたが、私は、「十年で入り口だと思います。」とだけ答えました。自分の経験や、知識を全て「0ベース」に戻して、もう一度出直すくらいの勇気を持って行わなければ周りが見えず、自分の狭い範囲の指導からは、脱却出来ません。「衒い」を捨て切れるのかどうか?それがスタートラインに立つ事だと思いますね!

資質

それ以前に、コーチとしての資質と言えば?人を欺いたり!人を出し抜いたり、汚いことをする人間は指導者に成ってはいけません。 そんなクダラナイ指導者が、現実には沢山いますから、子供たちのことを想うと可哀想です*サッカーの事が分からない保護者さんでも、コーチの所作を見ることは可能ですから、よく見て下さい。足で椅子やコーンを動かすコーチ、物を置く時に投げるコーチ、靴を揃えないコーチ、クチャクチャに服を置くコーチなど、偉そうな態度はコーチングの質に直結しています。スポーツのコーチだからと言って、人間的な部分を求めなくて良い筈がありませんし、それこそ見極めるべきことなのです。私事で恐縮ですが、以前の私は試合中、ずっと立って試合を観ていました。それは、子供たちが一生懸命戦っているのに、偉そうに座っているのが嫌いでしたから敢えてそうしていました。しかし、何年も前から、それを止めました。その理由は監督が立って観ていますと、1.選手に余分なプレッシャーを掛けてしまうこと。2.保護者様に対して一生懸命に指導をしていますよ!と言うアピールになって恥ずかしくなったこと。3.アドバイスが今勝つ方法になり易い事。4.余裕が無くなり将来的な指導が出来ないこと。5.立って試合を見ているコーチはヤカマシイ?失礼しました*アドバイスが多過ぎること。6.監督である自分自身が見えなくなってしまうこと。7.子供たちが伸び伸びと自由に出来ないことなどです。最近私は、時々足を組んで試合を見ている時もありますが、余り褒められた事ではありませんね*申し訳ないことです。でも足を組んでいる時は、リラックスしようとしている時です。肩に力が入って余分なことを言わない様に!力を抜き冷静になって良い指導がしたい! 私が戦っている訳ではないですからね!子供達の将来に良いアドバイスをすることが仕事なのです。偉そうに見えて見苦しいでしょうが、少しご理解下さい。それでも何時の間にか力が入り過ぎて、椅子から尻が落ちる時もあります* 耳を噛むのは動物的本能です!



ピアノやギターの中でも左手で4音を押さえることがあります。お聞きした話ですが、私の好きな「エリーゼのために」と言う曲の中にも、4音を押さえる箇所があるそうです。子供たちや、初心者には難しい箇所とされていますが、ピアノ教室では、正確さや楽譜通りの弾き方を求められるのだそうです。ギターでも同じように楽譜では4音を押さえるとの指示がありますが、私のギターは独学で誰にも教わらずに来たものですから、省いてしまうことが沢山あります。また、その曲の感じたもので敢えて半音を下げたり、上げたり、態とテンポを遅らせて押さえることもします。余分なコードを付け加えて弾いたりもしますね!要するに「感性の部分」で弾くのです。しかし、もし私がギターの試験や、テストを受けたとしたら、必ず失格になります。日本の試験やテストは、決められたことを正確にキッチリ出来なければダメだからです。最も大切な曲全体の表現力、オリジナリティーや、感性など評価に値しないのです。何処に芸術性があるのでしょうか?それだけの評価なら誰にでも出来てしまいそうです。

盲目のピアニスト

先日、盲目ピアニストの辻井さんのお話を伺いました。私は、お金持ちのご家庭で沢山のお金を使い有名になられた方だと安易に感じていた為に、冷めた目で見ていました。また、お母様が前面に出過ぎていることや、セレブな容姿や振る舞いが関心を薄くさせていました。お気の毒で可哀相になあ*と思う位でした。 しかし、前述の4音の話を聞き日本のスポーツの世界と同じだ!と感じたのです。辻井さんは、目が見えない為に楽譜を読むことが出来ません。だからこそ感性で弾けるのです!楽譜上は、4音を押さえなければならないところも、三音しか弾かなかったりしたそうです。それが日本の評価ではダメなのです。日本では正確性を求められますから、奨学金も頂けなかったと言われていました。お金持ちですから、奨学金は要らなかったと思いますが・・・ですから辻井さんのお母さんは、海外のコンクールばかりに出場をさせていたそうです。 海外では、決まり事よりも、芸術性?感性の部分が最も評価されるのです。 目先の技術やテクニックよりも、誰にも真似出来ない感性でプレー出来る選手は素晴らしい!サッカーの神様ペレ選手は、きっと感性がずば抜けていたのでしょう!マネしようとしても真似出来なかったとお聞きしています。 辻井さんの話に戻しますが、一つ気になることがあります。それは外国のコンクールで優勝したとたん、日本でCDが沢山売れるのは如何なものでしょうか?良いものは良いと言う自分の判断が出来ないのでしょうか?他の人が認めたから認める?それが悲しいかな日本なのかも知れませんね*明治の富国強兵!文明開化!などで、西洋の文化や先端技術を全て認め、日本の良さを否定し、独自の文化に自信を失ってしまったのでしょうか?  独自の目を失ったのかも知れませんね!外国の方や、有名な方、他の人が否定し認めなくても、自分は認めるくらいの目や心を持ちたいと私は思います。 世界中の人が認めなくても、たった一人認めてあげられることって美しくないですか?何を私は言っているのでしょう?笑 でも、そんな自分でありたい***

クラシックとレイ・チャールズ

ピアノは女性そのもので、クラシックは女性の方が似合うと思っていますが、ジャズは絶対男性の方がマッチしていると感じます。盲目のジャズピアニストと言えば、何と言っても「レイ・チャールズ」ですね!本当に素晴らしい*感性がずば抜けています!暗く落ち込んでいても、一瞬にして楽しく豊かな世界に人々を導きます*正しく「魂の叫び=ソウル」です!音と歌詞に命を吹き込む天才だと思います。テンポ良く明るい歌なのに掠れて泣いている様に聞こえるのは私だけでしょうか?言葉や国の違い、人種の壁さえ簡単に乗り越え心の芯に響くのだと思います。私は、夜一人でこの方の曲を聴いていますと、笑いながら感動します。弟の死に対して自責の念に駆られ、また、貧しく働き者の母との別れや、酷い人種差別、そして視力を失うと言う何重もの苦しみの中から生まれた音楽は、誰にも真似出来ない物を作り上げます。オリジナルとは、その人だけのモノです。譜面があって弾くのとは次元が全く違う!本当に素晴らしい* 彼は、どんな小さな鳥の囀りも、どんな小さな虫の声も聞こえていたそうです。感性とは研ぎ澄ませた所から生まれるのでしょう!私が子供たちに指導させて頂いてよく感じますことは、この子は「人やモノ」を感じる力があるのか?ないのか?と言うことを特に感じ受けています。特別そうしているのではなく、自然に感じています。奇を衒って申し上げているのではありません。多分それが私の個性であり感性なのでしょう? 感性の豊かな子供は、やはり伸びる力が自然と備わっているのです。 その要因は何処にあるのか?考えて観ますと、家庭環境が一番影響を及ぼしている様な気が致します。豊か過ぎたり、甘やかされている子供は、どうしても気が付くことが出来ません!「何々ちゃん*」や「何々君*」と、何時までも赤ちゃん扱いされている子は特にです。叱られたことがない!ケンカしたこともない!そんな子供は感じられない*気が付いても遅いのです。 例えば試合中、何処で相手のボールを奪えば良いのか?と申しますと、一番狙わなければならない所は、「相手のパスとパスの間」ですが、相手が何を実行しようとしているのか?感じる力がなければ相手のパスが通り、受け手がコントロールした後に、やっと接近してプレッシャーを掛けることしか出来ません。一生懸命にプレーするのは当たり前!選手であれば誰でも同じなのですが、感性がある選手は気配が出ていなくても状況を感じたり、試合の流れを空気で感じ取ります。  更に自分の気配は消して、瞬間的に奪うことも出来ます。私は、何時もそこを焦らないで、じっくり指導しているつもりです。  個人差はありますが、甘やかされていない、自分のことは自身で行っている生活習慣を持つ子供は、やはりそれに喜びを感じて気付くのです。親が何でも手出ししている子供は伸びません。感性を育むこと、それが私の仕事で一番大切なことだと思っていますが、親の影響は大ですね!感性を育めば思い遣りの心も、きっと芽生えてくることでしょう*人の気持ちが判るのですから*選手の中には、私が何も言わなくても手伝って気遣いしてくれる子供もいます。そういう選手は、私が一つ言ったことを10聞いたこととして吸収します。スポンジに水が染みて行く様に! テレビゲームばかりで遊んでいて「感性」は育まれませんね*体を動かしながら体を通して体験し、失敗を沢山積み重ねれば様々なことに疑問を持ち、探求しながら感性や感覚を磨いて行くのだと思います。もう一人ジャズで好きな方がいます。ジャズを生み出したジャズ界の父、「ジェリー・ロール・モートン」さんです。この人の曲には物語があり、悲しみや切なさ、喜びが沢山詰まっています。その中でも、「ザ・クレイブ」と言う曲は、自然と涙が溢れ出て来る素晴らしい曲です。歌詞はありません。クラシックの様に音だけで物語を奏でます。売春宿で幼少を過ごし、人目を盗んでピアノを弾いて練習し、独自のモノを生み出しました*それがジャズです。 ジャズとは、元々低俗で品のない下劣な音楽という蔑む名称でしたが、何時しか認知されました。良いものは良いのです*本当に素晴らしい!実は私は、ジャズの発祥の地、「ニューオリンズ」に行った事があります。 その時に、本場のジャズを聴き感動したのは言うまでもありませんが、南部特有のモノを沢山見て考えさせられました。その一つが、田舎風の家々の裏に、掘っ立て小屋みたいな奴隷の家が必ずある風景です*

ニューオリンズ

人間は悲しみが多い程、陽気に振舞いたくなるのでしょうか?ささやかな小さな喜びを最大限に表現するのだと私は感じました。奴隷の町と言う雰囲気が沢山残るニューオリンズでした。 悲しい町*笑いが絶えない町*音楽の町*辛いからこそ陽気に振舞う!そんな気質に親近感を覚えた私でした。 

見えないから見えるモノ

レイ・チャールズさんの最も有名な曲は、「我が心のジョージア」です。CMにも使われました!桑田さんのエリーマイラブもカバーしてヒットしましたよね*でも私が一番好きな曲は、「アンチェイン・マイ・ハート」です。これは、愛人から開放されたい!との想いを歌った曲とされていますが、私は違う見方をしています。陽気に明るく歌う為に敢えてその様な表現をされただけで、本当は黒人差別社会から開放されたい!もっと申し上げれば、盲目の自分に対しての侮辱や、初心で世間知らずの良心を逆手に取って金儲け企む醜く汚い人間の世界から逃れたい* そんな社会に生きている自身のことを歌ったのではないのか?と私は思っています。違うのかも知れませんが?感性でそう感じるのです。レイ・チャールズさんは、高いお金を払ってピアノを教えて貰った訳ではありません。私のギターと同じで独学です。私は、どうしても欲しかったギターを購入しましたが、喜んだのもつかの間、中々コード進行がスムーズに出来なくて苦しみました。「オレは、一生弾けないかも知れない」何て言うことも毎晩の様に悲しみに悶えていたのです* ギターと一緒に寝れば、弾ける様になるのではないか?とバカなことを考え抱いて眠ったこともありました。チャールズさんは、目が見えない中で、どれ程の努力をされてピアノが弾ける様になられたのか?想像出来ませんけれども、何となく分か様な気が致します。本当に心からピアノが好きなったからこそ、思いのまま奏でられる様になれたのではないのでしょうか*多分、弾いている時は目が見えない不運な悲しみも、きっと忘れられたのでしょう*そう!ギターも目を瞑って弾く時もあります。心を込める時には何故か人間は目を瞑りますね!どうしてでしょうか?見えないものを見よう?伝え様としているのかも知れませんね!剣術の中にも目を瞑って戦うものがあります。 耳が目となり、気で気配を感じる。だから相手が斬りかかる前に斬れる!それもゆっくりとです。相手のリズムを感じ取りそこの隙を衝く*神業ですね。人間の潜在能力は計り知れません。

サッカー界のカメ

ジェリーさんが、ジャズ界の父なら、私は、サッカー界のカメでしょうか?ゆっくり育みたい!私本人が自身のことになるとセッカチなものですから、きっとそうなるのでしょうか?イヤ違います。急げば外形的なことだけを教えて、真実を伝えられないと考え感じるからだと思います。上達を焦れば感性は育めません。 速い遅いで 言えば、鈴鹿の試合の時に大笑いしたことがありました。それは、私の後ろから不意に転がって来たボールを、瞬間的に体の向きを変え止めて蹴り返した!それを見たK君は目が飛び出しそうなくらいビックリし、「ハンノウ神経がスゴイ!」と叫んだのです!笑  本人は反射神経のつもりで言ったのでしょうが、その言葉が面白過ぎてツボに嵌りました* 周りの子供たちも笑っていましたが、その新しい言葉に私は寒心してしまいした!笑  子供は本当に素晴らしい☆ 時々生徒や保護者様から、「先生はチーター見たい!」と言って頂けますから、サッカー界のチーターを目指しましょうか!今の時代は、人権意識が高く、必要以上に子供たちが守られています!守られているが故に感性が磨かれない*人の気持ちが判らない? 自分のことしか考えられない!そんなことも感じています。大切にするとの裏腹で、一方では虐待の話も頻繁にお聞きします。それは多分行き過ぎたり、遣り過ぎた結果なのでしょう? 何でもそうだと思いますが、行き過ぎたり遣り過ぎれば、その針は大きく逆にも揺れてしまいます。我が国では、毎年30万匹もの犬や猫が殺処分されているそうです。片方で助け、もう一方では殺す!人間は矛盾に塗れて都合の良い可笑しな理屈を付けるものです。子供を大切にすることは、必ずしも大切にしていないことの様に私はよく感じています。傍から拝見していますと、ご自分が優しい大人に見せたい?思われたい?のかなあ?何て失礼なことを感じたりします。優しい男を求め続けたから、そんな男性が多くなったのでしょう!大切にするのであれば、厳しさと優しさ両方で接する!そうすると大人の自分も鍛えられて行きます。大人が優しい言葉を掛け続けた方がどれだけ楽なことか!

私の汚れた心!一人立ち。見えないから観得る世界がある!感性は心で見るモノ。日本の評価 合唱は、間合いやタイミングを計り、観なくても相手の息を感じ取る。上手くない子供や、性格の弱い優しい子供たちの心理を感じ取り、潜在能力を引き出す喜び。出来ないことの本当の理由!悪いことは良くなることの栄養*素直な性格は伸びシロが大きい。野球とサッカーの違い 形式が決まっているモノのと決まっていないモノ?走る所の目印が無いのがサッカーである。一塁ベースはサッカーにはない。だから難しい*でも楽い!間違いがあって無い様なモノだから人生に似ている。サッカーは人生の縮図 野球の良さはPKだ!西欧文化の憧れ コンプレックスがある。感性の部分  猪木さんは何処から?ブラジルにヒント?私は動物。自然の中へ。一流のパスと技術  一瞬の閃きや創造性がないのは何故?面白くない。剣術にはあった!日本独自のモノ  剣術に型はないのが当たり前。武蔵先生も型は無かった。柔術にも型は無かった!海の上のピアニスト  ザ・クレイブ  ジェリー・ロール・モートン 即興は感性 
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