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人間も同じ

サッカーや武術の子供たちと接していますと、
「その置かれた場所」に順応してゆくのが、
手に取るように分かります

親から離れ、
助けてくれる存在がなくなると、
自分で生き延びようとします

その中で生きてゆく為に自分がどうすれば良いのか?
何をすれば良いのか自然に分かって適応してゆくのです

例えば、「ただをこねる子」「わがままな子」「直ぐに泣く子」も
何週間で順応する

世間というモノも知らないし、
経験がないのですから当然と言えば当然です

小さなことや些細なことで泣いても、
助けないだけで自分自身というモノに気が付き始め、
己が出来て自立してゆく

厳しさだけではダメで逆も必要


どこかで温かい心に触れますと情緒が安定してゆく感じがあります

内向的な子も徐々に解放されて溶け込んでゆく

大事なのは「大人のユーモア」だと私は思う

子供の心を開放する手段は、常識からはみ出す様なことや、
大人の仄々とした話がいる
また、自由に何でも出来るという喜びを、
本人が実感として味わった時ではないでしょうか*

次は、これがしたい!次は、あれをしてみよう!

大人の役目だと思います

親が何でも子供の前に出過ぎますと、
全て潰れてしまいます

今の様なケンカも出来ない子供の世界は異様
直ぐに親が出てくるのは間違っている

問題が起きて、それをどう解決されて?
どう解決させて行けるのか?
それを経験しないといけない

「葛藤」がいる

何事もやらないと分からないものです
殴ったり、殴られないと「体と心の痛み」は分からんものです

人の痛みも知らくてイイのでしょうか?

よく「憎くもないのに、どうして相手を殴らなきゃいけないの?」と、
武術や格闘技を否定する子供や大人もおられますが、
全くその通りです

正しい考え方

出来れば「人を殴りたくない」「蹴りたくない」

しかし世の中は、
きれいごとだけで渡っていけるほど甘くはないから、
健全に練らなければならない

武術の場合は「相手を尊重し敬う」と言う大前提がある
殴り殴られた後、相手と自分とを向き合わせ納得して治める修行なのです
そして優しさが生まれ、それを更に養う

相手を敬い、尊び思いやる心を芽生えさせられるのは、
指導者の下でやらせないと出来ないことだと思います

憎しみ合って殴り合うだけなら、町のケンカだけでイイ

人生を明るく豊かに生きてゆく為には、
何が必要なのでしょうか・・・

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愛知県で活動しているクラウドサッカークラブの運営をしています。
日々の指導の中で感じたことを綴ります。
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