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剛柔流空手の話の終わりが、少し宗教的になってしまいました。ちょっと肩の力を抜いた話題に移します。しかし、まだまだ加筆したい所もありますので、話の方向性が定まらなくなると思いますが、ブログですのでご容赦して下さい。 

バナナボート

皆様、この度私は、小型船舶免許を取得する事にしました。その理由は、毎年夏のキャンプにバナナボートを持って行くのですが、子供達を沢山乗せて何時も人海戦術とは違いますが、人力で私達が手で引っ張っているのです!笑 体力の限界までやり続けていますが、そんな私達の過酷な重労働を他所に、子供達はこんな優しいお言葉を掛けて頂いています。「もっと速くしてー」「止まったらイカン」「あの島まで行ける」本当に感謝致しております*泣 もう本当に、馬車馬の如くと申しましょうか?フランダースの犬のパトラッシュが鞭で打たれながら重いリヤカーを引いている感じなのです*笑 早くネロの様な優しい飼い主に拾われたい!アハハ そんなことはないですよ*自然の中で一緒に思い切り遊べることが、どれだけ嬉しく感じているのか言葉では到底表せません。バナナボートに乗っている子供達の姿をお見せ出来ないのが残念です。

動物と人間

直ぐにまた、堅苦しい話題になってしまいます。根がそういう性質なのでお許し下さい。「人間至上主義が人類を滅ぼす」様な気がしています。大抵の人間はペットを飼うとその動物を自分より下に見て支配しますが、私は何時頃かはハッキリと覚えていませんけれども、同等に見ることが当たり前になっていました。今は、それ以上と言うか?同じ動物として尊敬しています。その一番の理由は、怪我や病気をして、それがどんなに痛く辛いことであっても我慢しているからです。本当に偉いなあ*と心底思います。人間=ヒトは、地球上の全てを支配し、その頂点にたったつもりで、自分勝手に屁理屈をつけて正当性を主張し、利己的に生きながら、その顛末の結果に驚き!自ら構築した論理や考えに縛られて悶え苦しみ、解決法を見つけては新発見したと驕り、元の木阿弥に辿り着いていると私は感じています。変ですかね?私が一番変でした!笑 先日も深夜、自宅で武術の勉強中に偶然、NHKのテレビ番組で温暖化によって北極熊が餓死しているドキュメンタリーを観ました。

別れ*

熊が氷の割れ目で、痩せ衰え餓死している姿を見て、当然のことながら悲しい気持ちになりました。しかし、白熊からすれば、そんな私の気持ちなどは、どうでもよいことなのだと想い至れば、驕った人間の考え方、即ち私自身を映し出し恥ずかしくなります。別れと言いましても、色んな別れがありますが、究極の別れとは死別でしょうか?幼少の時から、様々な別れを経験していても、人間は悲しみからは逃れられません。 転校する友達との別れ、ペットの死、祖父や祖母との別れなど沢山ありますよね*私は、何時頃からか定かではありませんが、余り悲しむことが無くなったのです。どうにも出来ないこと、どうにもならないことに対して、素直に受け入れることが知らず知らずの内に身に付いていました。 時々そんな私は、周りの人に冷たく感じさせてしまうこともあるようですが、それも仕方が無いことだと納得しています。小学2年生の頃、祖父が死に初めて人間の死を目の当たりにした私は、「死」というモノを恐れ、夜も寝れない日々を送ったことがありました。今なら、聞いた事の無い横文字の病名を付けられるのかも知れません?ケアが必要と言われたかも?笑 ケアよりもヘアーが欲しいです!笑 本当はケアすることよりも乗り越える逞しさを養いたいものです。他人や周りの力を借りずに自分自身の力で・・・死の恐怖心から、夜中にガスの元栓を閉めに行ったり、ストーブの火が本当に消えているのか何回も何回も確かめたりしていたのです。笑 でも、よく考えなくても解ることですが、生き物は皆、生まれた時から、死に向かって生きて行くモノでした。人間も動物も昆虫も皆同じで、別に特別なことではなかったのです。一人で生まれ、一人で死ぬのですから*恥ずかしいのですが、恋愛の別れについても少し触れますと、二十歳を過ぎた位でしょうか?男女関係に対しても、私自身の考え方や、考えなくてもそうしてしまう本能に疑問や矛盾を持ち悶え苦しんだことがあります。別れを悲しむとはなんだろう?きっと心の裏側や芯には、自分のことが優先的にあるからではないのか?どうして、同性の親友の様な許容範囲の広い考え方が出来ないのだろう?と・・・執着心であったり、現状維持的で邪な心の表れだと思い至りました。 そして、そんな苦しみから脱却した時には、雲と雲の間から空が見える様な清々しい気持ちになり、考え方が全く変わっていたのです!独占欲の強い私から、独占欲の無い自分に!本当に相手を大切に想うのであれば、自由にさせてあげることだと考えた時、別れはそんなに悲しくなくなったのです。そう格好を付け考えながらも、無情的に思われてしまうと切ない気持ちになります。誰でも、寂しい気持ちは変わりないのですから・・・永遠に変わらぬという不屈の心や想いというモノを持ち合わせ、体現出来る人間として生きて行きたい。

赤い疑惑

恋愛と申しますと、私の心に深く刻み込んだと言いましょうか?影響を与えたモノの中に「赤い疑惑」というテレビドラマがあります。百恵ちゃんと友和さんですね!多感な思春期に観たこのドラマは、沢山のことを考えさせてくれました。人を好きになるとは何だろう?大切にするとは何だろう?愛とはどういうこと?などなどです。欧米では「愛している」と頻繁に言える文化がありますが、アジアでは心の奥に秘め、押し殺した感情を美しいことと捉えていました。今はどうでしょう?双方を比べて見れば、私は、後者の方が普遍的な強さに感じます。最近は、日本でも欧米化が進み離婚率が高くなりましたが、昭和の時代までは違っていた気がします。私が中学生の頃、こんなことを考えていました。テレビで欧米人が「愛している」と出勤前や電話を切る度に連呼する場面を観ていて、「ウソっぽいなあ?」義務的に言わされているようだ?と感じたことと、相手が満足する言葉を用いて安心させている様に映ったのです。 身近な私の周りでも、よく喋る人や何回も同じ事を繰り返し言う人などは、信用されていません。無口で不器用な人の方が信頼されています。言葉は、コミニュケーションを図る道具の一つですが、遣い方次第で美しくもなり、醜くもなります。言葉は便利ですから、何とでも言えてしまいますよね?詐欺師は、それの最たる者です。もう一つの疑問は、どうして愛していると沢山言いながら、離婚してしまうのか?本当に不思議でした!  愛するとは、もっと違う本質の意味だと考えますが、どうでしょう?自分の都合の良い様にさせてくれるからとか?満足を満たしてくれる?オレが幸せになれるとか、全て自分中心ではないのかなあ?と感じます。反対に別れる時には、こんな人だとは思わなかった?裏切られた!性格の不一致や価値観の違いなどと、原因を相手に押し付ける様なことをお聞きしますと、自分の責任や判断はもとより、自身の人格をも否定することに繋がるのになあ?と思えてしまうのです。結婚をしたことがない私が知った様な事を申し上げてはいけないのですが、客観的に捉えられる立場であるのも事実です!笑 間違っているのかも知れません???以前、ある相撲取りが若い女優と婚約をしていたのに、ある日、突然破局してしまったことがありましたね!その後、テレビの記者会見で「もう好きではなくなった」と言っていましたが、私は男としてとてもガッカリしました* 好きになるとか、結婚しようとの言葉は、一体何だったのでしょう?相手に対する仁の心や、言葉の重みが微塵も感じられませんでした。人の人生を自身の軽い気持ちや思いで、左右してしまってはいけないと考えます。赤い疑惑のある場面で、お母さん役の渡辺美佐子さんが、幸子役の百恵さんにそっと教えていました。「お母さん、私とミツオさんはね~楽しい事も苦しいことも、分けあって心の底から信じ合える二人だと思っていたの?でも違ったわ*私には何も打ち明けてくれずに何処かに行ってしまったのよ!私、振られたのかなあ*」と言う幸子に対して、お母さんは、真剣な眼差しを向けながら諭す様にこう答えていました。「幸子は、もう17歳だから人を好きになったり、愛したりすることは、ちっともオカシクないけど愛を育てるには、まだ少し若過ぎるかなあ?いくら自分が好きだからといって、心の中まで全部頂戴っていうのは無理よ!男の人にはねえ、女の人を愛する部分と、自分ひとりで自由に生きたいという部分と、両方あるの?それを解ってあげるのが大人の愛よ*」私は、このシーンがとても強く印象に残っています。深く考えさせられました。自分は男ですから、尚更骨身に沁みたと思います。

陰と陽

感情の起伏について取り上げますと、例えば何かのスポーツで勝利した時に、「勝ったぞ~!」とオーバーアクションで表現すれば、早く醒めて行く気がしますが、内に秘めたモノは後から後から、その喜びは大きくなり長く続くと思います。デッサンを描く時に自然光を当てながら、影を付けて行きますと描くその物が浮き上げって見えて来ます。目を細めて見えないモノを見ようとしなければ、真実は見えないのかも知れませんね?

意地

私が、高校生の時、担任の先生に一度だけ褒められたことがありました!一度だけ*笑  とても男気のある立派な先生で、本物の教師だと今でも尊敬しています。そんな先生が、私の事を友人達に「あの男は、今では珍しく意地がある奴だ」と言っていたと教えてくれたのです。どんな所を見て、そう思われたのかは分かりませんが、確かに価値観が皆とはズレていた様な気がします。 皆がどうでもいいと考えることが、大切に思われたり、皆が執着することには、逆に拘らなかったりという変人だったのでしょう!笑 ですから恋愛に於いても、そうなのかも知れませんね?自分の感情に押し流されることに対して、変な意地で抵抗しているのだと思います。自己矛盾の中で苦しんでも、痩せ我慢や強がりを押し通せば「意地」と成り、きっと新たな道も開けます。私は自分の弱さに負けたくない。

後の先

武道や武術の世界には、「後の先」という言葉があります。 先手必勝という言葉もありますが、先に仕掛けたからといって全てが有利に働きません。しかし、スポーツの世界では、先に攻撃をしますと、相手は守らなくてはなりませんので、少し武術とは違うのかも知れませんね?テニスでもサービス権がある方が有利です。また、守り続けることは攻撃し続けることより、とてもシンドイと思います。後の先とは、隙の無い相手に対して体を崩させようと、先方が先ず動き間合いを図って来ます。例えば、相手の利き腕の遠い方に動いたり、太陽を背にしたりという、有利な局面にしようと先に行う相手の戦法です。しかし、その動きに対して自身は俊敏に対処し、先の動きを制することそのものが「後の先」です。最近の子供達を見させて頂いていますと、生き急ぐではありませんが、先に先にと知り急ぐ傾向が見受けられます。先に知り得たからといって全て上手く行かないと考えますが、世の中の流れは変えることが出来ませんね?一番不幸なのは、子供達です*急ぐ事のみに囚われますと、新幹線で旅をする時の様に目的地までは、早く辿り着きますが、周りの風景や空気、情調などは全く感じることは出来ませんね?鈍行であれば、ゆっくりと時間が流れ、その土地柄や雰囲気など様々なことを体感出来ることでしょう?早く走れば風景は見えません。それと同じ様に物事の始まりと終着点までには、様々なことがあります。初めと終わりを知っただけでは、本当に知り得たこととはなりません。またその中には、裏もあれば側面もあり底もあります。更に、ある人に良い事と思われることであっても、その裏では泣いている人だっていることもあるのです。オールウェイズの映画の中でも、冷蔵庫が初めて我が家に来て、皆喜んでいるにも拘らず、その影で氷屋さんが、寂しそうにしている場面もありましたね* コインの裏表です。私の願望は、子供達にそういったことも分かる幅の広い捉え方や感じ方が出来る大人になって欲しいと思っています。慌てて急いでいては育めません。大切なことは、後でも先でもなく心持ちが泰然自若としていれば、沢山のことを感じ取らせながら成長を促して行けるのではないのでしょうか?私は、そんな指導者を目指して行きます。



塾の批判をする訳ではありませんが、この前、子供にこんな質問をされました。「どうして、ヤスユキ先生は塾が嫌いなの?」と・・・「嫌いなのではない。好きではないだけだ!笑 先に知ってたり、解っていたら勉強が面白くないじゃない?」と言うと「先に知っているから良いんじゃん!どうしてそれがいけないの?」と申しますので、私も真剣になりこう答えました。 「学校の先生や何かを教える人は、きっと遣り方や答えを教えるだけではなく、こんな教え方をすれば勉強がもっと楽しくなるだろう?とか、身近なことを取り上げ授業に絡めたら、色んなことに興味を持ってくれるだろう?とか、こんな練習問題をやらせてみたら、生徒が自分で工夫することを覚え、応用力が身に付くだろう?などなど沢山お考えになりながら準備をしておられると思う!それが、予習として先に塾でやってしまえば、あっ!それ知っとるもんで~となって、授業が台無しになるからだよ」と答えました。更に「子供は、皆同じスタートラインで競い合うのが、フェアじゃない?50メートル走で誰かだけが、スタートラインより前からのスタートだったら、他の子はどう思うのか00くんでも分かるよね!だからと言って塾がイケナイとは思わない。良い塾の先生も沢山います。 だけど自分で予習することと、塾で勉強することとは全然意味が違う!何故、私がトレーニングメニューを毎日変えているのか分かる?毎日違うでしょう?それは、人間誰しも知っていることや、分かっていることに対しては集中力が保てないのだよ*子供でも大人でも一緒なんです!映画や本と同じで結末が分かっていたらつまらないよね~」これは、子供に伝えなかったのですが、塾は出来ない所をもう一度教えて貰える場所であって欲しいのです。先取りするよりも・・・勉強する意味は何でしょう?良い学校に入る為だけで本当に良いのでしょうか*最近、塾のCMで何時も溜息が出てしまうモノがあります。「今直ぐ成績を上げたいとか、ワンクラス上の学校に行きたい~」こんな台詞で親や子供を勧誘してしまえる社会に明るい未来を感じられません。

生徒獲得や評判

私の身内やその友人達と、塾について話をしていた時のことですが、その中で、あるお母様が、あの塾の先生は娘のことを、よく見ていてくれる!と大変喜んでおられました。その詳細をお聞きしている内に私は、営業戦略的な部分を感じ受けてしまい、懐疑的な気持ちになってしまいました。それは、以前クラブの運営をご心配して下さる方が、私にアドバイスをしてくたことがあったからなのです。助言に対しましては、本当に感謝しているのですが、クラブの方針や信念を貫きたいと考え、取り入れさせては頂かなかったのです。簡単に申し上げますと、親の良い評判を得る為の方法として、個人面談を行い、お母様が気が付かないと思われることを中心に、先ず褒める箇所の話をして、その次に修正したい所を申し上げるのだそうです。そうすると「こんな所まで見ていて下さる!」とか「一生懸命にやってくれる先生でありがたい」などの高評価をして頂けるのだそうです*残念* こんなことを考えてしまうのも、やはり商売だからですね*昔、国の在り方として、教育や医療、宗教にはお金を掛けてはならない!と言われていましたが、今の日本は、残念ながら全て逆です。私も人のことは言えません。どんな理由付けがあろうと、運営方法や金額がいくらでも、また例えボランティア活動をしていても、一円でも頂いていれば言い訳出来ないのです。

ある評判の良い先生

名古屋のある評判の良い先生のお話を伺いましたので、少し差し障りの無い程度に話しますと、その先生は、新学年が始まる懇談会の席で、ご自身の経歴を詳細に述べられ、如何に自身が経験豊富であるのか!ということを力説されていたそうです。それから暫くして、何故評判が良いのか?気が付いたと教えて下さいました。それは事あるごとに、どんな小さなことであっても、直ぐに保護者に連絡するそうなのです???今の時代、こういう風に対応することが、受け入れられるのですね*小さな事でも過敏に反応すれば、子供達もそうなってしまいます。その影響力を大人は考えなければならないと思いますが・・・例えば、ケンカしたら、直ぐに先生に言う!直ぐ親に言う!これでは子供が、自分で解決する方法を何時学ぶのでしょうか?また違う学校のお話では、あの子がイジメられたと言って、どんな風に虐められたの?と聞くと、「ひざカックン」をヤラレテタ!なんていうこともお聞きしましたが、これでは、遊ぶことも出来ないのではないのか?と可哀想に思います。5年くらい前のことですが、私のスクールの中でも、こんなことがありました。ゲーム中に風が吹き小さなアルミのゴールが頭に当たって、皆で笑い転げたことがあったのですが、当たった子供は、多分それを面白いつもりで家で話したのでしょう?その次のスクールの時に、お母様が真剣な顔をしてお越しになり、「何故伝えてくれなかったのか?教えて欲しかった!」などと言われたこともありました。その子は、そんなつもりは無いのに?という顔を私に向けながら隠れる様にしていました。これも可哀想な話です。人の評判は分からないものですね?その人には良いことが、そのまま自身にとって良いことにはならないこともあります。大人には、子供達に自己解決能力を育む義務があると思いますが、つい知らず知らずの内に、自身に責任が及ばない様にとか、後で突っ込まれない様にする為、連絡を逐一入れてしまうのでしょう?本当にそれが、指導者や大人のするべきことなのでしょうか?そんな指導者には成れませんし、成りたくもありません*指導者や大人が泥を被ったって良いではありませんか?そんなこと大したことではありません。命までは取られませんから!笑 どっちに向いて指導しているのでしょう?保護者や大人に目を向けるのではなく、子供第一で考えて当然だと思います。批判めいたことですみません。本音で書いてしまいました。私に対しても相当なことをおっしゃって頂くこともありますが、子供達の為だと思い忍の一字で耐えています!笑 学校の先生方も頑張って下さい。大分県の事件で、何かと肩身が狭くお感じになられることも、あるかとお察し致しますが、それはそれですよね!役に立ちませんが応援しています。


武道体験会

今度、武道体験会というモノを行います。それは、私が今まで学んだ様々なことを子供達に伝えれば、きっと何かを感じ取り、新しい世界が広がるのではないか?と思うからです。以前から行いたいと考えていながら、なかなか実行に移せなかったのですが、やっと実現出来そうです。しかしながら私も未だ修行中の身ですので、大したことはないのですが、試行錯誤しながら子供達と共に成長させて頂きます。 今回は限られた子供達だけですが、出来ればクラウドの子供達、全てに機会を設けたいと思っています。自主自由参加です。見学は自由ですので、お時間のある方は見て頂いて構いません。7月5日(土)午後6:30~8:30まで 場所は瀬戸市武道館です。(体育館南 交通公園側 突き当たり奥)

当たり前の事ほど継承されない

「基本」というモノについて、私なりの考え方を剛柔流の中で、少し触れさせて頂きましたが、昔の方々が培って来た、言わなくても解ることや当然のことなどの基本技術や知恵は現代人が思うほど伝わらないのだなあ?と感じています。文化の衰退、消滅!それは、時代の流れから来る大きな変化によって消え去ることがあるのだそうです。武術にしても、外国から拳銃が入って来たが為に、考え方が一変してしまいました!それは、刀を抜いている間に、撃たれてしまいますから、剣術などは因循姑息に映り、忘れ去られてしまったのでしょう?陶器の作り方にしても、効率性や利益を最優先するが故に、伝統的な技術は受け継がれませんでした。昔の技法は、手間が掛かった上、また徹夜で窯の番をしなければならない作業なども時代遅れとなったと思われます。何でも直ぐに出来て、楽をして沢山の利益を得る知恵の結果が、前述したものなのかも知れませんね?利便性や効率性を追求して、豊かになりますと裏側では人間を精神的に歪んだ心にしてしまうのかも知れません?「散切り頭を叩いて見れば、文明開化の音がする!」との本当の意味は、外国のモノに目が向き過ぎて、足元を見失っている日本人を皮肉って言われていたのかも?と考えるのは、私だけでしょうか?

ロボット

先日、ボート免許の試験日に、ある自動車会社の方々が沢山来ておれれました。その人達に教えて頂いたのですが、流れ作業の工場作業員の自殺者が非常に多いことや、精神的に病む人も沢山いるお話を聞きしました。同じ作業の繰り返しや、三勤交代制による夜間勤務で、ご病気になられるとのことでした。悲しいことです*私は、便利なことや過剰な効率性、大きな利益になる様なことを好みません。それは、人間を堕落させてしまうからです。よく祖母が言っていました。「暇や楽を覚えれば、人間はナマカワになってしまう!」と・・人間がより豊かになる為に、手伝いをさせようとロボット開発が盛んに行われています。私が子供時代には、ロボットは子供達に夢を与えるモノでしたが、現在は方向性が違う様に感じます。子供よりも、大人が夢中ですね*大人のロボットに対する夢は、何か危険なことをさせて従事させたり、戦争の道具にして、人間自身は隠れてロボットに人を殺させます。アトムはナント言うでしょう?人間が楽することを考えられた製品がヒットする世の中は、人間らしさを失うのですね*人の気遣いや手間が掛かったモノを尊く思える人間でいたいと思います。

祖父と祖母

私が尊敬する大先輩は、お孫さんとお食事をしている際に、こんなことを注意したそうです。それは、先にオカズの大きい物を取るお孫さんを戒めたお話です。「どうして、最初に大きな物を取るのか?自分の食べられそうな物を取って食べ、それでもまだ足りなければ御代わりをすれば良いだろう」と・・・こんな風に叱って貰えるお孫さんは幸せですね*私もお爺さんとお婆さんがいる家庭で育ちましたので、各家族では味わえない事も沢山学べたと思います。価値観の幅を育むことは、お金では買えません。この叱るの中には、足るを知ると言うモノや、羞恥心や欲、自分よりも人への気遣いなどの教えが一杯詰まっています。 「ありがとう*お爺ちゃん」と言うお孫さんの声が聞こえて来そうです!***

ボート免許合格しました!ご心配頂いた方々に御礼申し上げます。  
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