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8月19日、やっと武術の書き込みが終わりました。さぞかし、あっちこっちと加筆する為に読み難いとお察しします。申し訳ございません。  また、それにも拘らず何回もお読み下さり感謝致します!笑 あっ!思い出したことがありますので、もう少し書き足させて下さい。武術に興味を持ったキッカケがもう一つございました!信じられませんね*笑

山のキャンプ

今回のキャンプも大成功でした! 帰路に立つ時には「帰りたくない」や「二泊三日にして~」という声が沢山寄せられて、疲れも吹っ飛んでしまいました。山のキャンプでは、初めてバーべキュをして私達が焼き、子供達に食べさせました。本当にヤスユキが焼いた物が食べられるのか?という疑いの目を向けながら・・・笑 子供達は優しいですよ*食べていない私達を心配してくれ「先生は?」という声を掛けてくれたり、自分が食べずに、私の口まで肉を持って来て食べさせてくれた子もいたのです*川遊びや虫取り、花火などなど・・・どれも楽しかったのですが、私が一番笑わせて頂きましたのは、バスの中でした!出発の際には、ドアロックがしっかり掛かっていなかった為に、アクセルが途中で固定され動かなかったというアクシデントがありましたが、その他は面白いことばかりでした! その中でも、一番盛り上がりましたのは、私が持って行きました「アントニオ猪木のDVD」を皆で観ていた時です。猪木が攻撃する度に「エーイ!」「エーイ!」と大きな声を出し、ピンチになりますと「イノキ!イノキ!」の大合唱でバスが揺れていたのです。 私が色々知っていることや、戦う背景などを伝えるものですから、過去の試合としてではなく、きっとリアルタイムの試合として感じたのでしょう?こんなにバスの運転をしながら、笑ったのは初めてです。本当に腹が捩れて涙が出ました*

海のキャンプ

海のキャンプも、とても楽しんでくれたと思います。 沢山の魚を見つけたり、また貝を拾ったり、バナナボートに乗ったりと時間を忘れて遊んでいました。ジェトスキーに交代で二人ずつ乗せて走りましたが、エンジンよりも皆の声の方がウルサカッタです!笑「止めて~!止めて~!止めて~!免許持ってんの~???」と叫ぶ子供に、私が「うん!取り立てだけど!!!」と言い、更にスピードUPすると、子供は引きつった顔で「トッ!とり~だ^で~!シム~¥-@?*#%$&♭」と悲鳴を上げていました!笑 また女の子は「ヤメロ~!ヤメロ~!!ヤメロ~!!!」(何故か、男の子が女言葉を遣い?女の子が男言葉でした!笑)と絶叫するのですが、謙譲のお言葉ではないので、聞こえない振りをして、もっとスピードを上げますと「本当にヤメロ」と声のトーンが2オクターブ位下がるのが、笑えました!お母様と一緒だなあ?確かに本気でお母さんが、怒る時は声が低くなりますよね*笑 そういえば後ろに乗っている間、ずーと念仏を唱え続けている子供もいました!笑 今回は、ジェットスキーに乗るということで、皆ライフジャケットを着用させたせいか? 正直に申し上げますと、少し安心な部分がありました。保護者様が同伴していても起きてしまうのが、水の事故です。私達も細心の注意を払っていますが、絶対ということはないのです。毎回、どんなキャンプに行きましても、寿命が縮む思いで帰って来ます。誰か一人でも不幸になれば、私もきっと帰ってこれないだろうと・・・*では、どうしてそこまでの思いをしても行くのか?それは、ただ一つ「子供達の為」だからです。子供達の生まれて来て良かったという生き生きとした瞳*大自然に向かって開放された無制限の喜び*自由を謳歌した姿*同じ仲間との助け合いや自立心が芽生える瞬間など、本当に涙が出るほど尊く感じると共に、変な言い方ですが同じ人間として悲しいくらい嬉しいのです* ご理解頂けますでしょうか?人間極まりますと、逆の感情になるのは何でしょうね?不思議な生き物です。

ケンカ

今回、バスの中で殴った、殴られて泣いた!というケンカもありましたが、特別珍しくもありません。ケンカ大いに結構です。子供の内にケンカの一つもしておかないと、大人になってからが心配です。但し、弱いものイジメに対しては、厳しく叱ります。 高学年の子供達が「バスの中で00君が、00君を殴って泣かせた!」と私に助けを求めるものですから、「ケンカをするのは仕方が無い、それよりもケンカしたら、仲直りの仕方を覚えろ!そんなこと何もしないで先生に何とかして?とは幼稚園の子供のやることだ!自分達で何とかしなさい」と伝えますと、何故か皆嬉しそうにウンウンと頷き「そうだ、そうだ!ガハハ」と笑っていました。その後、直ぐに仲直りして遊んでいました。大人が介入すれば、どちらが悪いとか、お前が悪い!若しくは両方悪い! 何て白黒をつけ解決したつもりになりますが、本当は本人同士が受け入れられたら、それが一番良いのです。理屈ではありません。理屈が通用しないから、ケンカになるのです。大人が裁判官として登場すると余計にややこしくなり、また遺恨も残ります。

携帯電話

ジェトスキーはオートバイと一緒で後ろに乗っている人が体重移動してしまいますと、バランスを崩して転倒したり、転覆してしまいます。 今回も、子供が怖さの余り体重を逆に掛けた為、一度転覆しそうになりましたが、それを避ける為、敢えて私は海に投げ出されたのです。そして、転覆は免れたのですが、しかし携帯電話が海水に浸かり壊れてしまいました*データを移していなかったので、今は連絡先等が全く分かりません?周りの皆さんは「それは大変!」とおっしゃって頂くのですが、本人は至って冷静なのです。B型だからでしょうか?笑 それは冗談ですが、きっと余り携帯電話を大切に思っていないからですね?携帯電話は、とても便利でありがたい物ですが、その反面、便利過ぎて人間の最も大事な秩序とか、規範みたいなモノを壊して行く気がしています。人と話をしていましても鳴ってしまいますよね*相手の場所や状況などを、掛ける本人は把握出来ませんので当然のことなのですが・・・最近も、トイレに入っているにも拘らず、気張りながら電話を受けている方もおられました!笑  そんなことが、気に掛かる私が可笑しいのでしょうか?携帯は道具ですから、人間が使いこなしてこそ、便利な物に成り得ますが、電話に使われてしまっては何時か心を無くして見失うのでしょう?携帯電話を使いながら何かをしている方が本当に多くなりました。携帯に支配されている様に私には映ってしまいます*大事な方や大切な人と過ごしている時は、必ず電源を切り、その人との時間を心から楽しみたいです*時代は変化して行っても、相手を思い遣る心までは変わりたくないものですね。表面的な優しさとか感動的な事、嬉しい出来事や喜びの瞬間などを追い求めている今の日本社会は、偽装的、作為的?人為的なことが蔓延る社会に見えてしまい、冷めた目で見てしまいます。大変失礼かと思いますが、何か大袈裟に映るのですよ?人との係わり方ですら、ちゃんと出来ていないのに、自身に感動的な喜びやビックリする様な嬉しい事などが訪れるのでしょうか?人として正しく生きキチンとする為に、私は先ず携帯電話から注意したいと思います。人間関係を大切にし、良い絆と関係を築きたいと思います。最近の社会は、サプライズ的なことを好むのでしょうが? どちらかと言えば私は静寂の中で、人が気付かないことで喜び、感動を味わいたいと考えています。 更に、人が踏み込んで欲しくないと思われることに対しては、敏感に感じ取り、触れて上げないという気遣いが出来た上で、柔軟な心も持ち合わせて日々を送れる様になりたく存じます。人として、人間として、どういう道を歩めば良いのか?という指針になれる様に何とか頑張ります!心が汚れていますから、無理ですね*反面何とかの方が私にはお似合いと何処からか聞こえて来ました。笑

車の運転

車の話に移りますが、横断歩道や店の入り口で、歩行者を優先に通しましても、携帯電話で話しながらゆっくりゆっくり、歩いて行かれる人が増えています。 更に、その中には睨んでゆっくり通り過ぎて行く人もいるのです!そんな姿を拝見していますと、社会の歪みを感じずにはいられません。全くこちらを見ない人も大変多くなりました*他人に無関心です。待って上げている身にはなれないのですね!自分さえ良ければいいのでしょうか?  私が感じます所、コミニュケーションを取るのが面倒くさいのか、騙したりする人間が多い日本社会なので、警戒心が働いているのか?または、頭を下げれば自身の自尊心が傷つくと考えているのでしょうか?人間、偉そうにしてみても「座って半畳、寝て一畳」です。どちらにしましても、これでは社会がオカシクなるのも致し方ない気がします。私の子供時代が懐かしく思い出されます。横断歩道で手を上げ走って渡りながら「ありがとう」と言うとクラクションで返事を返してくれたり、車の中から笑顔で頷いてくれたことを・・・

子供の気遣い

しかし、クラウドの子供達は大した者です!  誰にでも挨拶はしていますし、何かをして貰えれば必ず「ありがとうございます」とお礼も述べます。フィールドやピッチ、コート、道場などの中だけ礼儀正しくても何にもなりません。社会で役に立ってこそ意味があります。私が柔道を習っていた頃、こんな子供がいました。 道場の中では、礼儀正しく敬語も話せるのに、一歩外に出た途端に悪態をついて、母親に酷い言葉を投げ掛けるのです! せっかく迎えに来てくれたのに、「おっせーわ!」や「うるせー」と*私はビックリして、それからというもの、その子を見る目が変わってしまいました。だからこそ私は気を付けるのです。本当に身に付いているのかを?でも私だけの力では、不足です。保護者様の教育や躾に対する影響力は絶大ですから、是非お頼み申し上げます。特に母親の力が必要です。ご一緒に育まさせて下さい。

情けない自分

私は、何時も分かった様なことばかりを綴っていますが、実際は、反省の毎日を過ごしています。宮本武蔵先生の様に、「後悔は一切しない」という生き方をしたいのですが、至らないことばかりです。本当に情けない*悩み続けて何も出来ないと存在価値すら無い様に思えて来ます。 そんなある時、こんな優しいお言葉を聞きました。確かNHKの番組だったと思いますが、夜回り先生の講演の中で質疑応答があり、そこである女性教諭がこんな質問を投げ掛けられたのです。「私は、情熱を持って教職に着いたのですが、文部省、県、又は教育委員会や保護者の意向などをお聞きしていますと、どうすれば良いのか分からなく、悶々としながら子供達と接しています。こんな教師は失格でしょうか?」と質問されたのです。それに対して夜回り先生はこうおっしゃいました。「そうやって悩んだり、反省している内は教師として失格ではありません。そう考えなくなったら教師を辞めるべきではないのでしょうか?子供達の為に沢山悩んで上げて下さい。大変でしょうけど*」と答えていました。 この遣り取りをお聞きし、私も悩んだり反省している間は、コーチとしてギリギリセーフなのかなあ?と救われた気持ちになったのです。

教育者と指導者

教育者の方々は、同じ人間にも拘らず、何処かで神聖化された存在でしたが、今はどうでしょう?自分本位で先生を動かし、下に見ている様な発言を聞きますと非常に残念な気持ちになります。「今年の先生は、ハズレたわ~」という声に対して「では貴方は当たりですか?」とお尋ねしたくなってしまいます。不平や不満は自身で作ってしまうものだ!と何処かで聞いたことがありますが、満更ウソではないと思います。例えば、誰かを幸せにしようと努力していても、その本人が幸せと感じなければ「幸せ」ではないのですから・・・何をして頂いても、不満に思うことだってある訳で、詰まる所、本人の捉え方次第ですね?教育者の方々の様に指導者やコーチは立派な者ではありませんが、共通点はあります。 例えば、子供達個々の特徴や個性をよく把握し、伸ばして上げることです。 そして、硬く熱い信念の機軸を作り、ブレない様にするのですが、反面、柔軟でしなやかな対応や指導を心がけることが望ましいと私は考えています。相容れない矛盾を素直に受け入れるのです。しかしながら沢山の生徒や選手に携わりますと、なかなか個々の対応は難しいのです。一例を申し上げます。考え方として、私達の指導者の中でもよくあるのが「日本選手には、個人技術能力が欠けているので、とにかく一対一やドリブル中心の指導をしよう!」というモノがあります。その想いが強すぎて、どんな子供にでも、そういう指導をしてしまうのです。指導者の最も大切な部分?個々を見て観て?(見るには二つの意味と視点があるのです。ここでは省略しますね!長くなりますので*笑)子供の長所や個性を見てトレーニングを考えなければならないのに、こうあるべきだ!こうなって欲しい!という信念の型に嵌め込もうとするのです*指導者自身の想いばかりが先行しては、選手不在のコーチングに陥ります。子供達が一番不幸ですね*ホントに可哀想です。この様なことは、保護者様や子供達には見え難い部分です。私も偉そうに申し上げていますが、個々の指導が本当に出来ているのかと言いますと疑問です。 しかし、そう出来る様、努力していることは事実です。 全ての子供達に繋がる、オールマイティーな良い練習は無いのかも知れませんが、特徴や長所を活かすべくメニューを考え、日々変えています。 今日は、ドリブルの得意な選手の為になるメニューを行ったり、明日は、パワー不足だが器用な子のメニュー!明後日は、パワーはあるが細かいことが苦手な選手のメニュー!などなど・・全て苦手を克服する練習ではなく、優れたところを伸ばすことに重点を置きます。 何故なら、欠点に目を向けるよりも、長所を伸ばした方が、結果的に欠点の底上げが出来る上、選手本人も楽しく意欲的に練習出来るからです。どんなことでも「意欲的に取り組める」には敵いません。全てを一変に引き上げようとしても上手く行かないのではないのでしょうか?私の場合、あれこれと色々な練習をしていますので、一見ランダムな指導に見えてしまうことも、あるのかも知れませんが、その都度、この練習で培って欲しい子供達には、必ず質問を浴びせて聞いたり、感じたことを言ってもらいます。また、もし意見を言ってくれなかったとしても、表情を読み取っているのです。 手法は臨機応変ですね!試す中で思わぬ効果があったり、子供の答えから良いアイデアが突然浮かんで来ることもあるのですよ!でも、ここで疑問が湧いて来る方もおみえになりますよね?そう!そのメニューに合わない選手達のことです。その答えも用意しています!笑 ではそのメニューに合わない選手は全然役に立たないのか?と言いますと、そうではありません。諸芸や多芸を知ることは、向上する源だと思います。逆のご説明をしますと、自分の得意技を持ったり、磨いたりすることは良い事ですが、それに固着すれば「自由を失う」ことにもなるのです。サッカー以外にも目を向け様々なことを知り、身を以って経験することは、一番大切なことだと思います。きっとそこで新たな自身の発見もあるでしょう!私は、人の指導や教える姿を拝見していまして、何時も深く考えてしまいます。関与するべき所と、関与すべきでない所の見極めを?良いことは善いことにあらず、悪いことはアクに成らずという戒めを胸に?見えない子供達未来の創造を想像しながら?・・・教える立場の人間は、教えている内に、自身を見失い易いので気を付けたいと思います。

私学の校長先生

先日、元公務員の方が当事務局にお越しになり、こんなことを教えて下さいました。それは、ある進学校の私立高校に気概のある先生が、校長として赴任されたのだそうです。その先生は進学校であっても、音楽や体育を取り入れ、健全に育むことを理念に掲げたそうなのですが、しかし、物凄い反発を保護者様方から受けてしまいました。何度も何度も、説明会を開き粘り強く説得しましたが、結局一年近く纏まりませんでした。しかし、その校長先生は、折れることなく、ある決断をして、最後の話し合いに臨んだのでした。保護者様方の「私達は、勉強を第一に考え努力して、この進学校に入ったのです。それをいきなり方針転換されたのでは、何の為に入ったのか分からない!」と譲らない方々を前に「そうですか、私は、子供達の将来を真剣に考え、より良い教育の在り方により生徒を導こうとしているのです。しかし、その趣旨をどうしてもご理解して頂けないのであれば、残念ですがお辞め下さい」と話されたそうです。そのお話を聞いた私が「立派な先生ですね」と言いますと、更に校長先生は後にこう述べられていたと教えて下さいました。「もし、公立高校であれば出来なったことでしょう?私学だからこそ出来たのです*」と・・・終わります。
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愛知県で活動しているクラウドサッカークラブの運営をしています。
日々の指導の中で感じたことを綴ります。
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