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武術

武術の稽古を朝夕と始めて(本当は深夜ですが)、一年が経ちました。一年で劇的に何か変化があるのか?ということもありますが、武術に於いては、それが大いにあるのです。論理的に説明がされないと出来ない?または、頭で理解出来ないとやれない?考えて納得しないと前に進めない?という現代人には理解し難いことでも、縄文人に憧れる私は、矛盾していようが、論理が成り立たないことであろうが、体を通してよく解るのです。それはどうしてなのか?「考えない」からです。「バカじゃあないの?」と、何処からか聞こえてきました!笑 素直=バカではありません*考えてはいけない世界もあるのです。でも、もしかしたら本当に馬鹿かも知れないなあ?と思う自分も正直申し上げますといます。役に立つのか?立たないのかも解らないことや、どうでも良い様な事に全身全霊で打ち込んでいるのですから*そんな雲を掴む様なモノに執着出来るのは、バカでなければ出来ないですよね?笑 武術の世界でこんな言葉があります。「考えてはダメだ!でもよく考えろ!」それを私はこう解釈するのです。行う時は考えないで素直に動き、行った後によくよく考えるのだなあ?と・・・皆さんだったら、どう捉えますでしょうか?本当は解っているつもりだけで、全然解ってないのかも知れませんね?ただ不思議なことや、言葉では言い表せない事に対して興味が湧いているのでしょう!少しでも子供達の役に立つと良いのですが・・・

テニス

最近私は、武術の体の使い方を応用し、サービスの時、捻ったり捩じらないで打つことが、出来る様になりました。普通、サービスは少し横向きになり、ある一点に支点を作り沈み込みながら捩じりパワーを生み出します。丁度ゴムを引っ張って手を離す様なイメージなのですが、しかし私は、正面を向き両足の踵を着けたまま爪先を少し浮かせ、両足を上げる感覚にして、全体重をラケットに乗せる打ち方です。  あるコーチは、ビックリして「そんな打ち方で、何故あのパワーが出せるのですか?」と驚いていました!スポーツ理論的には、反しています。  何故なら、捩じり捻るからパワーが生み出され、地面を強く蹴るからスピードが生まれると言う発想ではないからです。

野球

野球選手は、よく体を痛めて手術をしますね!特に投手は肩や肘を痛めることが多いようです。 何故でしょうか?私は、体の使い方が間違っているからだと思います。  登板を、なか4日とか5日空けてもケガをしてしまう?体が弱くなっていることもあるのでしょうが、それにしても故障者がこれだけ多いのは、きっと無理な体の使い方をしているからでしょう?体を捻り過ぎ、腕や肩に過度な負担を掛けていると感じます。速い球を投げたければ、もっと違うトレーニング方法や投球法を考えたり、また物凄い変化球を投げたければ、腕の振りに頼らない投げ方を編み出せば故障しないのではないのでしょうか?以前、ある柔術家が始球式でボールを投げたことがありました。それが正面を向いたまま凄いボールを投げていたのです!そのスポーツそのモノを知らないからこそ、反スポーツ的な動きが出来たのでしょう!正に発想の転換が出来るキッカケだと思いましたが、誰も試そうとしていません。その道で生きてきた人間は、どうしても積み上げて来たモノだけを信じ、それらから逃れられません。 おそらくプライドや固定観念、意地も邪魔するのでしょう?幸か不幸か解りませんが、そういった事に対して、私は面白いと考え素直に試してみたいと直ぐに考えるのです。「何だそれ!!!」って驚かれると嬉しくなるのですね!笑 「習う」とか「学ぶ」とは、よくマネをする所から始めると言われますが、私は全て肯定しません。もしも、マネから脱却出来る考え方を持ち合わせていれば、まだ良いのかも知れませんが、しかし、何処まで行っても、やっぱり真似はマネなのです。小学生なら尚更ですよね!よくスター選手のマネをしよう!などとコーチは言いますが、では何処から個性は生み出されるのでしょう?本当に選手を育て様とすれば、無限の可能性を培うベースの部分を育むことやイマジネーションの引き出しを沢山作ることだと私は考えます。如何にも難しそうな技がマネ出来たとしても、その選手の技ではなくコピーでしかない。表面上のことなのです。惑わされてはいけません。ある「独自の技」を生み出した選手は、きっと色々な場面場面でキッカケやヒントを自分で見つけ、試して失敗し考え、また試すを繰り返した結果、素晴らしい技を編み出した筈です。「良い所取り」をしてマネ出来たとしても、その過程のプロセスがない為に、対応力や順応力と申しましょうか?「即座の適応力」がないのです。本当の技ではない!本当の技とは、何時如何なる時にも使え効くから技と言えます。頭をちゃんと使ってくる相手がいるのですから。言い換えれば「見せかけの技」です。!書き込みながら思いましたが、前頁の「二代目」の話にも繋がると思います。初代は、地盤を築く為に様々な困難や壁を乗り越えて来たと思います。「白刃の上」を歩くこともあったでしょう!その結果、どんな困難なことにも対処出来るのです。地盤を引き継いだ「二代目」は、そのプロセスを自身が経験していない為に、間違った判断をしてしまうのかも知れませんね?よく似ていませんか、技の習得と!何か大きな問題が起こった時、同じ手法を用いたとしても、誰でも上手く乗り切れる訳ではありません。人格や人柄、又はタイミングや段取りなどが微妙にズレるのでしょう?料理でもそうですよね!計量カップで量り同じ分量の調味料や食材を使っても、作り手によって味が違います*どんな道でもそうだと思いますが、自身が苦労をしなければイケナイと言うことでしょう*教えられて何でも出来るのなら皆上手く行く筈です。思い出したことがありますので加筆しますが、野球のオーバースローと言う投げ方があります。一番威力のある投げ方として知られていますが、簡単に申しあげますと、体を捩じり後ろに手を回して肩より上から投げる投球法です。最も一般的な投げ方ですが、武術では余り好まない体の使い方で、どちらかと言いますとやらない方が良いとされています。何故なら、肩が上に上がれば不自然な体になる為に滞ってしまうからです。相撲や柔道も一緒で相手に肩を上げられてしまいますと、とても不利な状態になってしまいます。力が詰まるとでも申しましょうか、力の流れがスムーズに体の中を通らないですし、力が入り難くなります。また、人間骨格の構造上に於いても、腕は肩から上には上がりません。肩から上に腕を動かす為には、鎖骨が動いて上げているのです。肩が上がれば息は乱れ、疲労が早まり筋肉も硬直し易くなって来ると思います。投げる回数の少ない野手ならまだしも、オーバースローの投球法で投手が全力で何百球も投げ続けていれば、肩を壊すことはある意味当然なのかも知れません。多分、それにいち早く気づいたアメリカは、投手の球数が100球を超えない様にしたのでしょう?しかし、私は、固定観念を捨て無理のない投げ方に変えれば別に200球でも300球でも投げられると考えています。  スポーツ選手がケガを恐れて臆病になっては恥ずかしいですし、また情けなく思うのです。人々に勇気や感動は与えられませんね*「スポーツ科学的」とか「科学的に証明されている」と言う言葉に弱い人間は、幼稚な考え方に引き戻されている様な気がします?前述のこと一つ取り挙げてもそうですが、200球を投げれば肩を壊すから、じゃあ100球に抑えた方が良い!と言う発想なら小学生にでも考え付くことでしょう*何がスポーツ科学的なもんですか?笑 行いたくても出来ない事に対して、日本はやれない理由を探すのが上手いのですが、アメリカも同じ様な所があります。確かに合理的なのかも知れませんが、考え方が単純過ぎます!パワーを増したいと、ヘビーウエイトを掛けて局部的に鍛えたり、プロテインを食することの何処が科学的なのでしょう?その果てがステロイドと言う筋肉増強剤です。目に見え易いモノや表面的で分かり易い所から原因を探さずに、人間の体というものと真剣に向き合い、もっと掘り下げて考え、様々な角度から見てみれば科学的ではない、真の体の使い方や、可能性にきっと目を開くことが出来るでしょう! 活字になると納得してしまったり、データを見せられると信じ、表面上の情報に左右されていては間違ったことを子供達に教えてしまうと、何時も疑問を持ちながら疑い、一つ一つ自身で試した上で、何事も伝えて行きたいと私は考えています。野球の話で、少し本音を吐露しますと、投手が投げ終わった後、肩に大きなプロテクター並みのアイシングをしていますよね!私は、あれがとても嫌いなのです。大袈裟に映るのですよ*大病人の様で情け無くなります。「お大事にして下さい」と言いたくなります。自分自身が大好きで大事に大事に!大切に大切に自分の体にケアをして、ケガなく出来るだけ長持ちさせたいのでしょうね!自分の幸せのために*皮肉っぽくて嫌な奴ですね!私は***これも草食系の現象だと私は思いますがどうでしょうか?スポーツ選手が草食???***戦えないですね!

サッカー

サッカーでは、ボールを思った所に止めることが出来、思った所にボールを蹴れれば、もうサッカーが出来ると言われます。その「蹴る」ということについて触れますが、私も指導したての頃には、誰しもが教えがちな指導をしていました。走る力を軸足で急に止め、そのパワーを蹴る方の足に伝えるのだよ!また、蹴る足は後ろの方から大きく!膝から下を早く振り抜け!などなどでした。しかし、今は余りそんな指導はしなくなりました。その理由は、形に嵌めずに一人一人の「個性を大切」にしたいからです。その子その子で蹴り方が違っても良いことは分かっていましたが、指導者という立場は恐ろしくそんなことも見えなくなり、ちゃんと教えなければという考えに流されてしまいます。本来は、どんな蹴り方であろうとその子の蹴り方で良い筈です。外野があれこれ言う必要はありません。ただイメージ的に「もっとこうしたらより良いよ」と言う様なアドバイスは必要なのかも知れません。要は、思った所に蹴れれば良いのですから!強いキックの蹴り方も選手それぞれに任せた方が、選手もやり易いでしょうし、きっと楽しい筈です。これは後々大けがをする!とか、これを続けると故障の原因になると思う様な事以外はです。世界の選手をよくよく見て下さい。沢山シュートの蹴り方があることを!後ろに足を振らない蹴り方や、軸足を地面に居付かせない蹴り方!過去には左足が苦手な為、全部右足でしか蹴らないブラジル代表選手もいました!本当に個性的で楽しい*出来ない所に目を向けて満足する日本の指導者なら真っ先に左も蹴れる様に指導すると思います!笑 そんなことをしないでも何故楽しいと感じさせることが出来るのか?それは、選手自身が想像を超えたプレーや、期待を上回る動き、あっと驚く様な発想があるからだと感じます!  日本のプレーヤーは、目の前に困難が迫ると、後ろに下げたり、味方にボールを渡してしまいます。勿論下げることやパスするのが全て悪いとは申し上げませんが、アイデアに乏しく有触れている為に、相手の選手やチームにマル解りで全然怖くないのです。消極的なプレーですね*外国を参考にしたモノしか習得してない!誰でも知っている技しか使えない!マニュアルを基本にした一見巧そうな選手を育てますと、こう言う結果になります。教えられたモノだけで通用している内は良いのかも知れませんが、それが通用しなくなった時の対処方法が分からなくて、立ち止まって自分で考えることを止めてしまいます。味方に何とかしてくれ!と言うことしか出来ません。困難という壁が目の前にあれば、どう打開し乗り越えて行くのか?と真剣に悩ませる様な指導を心掛けないと「良い選手」「善い大人」は育めないと思っています。先日の指導でも、こんなことを子供達に伝えました。「簡単な練習を疎かにしてはいけない。  難しそうなメニューや技を幾ら練習しても、それを生かすことが出来なければ、猫に小判?(今の子供達には分からないですね!笑) 何にもならない。例えば道具を一杯持っている子がいるとします。ノコギリやカナヅチ、ナイフなど無いモノはありません。でも、もう一人の子は何も持っていない*そんな子達が木で何か作ろうとしたら、どうだろうか?当然、道具を持っている子は簡単に作ることが出来るでしょう!しかし、道具を持っていない子は何も出来ないのか?そうではない!少し頭を働かせば、石をハンマーに変えたり、石と石を割って尖った形にすれば、削る道具にもなったりする!道具がないから何も出来ないと言う様な考えでは何もやれない!どんなことでもそうだと思うけど、出来ない理由を幾ら沢山並べても一生出来ないしツマラナイ!だったら、出来ない理由を探すよりも、少しでもやれそうなことを考えた方が楽しいと思う!そういう考え方を持っていれば、世界中の人をビックリさせることが出来て、楽しませることも出来んだ*だから簡単な練習の中にヒントを見つけ、自分なりの工夫した練習が出来れば、きっとアイデアが沢山閃く選手に成れると思う!皆の気がつかない事に気が付けば素晴らしい技もきっと生まれるでしょう?」日本の小さな枠から飛び出し、世界に宇宙に向かって欲しいです*笑

剣術

まだ剣術云々を言えるほど、鍛錬はしていませんので、本当は申し上げられないのですが、少し触れさせて頂くことをお許し下さい。剣術は命懸けの術ですので、スポーツ理論を当て嵌めますと、大抵は殺されてしまいます。命が懸かった体の使い方は、人間の究極の動きであり失敗は即「死」を意味します。だからこそ学ぶべきモノも大きい!宮本武蔵先生は、生涯剣術に身を投じて死ぬまで追及し鍛練した方ですが、数々の教えを残しておられます。 どれも考えさせられる事ばかりで、きっと真の意味に到達するまでに、私が死んでしまうでしょう!五輪書と言う本が6・7冊、私の枕元に何時も置いてありますが、読み反す度に自身が情け無くなってしまいます。処世術にでもなれば有難いのですが、中々そう言う気持ちにはなりません。武術の中には、剣術、弓術、槍術、様々沢山ありますが、区別を設けてはいません。体術も含まれています。!武蔵先生の最後の試合は、棒術の達人と戦いましたが、体術で勝利しました。簡単に申し上げれば、相撲見たいなものです。一般的に武術や武道の種類を、どうしても分けて考えがちですが、本来は同じなのです!命懸けの戦いなのですから*以前、猪木さんもこうおっしゃっていました。「皆は、ボクシングとか空手、柔道とか、格闘技を分けて考えるけれども、一緒だ!戦いなのだから分けて考えるのはオカシイ?」と・・・剣術でも同じで、今、刀がないから戦えないとはいきません。殺されますから*ある物全てを使い戦います。何も無ければ当然、体が武器になりますので体術となる訳です。武術の基は体術であるとも教わりました。少し下世話な話ですが、武蔵先生は生涯一度も風呂に入ったことがなかったそうです!究極の合理主義者で剣術に必要なことしかしないとの理由だったらしいのですが、女性から大変モテたとの話も残っています!一説では、入浴をしない為に男性フェロモンが強烈だったのでは?何て言われています。笑 そう言えば、数ヶ月前の深夜のテレビで、女性達数人が男性フェロモンについて研究する内容の番組が流れていましたが、その中で、きっと男性フェロモンが沢山出ているのは、命懸けの仕事をしている男だろうと仮説を立て、スタントマンの男性と、お笑いタレントを呼び、顔や姿をパネルで隠し、胸だけくり抜いて匂いを嗅いで試していました!笑 すると驚いたことに、女性5人全員がスタントマンの方を指差し、「この匂いが良い!」と叫んだのでした。ビックリです!それを疑って見ていた司会者二名の男性が嗅いでも違いは全く分かりませんでした。以前、NHKでも実験していましたが、お父さんの匂いを嫌な匂いと感じるのは何故か?良い匂いと嫌な匂いは、何が影響を及ぼしてそう感じるのか?という番組を観たことがあります。男性10名位に一日、白いTシャツを着せて脱ぎ、ビンに入れた物を、女性が順番に嗅いで行き、良い匂いの番号札の前に立つのです。そして、男性が登場するという設定でした。その後、匂いで結ばれたカップル!(笑)の遺伝子配列を調べて見たのです。 それで判明しましたのは、おそらく同じ遺伝子に近い匂いは、嫌な臭いに感じ、自分の遺伝子から遠ざかれば遠ざかる程、良い匂いに感じる結果が出たのでした!従ってお父さんは臭くなくても臭いと感じるのですね!笑 良かったですね、お父さん*昔、お爺さんから、血縁関係の事について聞いたことがあります。人間は血が濃くなるとイカンと言っていましたが、人間の本能や遺伝子にもそういうことを避ける様に自然の摂理でもそうなっているのかなあ?と思い出しました。虐待を受けていた子供達のことも脳裏に過ぎりました*匂いと言えば、私はリンゴの匂いが大好きです。食べるのは梨が好きなのに、匂いはリンゴ?リンゴの匂いは心を穏やかにさせてくれませんか?私だけですかねえ!そう感じるのは*

力とは?

力に「強い」「弱い」はありますが、みんな力を持っています。 しかし、殆どの方は、力の使い方と申しましょうか?有効な放出の仕方や伝達方法を知りません?私も半年前まで知りませんでした!笑  ご理解頂き難いかも知れませんが話します。力と言うモノは、相手や物に早く伝われば伝わるほど威力を発揮します。  スポーツ的には、スピードと言いますね!しかし、いくらスピードが速くても、武術の世界では遅すぎて、因循姑息の音がするのです!笑  江戸時代から明治に移る時に読まれた「散切り頭を叩いて見れば、文明開化の音がする!」の対句で「チョンマゲ頭を叩いてみれば、因循姑息な音がする!」と言われていたそうです。今まで培って来た文化をバカにして全部否定してしまいました。相撲ですら、裸にマワシで戦うのは野蛮で恥ずかしいと言われました! 社会が大きく変化して太陽暦になり、西洋の機関車や電燈など、外国から様々な物が持ち込まれ価値観が一変したのですね*拳銃も持ち込まれましたので、刀とか鎧などは因循姑息に映ったのでしょう!剣術の達人でも、刀を抜いている間に撃たれたら終わりだ!との考え方だったと想像します。 でも、今私は敢えて現在のスポーツ科学的トレーニングに対して、同じ句を読んでお返ししたいと思います。笑 「イケメン頭を叩いて見たら、草食系の匂いがした!」「スポーツ選手の頭を叩けば、ナルシストの音がする!」字余り?笑  真面目に戻ります*武術には、スポーツ的な準備?プレーと申しましょうか?動作の始まりがないのです!「起こりがない」とでも申しましょうか?根本や発想が全く違います。先ず力を意識的に使おうとすれば、そこに「作意?作為?」が働き相手に見えてしまうのです。ですから、水が流れる様に!花びらが落ちる様に動けば、相手に悟られない動きも可能になります。以前、一緒に暮らしていたネコとジャレて遊んでいる時に、私がネコの鼻に指先が触れるのが速いか?ネコパンチが私の手に当たるのが速いか?と試してみました。申し上げるまでもありませんが、断然ネコの方が速く、私が触る前に手をパンチします!どうしてなのか?何回も何回も挑戦しているとあることに気が付きました!それは、ネコパンチには動きに始まりがないのです。それは見えないと言うより、やはり「ない!」信じられないけど素晴らしい*また、武術の中には動きの速さもありますが、体の内部の伝達速度の速さも重要です。これをご説明するのも非常に難しいのですが、例えば水を撒くホースが細ければ、少しの水を流すことしか出来ませんね!ホースが太ければ沢山一気に水を流すことが可能になります。しかし、水圧が弱くなりますので、出口を指で押さえると勢いよく水を遠くまで飛ばせます! 電流も同じ様なことだと思いますが、結局、電気を通し易いモノと、通し難いモノがある様に、体の中の力を通し易くする機能を具えるのです!例えば自身の最大の力を10とするのなら、0から10までの力を出すまでの2・3・4・5~過程で相手に力の方向性や意図が伝わってしまいます。それでは相手に対処する時間を与えてしまう結果になる。相手も分かっている力に対しては、安心して抵抗することが可能な訳です。だからこそ相手に知らせない為に、自身の機能を調え一瞬にして10の力を出せる様にすれば、相手を無力化出来ます。 その為には、体中の遊びを取り省き、体に張りを作るのです。力を入れるのとは違うのですが、皮膚が張った状態とでも申しましょうか?何と言えば良いのでしょう?あっ!棒と紐に例えた方が分かり易いですね!棒を二人で押し引きすれば力の伝達は直ぐに伝わります。紐であれば弛みがある分タイムラグが当然ありますよね!その様なことを体の機能として培うと不思議な力を出せる様になります。その力も、ただ単に一つの力に纏めて出すのではなく、押す、引く、上がる、下がる、回る、浮くなどを同時に相手に伝えますと、相手は不思議な感覚に陥り、脱力してしまうのです。難しいのですが、鍛錬をすれば少しずつ体を通して解って来ると思います~私もまだ修行の身ですが・・・ダメですね* 私の拙い説明では?先月、一本歯の高下駄でサッカーの練習をしていましたら、走っている最中に歯が外れて足を骨折してしまいました* しかし、ナント!怪我の功名で技が一段と効く様になったのです!笑 足の裏が腫れているために、何時も浮いた状態が保てるのでした。今までは、両足を浮かそう浮かそうと意識していたモノが、無意識に出来て「へ~こんな感じなんだ!」と実感できたのです。そうですね?それは薄氷を踏む歩き方です!骨折したせいでスタッフに迷惑を掛けていますが、今度は私が木の下駄から、鉄の一本歯に変えることを告げると、疲れた顔で呆れていました*笑 ガハハ もう届きましたので履きたくてウズウズしています*今度は4本くらい折りますか!!!骨折と言えば、こんな猪木さんの逸話があります。モハメッド・アリさんと戦った後、チャック・ウェップナーというボクサーと戦いましたが、その時に足の甲を骨折していたのです。しかし、誰にも言わずに戦いました。今の選手だったら、絶対棄権したでしょうね?不利な状況に対して、当たり前の様に挑む猪木さんを本当に尊敬致します*私もそう成りたいと、骨折をしながらスキーキャンプに出掛けてスキーをしましたが、一回滑って無理だと分かり改めました。救護班に周りましたが、負傷者が救護班なんて?自分自身が笑えて来ました。アハハ!

歩き方、曲がり方

歩くことは、人間の自然な動きですので、特別何かを意識しながら歩行している方は少ないと思います。 しかし、現在の私は、どんなことよりも意識し歩いています。踵を上げない様に!重心を掛けない様に!片方の足が地面に着地すると同時にもう一つの足が浮く様に!と心掛け「歩く」ということが、一体どういうことなのか?本当の意味や可能性を知りたいと思っています。  武士の時代では、ある人とすれ違っただけで、「ムム!お主出来るな!」と分かったそうです。その理由が今の私には何となく理解出来ます。 それは、歩き方や所作を観て感じたのでしょう!観て感じるのとは違いますが、私も握手をすれば、この人は仕事がどれ位出来て、どの位根性があるのかや、どんな生き方をしているのかが少し分かる気がします?戻しますが、真っ直ぐ歩くことがどれだけ難しいことか?歩いていて何時如何なる時にも、力が一瞬にして100%出せるか?曲がる時にも最短距離で直角に曲がれ、尚且つ体を崩さないで素早い身のこなしが出来るか?本当に面白いですよ*私が事務局で、武術の歩き方をしていますと、スタッフ達は腹を抱えて笑っています。子供達にも、この歩き方を見せますと「怪しい人だ!ドロボウ見たい」と笑いながら蔑むのでした*せめて「忍者」と言って欲しいものです!腹立たしい*笑 そう言えば、手裏剣術も数ヶ月前から練習に取り入れています。 野球の話ではありませんが、正面を向いたまま手を後ろに振らないで、目の前で投げる「瀧入り」と言う投げ方です。非常に難しい投げ方ですが、ある一定の距離なら90%近い確率で命中する様になりました。  しかし、的が段々遠くなるにつれ威力が減退し刺さらなくなってしまいます。棒手裏剣を4分の1回転させ振り被らないでパワーを出すのは至難の業ですね!まだまだ赤影には程遠いです*笑

受け身

受け身は、武術や武道をなさらない方でも、身に付けておいて損はない「技」です。日常生活に於いも危険なことは沢山ありますので、役に立ちますよ!大ケガにはならなくて済みます。男女問わずです。私は、小学生の時に受け身を覚えたましたので、スポーツ中、危険なプレーを沢山してもケガなくこれたのは、全て受身のお陰だったと思います。何事も遅いと言うことはない!と言われますが、受け身は健康に生きて行く上で、とても大切なモノですから、習得されて見ては如何でしょうか?二十代の頃、柔道の受け身の癖が抜けなくて、足の着地を合気道の先生によく注意されましたが、それくらい体に染み付いているのだなあ*と、考えたことを思い出します。子供時代に覚えたことは、本当に一生の財産になりますね!

八極拳

八極拳は中国の武術ですが、私は余り興味を持ったことはありませんでした。しかし、沢山の日本の武術の基は、中国から伝わったモノが基本になっています。私が武術を練習していることを知ったある方から八極拳の先生をご紹介され、先日、稽古に参加させて頂きました。不思議な体験でしたので、これから本格的に通って見ようと思っています。筋力に頼ることなく、脱力することで体が本来持っている力が出せる!そんな印象でした。「潜在能力の開発」と言ったところでしょうか?武術との関連もあるのですが、逆説と申しましょうか、真逆のこともありますので、混乱しないで素直に感じて鍛錬させて頂きます。

一人稽古

孤独の中での一人稽古は、見えない難しさがあります。子供達の指導に繋がっていることもありますので、少し話しますね!それは、練習時間の長さと申しましょうか?猛練習と言った方が正確かも知れません?主観ですが、稽古と言うモノは徐々に気分が乗って来て、もう直ぐ最高潮に達する手前で止めないとイケナイと言うことです。簡単なことだと思われるかも知れませんが、これが結構難しいのです。それが出来ないとヤル気が持続しなくなってしまいます。また、ある極限まで体をイジメても、精神的に鍛える意味は多少ありますが、その他はマイナス部分の方が大きくなります。厄介なのは、猛練習をしても「ある程度の成果」が出てしまう時もあるので誤解を生んでしまいます。昔、聞いたお話ですが、ある選手がスランプを脱しようと、何時間も反復練習を夜遅くまで続けたそうですが、より一層不振に喘いだと教えてくれました。しかし、気分転換に趣味の時間を少し取ったら、初心に帰ることが出来て、その後、大活躍したそうです。本来稽古は、やればやるほど強くならなければなりません。反復練習は、自身でするのは調整が出来ますからまだ良いのですが、やらされる反復練習ほど感覚を鈍らせるものはないと私は思っています。  結局、その先のページが開き難くなってしまいます。  必ずしも言葉の表現が正しくないのかも知れませんが、小さな「燃え尽き症候群」を引き起こすと思います。更に、次の練習がダレて身が入りらなく、また、練習で習得した貴重な「閃き」や「勘」みたいなモノが、最初感じたモノよりも、少しずつズレて行き修正が困難になってしまうのです。何方でもご経験があるかと存じますが、この前は上手く体が使えたのに、何で今は上手く行かないのだろう???きっと誰でもありますよね!体の機能とか感覚、操作性とは、とてもデリケートなモノだと思います。伝わりますでしょうか?こんな拙い説明で*ですから時々、親が付きっ切りで子供の練習をしている場面を見たり、親からの宿題と称して子供に練習を強要している方を見聞きしますが、余り感心致しません。誰の為にやるのか?何の為に練習をするのか?本人の意思が一番大切で、ツマラナイ習い事の一つにしない方が正しいと思います。 本当に子供のことを考えるのであれば、そっと見守るべきではないのでしょうか!  形式的なモノを身に付けてしまえば、成長はそこで止まり、次の章には移れません。飽きさせるのが目的ではないですよね?義務化は本当に怖いですよ*これでもか!と言う練習は、親がやらせてはいけないと感じています。英才教育を認め主導している今の社会や大人達は、「目先の成功」することだけを目指してはいないのでしょうか?  昔は、子供達を自由に開放することが、より幸せになってくれることに繋がると信じ、自分の考えや手出しすることを控えたのだと思います。ある日本代表の指導者がこうおっしゃっていました。「日本の子供達は、小学生、中学生までは強いが、その先が弱くなる!何処に原因があるのか?指導者には是非考えて頂きたい。」 私も、そこが最も重要な部分だと思います。先取りをして、小学生に中学生のことを教えれば確かに一時的には強くはなるのでしょう?しかし、その年代にしか学べないことや、回り道と思われる様なことが、後々飛躍する要因になると私は確信しています。見えない未来を想像しながらの指導は、結果を直ぐに求める方々には、受け入れられないでしょうが、耐えるしかありませんね!笑  苦労している様な表現になっていますが、本意ではありません。楽観的で理想主義な私ですので、何事も上手く行かない自分を素直な気持ちで前向きに受け止め理解しています。笑 楽しく生きましょう!そう言えば、私が好きな久米宏さんが、こうおっしゃっていました。「公の場に出ていますと、皆に好かれようとしてしまう*そして、知らず知らずの内に自分ではない自分を演じている!でも最近は、10人視聴者がいたら二人位の共感者がいてくれれば良いと思う様になって来ました。きっと、その方々は真の理解者だと」・・・」私自身も、八ッ!とさせられました。これからは出来るだけ自然体で綴らさせて頂きます。

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愛知県で活動しているクラウドサッカークラブの運営をしています。
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