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NACチャレンジカップ 優勝
十月の終わりに、岐阜県の美濃加茂にあります、中日本自動車大学主催の大会に参加させて頂きました。そして、運良く優勝出来たのです!笑 大変環境の良い中にある大学で、また勉強の為の勉強ではなく、実社会に役立つことを教わりますので、他の大学とは違う良い印象を持っています。そんな素晴らしい学校で優勝出来て本当に嬉しく思いましたが、それ以上に嬉しいことが沢山ありましたので少し話させて頂きます。先ずそれは、ある一人の子、Tくんがシュートを決めたことでした。その訳は、随分前に選手に選ばれなくて泣いてしまい、悔しがっていたことと、奮起して一生懸命練習に励んでいることを聞いていたからでした。多分、そのTくんは素直で頭が良く、人間的な部分に於いても誠実で優しいのでしょう*プレーを観ていれば、それがヒシヒシと私に伝わって来ます。スポーツでは面白いことに、その誠実さや優しさというモノが足枷になり、プレーの妨げになることは往々にしてあるのです。特に子供の内なら尚更顕著に表れます!しかし、私はその様なことがあっても、叱ったり注意をすることを控えます。それは、誠実さなどの長所は持って生まれた素晴らしいモノですし、慌てなくても技術が伴う様になれば自然に美しいサッカーが身に付くと思うからです。そっと見守り、大切にしなければならないと何時も気を付けています。 相手選手に対して、何処までプレッシャーを掛けてよいものか?ケガをさせてはいけない*などと考えている子供に対して、それを強制的に指導者が「何で行けない」「何で行かない」と、注意することよりも、間接的に気付かせるアドバイスを私は好みます。「ここで、00くんが行かなかったら誰が困るだろう?」「ここで何もしなかったら、チームはどういうことになってしまうだろう?」たくさん伝え方はありますが、大体こんな感じです。 少し横道にそれましたが、そのTくんがシュートを決める前、こんなシーンがありました。 左サイドの選手がボールを奪い、プレッシャーを受けながらもパスコースを必死で探していると、T君は、それを敏感に感じつつ助けに行こうか? 裏に走りパスを貰おうか?と迷って、裏に走ろうと決めたにも拘わらず、結果的に出遅れてパスを受けることが出来なかったのです*それを観ていた私は「Tくん、一点取ってみろ!やれるから~」と伝えました。Tくんは大きく頷いていましたが、何故そんなアドバイスをしたのかと申しますと、感じて動けばシュートチャンスは生まれ、パスは繋がり易いのですが、考えた後では遅れてしまうからです。またTくんは、感じる力があり良い判断が出来ていたにも拘らず、絶対間違いのないプレーを探していました。Tくんの誠実さと責任感が強い為にチャンスをモノに出来なかったのでしょう?そう私は感じました。アドバイスは直接的な言葉を投げ掛ける時もありますが、間接的な表現や、抽象的な助言の方が深く考える余地を残したり、頭ではなく感じて理解することもあります。 深層心理?心の深い所に訴えたい時には、敢えて全部説明しないことも用います。何も言わないで、その子の名前だけ呼ぶ時もあるのですよ?タイミングや声の調子で、同じ名前を呼ぶのでも意味は様々に変わって行きます。ただ名前を呼ぶことでも、励ます言葉だったり、痛くても我慢しろだったり、今頑張る時だ!早く助けに戻れ!などトーンで色分け出来ます。野生動物もそうですよね!言葉はありませんが、声の調子で会話が成り立っています。いや、むしろ言葉がない分、感じ取ろうとお互いが感覚を研ぎ澄ませていますから、人間が言葉を交わすよりも、もっと深く敏感に感じ取っているのかも知れません。そのTくん自身の感性や感受性を信じさせ本能のまま、動けば必ず点が取れるであろうし、また点を取ることが出来なくても、自分の長所に気付いて欲しくて、そんなアドバイスをしたのでした。 私も感性や感受性の部分では、人より少し優れていると自分では思っていますが、時々間違いも起こします!笑 しかし、そのTくんは、何か吹っ切れたのでしょうか?数週間後の練習試合でセンターリングされた速くて難しいボールを、目が覚める様なキックでボレーシュートを決めたのです!!!嬉しくて嬉しくて胸が熱くなりました*人生は、上手く行った!と思えば、そうではなくなったり*ダメかなあ?と思いつつ努力していれば、また上手く行くモノです。甘くありませんよね*みんな一緒です。怠れば何も良くなりませんね!
金メダルより凄いクラウド生
もう一つだけ、嬉しかったことをお聞き下さい。優勝をして賞状や楯、ボール、お菓子、など沢山の賞品を頂きましたが、その中で金メダルが一つありました。当然、皆に行き渡りません*そこで私は、足を負傷し出場出来ないことを承知の上、試合場に駆け付け最後まで応援してくれた選手にあげようと思いました。当然、皆も欲しそうな顔をしていましたが、私はこう言いました。 「00くんは、怪我をして出れないことが分かっていても、皆の為にこんな遠くまで応援に来た!そして、最後まで応援し続けてくれた!きっと、皆と一緒にどんなに戦いたかったことか?だから00くんにあげても良いな?」と言うと、皆とても素直で嬉しそうな顔をして「いいよ」「そうしよう」「うん、うん」と言ってくれたのです*何人かは「え~」と言う子もいるかなあ?と思っていましたが、私は自分が恥ずかしくなりました。そんな子は一人もいなかったのです。勝った以上の喜びに包まれ幸せな気持ちにさせて頂けました。本当にありがとう!私は本来、物や形に拘ることは余り好きではありません。だからイイ大人が、オリンピックなどで外国のマネをし、メダルを噛んで喜ぶ姿を観る度に冷めた目になってしまいます。 しかし、このメダルは価値の高い崇高なメダルに成れたのではないでしょうか?その子のお母様は「試合に出た子にあげて下さい」と恐縮されていましたが「皆がそれで良いと言ってくれたので、気持ちを酌んであげて下さい。そして、次の試合では一緒に戦おう」とその子に言うと、申し訳なさそうな顔が明るくなり「ウン」と頷いてくれました。最高です*こんなメダルなら私も貰ってみたい*
「ママでも金」はヘン?
何故「ママ」という言葉を付けたがるのでしょう?純粋に一人の人間として戦って欲しいものです。ママがオリンピックに出て金メダルを取ったら凄いのでしょうか?パパと誰も言いません。 環境や境遇で言うのであれば、もっと大変な思いをされて出場している選手は世界中に沢山います。外国からきっと笑われていることでしょう*子育ては大変でしょうが、誰かに無理やり産まされた訳ではありません。自身がそう望んで幸せになれたのではないでしょうか?なのに「ママでも金!」は何か変?日本は豊かなんですね*きっと?望んだことでも、負担に思うのなら何を望むのでしょうか*物言いがキツかったらお許し下さい。結果は銅でしたが、それでも大した者です。微妙な判定に対しても潔かったインタビューは心打たれました。これからは、「日本一のお母さん」を目指して頑張って下さい。金メダルより価値の高いものは沢山あります。 ただ目に見えないだけです。貴方ならきっと出来ると思います。頑張って下さい*一回でも金メダル取れたらそれで良いではありませんか?その上に、プラチナメダルはないのですから・・・シガミ付く姿勢は綺麗ではありません。
北京辞退と棄権
マラソンの場面でも、残念なことがありました。足を痛めた選手が途中で棄権し泣いていますと、仲間の選手たちが取り囲み、マスコミ関係者に向かって怒りながら「一人出場を辞退したあの状況で自分がケガをしているから出られない!何て言える訳ないじゃないか!」と、庇っておられました。おそらくマスコミ批判を防ぐ為に皆必死だったのでしょう?言い訳ではないのでしょうが、私には、とてもカッコ悪く感じ力が抜けてしまいました。多分、オリンピックの選考に問題があるのではないでしょうか?金メダルを取れる選手の選び方や、取れなかった場合の責任回避を念頭に置いた選考では、上手く行かないのかも知れません。スポーツと言うものは不思議なモノで、巧い選手ばかりを沢山集めても良いチーム作りは出来ません。個人競技に於いても、成績が一位の選手を選び出場させても、必ずしも良い結果を残すとは限らないのです。個性を調和させるチームワークがあったり、何時もは2・3番手だけれども、本番に強く逆境を力に変えて実力以上に発揮出来る選手もいます。先日も、テニスのプロコーチと話していましたが、どの日本のスポーツ分野でもそうですが、小さな所で満足してしまい、諦めが早いのではないか?必死に戦い、カッコ悪くても貪欲になることが無い様な気がするね*そこまでして、やらなくて良いと考えてはいないか?ある所まで行くと満足して自ら終わらせてしまいます。これも豊かさ故でしょうか?今の日本選手には、この一瞬に命を懸ける様なプレーは観られませんね*
フェアプレー
フェアとは「美しい」と言うことです。それが、フェアプレーなら「規則通りに正々堂々と戦う姿」を見せることだと思います。しかし国違えば、状況は様々ですよね。日本みたいに恵まれていれば、外国まで出かけて行き、空気の薄い高地トレーニングをさせて貰い記録を伸ばしますが、貧しい国では、そんなお金の掛ることは出来ません。また、有名スポーツメーカーが、その選手の為に科学的検知から最新式のシューズやユニホームを提供され、記録や勝敗に反映させています。これで本当に公正、公平、平等、フェアと言えますか?メダルを沢山取れる国を観て見て下さい。殆ど先進国です。これが悲しいかなスポーツ競技の現実ですね*私は、アンフェアだと何時も感じていますので、オリンピックでの陸上競技や水泳、野球などは自然に貧しい国を応援しています。 非国民と言われるでしょうか?サッカーに於いても、カーブが沢山掛けられるスパイクも開発されていますから、他の競技のことは言えませんね* そう言えば、私が小学生の頃、野球でホームランを量産出来る「圧縮バット」の問題も起こりました。インチキをしてでも、勝つ為に!金メダルを取る為に手段を選ばないという選手の心を育ててはいけないと思います。金メダル、金メダルと騒いで喜ぶ意識に暗いモノを感じているのは私だけでしょうか?高地トレーニングで思い出しましたが、体に急激で極度な負担を掛ける為に、それが原因で疲労骨折を起こしていると私は思っています。優勝したり、金メダルを取っている人のマネをするのは良いことかも知れませんが、目に見えない変化にきっと体がついて行かないのでしょう?日体大の水泳選手が、高地トレーニング合宿に外国まで出かけて行き練習中に死んでしまい、裁判になったとニュースが流れていました。私は、どちらが悪いとの考えはありませんが、それを発案した側、認めた側、従う者全てに責任があると思います。残念です*金メダル・優勝・新記録に囚われて形ある物に惑わされるよりも、一瞬に全てを懸けてプレーすれば、優勝しなくても感動を与え、本当の満足や、誰にも味わえない達成感を得ることが出来るでしょう!
Ⅰ選手、M投手より、野茂投手、王選手が好い
金メダルもそうですが、記念のボールや、バットに拘る選手が増えています。確かに思い出の品を、大切にする心は尊いのかも知れません?I選手やM投手も例外に漏れず、ホームランボールや何百勝し打ち取った後で、ファンがボールにサインして貰おうとやって来ると、それを返却させて代わりのボールにサインしているそうです。何やってんの?情けない*大好きなガンダムの部屋を自宅に持つ某監督?と同じ様にマネをして、己の野球人生を自画自賛する0記念館でも創るのでしょうか?自分で銅像を建てるかの如くに映ります。それともプレミアが付くのを待って、高く売ろうとでもしているのでしょうか?自分大好きなナルシスト選手は、小さく見えてしまいます。批判になりましたので、ここで止めます。しかし、野茂投手や王選手は全然違いますね!物に拘りませんし、お喋りも上手くない所が、また魅力に感じます。余分なことは言いません。男は黙って良い仕事をする*そんな男らしさが素晴らしい!
臆病な心が挫けない心を生む
私は幼少の頃から小学2年生くらいまで、父親によく「臆病」と罵られていました。その訳は、慎重な性格故、水が怖くて泳げなかったり、自転車に乗れなかったり、暗闇が怖くトイレに一人で行けなかったりしたからなのです。柔道の猛者だった父からすれば、情けなくて不甲斐ない息子に見えたのでしょう!しかし、一つ一つ納得の行く形で経験を踏んで行けば必ず出来る様になると、何故か自分ではそう思っていました。人が大丈夫だからと言っても、自分が大丈夫と解らなければ一歩は踏み出したくなかったのです。父の言葉さえも絶対信じませんでした!笑 そんな私でしたから、全部自分で出来る様になったのです。 教えて貰ったことはありません。その反面、皆が怖いと思うことが、怖くなかったりもしました。理不尽に上級生達が遊び場を占領しようとしたり、友達の自転車に悪戯をしていると、感情が抑えきれなくなり、勝ち負け関係なく向かって行き喧嘩をしてしまうのです。ですから結構叩かれました!笑 しかし、悪くないという信念がある為に馬乗りにされても決して謝りません。そして、相手が根負けするのでした。笑 どんなスポーツでも怖さを知らない選手は、何処かで弱さを露呈してしまうものです。色んなタイプの選手やチームと戦えば、何時も同じ様には行きません。絶対に勝てないと思われることに対してでも戦わなければならない事もあるでしょう。また、必ず得意があれば、苦手も存在します。その苦手な部分を攻められた時に、どんな対応が出来るのか? また耐え切るのか?もうダメだという状況から再度挑めるか!負けても負けても這い上がろうとする屈強な心が具わっているか?という精神的な部分がとても重要だと思っています。これは人生に於いてもです。ではそのメンタルは、どの様に培われるのかと申しますと、一人の練習にあるのではないのでしょうか? 孤独の中での練習は、技術よりも心を鍛えます。弱さや怖さを知り、臆病な心を自覚すれば、その弱い自分に打ち勝とうとする筈です。それを克服する手立ては、日々地道な練習を繰り返すしかないのです。人には見られない所で*これ肝心です。人間は弱いものですから、何か意欲を持てないと持続させることは出来ません。悲しいかな何の利益もなく、地道で地味なことを続けることは非常に難しいのです。また人が見ていてくれたり、誰かと一緒にやれば出来ることでも、一人では出来なかったりします。一人の稽古は、自身との戦いなのです。一番の強敵かも知れません!笑 弱い自分、怖い自分、臆病な自分、怠ける自分、見栄を張る自分、虚勢を張る自分等々、全て自身との葛藤です。
スポーツマンとしての理想
スポーツが商業化され過ぎた現在では、理想の姿を追い求めることは中々難しいことなのかも知れません。ニュースでは、最年少1億円突破とか、何十億契約などの見出しが躍っています。全く品がない*人様がいくら貰おうと自身には関係ないことです。確かに凄いことかも知れませんが、もっと違う価値観を見出しては行けないのでしょうか?特にスポーツマンは社会貢献と申しましょうか、人々の役に立てる存在であって欲しいと願います。サッカーの神様「ペレ」さんは、最後の一年間の報酬は恵まれない子供達の為にと全て寄付をしました。今までの感謝の気持ちとご自身がするべきことの使命を果たされたのだと思います。本当に立派な方です*
ドーハの悲劇は本当に悲劇?
負けることは、悲劇でも何でもありません。マスコミの言葉に惑わされてはいけません。悲劇ではなく、教訓として捉えなければ、きっと次には活かされないでしょう?ここでは、負けるということの意味を少し違う角度から考えてみたいと思います。子供達の夢は大切です。しかし、現実と言うモノも現前としてあります。夢は見るものではなく、叶えるものだ!と言う方もおられますが、現実は圧倒的に実現出来ない数の方が多いですよね*最近のテレビ番組の中でも、親が子供の夢を実現させてあげようと必死になり、付きっ切りで世話をしていました。子供の夢が、何時しか親の夢になっている様に見えてしまいます。決して悪いことではないのかも知れませんが、私はその先を考えてしまうのです。実現出来なかった時のことを*イラナイ御世話ですね。しかし、子供のことを真剣に考えますと可哀想に想うのです。子供達はとても健気ですから、親の期待に必ず応え様と努力します。しかし、そんな繰り返しから、楽しみを奪い使命感に変わって行き伸びる力を減退させてしまうのではないか?と思っています。私は、どんなスポーツでもそうですが、オリジナリティーが最も重要だと考えています。オリジナルと言うモノは、自由で楽しい中からしか生み出されません。自由の意味は沢山あります。その一つが如何に「自分を出せるのか?」また、その為に必要な個性を「調和する」バランス感覚が磨かれる環境こそ最も重要だと思うのです。 変なプレッシャーの中では、機械的になってしまい技術力はあっても、高いレベルでは通用しなくなるのです。 負けると言う話から、脱線してしまいましたので戻しますが、例えばどんなに努力しても、どんなに考えても負け続けたら、何も残らないのでしょうか?そんなことはありません。負ける中から、反骨精神が養われたり、どんな事にも挫けない根性が培われます。更に、意志を貫こうとする力も身に付くことでしょう!スポーツの中では、楽は敵です。それはプレーヤーは自ずと理解します。少し休めば、取り返すのに倍の努力が要りますし、一瞬の気の緩みが、勝敗に左右されてしまうからです。勝ちに慣れてしまうこと程、怖いものはありません。よく少年時代に有名クラブで勝ち続けて、ドロップアウトした選手が、過去の栄光や活躍に縋ることがあります。 過去に生き続けてしまうのです*負けから学ばなかったが為に、きっとこんな状況を生むのでしょう?私は、今までこの仕事をしていて、そんな元選手を何人も?何十人?何百人も見たり聞いたりして来ました。過去の経歴を述べて胸を張りますが、大切なことは過去ではなく、未来に向って良くなる様なことを考えることです。勿論、過去を反省や教訓にすることは悪いことではありませんが、過去に囚われて生きることは健全ではない気がします。何でも前向きに生きていた方が、綺麗だと思います。第二章・第三章と次に新たなページを拓きましょう!「無駄な勝ちはあっても、無駄な負けはありません」
西表島の孤独なオジサン
私の好きな「綺麗」と言う言葉で思い出すことがあります。 「女性が綺麗」とは意味が全く違います!笑 それは、西表島に一人で暮らすオジサンのことが、何年も前にテレビで紹介されていました。私もその当時、人間関係で苦しんでいたものですから、興味深く観させて頂きながら「オレもそうしたいなあ」と、羨ましく思っていたのです。人里離れて自由に生きる姿は、寂しさよりもむしろ楽しそうでした。 畑仕事をしたり、海で釣りをしたり、鰻を獲りに山奥に入って行ったり、まるで人間野生動物そのものの様でした。原始人と言う言葉がピッタリです。私もよく「ターザンみたいな人!」と、言われていましたので似ているのかも知れませんね?笑 そのオジサンの所作や言葉を見聞きしていて感じましたのは、如何にも真正直過ぎて、現代社会に於いては生き難い人間性に映りました。でも私はそういう人間が大好きです。とても素晴らし過ぎる人間であるが故に、きっと社会からハミ出した生き方しか出来ないのでしょう?私は、全然素晴らしくありませんが、何処か重なり合う所がある様に感じました。きっと私も、そのオジサンも生まれて来る時代を間違えたのですね* そんなオジサンが、ある日、送られて来た母からの手紙を読んでいてこんな事をおっしゃっていました。 インタビュアーの人が「お母さんは何て?」と聞くと、「決まってるさ!何でそんな所にいる?と聞くさ」また、「今まで来た手紙はどうしてるのですか?」 再度尋ねられ、「みんな燃やしてしまう」更にインタビュアーが「どうして?」と聞き、オジサンは、こう答えました「過去は捨てる*その方が綺麗でしょう?」***私には、とても心に響く言葉だったのです。続けて「手紙の内容は全部覚えてるし、頭の中に入っている」それを聞いた私は、こんな事を考えました。この方はきっと物や過去には拘らないけど、誰よりも相手の気持ちを大切にしているのだなあ* 想いの深さ?とても情の深い温かい人間なのだと・・・目には映りませんが「心の目で観れば」過去を一番大切にしている人なのかも知れませんね*
星になった象
随分前、友人に「星になった象」という映画は素晴らしいよ!と勧めてしまいました。何故?「しまいました。」なのかと申しますと、それは、本当の題名が「星になった少年」だったからです!笑 その友人は、レンタルショップで自分が探しても見つからない為に、店員さんに「星になった象」ありませんか?と聞くと「星になった象?象???星になった少年ではないですか?」と言われたそうです。大変恥ずかしい思いをしたと私に怒っていました★数名いた店員さんの一人の肩が上下に震えていたそうです*大笑い*本当に申し訳ない!その物語は実話で、学校でイジメられていた少年が、象使いになりたいという夢を描き、タイで修行して夢を叶えるお話です。涙なくして観られません*動物プロダクションを経営する家庭故、同級生達に「動物臭い」とイジメられていました。その時にその少年がボソっと呟いた「人間だって臭いじゃん」と、言う言葉が印象的でした。 確かに野生動物からすれば、人間こそ変な臭いのする、科学物質で覆われたとてもクサイ奴だと思われている筈です。人間は知らず知らずの内、自分勝手にある方向からしかモノが感じられなくなってしまいます。本当に心から動物保護や自然保護を訴えるのであれば、先ず動物園の動物達を自然に帰し解放しなければなりません。また車に乗ることも控えるべきだと考えますが、私が間違っているのでしょうか?また、話がズレましたので戻します。どうも私は、この関係の話になるといけませんね*心の奥底に強い拘りがあるのかも知れません?お聞き苦しいことが御座いましたら、お許し下さい。言葉は本当に難しいですね!ニュアンスまでは、伝え切れません。ニュアンスってとても重要ですよね*メールとかブログでは、誤解を沢山生んでしまいそうです。コミニュケーションの基本は、声の調子や目、表情、姿勢などが大切なのではないのでしょうか?言葉や手紙では、真意は測れません。星になった少年をキャンプの帰り道、皆に観せましたら、心の深部に何か届いたのでしょうか?皆、深刻な顔をして、押し黙ってしまいました。ちょっと刺激が強過ぎたのでしょうか?でも私は観て貰って良かったと思っています。人生には、楽しいこともあれば、悲しいこともある。現実を素直に受け入れて、日々、一生懸命生きることが、如何に大切なことであるのかを、少しでも感じてくれればとの勝手な想いでした*私は、観終わった後に、こんな話をしました。ゾウは自分の死が近づくと、群れから離れて一人で死にます。 また、ゾウだけではなく、犬でも猫でも本当は一緒なのです。 何故そうするのか皆、解りますか?と聞くと「悲しませたくないから」とか「死ぬのを見られたくないから」などと言っていました。これから先は、私がコメントしない方がよいですね*本能の遺伝子が何故そうなっているのか、もう一度深く考えて見たく存じます。許されるのであれば、私も象に見習いたいです。野生動物達はヤッパリ偉い*子供の時、家にいたボンと言う犬は、隣の町内の空き地まで行ってひっそりと死んでいました。本当に優しい犬でした***
十月の終わりに、岐阜県の美濃加茂にあります、中日本自動車大学主催の大会に参加させて頂きました。そして、運良く優勝出来たのです!笑 大変環境の良い中にある大学で、また勉強の為の勉強ではなく、実社会に役立つことを教わりますので、他の大学とは違う良い印象を持っています。そんな素晴らしい学校で優勝出来て本当に嬉しく思いましたが、それ以上に嬉しいことが沢山ありましたので少し話させて頂きます。先ずそれは、ある一人の子、Tくんがシュートを決めたことでした。その訳は、随分前に選手に選ばれなくて泣いてしまい、悔しがっていたことと、奮起して一生懸命練習に励んでいることを聞いていたからでした。多分、そのTくんは素直で頭が良く、人間的な部分に於いても誠実で優しいのでしょう*プレーを観ていれば、それがヒシヒシと私に伝わって来ます。スポーツでは面白いことに、その誠実さや優しさというモノが足枷になり、プレーの妨げになることは往々にしてあるのです。特に子供の内なら尚更顕著に表れます!しかし、私はその様なことがあっても、叱ったり注意をすることを控えます。それは、誠実さなどの長所は持って生まれた素晴らしいモノですし、慌てなくても技術が伴う様になれば自然に美しいサッカーが身に付くと思うからです。そっと見守り、大切にしなければならないと何時も気を付けています。 相手選手に対して、何処までプレッシャーを掛けてよいものか?ケガをさせてはいけない*などと考えている子供に対して、それを強制的に指導者が「何で行けない」「何で行かない」と、注意することよりも、間接的に気付かせるアドバイスを私は好みます。「ここで、00くんが行かなかったら誰が困るだろう?」「ここで何もしなかったら、チームはどういうことになってしまうだろう?」たくさん伝え方はありますが、大体こんな感じです。 少し横道にそれましたが、そのTくんがシュートを決める前、こんなシーンがありました。 左サイドの選手がボールを奪い、プレッシャーを受けながらもパスコースを必死で探していると、T君は、それを敏感に感じつつ助けに行こうか? 裏に走りパスを貰おうか?と迷って、裏に走ろうと決めたにも拘わらず、結果的に出遅れてパスを受けることが出来なかったのです*それを観ていた私は「Tくん、一点取ってみろ!やれるから~」と伝えました。Tくんは大きく頷いていましたが、何故そんなアドバイスをしたのかと申しますと、感じて動けばシュートチャンスは生まれ、パスは繋がり易いのですが、考えた後では遅れてしまうからです。またTくんは、感じる力があり良い判断が出来ていたにも拘らず、絶対間違いのないプレーを探していました。Tくんの誠実さと責任感が強い為にチャンスをモノに出来なかったのでしょう?そう私は感じました。アドバイスは直接的な言葉を投げ掛ける時もありますが、間接的な表現や、抽象的な助言の方が深く考える余地を残したり、頭ではなく感じて理解することもあります。 深層心理?心の深い所に訴えたい時には、敢えて全部説明しないことも用います。何も言わないで、その子の名前だけ呼ぶ時もあるのですよ?タイミングや声の調子で、同じ名前を呼ぶのでも意味は様々に変わって行きます。ただ名前を呼ぶことでも、励ます言葉だったり、痛くても我慢しろだったり、今頑張る時だ!早く助けに戻れ!などトーンで色分け出来ます。野生動物もそうですよね!言葉はありませんが、声の調子で会話が成り立っています。いや、むしろ言葉がない分、感じ取ろうとお互いが感覚を研ぎ澄ませていますから、人間が言葉を交わすよりも、もっと深く敏感に感じ取っているのかも知れません。そのTくん自身の感性や感受性を信じさせ本能のまま、動けば必ず点が取れるであろうし、また点を取ることが出来なくても、自分の長所に気付いて欲しくて、そんなアドバイスをしたのでした。 私も感性や感受性の部分では、人より少し優れていると自分では思っていますが、時々間違いも起こします!笑 しかし、そのTくんは、何か吹っ切れたのでしょうか?数週間後の練習試合でセンターリングされた速くて難しいボールを、目が覚める様なキックでボレーシュートを決めたのです!!!嬉しくて嬉しくて胸が熱くなりました*人生は、上手く行った!と思えば、そうではなくなったり*ダメかなあ?と思いつつ努力していれば、また上手く行くモノです。甘くありませんよね*みんな一緒です。怠れば何も良くなりませんね!
金メダルより凄いクラウド生
もう一つだけ、嬉しかったことをお聞き下さい。優勝をして賞状や楯、ボール、お菓子、など沢山の賞品を頂きましたが、その中で金メダルが一つありました。当然、皆に行き渡りません*そこで私は、足を負傷し出場出来ないことを承知の上、試合場に駆け付け最後まで応援してくれた選手にあげようと思いました。当然、皆も欲しそうな顔をしていましたが、私はこう言いました。 「00くんは、怪我をして出れないことが分かっていても、皆の為にこんな遠くまで応援に来た!そして、最後まで応援し続けてくれた!きっと、皆と一緒にどんなに戦いたかったことか?だから00くんにあげても良いな?」と言うと、皆とても素直で嬉しそうな顔をして「いいよ」「そうしよう」「うん、うん」と言ってくれたのです*何人かは「え~」と言う子もいるかなあ?と思っていましたが、私は自分が恥ずかしくなりました。そんな子は一人もいなかったのです。勝った以上の喜びに包まれ幸せな気持ちにさせて頂けました。本当にありがとう!私は本来、物や形に拘ることは余り好きではありません。だからイイ大人が、オリンピックなどで外国のマネをし、メダルを噛んで喜ぶ姿を観る度に冷めた目になってしまいます。 しかし、このメダルは価値の高い崇高なメダルに成れたのではないでしょうか?その子のお母様は「試合に出た子にあげて下さい」と恐縮されていましたが「皆がそれで良いと言ってくれたので、気持ちを酌んであげて下さい。そして、次の試合では一緒に戦おう」とその子に言うと、申し訳なさそうな顔が明るくなり「ウン」と頷いてくれました。最高です*こんなメダルなら私も貰ってみたい*
「ママでも金」はヘン?
何故「ママ」という言葉を付けたがるのでしょう?純粋に一人の人間として戦って欲しいものです。ママがオリンピックに出て金メダルを取ったら凄いのでしょうか?パパと誰も言いません。 環境や境遇で言うのであれば、もっと大変な思いをされて出場している選手は世界中に沢山います。外国からきっと笑われていることでしょう*子育ては大変でしょうが、誰かに無理やり産まされた訳ではありません。自身がそう望んで幸せになれたのではないでしょうか?なのに「ママでも金!」は何か変?日本は豊かなんですね*きっと?望んだことでも、負担に思うのなら何を望むのでしょうか*物言いがキツかったらお許し下さい。結果は銅でしたが、それでも大した者です。微妙な判定に対しても潔かったインタビューは心打たれました。これからは、「日本一のお母さん」を目指して頑張って下さい。金メダルより価値の高いものは沢山あります。 ただ目に見えないだけです。貴方ならきっと出来ると思います。頑張って下さい*一回でも金メダル取れたらそれで良いではありませんか?その上に、プラチナメダルはないのですから・・・シガミ付く姿勢は綺麗ではありません。
北京辞退と棄権
マラソンの場面でも、残念なことがありました。足を痛めた選手が途中で棄権し泣いていますと、仲間の選手たちが取り囲み、マスコミ関係者に向かって怒りながら「一人出場を辞退したあの状況で自分がケガをしているから出られない!何て言える訳ないじゃないか!」と、庇っておられました。おそらくマスコミ批判を防ぐ為に皆必死だったのでしょう?言い訳ではないのでしょうが、私には、とてもカッコ悪く感じ力が抜けてしまいました。多分、オリンピックの選考に問題があるのではないでしょうか?金メダルを取れる選手の選び方や、取れなかった場合の責任回避を念頭に置いた選考では、上手く行かないのかも知れません。スポーツと言うものは不思議なモノで、巧い選手ばかりを沢山集めても良いチーム作りは出来ません。個人競技に於いても、成績が一位の選手を選び出場させても、必ずしも良い結果を残すとは限らないのです。個性を調和させるチームワークがあったり、何時もは2・3番手だけれども、本番に強く逆境を力に変えて実力以上に発揮出来る選手もいます。先日も、テニスのプロコーチと話していましたが、どの日本のスポーツ分野でもそうですが、小さな所で満足してしまい、諦めが早いのではないか?必死に戦い、カッコ悪くても貪欲になることが無い様な気がするね*そこまでして、やらなくて良いと考えてはいないか?ある所まで行くと満足して自ら終わらせてしまいます。これも豊かさ故でしょうか?今の日本選手には、この一瞬に命を懸ける様なプレーは観られませんね*
フェアプレー
フェアとは「美しい」と言うことです。それが、フェアプレーなら「規則通りに正々堂々と戦う姿」を見せることだと思います。しかし国違えば、状況は様々ですよね。日本みたいに恵まれていれば、外国まで出かけて行き、空気の薄い高地トレーニングをさせて貰い記録を伸ばしますが、貧しい国では、そんなお金の掛ることは出来ません。また、有名スポーツメーカーが、その選手の為に科学的検知から最新式のシューズやユニホームを提供され、記録や勝敗に反映させています。これで本当に公正、公平、平等、フェアと言えますか?メダルを沢山取れる国を観て見て下さい。殆ど先進国です。これが悲しいかなスポーツ競技の現実ですね*私は、アンフェアだと何時も感じていますので、オリンピックでの陸上競技や水泳、野球などは自然に貧しい国を応援しています。 非国民と言われるでしょうか?サッカーに於いても、カーブが沢山掛けられるスパイクも開発されていますから、他の競技のことは言えませんね* そう言えば、私が小学生の頃、野球でホームランを量産出来る「圧縮バット」の問題も起こりました。インチキをしてでも、勝つ為に!金メダルを取る為に手段を選ばないという選手の心を育ててはいけないと思います。金メダル、金メダルと騒いで喜ぶ意識に暗いモノを感じているのは私だけでしょうか?高地トレーニングで思い出しましたが、体に急激で極度な負担を掛ける為に、それが原因で疲労骨折を起こしていると私は思っています。優勝したり、金メダルを取っている人のマネをするのは良いことかも知れませんが、目に見えない変化にきっと体がついて行かないのでしょう?日体大の水泳選手が、高地トレーニング合宿に外国まで出かけて行き練習中に死んでしまい、裁判になったとニュースが流れていました。私は、どちらが悪いとの考えはありませんが、それを発案した側、認めた側、従う者全てに責任があると思います。残念です*金メダル・優勝・新記録に囚われて形ある物に惑わされるよりも、一瞬に全てを懸けてプレーすれば、優勝しなくても感動を与え、本当の満足や、誰にも味わえない達成感を得ることが出来るでしょう!
Ⅰ選手、M投手より、野茂投手、王選手が好い
金メダルもそうですが、記念のボールや、バットに拘る選手が増えています。確かに思い出の品を、大切にする心は尊いのかも知れません?I選手やM投手も例外に漏れず、ホームランボールや何百勝し打ち取った後で、ファンがボールにサインして貰おうとやって来ると、それを返却させて代わりのボールにサインしているそうです。何やってんの?情けない*大好きなガンダムの部屋を自宅に持つ某監督?と同じ様にマネをして、己の野球人生を自画自賛する0記念館でも創るのでしょうか?自分で銅像を建てるかの如くに映ります。それともプレミアが付くのを待って、高く売ろうとでもしているのでしょうか?自分大好きなナルシスト選手は、小さく見えてしまいます。批判になりましたので、ここで止めます。しかし、野茂投手や王選手は全然違いますね!物に拘りませんし、お喋りも上手くない所が、また魅力に感じます。余分なことは言いません。男は黙って良い仕事をする*そんな男らしさが素晴らしい!
臆病な心が挫けない心を生む
私は幼少の頃から小学2年生くらいまで、父親によく「臆病」と罵られていました。その訳は、慎重な性格故、水が怖くて泳げなかったり、自転車に乗れなかったり、暗闇が怖くトイレに一人で行けなかったりしたからなのです。柔道の猛者だった父からすれば、情けなくて不甲斐ない息子に見えたのでしょう!しかし、一つ一つ納得の行く形で経験を踏んで行けば必ず出来る様になると、何故か自分ではそう思っていました。人が大丈夫だからと言っても、自分が大丈夫と解らなければ一歩は踏み出したくなかったのです。父の言葉さえも絶対信じませんでした!笑 そんな私でしたから、全部自分で出来る様になったのです。 教えて貰ったことはありません。その反面、皆が怖いと思うことが、怖くなかったりもしました。理不尽に上級生達が遊び場を占領しようとしたり、友達の自転車に悪戯をしていると、感情が抑えきれなくなり、勝ち負け関係なく向かって行き喧嘩をしてしまうのです。ですから結構叩かれました!笑 しかし、悪くないという信念がある為に馬乗りにされても決して謝りません。そして、相手が根負けするのでした。笑 どんなスポーツでも怖さを知らない選手は、何処かで弱さを露呈してしまうものです。色んなタイプの選手やチームと戦えば、何時も同じ様には行きません。絶対に勝てないと思われることに対してでも戦わなければならない事もあるでしょう。また、必ず得意があれば、苦手も存在します。その苦手な部分を攻められた時に、どんな対応が出来るのか? また耐え切るのか?もうダメだという状況から再度挑めるか!負けても負けても這い上がろうとする屈強な心が具わっているか?という精神的な部分がとても重要だと思っています。これは人生に於いてもです。ではそのメンタルは、どの様に培われるのかと申しますと、一人の練習にあるのではないのでしょうか? 孤独の中での練習は、技術よりも心を鍛えます。弱さや怖さを知り、臆病な心を自覚すれば、その弱い自分に打ち勝とうとする筈です。それを克服する手立ては、日々地道な練習を繰り返すしかないのです。人には見られない所で*これ肝心です。人間は弱いものですから、何か意欲を持てないと持続させることは出来ません。悲しいかな何の利益もなく、地道で地味なことを続けることは非常に難しいのです。また人が見ていてくれたり、誰かと一緒にやれば出来ることでも、一人では出来なかったりします。一人の稽古は、自身との戦いなのです。一番の強敵かも知れません!笑 弱い自分、怖い自分、臆病な自分、怠ける自分、見栄を張る自分、虚勢を張る自分等々、全て自身との葛藤です。
スポーツマンとしての理想
スポーツが商業化され過ぎた現在では、理想の姿を追い求めることは中々難しいことなのかも知れません。ニュースでは、最年少1億円突破とか、何十億契約などの見出しが躍っています。全く品がない*人様がいくら貰おうと自身には関係ないことです。確かに凄いことかも知れませんが、もっと違う価値観を見出しては行けないのでしょうか?特にスポーツマンは社会貢献と申しましょうか、人々の役に立てる存在であって欲しいと願います。サッカーの神様「ペレ」さんは、最後の一年間の報酬は恵まれない子供達の為にと全て寄付をしました。今までの感謝の気持ちとご自身がするべきことの使命を果たされたのだと思います。本当に立派な方です*
ドーハの悲劇は本当に悲劇?
負けることは、悲劇でも何でもありません。マスコミの言葉に惑わされてはいけません。悲劇ではなく、教訓として捉えなければ、きっと次には活かされないでしょう?ここでは、負けるということの意味を少し違う角度から考えてみたいと思います。子供達の夢は大切です。しかし、現実と言うモノも現前としてあります。夢は見るものではなく、叶えるものだ!と言う方もおられますが、現実は圧倒的に実現出来ない数の方が多いですよね*最近のテレビ番組の中でも、親が子供の夢を実現させてあげようと必死になり、付きっ切りで世話をしていました。子供の夢が、何時しか親の夢になっている様に見えてしまいます。決して悪いことではないのかも知れませんが、私はその先を考えてしまうのです。実現出来なかった時のことを*イラナイ御世話ですね。しかし、子供のことを真剣に考えますと可哀想に想うのです。子供達はとても健気ですから、親の期待に必ず応え様と努力します。しかし、そんな繰り返しから、楽しみを奪い使命感に変わって行き伸びる力を減退させてしまうのではないか?と思っています。私は、どんなスポーツでもそうですが、オリジナリティーが最も重要だと考えています。オリジナルと言うモノは、自由で楽しい中からしか生み出されません。自由の意味は沢山あります。その一つが如何に「自分を出せるのか?」また、その為に必要な個性を「調和する」バランス感覚が磨かれる環境こそ最も重要だと思うのです。 変なプレッシャーの中では、機械的になってしまい技術力はあっても、高いレベルでは通用しなくなるのです。 負けると言う話から、脱線してしまいましたので戻しますが、例えばどんなに努力しても、どんなに考えても負け続けたら、何も残らないのでしょうか?そんなことはありません。負ける中から、反骨精神が養われたり、どんな事にも挫けない根性が培われます。更に、意志を貫こうとする力も身に付くことでしょう!スポーツの中では、楽は敵です。それはプレーヤーは自ずと理解します。少し休めば、取り返すのに倍の努力が要りますし、一瞬の気の緩みが、勝敗に左右されてしまうからです。勝ちに慣れてしまうこと程、怖いものはありません。よく少年時代に有名クラブで勝ち続けて、ドロップアウトした選手が、過去の栄光や活躍に縋ることがあります。 過去に生き続けてしまうのです*負けから学ばなかったが為に、きっとこんな状況を生むのでしょう?私は、今までこの仕事をしていて、そんな元選手を何人も?何十人?何百人も見たり聞いたりして来ました。過去の経歴を述べて胸を張りますが、大切なことは過去ではなく、未来に向って良くなる様なことを考えることです。勿論、過去を反省や教訓にすることは悪いことではありませんが、過去に囚われて生きることは健全ではない気がします。何でも前向きに生きていた方が、綺麗だと思います。第二章・第三章と次に新たなページを拓きましょう!「無駄な勝ちはあっても、無駄な負けはありません」
西表島の孤独なオジサン
私の好きな「綺麗」と言う言葉で思い出すことがあります。 「女性が綺麗」とは意味が全く違います!笑 それは、西表島に一人で暮らすオジサンのことが、何年も前にテレビで紹介されていました。私もその当時、人間関係で苦しんでいたものですから、興味深く観させて頂きながら「オレもそうしたいなあ」と、羨ましく思っていたのです。人里離れて自由に生きる姿は、寂しさよりもむしろ楽しそうでした。 畑仕事をしたり、海で釣りをしたり、鰻を獲りに山奥に入って行ったり、まるで人間野生動物そのものの様でした。原始人と言う言葉がピッタリです。私もよく「ターザンみたいな人!」と、言われていましたので似ているのかも知れませんね?笑 そのオジサンの所作や言葉を見聞きしていて感じましたのは、如何にも真正直過ぎて、現代社会に於いては生き難い人間性に映りました。でも私はそういう人間が大好きです。とても素晴らし過ぎる人間であるが故に、きっと社会からハミ出した生き方しか出来ないのでしょう?私は、全然素晴らしくありませんが、何処か重なり合う所がある様に感じました。きっと私も、そのオジサンも生まれて来る時代を間違えたのですね* そんなオジサンが、ある日、送られて来た母からの手紙を読んでいてこんな事をおっしゃっていました。 インタビュアーの人が「お母さんは何て?」と聞くと、「決まってるさ!何でそんな所にいる?と聞くさ」また、「今まで来た手紙はどうしてるのですか?」 再度尋ねられ、「みんな燃やしてしまう」更にインタビュアーが「どうして?」と聞き、オジサンは、こう答えました「過去は捨てる*その方が綺麗でしょう?」***私には、とても心に響く言葉だったのです。続けて「手紙の内容は全部覚えてるし、頭の中に入っている」それを聞いた私は、こんな事を考えました。この方はきっと物や過去には拘らないけど、誰よりも相手の気持ちを大切にしているのだなあ* 想いの深さ?とても情の深い温かい人間なのだと・・・目には映りませんが「心の目で観れば」過去を一番大切にしている人なのかも知れませんね*
星になった象
随分前、友人に「星になった象」という映画は素晴らしいよ!と勧めてしまいました。何故?「しまいました。」なのかと申しますと、それは、本当の題名が「星になった少年」だったからです!笑 その友人は、レンタルショップで自分が探しても見つからない為に、店員さんに「星になった象」ありませんか?と聞くと「星になった象?象???星になった少年ではないですか?」と言われたそうです。大変恥ずかしい思いをしたと私に怒っていました★数名いた店員さんの一人の肩が上下に震えていたそうです*大笑い*本当に申し訳ない!その物語は実話で、学校でイジメられていた少年が、象使いになりたいという夢を描き、タイで修行して夢を叶えるお話です。涙なくして観られません*動物プロダクションを経営する家庭故、同級生達に「動物臭い」とイジメられていました。その時にその少年がボソっと呟いた「人間だって臭いじゃん」と、言う言葉が印象的でした。 確かに野生動物からすれば、人間こそ変な臭いのする、科学物質で覆われたとてもクサイ奴だと思われている筈です。人間は知らず知らずの内、自分勝手にある方向からしかモノが感じられなくなってしまいます。本当に心から動物保護や自然保護を訴えるのであれば、先ず動物園の動物達を自然に帰し解放しなければなりません。また車に乗ることも控えるべきだと考えますが、私が間違っているのでしょうか?また、話がズレましたので戻します。どうも私は、この関係の話になるといけませんね*心の奥底に強い拘りがあるのかも知れません?お聞き苦しいことが御座いましたら、お許し下さい。言葉は本当に難しいですね!ニュアンスまでは、伝え切れません。ニュアンスってとても重要ですよね*メールとかブログでは、誤解を沢山生んでしまいそうです。コミニュケーションの基本は、声の調子や目、表情、姿勢などが大切なのではないのでしょうか?言葉や手紙では、真意は測れません。星になった少年をキャンプの帰り道、皆に観せましたら、心の深部に何か届いたのでしょうか?皆、深刻な顔をして、押し黙ってしまいました。ちょっと刺激が強過ぎたのでしょうか?でも私は観て貰って良かったと思っています。人生には、楽しいこともあれば、悲しいこともある。現実を素直に受け入れて、日々、一生懸命生きることが、如何に大切なことであるのかを、少しでも感じてくれればとの勝手な想いでした*私は、観終わった後に、こんな話をしました。ゾウは自分の死が近づくと、群れから離れて一人で死にます。 また、ゾウだけではなく、犬でも猫でも本当は一緒なのです。 何故そうするのか皆、解りますか?と聞くと「悲しませたくないから」とか「死ぬのを見られたくないから」などと言っていました。これから先は、私がコメントしない方がよいですね*本能の遺伝子が何故そうなっているのか、もう一度深く考えて見たく存じます。許されるのであれば、私も象に見習いたいです。野生動物達はヤッパリ偉い*子供の時、家にいたボンと言う犬は、隣の町内の空き地まで行ってひっそりと死んでいました。本当に優しい犬でした***
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