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新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

日々

日々を大切に!とよく言われます。私も指導上よく遣いますが、私自身どれだけ一日一日を大切に生きているのか?問うて見れば恥ずかしいことばかりです。

新人戦

先日行われた新人戦は、4回戦で敗退してしまいました。相手は有名クラブチームで、監督さんは元Jリーガーの方だったものですから、是非勝ちたかったです!笑 強いモノに対して極度に燃える私ですが、本来どんな相手にでも同じ心持ちで戦わなければいけませんね。反省*あるコーチは、全愛知県204チームで、36チームの中に入れたのだから凄いのではないですか?と言っていました。ヤスユキ先生の様に全ての選手を遣い切って勝ち上がり、まして5年生の新人戦に半分が4年生で、尚且つ三年生を二名出して、ここまで戦えるチーム何てないとも言ってくれました。慰めでしょうか?イヤ、他のチームだって出来ます。ただやらない!やれないだけです。私ではなく選手が素晴らしいだけです*私の少し良い所は、おそらく余分なことを言わない!笑 今の能力だけを重要視しないで出場機会を与え育てることくらいだと思います。スキーキャンプで、キャプテンが手首を骨折してしまい出場出来ない中でも、必死に皆で最後まで戦った!悔いがない訳ではありませんが、結果や勝敗は別として、個々の様々な成長を感じることが出来て本当に嬉しく思っています。人生良いことばかりではありません。山あり谷ありです。保護者様が選手全員のことを温かく見守って下されば、春から始まる大会にも、きっと良い成績を残すことが出来るでしょう!今回の試合を通して選手個々の無限の可能性を感じ受けました。今まで私が知らなかった選手の特性も感じられ本当に嬉しく思っています。 私たちは、「スポーツ指導者」として専門職です。当然、保護者様との視点が違って当たり前ですから、喜びや悲しみが正反対になることも多々ございます!笑 ですから素朴な疑問を持たれる事は自然ですね! ただ口に出すか、出さないのか?は別なお話です。何処までも信頼関係が必要ですね!努力致します。今回は、新人戦登録した全ての選手に出場機会を与えることが出来ました。勝ち続けたからこそ出来たのです。選手たち本当にありがとう*

託すとは?

例えば、手術する先生が患者さんの体を5センチ切開するとします。ある先生は2センチ!また、ある先生は切らずに穴を開けるだけ!更にある先生は10センチ!と言う様なことは先生次第の筈です。大体この手術の場合は、これくらい切る何てあるのでしょうが、そんな細かいことをお聞きしても自分ではどうにも出来ません。プロであれば、臨機応変にまた柔軟に対応するに決まっています。委ねて託すとはどういうことでしょうか?コーチだって同じです。一つ一つに疑問を持てば何処までも不信感が広がり自ら苛まれて行きます。全部説明し議論して纏まることの方が珍しい!百家争鳴では纏まらない。だから、最近は保護者様との距離を置くクラブが増えているのかも知れませんね*愛知県でも全く親と口を聞いてはいけない!と取り決めがあるチームもあります。 また、あるチームでは意見を言う保護者様に対して、その意見が通る所のクラブに行って下さい*と対応することもお聞きしました。  その意見が余りにも常識から逸脱して、理解出来ないからそうするのだそうです。私もある所までは我慢致しますが、ご説明しても納得して頂けない場合は、他のクラブでやられたどうですか?何て酷い事を申し上げてしまったこともありました*リスクを回避する為の処置かも知れませんね?親と口を聞いてはイケナイと言うことも?虚しいですが仕方がないことなのかも知れません。これだけ好き勝手に何でも言える社会になりましたから、そんな遣り方も全て否定出来ないなあ?と最近感じたりしています。お互いに問題があったとしても、一番の被害者は子供だと思います。まだ何も分からないのに親の意向であっちに行かされ、こっちに行かされでは堪りませんよね!転校を繰り返させられる様なものです。子供の内は、様々な情報に対して、これは正しい!これは間違い!と言う「ろ過機」を通すことは出来ませんから、情報は全て正しいものとして取り込みます。特に親から言われれば全て信用するのでしょう?言う通りに「そうなのか!」と従うしかありません。しかし、その考えが客観的に見て本当に正しければ良いのですが、もし親のエゴだったりしたら、何時か子供がそれに気付き何処かで大きな反発を招くでしょう!子供は子供のままではない。 子供から少年になって行く中で、様々な子供たちとの情報交換や社会に揉まれ、色んな価値観を知って行きます。そして自分というモノが段々出来て行きます。自分の意思を持つ!反抗期とはその過程ですね*そうすれば親の言っていたことに対して素朴な疑問が湧いて信用を失ってしまうのかも知れませんね! 親が自信を持って言っていたことが、必ずしもそうならなかった現実に直面した時が一番苦しくなると思います。 ですから断定的に言って良い事と悪いことがある様な気が致します。それは親と同様に指導者も同じです。頻繁に保護者様から「家の子はどうですか?」何てお聞き頂きます。そして、ハッキリ断定的なことをコーチから言われると物凄く安心した表情をされるのをお見受け致しますが、それが一番安易で浅い答えだったりするものです。優位なコーチの立場を利用して全て解っているつもりになってしまうのでしょう!こうすればこうなる何て神様でもない限り申し上げられません*特に子供の成長に係わることであれば尚更です。私はそういうコーチは信用しません。試行錯誤の中で悩むコーチこそ信頼に値します。 道徳的なことであれば断言しても良いと思いますが、その他のことは幅を持って伝えた方が良いのではないのでしょうか?また、特にスポーツに対しては、余り入り込み過ぎますと、「捉われているモノから離れるのがスポーツの楽しさ」なのに、逆に絡み付いてしまいスポーツではなく、義務化された習い事になってしまいます。 自由に伸び伸びとするから面白いモノが、それを叱っている親を見掛けますと社会の歪みに感じられます。そんなことよりも、惑わされないで本分のことを一番に考えます。子供の為ならばと、この軽い頭を下げることもしばしばですが、「韓信の股くぐり」とは中々難しいですね*感情を押し殺すことって難しいです。また感情を押し殺してばかりいると人間が人間でなくなって行く様にも思います。所謂、見掛けの善い子が沢山いる?それを望む社会ですが、それとは逆行する様にテレビ番組では、悪口や足を引っ張る方々ばかりです。辛辣なことを言い続け、口だけで稼ぐ人達が多過ぎませんか?人がすることに対して、それだけ偉そうに意見するならば、ご自分でやられたら宜しいのに?と何時も文句を言っては、母から「そう言うお前も一緒だ!」と叱られる私でした*アハハ でも、私は家で独り言を言うだけで人には申し上げません!言い訳?笑 

指導者の思考

スポーツ指導者は、今のテクニックや技術よりも、裏の可能性を観なければなりません。その場その場のことだけなら、恐縮ですが保護者様にでも分かります。私たちコーチは要りません*  特に私は、既成概念に縛られることを嫌う?言い換えれば、無謀と言われることであっても必要だと思えば行ってしまいますから、誤解を生んでしまうこともあるのは覚悟の上です。本当のプロとは、言われなくても必要であればリスクを承知して実行するのが「プロ」ではないでしょうか?6年生の試合でも、5年生の試合でも、時には低学年を連れて行き戦わせることだって致します。選手の好き嫌いではありません。保護者様との関係が良好だからでもありません。その選手にとって、今が伸びるチャンスだと感じれば二つ下の年齢でも三つ下でも連れて行きます。そう言えば、4年生の試合か5年生か忘れましたが、一年生を連れて行ってビックリされましたが、他のチームの方々から賞賛を沢山受けたこともありましたね!サッカーはプロレスではない!危険だから!危ないからと言えば、道路も歩けません*自転車にも乗せれない*相撲も危ないからとさせないことがあるとお聞きいたしました?何と言う世の中でしょう?ブルーインパレスの飛行の取り止め!飛行機に乗るのも禁止になるのかも知れませんね!三重県多度大社の上げ馬神事も動物虐待だと批判を受け、諮問機関が動き出した何ていうことも最近ニュースで流れていました。一体日本はどうなるのか?粗捜しばかりしていると子供たちの夢や希望を奪ってしまいツマラナイ世の中になりそうで残念です。未成年が飲酒して馬に乗ることも取りざたされていますが、一年に一度御清めでお酒を少し口に付ける位がそんな大問題にすることでしょうか?法律は機能性を持たせて運用したいものです*笑 時と場合の融通が利きませんね!今の日本は*話を戻します。体格を気にすれば小さな選手は生まれません*ロベルト・カルロスさん、メッシ選手を見れば分かります。要するに、その子供の資質や成長、精神状態、発達状況など様々なタイミング見て計れるのか?が問題だと思います。あの子だけとか、この子だけという短絡的なことではない。この選手は逆に萎縮してしまうから、もう少し時間を掛けよう!この選手は今、多少無理させた方が伸びるキッカケを掴める!この選手は、年代の下の子供たちと戦い自信を付けた上での方が伸び易い!申し上げれば沢山あります。だからこそ指導者と言えるのではないでしょうか? 専門に取り組んでいるのですから、矛盾や無意味そうに見える所に大切なことはあるのです。修理屋さんの例えですが、ネジに少し油を塗っておくことで錆の防止になり外し易くなる!また、ネジを締めるのも締め過ぎれば折れる為に負荷が掛かった微妙な所で止めておく。ネジが外れなければ、CRC使う。パイプを付けテコの力を増やす。打撃系で衝撃を与える。酸素溶接でナットの部分を膨張させ温めるて外す。更にどうしても無理ならナットだけを切断する!と言う様に専門知識はそこに様々な工夫があり、各々の独自性もある。何をどう選択し実行するのかは状況や緊急性、経験知によって異なります。しかし全てそれらは先を見越してのことなのです。小学生の成長は、早い遅いの差が最も表れ著しく変化する時期だと思います。それを小学生の段階から今上手い、今勝ちたいだけでは、他のクラブチームと何も変わりません。その裏側にある可能性こそ一番大切にしたいものです。芸術はテクニックよりも感性や創造性を重要視します。 クラウドアーツスポーツアカデミーのアーツは芸術です。損をしてもご批判を受けても勇気を持って戦う!そんな気概を持ち続けたい*スポーツはテクニックを競うがピアノは感性だ!とも言われているのですが、そんなことはありません。芸術的なシュートとか!芸術的なパスもあります。蹴り難い中どう打つのか?切羽詰まった中どうタイミングを計りパスするのか?は感性の代物です。相手との間合い、抜くタイミング、切り替えもそうです。一瞬の変化は最たるものです*そんな素晴らしい選手を育ててみたいです。 古来、日本では「芸」と「術」は体を使って研鑚しながら鍛錬し、優れた妙になり、芸術となしたそうです。だから芸術は絵画や音楽だけのモノではない!

中心選手?

よくこの子がチームの中心選手だ!と監督コーチはおっしゃいますが、一般的概念で申し上げるのならば、私は全ての選手が中心選手だと思っています。意味不明でしょうか?笑 それはクラウドにとって、どの選手が欠けてもいけませんし、一人一人が大切でチームの一員だからです。でも、こんなことはあります。おそらく、戦う布陣の中心に配置した選手は代え難いと言うことは頷けます。野球もそうですが、キャッチャー、ピッチャー、センターの中心ラインが最も重要と言われますよね!サッカーでも陣形の中心の選手を安易に変えますと、バラバラになり皆が機能を果たせなくなってしまいます。それは、人間の体で申し上げますと背骨の部分に当たると思います。背骨がしっかりしていれば手や足が自由に使えて戦えます。でも自由に戦うと言う中には、そこに隠れて役割というものが存在しなければなりません。自分勝手ではダメ*その中心に配置する選手は自由に戦いつつも、全体のバランスを見極め、自分の役割を超えた働きを望める選手を置いていますから、とても重要なのです。但し、そのことに気付いていない選手も、私は敢えてそのポジションをさせ側面的に理解させることも致します。小学生の段階で出来ないと決めつけるのは、可能性を潰してしまいますからね*今回の新人戦は、その中心の選手たちがとてもよく頑張りました。ある選手はトップ下なのに状況や試合の流れを肌で感じたのでしょう?自分でボランチに下がりました。凄いと思いますのは、守備的なことを中心に行いつつも、機を見てトップ下もやっていたのです。自分自身の判断で*そこが本当に素晴らしい!守りに入ることだけなら誰でも出来ますが、両方を行っていたのですから大した者です。またトップの選手も、チームの危機には下がり守備も積極的にしていました。何処にでも現れてくれた!それもまた自分の判断です*私は一言も口を出していません。更にディフェンスは、一人が飛び出して行けばもう一人が残り、前の選手達に早い指示を出すことが出来ていたと思います。中心にいる選手が役割以上のことを行えば、その周りの選手は思い切って自分のやりたい事が出来たでしょう!だから中心選手は代え難いと思います。出来たら代えたくはない*最後の試合は、その中心の選手が一人いませんから、みんなが必死に役割以上のことを行っていました。しかし、残念ですが機能しなかったです。でも、これでサイドの選手が何かを感じるキッカケが掴めたのなら、それも良い経験になったと思います。それを期待したいですね!多分クラウドの選手は、私から怒られる不安はないと思います。きっと何でも自分の判断で行えば失敗しても褒めてくれることを知っているからでしょう*  叱られる時は、「マイボール!マイボール!」と自分に有利な主張をした時や、自分のチームに暴言を吐いたり、相手チームに対しても「ハンド!ハンド!」と言ってしまう様な思い遣りに欠ける言動をした!相手を倒しても声を掛けない様なスポーツマンシップに則らない行為をした時くらいでしょうか?負けて泣くのも嫌いですから、叱ってしまうのかも知れませんね!笑 そう言えば家の選手は余り泣きませんね*泣く位悔しいのも悪いことではありませんが、涙を恥ずかしがらず隠そうともしない時は、少し将来が心配ですから注意指導しています。泣いて施して貰おう?泣けば済む!泣いて慰められる様な弱い選手になってもらいたくないです*泣いて駄々を捏ねている高校選手権の選手たちを見る度に残念な気持ちになります。  「もっとやりたかった~*」と足をバタつかせ、まるで幼児の様でした!泣くのを見るのも嫌いです。しかしながら、時々私の人生哲学の話を聞いて薄っすら涙ぐむ選手がいます。その姿を見る時だけは心に届いている様に感じて嬉しく思っています。 子供であっても真剣な想いは通じているのだと感じる***真心とは目には観えません。「見る」とは目で現実の今を見るモノ。「観る」とは心の目で見えないモノや未来を観るのです。  これが専門職と素人の大きな違いだと思います。

クラウド出身の選手  この章は書かないことにしました*思いやりを持って影から応援します。

全国大会出場おめでとう!大人しく優しい子だった お母さんの見る目とコーチの観る目 急ぐことのリスク 小学生で満足ですか? 全国大会出場だけで満足してはいけない 勘違いさせたのは私  出来過ぎは誤解を生む 褒め過ぎることの危険性 10-2の敗退  心配 その後の人生 監督は持ち回り? 教員は愛教大出身が強いが、サッカーの監督も繋がりで就任することが多い 修行もないまま監督 名声や経歴だけ ある若いピアニストは立派だった「名声や立派な賞を取ること望まない、観客の皆さんとの共有がしたい!」 「クラウドでやってた時が一番良かった*」とおっしゃって頂けた* 英才教育になったのかも知れません*責任は私にある この選手は大差で負けても泣いていませんでした!ガンバレRくん

親心

新人戦の中、私達の前に戦っていた試合で、点を決めたチームのお父さんたち6名位がジャンプしながら抱き合って喜ぶ姿を見て微笑ましい気持ちと、何故か寒気を覚えました*そしてその後、逆転され負けてしまいました*寒気がしたのは、親たちが子供達の中に自分を映して生きている様に観得たからだと思います。親心とは何でしょう?自分が出来なかったことや、自分が行いたかったことの夢を託すのが親心でしょうか?子供には子供の人生がある!それを認めることが親の務めだと、何処かでお聞きしたことがありましたが、子供に依存する親になっては親ではなくなるのかも知れません? 先日、静岡へ勉強に行った折、ある年配の女性と知り合い、親について色々なお話を教えて頂きました。 それは、ある医者の奥さんが、今は離婚され一人寂しく生きているお話です*その訳は、奥様自身が成りたかった「ピアニスト」に子供たちを育て様と、2・3歳の頃から英才教育的な練習をさせていたそうなのです。お母さんに支配され言われることを、素直に聞いていた内は良かったそうなのですが、段々と成長し、中学生になった頃には今まで抑圧されて来た事に反発して、口も聞かなくなりました。それどころか物を投げたり暴力を振ることにも発展してしまったのです*  結局子供たち三人は、お母さんを嫌い、お父さんに皆ついて行きました。今も交流は閉ざされ会えないそうです。自分の生き方や成りたかったモノを強制した結果こんな不幸を招きました。子供に寄生し生きてしまったのでしょうか?親離れ出来ないのは、逆の見方をすれば子離れ出来ない親の姿なのかも知れませんね? 以前いた数名のスタッフの中にも、自分の子供に毎日必ず、「宿題」と称して、ノルマや課題を与えてサッカーの練習をさせていたことを聞いていましたが、私はそれが善い事とは思えませんでした。子供が可哀想に感じました。一緒に遊ぶのではなくノルマにしてしまって本当に子供は楽しいのでしょうか?そう言えば、身近でもお父さんが我が子を野球選手にしようと、毎日学校の帰りを駅で待ち、バッティングセンターに直行していました。学校も転校させられていましたね*子供だって偶には寄り道もしたかったでしょう?友達とも遊びたかったでしょう*親のために我慢していたと思います。幸せって何でしょうか?結局、体を酷使した為に肩を壊してしまいました。それに懲りずに今度は次男に目が移りゴルファーにさせようと必死になっています。子供の人生は親の為?どんな親に生まれてくるのかは子供には選べません。子供は親のペットではない。  

デューク

ペットと言えばこんな話を聞きました。私自身は犬や猫をペットと思ったことは一度もありません。何でしょう?友達!親友?師匠?神様*現代社会に生きていますと犬や猫とのふれ愛が救ってくれます。 私の妹夫婦は教科書を学校に売る仕事をしているものですから、時々教科書の内容が話題に上る時もあります。難しいことは私に解りませんが、大変な仕事だな!と何時も感じながら話を聞いています。 採択制度とか校長先生との関係、教育長との云々、様々なシガラミ!などなど物を売るのも色々ある中で特殊な仕事だと思っています。 心のノートのことを以前取り上げさせて頂きましたが、中学の国語教科書の中で「江国香織」さんの「デューク」と言うお話が出てくるそうです。自分が大切にしていた犬が死んでしまい、悲しくて悲しくて悲し過ぎて涙が止まらないまま電車に乗ると、一人の少年が席を譲ってくれました。そして彼女をじっと見つめていました*そして、電車を降ると、その少年が後を追ってついて来ました。それから、お茶を飲んだり、プールに一緒に行ったりして楽しく過ごしたのです。沢山遊ん後、別れにそっとその少年が彼女に優しくキスをしました。キスをされた瞬間に解ったのです! その少年は貴方だったのと・・・余りにも悲しみに暮れていた彼女が心配で、最期のお別れに現れて来てくれたのですね*こんな良い話が、センター試験の問題に出題されたそうです。 他者への愛情や思い遣りなどの話が試験何て?本当に悲しい*こちらの方が違う意味で遣り切れなく感じました*豊かな国では可笑しな矛盾が当たり前です。可愛いペット=保健所で殺す そうそう!犬と言えば、植村さんが北極で「食料が捕れない時にソリを牽いてくれている可愛い犬が食料に見えた!」と言っていました。それを聞いた方が、「人間は極限まで追い詰められると理性や人間性を失ってしまうものなのですね?」とおっしゃいましたが植村さんは、「イヤ逆だと思います。人間の本来持っている本能そのものが出て来るのです*」と・・・人間は今ある価値観からしか物事を考えられないのかも知れません?私が既成概念に囚われたくないのは、もしかしたら本当の真実を知りたいという想いが強いからなのでしょう?デュークのお話は、試験問題ではなく、道徳や国語の授業で読みたいものです。あっ!お一人で夜読むことをお勧め致します*ラテン語で「デューク」は「指導者」と言う意味だそうですから、何か親しみを感じました*

優しい犬 優しい友達 ある試験問題 それが幸せ?可笑しいくないですか?思い遣りや優しさが試験?作家の江国香織さん*思い遣る選手 植村さんは、犬が食料に見えた 人間の本能や潜在能力は失われている!自然とは厳しいモノ  



「ピアノ」に戻っていますから、この章は後にします。

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愛知県で活動しているクラウドサッカークラブの運営をしています。
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