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誰しも、一つや二つは、
不思議な体験をされたことはあると思います

私も数度ある

怖い話もありますが、
あっ!良かったなあと思えるものもある

気のせいならイイですけどね!笑

猪木さんの話は有名

力道山さんが亡くなった夜から、
一年半の間、夜足元に立たれ続けた話です

https://youtu.be/EZkf-fIpSUg


地方回りの仕事の方は、
旅館やホテルでよくあるみたいです
長州力さんの話


https://youtu.be/oNYow-Jzf50


三島さんの話も有名です


川端康成さんの自宅に首のない軍服姿で毎晩
奥さんの話を読んだことがある

その川端さんも自殺して亡くなった
それも不思議なことが沢山あったと・・・


1972年4月、一人の男の葬儀が行われていた。
故人は川端康成。
日本で初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成であった。
死因はガス自殺とされた。
仕事部屋として使っていた逗子のマンションで遺体として発見された。
僧侶の読経が始まる。
と突然中央の僧侶の身体が大きく揺れた。
何かに突き飛ばされたかのようであった。
この動きが読経中に何度か続く。
参列者の中にはこの動きに気付き不審に思った人もいた。

 読経が終わり中央に座した僧侶が故川端康成の夫人、秀子氏を部屋の隅に導き話始めた。
「出来るだけのことをしましたが、首を据えるとこまでです。
憑いている霊が強過ぎます。
私に出来るのはそこまでです。」
この葬儀には実は三島由紀夫も列席していた。
ただし、亡霊として。

三島由紀夫はいわゆる三島事件で、すでに死亡していた。

 1970年11月25日。
川端の死の1年半前。
三島は自分がスポンサーとなり作った民族派団体の盾の会のメンバー4名と東京新宿区市ケ谷の陸上自衛隊東部方面総監部を訪問する。
アポイントはとっていた。
そして突然益田総監を人質にとり、総監室のバルコニーから自衛隊にクーデターを呼びかける。
しかし同調する自衛隊員は一人もいなかった・・・。
三島はヤジと怒号の中総監室に戻る。
そして切腹し、果てる。
その後すぐに川端康成は現場に駆けつけている。
現場は血の海で三島の身体と介錯を受けた首はバラバラに部屋に転がっていた。
警察による現場検証の前であった。

 川端康成は三島由紀夫の師のような存在であった。
文壇へのデビューを手助けし、仲人も引き受けている。
こういった訳で三島はたびたび川端の鎌倉の自宅を訪れていた。
それがこの後も三島はたびたび川端邸を訪れる。
亡霊となり。
秀子婦人はこう証言している。
「三島さんが訪ねてくるんですよ。
それが惨めなお姿で・・・。」
前述の僧侶の言葉から察するところ、離れた首を抱えての訪問だったようである。
川端家では何度かお払いをした。
しかし効果は無かった。
それは三島の霊ではなく、三島の霊にさらについている霊が非常に強力であった。
どこかの段階で三島由紀夫はもう一人後見人をつけてしまったようである。
川端は三島の葬儀に際しても葬儀委員長を務めている。
その時の三島由紀夫への弔辞
「葬い、即ち生きている者が死んだ者を葬うとはどういうことであるか。この意味は私はよくわかりませんが、死者をして死者を葬らしめよ、という言葉があります。三島君は多くの人の中に、また或いは歴史の中にも生きている、ともいえるとおもいます。」


 何を言っているか理解できるだろうか?
前半の言葉は枕言葉として、
「死者をして死者を葬らしめよ、」とは何だろう・・・?
「三島君は多くの人の中に、また或いは歴史の中にも生きている、ともいえるとおもいます。」とは何を意味しているのだろう・・・?

 三島事件の起きる1970年の三島家での新年会。
そこには大勢の著名人達も訪れていた。
三島は酒でかなり御機嫌であった。
訪問者の一人に三輪明宏もいた。
三輪は天草四郎の生まれ変わりを自称し、霊感が強いといわれていた。
その三輪が三島の背後に青い影を見た。
三輪は三島に叫ぶ。
「三島さん後ろに誰かいる! 」
三島はおどけて答える。
「いったい誰だい。その物好きなヤツは。 」
三輪は続ける。
「軍服を着ている。2.26事件の関係者かしら?・・・ 」
しかし三輪は2.26事件のことにはあまり詳しくなかった。
三島が2.26事件関係者の名前を一人一人挙げていった。
そして三島がある名前を挙げた時、三輪は叫んだ。
「そう!その人!!」
三島の顔色は一瞬で真っ青になった。
三島がその時挙げた名前は「磯部浅一(あさいち)」。
2.26事件の中心的人物だった。
この人物がいなかったら2.26事件はおきなかったのではないかともいわれる人物である。
実は三島自身にも思い当たるふしもあったのである。

 2.26事件は軍部の一部青年将校達が財界、政治家、官僚の腐敗していると考えた輩を排除しようとした事件である。
1936年2月26日であった。
青年将校達は軍事グーデターを起こし、現人神である天皇の基で世直しをしようとした。
それがあっさり昭和天皇から否定され賊軍として鎮圧される。
失意の内多くの青年将校は銃殺される。
それでも皆最期は「天皇陛下バンザイ!」と唱えて死んでいった。
一人を除いて。
磯部浅一はクーデターを天皇から否定されると、間違っているのは天皇だと開き直った。
天皇を否定した右翼は思想のベースを何におくのだろう・・・?
磯部の存在は現在に至るまで右翼のタブーとなった。
そして磯部は「天皇陛下バンザイ!」を唱えず銃殺された。
成仏することも拒否して。
磯部の獄中日記より。
「 何ヲッ! 殺されてたまるか。死ぬものか。千万発射つとも死せじ、断じて死せじ。死ぬる事は負ける事だ。成仏することは譲歩することだ。死ぬものか、成仏するものか。悪鬼となって所信を貫徹するのだ‥‥。」

 三島は2.26事件をおこした青年将校達に共感した。
そして「英霊の声」を書いていた。
それを書き上げた際三島は原稿を出版社に渡す前に母親にみせている。
母親の平岡 倭文重(しずえ)は語る。
「一度読んで、これは息子の書いたものではないと思いました。
それで息子に問いただすと。息子はこう答えました。」

「夜中書斎で原稿を書いていると、どこかからか声が聞こえてきて、手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべったんだ。
自分の意思で止めることもできなかった。
後で手直ししようかと思ったが、それも出来なかった。」


 「英霊の声」より

  「‥‥利害は錯綜し、敵味方も相結び、
  外国(とつくに)の金銭は人を走らせ
  もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、
  邪(よこしま)なる戦のみ陰にはびこり
  夫婦朋友も信ずる能(あた)わず
  いつわりの人間主義をたつき(=生計)の糧となし
  偽善の団欒は世をおおい
  ‥‥魂は悉(ことごと)く腐食させられ
  年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
  道徳の名の下に天下にひろげ
  真実はおおいかくされ、真情は病み、
  道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく‥‥
  ただ金よ金よと思いめぐらせば
  人の値打ちは金よりも卑しくなりゆき‥‥
  烈しきもの、雄々しき魂は地を払う‥‥
  天翔るものは翼を折られ
  不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う
  かかる日に、
  などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」

 三島は磯部浅一の霊に取り付かれた。
いや呼び込んだといった方が正確かも知れない。

 これで川端康成の弔辞の意味が分かる。
「死者をして死者を葬らしめよ、」とは
「今は死者となった三島よ。お前の力で磯部を成仏させよ。」
という意味だと思う。
また、
「三島君は多くの人の中に、また或いは歴史の中にも生きている、ともいえるとおもいます。」
とは、
「2.26事件という歴史的事件の影響で三島も死んでいった。
しかしその三島や青年将校達の純粋な志は皆の心の中に生き続ける。」
という意味だと思う。


 三島事件から40年以上が経った。
川端婦人も三島婦人も故人となられ、今まで遠慮されていた方々も少しづつ事情を明かし始めている。

 菊池寛は自らの幽霊体験に対し他の人がとやかく言うのにこう言い返している。
「幽霊がいるとかいないとか議論してもしょうがないじゃないか。
幽霊は出るだけで充分だ。」


      三嶋バルコニ^_2

思想はどうであれ

己を捨てて

世のために行動する人

その魂は強い







私の父がよく言っていました

あの2.26事件の人たちは、

みんな優秀で思想の高い立派な若い人たちだった

殺さない方が日本のためになったんだと・・・



最期に天皇を批判した一人

偉い人だったと思います

浅一さん


その頃の天皇は、ボンボンで毎日ゴルフとマージャンに明け暮れていた
一部の財閥は、戦争で大儲け

しかし、農村の貧しい人たちは、
姉が売られて、妹も売られてた
そんな日本を変えようとした
それが226事件

カネや私利私欲でマミレていた
えせ共産国



https://youtu.be/atkSuIkL1ow


この男ふたり 不思議な感じがする


https://youtu.be/ZuffNZQAbpM
首相官邸に現れる亡霊


官邸に住まなかった安部さん
怖かったんでしょうね?

カネまみれだったからかなあ?




https://youtu.be/-CAnVEMbkyE


自身の為から離れることの出来る人




自分より世の為に

そんな善神が認められなく

世の為に命を懸けたことが、
公に否定され、また天皇を信じてやったことが
「逆賊」とされ、
更に悪者として殺されれば「善神」から「悪鬼」に変わる

平将門さんも、磯部浅一さんも、三島由紀夫さんも同じなのでしょう

私はそう感じます

皆さんはどうですか?

悪鬼もテロリストも元は悪ではない


本当に恐ろしいのは、悪ではなく

善から悪に変わった時ではないでしょうか?

無欲の魂は強烈なモノになる




https://youtu.be/_oNMABlVRtM

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