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怖いおばさん
私は、そう呼んでいた
妹は生まれていなかったから5歳くらい
父親との散歩の途中、
その怖いおばさんは現れた
あの女は父の真正面に立ち
何を話していたのか分からなかったが、
視線の鋭さだけは脳裏に焼き付いている
母の激しい情念
私が住んでいたアパートには交代で利用できる共同風呂があった
ある時、木の扉が静かに開かれた
何か得体の知れない力で推されたような不気味な開き方だった
私は、母の後ろから様子を窺っていた
洋服の色や形は分からなかったが大きなイヤリングが、
特別印象的な怖いおばさんが、土足で踏み込もうとしていた
次の瞬間、母はそばの湯桶をつかみ取り、
湯槽のお湯を開かれた扉の前に立つ女に向かって、
思い切り浴びせかけた
怖かった
事の次第が何なのかも分からないまま、
私は母に加勢して両手でお湯をすくって、
扉めがけてかけていた
あの時の母の激しい情念の正体は、
単にあの女の存在に対抗したというのではなく、
無防備な裸体を通して、
女の内部を覗き見せられた不快感の爆発だったのではないだろうか
外を駆けて行く女の影が窓を横切り、
短い捨て台詞が母の胸を刺していた
女の足音が闇に消えた時、
湯気の中に憔悴した母の肩が浮かんでいた
私に父はいない
あの人の存在を否定する
あの人は毎日夜になれば帰ってくる人ではなかった
やってくると言った方がふさわしい人だった
「ねえ今日お父さん来るの?」
母にそう尋ねている私が時折、ふっと蘇る
あの人は黒い大きなカバンを持ってやってきた
機械的に商用を済ませるかの様に滞在する人
やがて日々の暮らしの中で、
何度かあの人に裏切られる母を見るようになった
あの人は金銭に対して人一倍ルーズな人だった
その頃、私たちの生活を支える費用は母が内職によって捻出していた
それでも母は、あの人を信じていた
ここを乗り越えたら、ここさえ通り過ぎたら、
そんな一途な気持ちで母はあの人を信じ続けた
最近になって聞かされた話であるが、
私が高校に入学する際、
入学金としてまとまったお金を用意しなければならなくなった母は、
意を決してお金の相談を持ち掛けてみた
心の奥底で一抹の不安を感じていた母は、
あらかじめ自分の手でそのお金を用意した上で、
それでも土壇場まであの人が持ってきてくれるのを待っていた
母は父の娘に対する愛情を信じたかった
それを信じることで自分への愛情を確認したかったのかもしれない
そんなあの人も戸籍上認められている家族に対しては、
生活費をきちんと入れていた
自分の息子の結婚資金も調達していた
「私はいい。けれど子供同士を差別したことが許せない」
母はその時、初めて父との離別を意識したという
母は、ひとつひとつの哀しい事実を自分の胸に刻みながら、
その一方では何かを惜しむように、
私の目から見ればもどかしいほどゆっくり、
あの人を切っていったのだ
私が中学入学を控えた春
めずらしく早い時間帯に家にいたあの人が、
私の前に立ちはだかってこう言った
「中学生に入ったからといって、
ボーイフレンドとか何とか言って、
男と腕でも組んで歩いたりしたら
ぶっ殺すからな」
激しい口調だった
あの時のあの人の目、
娘を見る父親の目ではなかった
娘を娘としてではなく、
自分の所有している女を見る時のような動物的な目だった
実の娘に注がれた不潔な視線は私を父から隔絶した
私は、あの人を愛してはいない
他人は娘として冷淡すぎるというかもしれない
事実、何人かの人は面と向かって私にそう言った
仕事を始めて一年間、私は下宿生活をしていた
高校へ入る頃になって
母親たちも横須賀から出て来られることになった
私たちは目黒のマンションの一室を借りた
父が危篤
突然の報せに戸惑っている私に、
母はテキパキと身支度を済ませ、
「制服を着て待ってなさい」と言い残して出かけて行った
あの人はベットに横たわっていた
脳溢血で倒れた人はほとんどがその症状を見せるという
イビキとも唸り声ともつかないような異様な音を発している
あの人のイビキを聞きながら
私は、「ああ、この人は死なないな」と、直観した
私は死に直面したしているあの人を見たら、
取り乱すに違いない、
娘として父親の死を見届けなければならない立場に立たされたら、
泣き叫び、死なないでと哀願してしまうのでないだろうかと思っていた
しかし、病室に踏み込んだ私の頬には一滴の涙も流れなかった
死なないでと願うことしらも忘れていた
ただ私の後ろに立っている妹に、
この人の醜い姿を見せたくないと考えていた
駆け寄るわけでもなく、立ち尽くしている私を見て、
同行している人が言った
「お前は冷たいな」
私は、その一言に傷つき自分の冷たさに悩んだ
あの人は、優しくも、強くも、潔さもなかった
あの人と母の中を行き来した男と女の葛藤を私は知らない
母が何故あの人を愛し、
あらゆる状況と闘ってまであの人の子を身籠ったのか、
私には判らない
私はあの人に対しては、
ずいぶん前から諦めの気持ちを抱いていた気がする
私が芸能界に入った途端、あの人は豹変した
私は次から次に起こる、
私を中心にした金銭的なトラブルだけでもあの人を許せなく思っていた
そんなある日、母が静かに私の部屋に入ってきた
父から何百万かのお金を要求されたのだという
「お金で解決がつくなら何百万でも何千万でも払ってしまえばいい」
十七歳の娘の言葉にしては語気が荒いなと意識しながらも、
もって行き場のない怒りは押さえきれなかった
金銭で血縁を切る
あの人の存在は消えたのではなく、
自ら私の手で切ったのである
葬式にも出ない
私は、そう呼んでいた
妹は生まれていなかったから5歳くらい
父親との散歩の途中、
その怖いおばさんは現れた
あの女は父の真正面に立ち
何を話していたのか分からなかったが、
視線の鋭さだけは脳裏に焼き付いている
母の激しい情念
私が住んでいたアパートには交代で利用できる共同風呂があった
ある時、木の扉が静かに開かれた
何か得体の知れない力で推されたような不気味な開き方だった
私は、母の後ろから様子を窺っていた
洋服の色や形は分からなかったが大きなイヤリングが、
特別印象的な怖いおばさんが、土足で踏み込もうとしていた
次の瞬間、母はそばの湯桶をつかみ取り、
湯槽のお湯を開かれた扉の前に立つ女に向かって、
思い切り浴びせかけた
怖かった
事の次第が何なのかも分からないまま、
私は母に加勢して両手でお湯をすくって、
扉めがけてかけていた
あの時の母の激しい情念の正体は、
単にあの女の存在に対抗したというのではなく、
無防備な裸体を通して、
女の内部を覗き見せられた不快感の爆発だったのではないだろうか
外を駆けて行く女の影が窓を横切り、
短い捨て台詞が母の胸を刺していた
女の足音が闇に消えた時、
湯気の中に憔悴した母の肩が浮かんでいた
私に父はいない
あの人の存在を否定する
あの人は毎日夜になれば帰ってくる人ではなかった
やってくると言った方がふさわしい人だった
「ねえ今日お父さん来るの?」
母にそう尋ねている私が時折、ふっと蘇る
あの人は黒い大きなカバンを持ってやってきた
機械的に商用を済ませるかの様に滞在する人
やがて日々の暮らしの中で、
何度かあの人に裏切られる母を見るようになった
あの人は金銭に対して人一倍ルーズな人だった
その頃、私たちの生活を支える費用は母が内職によって捻出していた
それでも母は、あの人を信じていた
ここを乗り越えたら、ここさえ通り過ぎたら、
そんな一途な気持ちで母はあの人を信じ続けた
最近になって聞かされた話であるが、
私が高校に入学する際、
入学金としてまとまったお金を用意しなければならなくなった母は、
意を決してお金の相談を持ち掛けてみた
心の奥底で一抹の不安を感じていた母は、
あらかじめ自分の手でそのお金を用意した上で、
それでも土壇場まであの人が持ってきてくれるのを待っていた
母は父の娘に対する愛情を信じたかった
それを信じることで自分への愛情を確認したかったのかもしれない
そんなあの人も戸籍上認められている家族に対しては、
生活費をきちんと入れていた
自分の息子の結婚資金も調達していた
「私はいい。けれど子供同士を差別したことが許せない」
母はその時、初めて父との離別を意識したという
母は、ひとつひとつの哀しい事実を自分の胸に刻みながら、
その一方では何かを惜しむように、
私の目から見ればもどかしいほどゆっくり、
あの人を切っていったのだ
私が中学入学を控えた春
めずらしく早い時間帯に家にいたあの人が、
私の前に立ちはだかってこう言った
「中学生に入ったからといって、
ボーイフレンドとか何とか言って、
男と腕でも組んで歩いたりしたら
ぶっ殺すからな」
激しい口調だった
あの時のあの人の目、
娘を見る父親の目ではなかった
娘を娘としてではなく、
自分の所有している女を見る時のような動物的な目だった
実の娘に注がれた不潔な視線は私を父から隔絶した
私は、あの人を愛してはいない
他人は娘として冷淡すぎるというかもしれない
事実、何人かの人は面と向かって私にそう言った
仕事を始めて一年間、私は下宿生活をしていた
高校へ入る頃になって
母親たちも横須賀から出て来られることになった
私たちは目黒のマンションの一室を借りた
父が危篤
突然の報せに戸惑っている私に、
母はテキパキと身支度を済ませ、
「制服を着て待ってなさい」と言い残して出かけて行った
あの人はベットに横たわっていた
脳溢血で倒れた人はほとんどがその症状を見せるという
イビキとも唸り声ともつかないような異様な音を発している
あの人のイビキを聞きながら
私は、「ああ、この人は死なないな」と、直観した
私は死に直面したしているあの人を見たら、
取り乱すに違いない、
娘として父親の死を見届けなければならない立場に立たされたら、
泣き叫び、死なないでと哀願してしまうのでないだろうかと思っていた
しかし、病室に踏み込んだ私の頬には一滴の涙も流れなかった
死なないでと願うことしらも忘れていた
ただ私の後ろに立っている妹に、
この人の醜い姿を見せたくないと考えていた
駆け寄るわけでもなく、立ち尽くしている私を見て、
同行している人が言った
「お前は冷たいな」
私は、その一言に傷つき自分の冷たさに悩んだ
あの人は、優しくも、強くも、潔さもなかった
あの人と母の中を行き来した男と女の葛藤を私は知らない
母が何故あの人を愛し、
あらゆる状況と闘ってまであの人の子を身籠ったのか、
私には判らない
私はあの人に対しては、
ずいぶん前から諦めの気持ちを抱いていた気がする
私が芸能界に入った途端、あの人は豹変した
私は次から次に起こる、
私を中心にした金銭的なトラブルだけでもあの人を許せなく思っていた
そんなある日、母が静かに私の部屋に入ってきた
父から何百万かのお金を要求されたのだという
「お金で解決がつくなら何百万でも何千万でも払ってしまえばいい」
十七歳の娘の言葉にしては語気が荒いなと意識しながらも、
もって行き場のない怒りは押さえきれなかった
金銭で血縁を切る
あの人の存在は消えたのではなく、
自ら私の手で切ったのである
葬式にも出ない
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