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最近、子供達に昔の話をしますと「それ昭和のこと?」と言われます。また少し?昔の歌を口ずさんでいても、「昭和の歌だ!今風じゃあね~」と蔑むのです*笑 敢えて私の気持ちを今風の言葉で申し上げますと「ムカツク」になるのでしょうか?笑 私にとっては、「明治、大正」と言われている様で、急にお爺さんになった気分になってしまい受け入れ難い言葉なのです。笑 古いモノを疎かにしてはいけません!笑 知恵の宝庫なのですよ。私も、先人に沢山の事を教わり見習って来ました。その一つひとつが、どれだけ存在価値を高め、また何でも自身で出来るという生きる喜びを与えてくれたことか*感謝の気持ちを忘れない様にしなければいけませんね!でも時代の変化から、自分でやらなくても機械がしてくれたり、人に頼んだ方が楽で安心という背景は、いつか人間を堕落させて、生き場を失う結果を齎すのではないか?と感じています。

ガソリンスタンド

つい先日、私の行き付けのガソリンスタンドが閉店してしまいました*とても気の良いオジサンとお母さんで経営をされていましたが、時代の流れから価格競争に付いて行けない為、仕方なく辞めるとのことでした。そのスタンドは、今風ではなく何十年も前の設備と店構えで、年代を感じさせてくれますが、サービスは天下逸品で本当に親切丁寧でした。お人柄の良さは、行く度に私の心を満タンにして頂けました。店は古くても、掃除が何時も行き届いています。実は私は、このご夫婦を見習って、事務局の便所掃除を毎日の日課とする様になりました。それまでは、時々しか清掃をしてなかったのですが、心を改めることが出来ました。本当に感謝しています。数十年のお付き合いの中で、このご夫婦から愚痴めいたことは一度もお聞きしたことが無かったのですが、最後の日にふっと、こんなことを漏らしておられました。「最近のお客さんは、親から大事に大事に育てられた世代からなのでしょうか? 一円でも違えば、何も言わずに他所の店に流れて行ってしまいます。 今までのお付き合いが、どれだけあろうとなかろうと関係ありません。例えどんなに一生懸命に尽くしても、また目の届かないことに対して気を配っても、そんなの関係ない!との考え方の様に受け取れてしまいます。本当に空しい限りです***」と・・・合理主義と申しましょうか?少しの利益で人間関係を軽視する向きは、今に始まったことではありませんが、より強く表れて来ているのでしょう?人よりもカネ!情よりも私欲!そんな時代なのかも知れませんね*

損得勘定

「何が得で、何が損なのか?」は、人それぞれ違っても可笑しくありません。損得何て関係ない!という私の様なバカもいます!笑 みんな各々の価値観で異なりますね!どうして、その様な現象を生むのでしょうか? まあ、それが個性にもなるのですから、悪いことではありません。 しかし、個性というモノも最近は怪しく映る時があります。個性の定義は何でしょうか?ケビン・コスナー主演の映画で「ベースボールドリーム」というものがあります。 その中でトウモロコシ畑を潰し、グラウンドを造って昔のヒーローを蘇らせるのですが、ある時にケンカしてしまいます。それは、死者達に貢献した自分が、向こうの世界を覗かせて貰えないことに不満を抱いたからでした。「オレは、何の損得も考えずにこのグラウンドを造った。なのにどうしてダメなんだ!何の得もなかった*」と・・・その言葉に対して、死から蘇ったシューレスジョーことジョー・ジャクソンはこう聞き返すのです。「損得?」「損得?」「君の?」その言葉に主人公であるコスナーは恥ずかしそうに下を向いて押し黙ってしまいました。功利的な自身に気付き恥ずかしくなったのですね*如何なることも私は恩着せがましくならない様に気を付けているつもりですが、全てに於いて自分の欲を解き放つことは出来ていません★恥ずかしいことばかりです。修行致します。

音楽の素晴らしさ

歌で思い出しましたが、毎年楽しみにしている番組があります。それはNHKの中学生合唱コンクールです!一人で観ていますと、琴線に触れ心のアセが流れています。穢れのない子供達の歌声は、正に天使の歌声となって響いて来ます*今回の歌は、♪拝啓~この手紙~読んでいる貴方が~幸せなことを願います~♪という歌でした。歌は本当に素晴らしい*気持ちを浮き彫りにさせた上で、心を洗い流し素直にさせてくれます。

音楽と言えばギター

ギターを弾ける様になりたいと思ったのは、中学一年生のことでした。ある日、学校にクラシックギターを持って来た友人が「禁じられた遊び」という曲を私に聴かせてくれました。今まで私が、踏み込んだことのない世界に導いてくれたのです。その曲を聴いた私は放心状態になり、その音色に心を奪われました。 クラシックギターの音色は、絶対優しい女性の声だと思います!笑 繊細で美しく謙虚で淑やかだからです。本当に楽器が泣いていました* その日から、どうしてもギターが欲しくて堪らなくなり、何日も掛けて中学生でも出来るアルバイトを探したのです。その欲しいギターはハミングバードというメーカーで15,000円でした。何故このギターなのか?理由は簡単で一番安かったからです!笑 親に頼んで買って貰おうとは考えもしませんでした。当たり前ですが・・・

新聞配達と犬

そのアルバイトの職種は新聞配達です。まだ暗く寒い中、朝4:30分に起きて行く仕事は本当に辛かったのですが、オレだけじゃあない~他の人も沢山この新聞屋さんで働いているのだ!と気付けば自然と甘えはなくなりました。働くことに子供も大人も関係ありません。人様からお金を頂くのですから*私は、その新聞配達で一つだけ嫌なことがありました!それは暗い路地の中へ入って行き、幽霊屋敷の様な家に新聞を届けに行かなければならなかったことです★ 住んでいた方には本当に申し訳ないのですが、そこの所だけは、いつも猛ダッシュでした!笑 しかし、ある時に足が引っ掛かってしまい、酷く転んで手が血だらけになったのです。また、その血を拭いた手で続きを配ったものですから、配達先から苦情が寄せられてしまいました。「血が付いた新聞が入っていたぞ~!」などです。申し訳ないです*その苦い経験から、私はあることを思い立ったのです。それは家の「犬」を連れて行くことでした!笑 ヘンリーと言う大きなオスのシェパードです。それから暫くは、二人でする仕事がとても楽しかったですし、あの不気味な路地や幽霊屋敷も怖くなくなりました。しかし、一週間も経たない内に元の木阿弥になったのです*やっぱり犬様は賢いですね!次の配達先を私よりも早く覚えてしまい、先回りして私と入れ違いに「御苦労さん!」というかの如く帰ってしまうのです*涙 捕まえて「ヘンリーお前全然役に立っとらんがや~」なんて言ってもダメでした*きっと家々を匂いで覚えているのでしょう! 正確で順序も絶対に間違いません。 朝、時計もないのに4:30分になると、必ず私を起こそうとして吠える習慣も身に付きました。それが休刊日の時もです*笑 人間が自分の都合で勝手に作ったものですから、それは犬には解りませんよね*働く厳しさというものを、この仕事から教えて貰い、自分自身の至らないことも沢山気付かせてくれました。 早い内に働く事を覚え経験することは、非常に良いことだと私は思います。お金の有難味は、与えられてばかりの中からは見得て来ません。自身の存在が周りの人にどれだけ影響を与えてしまうのか? また、人様の役に立つことが出来る反面、迷惑を及ぼしてしまうこともあると自覚する。その上で、自分に対して自制的になり、客観的な目を持つ様になれたと今想います。遊びと仕事の境界線は自ら引かなければなりません。それが出来なければ不平不満ばかりを言う人間に成ってしまうのではないのでしょうか? 仕事は辛くて厳しいのは当たり前で、だからこそ達成した時の喜びを味わえるのでしょう?サッカーやスポーツが、人生の縮図と言われる訳は、そこに結びつくからだと思います。失敗を繰り返し、負けても負けても諦めないで試行錯誤する!その努力が報われた時に、初めて本当の価値を認識すると思います。また、結果や努力が報われなかったとしても、必ず自身の財産になります。自分の中に蓄積した貴重な財産は、目に見えない分、誰にも奪うことは出来ません。物や金ではないのですから・・・

アレルギー

人間は、より清潔に!より便利に!を追及していますが、本当にそれが私達の幸せや豊かさに繋がっているのか疑問を持っています。 例えば「抗菌」の物が世間に出回っていますが、それ一つとっても不思議に思えているのです?無菌状態が人間にとって良いことではありません。ご病気ならいざ知らず、健康な人間には逆に弱い体になって行くのではないのでしょうか?また抗菌と言う言葉に踊らされていないのか?とも感じます。本当に抗菌しているのでしょうか?害のある菌だけ殺すことなど出来ない筈です。抵抗力と言う言葉がありますが、抵抗力はどの様に培われるのでしょう?無菌なら、抵抗力は無くなり丸裸状態と一緒です。無菌にして人間の体が元気になり、丈夫になって来たのでしょうか?様々なアレルギーは、第一子よりも、第二子、第三子の方が出難いと言われています。その訳は第一子が外に出て、色んな菌を持ち帰って来るから、抵抗力が具わるのです。汚いとか、汚れることが少なくなった現在では菌は皆悪者にされていますが、共存して来たモノも沢山いるのです。現代社会は、より社会化が進み清潔の限度を超え、無菌状態を推し進めるかの如くの生活を望むのでしょうか?

泥遊びとブランコ

年末のキャンプに行く為に、牧場を視察した時、ご説明の中でカノウさんという方が沢山の事を教えて下さいました。ブランコが上の鉄棒に巻いてあり使用出来なくなっている訳や、遊具が禁止され子供達が可哀想に感じていること*最近の子供達は木登りをしなくなったこと、泥に塗れて遊ばして貰えない!些細な怪我でも泣くこと、しかし、小さな怪我を沢山しなければ危険回避能力が養われずに、将来きっと大きな命に係わることが起こるとの懸念を得々と伝えて下さいました* 本当に納得出来るお話でした。

ある塾の生徒

また、ある塾の団体の生徒が遊びに来た時には、こんなことがあったそうです。それは、小学生にも拘わらずお小遣いを何万円も持って来ていて、友達に何千円もする物をプレゼントしていたと話して下さいました。どんな教育を受けて来ているのだろう?と、ビックリしたそうです。更にウインナーを皆で作っていても、自分のことだけしかやらなく、隣の子が出来なても無関心で、平然としていることが不思議に思われたそうです。コミニュケーション不足と言うか?係わり方を知らないのは、親に問題がある様な気がすると首を傾げておられたのです。私も、年末夜遅くにファミリーレストランに行きましたら、こんな場面に遭遇しました!それは、母親と子供が近くに座りましたら、母親は食事をする時もずーと携帯電話を握り締めて片時も画面から目を反らしません!では子供はというと、DSゲームに夢中でこちらも目を離しません。ボロボロご飯を溢しながら食べていました!会話と言えば、注文する時の母親が「何にする?」と聞き、子供は「これ」 そして、帰り際の「食べた?」子供「ウン」それだけでした*これでは、社会に適応出来ないのではないのか?と私は感じました。何処かの本でもこの様な場面がありましたが、正に同じことが私の目の前で起こったのです*私は、子供達にとってゲームや、携帯電話は良い影響を与えないと思っています。面倒なことをしない、好きで始めても上手くいかなければ直ぐに投げ出す大人にならないかと???

カラオケも同じ

私は、余りカラオケに行きませんが、歌は好きでもあの雰囲気は好きにはなれません。何故かと言うと、人の歌を聴こうとはしない所があるからです!私は幼い内から、人が何かしていたら自分のことはするな!と注意を沢山受けて育ちました。それ故に、人が歌を唄っている時、自分が唄う曲を探すことが出来ないのです。私は、それが正しいと思っていましても、他の方々は大抵そうではありません*私の常識は、世間の非常識?笑 よくあることですが・・・人の歌は真剣に聴かさせて頂く!私が変な所でクソ真面目なのかも知れませんね?聴いてなかったのに拍手する姿は、偽善的ではありませんか?私は、そう成りたくはないのです。偽善的は少し言葉が強過ぎますね!私の魂が正しくない?と思っているだけです。

戦国=狼煙 明治=手紙 昭和=電話 平成=メール 未来=ロボット 

実は、去年私の妹にも注意したことがありました。子供達も含めた皆との食事の時に、メールのやり取りをしながら食べていたものですから、「ご飯を食べる時くらい止めとけ~子供がマネするやろ!人に迷惑掛けとらんから、良いと思っとるのかも知れんが、立派に迷惑掛け取る!気分が悪いのや~」と・・・身内ですから、少々言葉がキツクなりました。仲良く喧嘩しない様にと大人は望みがちですが、こういう子育てでは、仲良く出来ないと思います。自分勝手な子供達が、また、ちゃんと言葉で伝えられない子供達が、メールで気持ちを伝えることは至難の業です。NHKの番組でもこんなことが、取り上げられていました。ある女子中学生グループが高校に入ると、一人の子だけが中々メールの返事が返ってこなかったり、遊ぶ回数もグッと減ってしまったので、こんなメールを送ってしまったそうです。「私達と縁を切る気!もし切るのなら、一言くらい挨拶したらどうなの?」との内容だったそうです。そうしたら、その相手の子からビックリする返事が返って来ました。「あんた何様のつもり?~酷い内容なので中略します。~謝れ!」 それに驚いた本人は、お母さんに相談しました。そのやり取りを見てお母さんは「こんな事をメールしたら、それは怒るわよ~直ぐに電話して謝りなさい」と、教えられ電話した後に会って謝まり仲直り出来たそうです。顔を突き合わせて話をすれば解り合い、認め合い、譲り合えると思います。少なくともメールよりは・・・会いたくない時や、喋りたくない時のメールなら便利かも知れませんね!笑 未来は自分の都合の良いプログラムだけをインプットされたロボット相手しか、コミニュケーションが取れなくなるのかも知れませんね*

食べ物の好き嫌い

キャンプ当日は、そのカノウさんにバターの作り方を教えて貰い、皆で一緒に楽しく作りました!クラウドの生徒で感心しましたのは、マーガリンとバターの違いを質問されて、ハイ!と言って「マーガリンは植物性で、バターは動物性です。」と答えられたことです。凄い*私は、トラがクルクル回るとバターが出来ると思っていました!笑 バターの出来方を体感した子供達は、本当に嬉しそうでした。生バターにするのか、普通のバターにしようか? 自分で決めている子や、友達と相談している子など様々ですが、皆で助け合っている姿は美しく陽だまりの中にいる気持にさせて頂けました。もうひとつ大切なことを忘れていました。それは、嫌いな食べ物があっても、自分で苦労して作ったものは、美味しく食べられるということです。カノウさんに教えて頂きました。バターを作って摘み食いすると、皆は美味しそうな顔をして、自然に笑顔が溢れていました。お母様方、好き嫌いがあるお子様をお持ちでしたら、是非自分で作らせて見て下さい!きっと食べられる筈です。

人馬一体

人と馬が一体になるとは、どういうことでしょうか?今回のキャンプでは乗馬を体験しました。子供達が馬に乗っている姿を見ていまして、それが少し分かった様に感じました。当然言葉は通用しないのですが、目の動きや、所作で伝えることを忘れがちな現代人ですが、乗馬する前に必ず鼻の辺りを優しく触りながら「お願いします」などの言葉を、馬に掛けさせると自然に体も付いて行き、如何にも警戒心を抱かさせない様な振る舞いが出来ていました。馬の穏やかな気持ちが私には伝わりました。子供達が本当に嬉しそうな顔をして乗馬する姿は、何とも言えない喜びに満ちた表情を浮かべていました。昔は、野生動物と人間が共に協力し生活していた時代が想像出来ました。馬と人が一体になるとは、強制的に馬を動かすことではなく、お互いの気持ちを敏感に感じ察しながら、動くことではないのでしょうか?私は、競馬は好きではありませんが、しかし、武豊騎手の人間性はとても尊敬しています。例えば馬に対しての優しさや心遣いです。それは、競争が始まる前、即ち乗馬した瞬間から馬に負担を掛けない様な姿勢を保っていることが挙げられます。 私の武術稽古の中にも、体を抜くことや重心を上に浮かすモノがありますが、それに似たことをされているのが馬上姿勢を拝見して感じられます。 もっと解り易くご説明しますと、よく子供が寝てしまいダラ~と力を抜いている子を抱っこしたり、おんぶするのと、起きている時の重量感は全く違うと思います。また同じ体重の人をおんぶするのでも、重く感じる人と軽く感じられる人がいます。それは、相手に負担の掛からない様な体の使い方をして、浮かせているのです。目には見えませんので解り難いのですが、また三方斬りの進化した姿を動画でお見せしながら説明させて頂きたく存じます。言葉では伝えられないことが、もどかしいです。何もかも全部説明出来ない方が、人間らしいのかも知れませんね?

洞察力

洞察力とは「見抜いて見通す」ことだと思いますが、物に対しても重要ですし、また必要ですよね?その場では必要と思ったり、欲しいと考えても直ぐに不必要になったり、飽きて不燃物ゴミになってしまうこともあるのでしょう?昭和の時代は「より良い物がより安く」を一つの価値観として知恵を絞り、頑張っていたと思います。そこには、長く使えて長持ちをすることが、とても重要なことだった筈ですが、今はそうではないと感じています。今現在が便利に使用出来れば良い!いらなくなったら捨てれば良いなどの新たな価値観が芽生えて来てしまいました。この世の中には、普遍的に変わらない物などありません。時と共に必ず傷んで来ます。ある程度のメンテナンスをして多少抑えることは出来ても、新しいままの状態を保つことは皆無に等しいことだと思います。家具一つとっても、カラーボックスは合板で無垢の木から作られていませんので、再利用は困難でしょう?大事に使うという前提ですが、本当の木なら何十年、何百年も使える筈です。イギリスの良い所は、古い物を使い続けて、良い物は長く使えるという価値観を具えていることだと考えます。アンティークとして存在し続ける物は、作り出した職人の意地、プロとしての誇りやプライドを感じさせてくれます。使い捨ての時代は、確かに豊かなのかも知れませんが、心の希薄さを生み、同時に物に対する愛着や、大切にしようとする良心までをも消滅させてしまうのでしょうか?私は、出来れば何でも長く使ってその物の良さや有難味を何時までも味わいながら楽しみ、一緒に歳を重ねて行きたいと思います。それ故に、物を翌々吟味して洞察力を働かせたく存じます。私の部屋にあるイギリス製の机は、無垢の木で作られていますので大変重いのですが、丈夫で何年使っていても壊れません。それに味わいが出て来ました。購入する時に迷った挙句、値段が高くても長持ちすることを第一に考えたのは間違ってなかったなあ!と、机を見ていてつくづく感じています。

派遣社員

必要な時、必要な分だけ!の考え方が、派遣社員のシステムを生み出したにも拘わらず、不況になれば問題視する?私には理解不能です。これも根本の問題だと思われます。リスクを背負わずに生きて行けるほど、甘い世界があるのでしょうか? 社員には成りたくはないけど、お金は沢山欲しい! 企業も必要な時だけ人員を確保したい、また要らなくなれば直ぐに解雇出来るからこそ、少し高い賃金でも払うのではないのでしょうか?お互いのニーズがそこで一致したのでしょう?先日、ある社長さんからこんなことをお聞きしました。それは、今は失業率が高いので雇用が容易だと言われていますが、何十人と面接をしましたが、一人も採用していないのだそうです。その理由は面接の際、詳細な質問をされるからだとおっしゃっていました。例えば「この時は、どうなるのですか?」「こんな場合はどうですか?」など言及です。突発的なことや、例外的なことまで質問されると心配になり、雇う気持ちが薄れて行くそうです。残念ですね*何でもやります!とか、自分の仕事の範囲を超えて頑張ります!文句を言わずに一生懸やります!なら雇ってくれると思いますが、時代が違うのでしょうか?
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