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「一時保護所に行くぐらいなら死ぬ」
一時保護所の処遇の問題を指摘する声は、入所した子どもたちからこれまでも上がっていた。
親からの虐待で家出し、今年、都の一時保護所で数日過ごした少女(17)は「入所の時、下着まで脱ぐように言われ、裸にして調べられた。恥ずかしかった」と振り返る。小さな部屋から出ることを許されず、トイレに行くのにも職員に断らなければならなかったという。「一時保護所には二度と行きたくない」と話す。
この一時保護所を運営する児相によると、入所の際に、体にあざや傷がないか確かめるため、職員と1対1で下着も含めて着替えさせているという。児相は「最低限の確認と考えている。『恥ずかしい』という子がいれば記録に残し、共有している」とする。
これについて、西日本にある児相の職員は「どんな言葉がけがあったかわからないが」と前置きした上で、「子どもが不快と感じたのなら、それを重視するべきだ」と指摘する。この児相では、幼児なら傷の有無を確認するために職員が手伝って下着も含めて着替えてもらうが、ある程度の年齢になれば傷やあざを確認する必要がある場合にはその必要性を説明し、子どもに了解をとるという。
意見書で指摘されたような一時保護所での処遇は、都に限らない。
「ここは自由が何もない」、「さみしいし悲しい」…。意見書には、第三者委が聞き取った、子どもたちの悲痛の声が数多く記されていました。
刑務所みたいなところだった――。千葉県野田市で虐待死したとされる栗原心愛(みあ)さん(当時10)が父親からの虐待を訴え、1カ月半保護された「一時保護所」。7年前、心愛さんとは別の県内の一時保護所で4カ月間過ごした女性が、その実態を語った。女性はいま、虐待された過去と向き合い、乗り越えようと前に進み続けている。
女性は都内の大学4年生、りこ=仮名=さん(21)。県内の児童相談所(児相)の一時保護所で、2011年12月から暮らした。中学2年だった。夜は雑魚寝の幼児たちが廊下にまであふれた。外出はできず、大好きな学校にも通えなかった。
最もつらかったのが、「個別」と呼ばれる「罰制度」だ。悪いとされることをすると、一時隔離された。個室に入れられ、1人で過ごすこともあれば、相部屋をシーツで仕切られ、周りとの接触を遮断されることも。トイレに行く途中の廊下で、ほかの子どもと言葉を交わせば、その子も同じ罰を受けた。
りこさんは2回、個別を経験した。長いときは1週間。部屋に閉じ込められている間、窓からは外で遊ぶ子どもたちが見えた。「早く保護所から出たいと、泣きそうだった」
しかし、家には帰りたくなかった。
体中を殴られ、蹴られ、廊下で生活させられる……。こうした虐待を幼い頃から受けてきたからだ。5歳から母親と2人暮らし。その母は、気に入らないことがあると暴力を振るい、時には下着のまま外に放り出した。真冬に外で水をかけられたり、数日間、食事がなかったりした。
ある日、りこさんは別居中の父親にもらった携帯電話が母親に見つかり、包丁を突きつけられた。「殺されるかもしれない」。自宅を飛び出し友人の家に助けを求め、中学校で児相職員に保護された。「母親ともう一度暮らすことは考えられなかった」
しかし、一時保護所の保育士は帰宅を求めてきた。
「家に帰るしかない」
実態を知れば、心が見える
制度を知れば、人間が現れる