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本音と真実を語ることでしょうね
日本を憂い、
それを情熱を持って訴えたけれど叶わなかった
その無念が感じ取れます
「獄中日記」は共犯13名の処刑直後の11年7月31日から、8月31日までに至る。これらは磯部の刑死後に、東京陸軍衛戍刑務所看守の平石光久が密かに持ち出し『文芸』1967年3月号において発表された。
磯部はその手記において、昭和維新の正当性と、自らを理解しない世間・軍部首脳・天皇に対する罵詈雑言を書き連ねている。自身を「日本第一の忠義者」であると誇り「今の日本人は性根がくさりきっていますから、真実の忠義がわからない」「つくづくと日本という大馬鹿な国がいやになる」と批判している。
渡辺錠太郎教育総監が殺害目標に選ばれたことについて「渡辺は同志将校を断圧(弾圧)したばかりでなく 三長官の一人として 吾人の行動に反対して断圧しそうな人物の筆頭だ、天皇機関説の軍部に於ける本尊だ」と獄中で『行動記』に記している。特に『獄中日記』[注釈 1]には昭和天皇に対する叱責すら含まれている。
一、天皇陛下 陛下の側近は国民を圧する奸漢で一杯でありますゾ、御気付キ遊バサヌデハ日本が大変になりますゾ、今に今に大変なことになりますゾニ、明治陛下も皇大神宮様も何をしておられるのでありますか、天皇陛下をなぜ御助けなさらぬのですか
三、日本の神神はどれもこれも皆ねむっておられるのですか、この日本の大事をよそにしているほどのなまけものなら日本の神様ではない、磯部菱海はソンナ下らぬナマケ神とは縁を切る、そんな下らぬ神ならば日本の天地から追いはらってしまうのだ、よくよく菱海の云うことを胸にきぎんでおくがいい、今にみろ、今にみろッ—磯部浅一、八月六日
さらに「日本もロシアの様になりましたね」と昭和天皇が側近に語ったとの新聞記事を読んで磯部は激怒し次のように記した。
今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、私は今は 陛下をお叱り申上げるところに迄 精神が高まりました、だから毎日朝から晩迄 陛下をお叱り申しております、天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ、—磯部浅一、八月廿八日
遺書は現在に至るまで見つかっていないが、2011年に看守に託した「正気」と書いた書が発見・公開されている[4]。
磯部、北らによると、日本は明治維新革命以来「天皇の独裁国家ではなく」「重臣の独裁国家でもなく」「天皇を中心とした近代的民主国」であったのだが、「今の日本は重臣と財閥の独裁国家」としている。そしてその大義を理解しなかった昭和天皇を獄中から「御叱り申して」いた[5]。
磯部・村中・北・西田は、銃殺時に「天皇陛下万歳」は唱えなかった[6]。
https://youtu.be/d9S6EVYsSm4
このおばあ様は本質が見えている
貧乏な庶民の息子たちの兵隊が、
戦地で血を流し、その拡大して行った領土で財閥が大儲け
それらと繋がっている政治家は私腹を肥やしている
目の当たりにした現状
貧しい農村や漁村を救わなければ、
日本はダメになると考え、
クーデターを起こした
そりゃあ死に切れません
総理大臣の椅子が50万円
日本の首相は「カネ」で買える
18歳から選挙権を与えるのは徴兵制を見越してか?
興味深いお話だ
何も勉強していないのだから、懐柔し易いでしょうね*