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一途

「一途」良い響きではありませんか?言葉よりもその生き方に憧れを持ちます。私の好きな言葉でもあり、また嫌いな言葉でもあるのです。きっと、心の何処かで「信じたいけど信じられない?」私、自分自身が存在するからでしょう!一途の「途」の字もデスポートと同じく、「旅立つ」とか「旅に出る」と言う意味がある様です。縁起でもありませんが、「三途の川」何て言いますもんね!笑 一途な姿勢には、「健気さや、直向きな心」が見得て偽りのない感動を覚えますが、同時に胸が押し潰され苦しくなることもあります。心身一体と申しましょうか?一途なその生き方に触れた瞬間に感じませんか?切ない気持ちが*剣術の世界にも、「心身一如の礼」や、「剣心一如」と言う立派な教えがありますが、正しく一途に取り組むからこそ生まれた言葉なのでしょう!全てに於いて、係わりの尊さを有難く思い感謝の気持ちを込めて、「礼」をするのです。その境地に私は到達していません。 人にあれこれ言いたがる威張った人間には、心から礼が出来ないのです。 一応は我慢し、挨拶出来ても!笑 その不誠実な立ち振る舞いや、軽く頷く返礼に対し、怒りが込み上げて来てしまい抑えるのがやっとです!笑 泰然自若とは程遠い*それがストレスとなって悶々としてしまいます。何処かで太宰さんと同じ様に、そのセンサーが人とは違う所で、過敏に反応し過ぎているのかも知れません? 「感じ方や視点が、きっと他の人と違うんだなあ~」と、私は子どもの頃から疑問に思っていました。  私がオカシイのです*人間失格ですね!

「ウ”ィヨンの妻」を観て

昨日、連区の運動会の後片付けを済ませた後、太宰さんの映画を観て来ました。きっと夜だからと言うことからなのでしょう?人が少なかったものですから、周りを気にしないで集中して観ることが出来ました。感想は私の感情が入り込み過ぎて大変疲れました。と、申しますよりも、「疲れ果てた!」の方が表現としては合っていると思います!笑 その中で、「幸福って何ですか?」太宰さん曰く「女には幸福も不幸もない*」 では男は?と妻が問えば、「男は不幸しかない」と答えていました。  今私は、その言葉の意味を考え続けています。太宰さんは、おそらく他人を傷つけ様などと低劣で下劣なことは考えていませんから、本質や真実を言われたのだと思います。何なんでしょうね?多分自分が信じられなく生きたのですね*お辛かったことでしょう* 他人の言葉をそのまま素直に受け止めることなく、人には見えない裏側に潜む卑しい心が透かし観えてしまっていたのだと思いました。酒に溺れたことがない私には、太宰さんの本当のお気持ちが、理解してあげられないのかも知れません*現実逃避の手段だったのでしょうか?人間が欺き合って生きる恐ろしさに脅えて、怖くて怖くて堪らなく飲んでいたのかも知れません*



映画の中の太宰さんに入り込み過ぎて内容を所々しか覚えていませんが、あるシーンで一滴*不覚にも零れてしました。オシッコではありません!笑  酔った勢いに任せて、妻に惚れている誠実な男を家に連れて来てしまい、その妻に無理やりと申しましょうか?不意を突いて男がキスする所を見てしまった時にです。その後、誠実な男は奥さんに謝っていました。しかし、そのことを寝ていた筈の太宰さんは見てしまったのです。 私としては見て欲しくなかった*そして、見られた事を悟った妻は、それを悔いて泣き自分を責めていました。 裏切るつもりはないのに、結果的にそうなってしまった!その事実は変えられない* もう取り戻すことが出来ない*幼少の頃から、他の人間が簡単に乗り越えられることでも留まってしまうことに悩み* 苦悩する中で自虐的になり、生き苦しさの中で、やっと見つけた「無垢の愛」も、脆く儚い夢でしかなかったのです* それを知ってしまった太宰さんは、何を信じて何を目的として生きたら良いのか?絶望の淵に自ら追い込んでしまったのでしょう?ジェラシーと言う簡単なモノではありません。人間の係わりや、人間の本性、信頼関係、運命、煩悩などなど*もしかしたら、「原罪」みたいなモノかも知れません。蔦が絡む様に色々な方向から交差し、雁字搦めに絡みついた自分に、「どう生きれば良いのか?」と、出口のない「藪の中」に入り込み命を絶ったのかも知れませんね!私の想像ですが・・・

信頼

私には信頼を持つ基準見たいなモノがあります。それは、その人が「弱い人」や「分からなくて出来ない人」 また誤解を恐れずに申しますと、「自分よりも遣れない人?知らない人?」 人間的な部分ではなく、道具を上手く使えなかったり、書けなかったり、自分よりももっと勉強が苦手な人、体が不自由な人、生れつき障害がある人、バカ正直な人、損をしてしまう人、何時も自分で自分の首を絞める人、不器用な人!などなど、そんな生き方を見てバカにするのか?笑うのか?その方々に対するモノの見方や心情を感じた時に私は、その人を信頼するか?しないか!という判断をしている見たいです。自分自身で明確に決めて行っている訳ではありませんから言い切れないのですが、今までを振り返り思い起こしますと、そう感じます。人間は演じる部分もありますから、全てを信じてはいけません。 今の時代なら尚更で、詐欺が横行し、お年寄りからカネを奪う輩が沢山いますから肝に銘じておかないといけませんね!ある物事が遠く離れていれば善い人になれていても、もし、そのことが自分の身や家族に及べば別問題となるのです。 不幸が身に降り掛かった時、又は掛かりそうになった時、初めて人間の内側が表面に表れるのだと思います。 例えば幾ら身障者に優しい方でも、いざ身内に係わって来そうになれば、引いてしまったり、拒絶してしまいます* それはある意味、生身の人間ですから仕方のないことかも知れませんが?理想と現実には、これくらい大きなギャップがあるのです。 だから太宰さんは誰も信用出来なくなったのではないのでしょうか?太宰さんには、知恵遅れ?ダウン症のお子様がいましたから、切実にそう言う人間の心理に対する拒絶感の様なモノがあったのではないか?そんなことを感じます。 私の身近でも過去、その様な事で懊悩していた友人がいました。

心の裏側

私の友人が、純粋無垢な素晴らしい女性と出合い、結婚をしようと決めた時に相手の親から、「あなたの身内に、身障者やキ0イがいないか?借金はないか?興信所に調べさせる!」などと、キツイことを言われて、とても落ち込んでいたことがあったのです* その親は、ボランティアで障害者の御世話をしている様な優しい方だったそうです。しかし、可愛い娘さんのこととなると話は別になるのでしょう*それは、仕方ない事なのかも知れません。 友人の身内には、一人もその様な人はいなかったのですが、忌まわしい人間の心の裏側を知り、葛藤を繰り返していました。   もしかしたら友人に対して、何処かに欠点が見得てしまっていたのかも知れません?それとも心配する親心から疑心暗鬼になられていたのでしょうか? 結局、その友人は自分自身にウソが付けなく、好きな人を諦めなければならなかったのです*その友人が自分の母親に「付き合ってる相手の親から、家に呼ばれている!結婚をするかも知れない」と伝えた時、そのお母さんが諭す様に、こう言われたのだそうです。「結婚をすると言うことは、親が一度に二人増え4人になることやよ!そんな暗い顔をせんと喜ばないかん*本当に嬉しいことなんやから*」と・・・そんな会話があったそうですが、その教えと現実の板挟みに遭い苦しんでいました。その悲痛な姿は、未だに忘れられません*聞かれて、「笑いながら答えてしまった自分が嫌になった*」と苛まれていました。オレは醜い奴だとか、資格もない人間や!と言っていましたね*友人は静かにと申しましょうか?とても荒れていました!愛だけではダメなんだと★ 「家や家族を捨ててまでも、付いて来てくれる☆」と、言った言葉が忘れられない*とも言って頭を抱えていました。幸せな男です。人が人を愛することとは、一体何を持って「幸せ」と言うのでしょうか? 自分の幸せと、周りの幸せが食い違う? 観念の違いを感じます。 自分の幸せは、好きな人を幸せにすることなのに不幸を齎してしまうのか?  話を聞いていた私は、自分の事の様に考えて沈黙してしまいました。悲しい生き物です☆人間は*   浦島の話の中でも、こんな件がありました。「折角お前(カメ)を助けてやったのに!」と言う太郎に対して、カメはこう述べます。 「紳士は、これだから困る?自分が親切を施すのは、報恩を期待してのことだろう!    助けてくれたのも私がカメで、虐めている相手が子供だったからだ! もし、荒くれた漁師やチンピラが病気の乞食を虐めていたら、ただ顔をしかめて通り過ぎたに違いないんだ*   あなた方人間は、人生の切実の姿を見せつけられるのを、とても嫌がるからね~カメだから助けたんだ。子供だからお金をやったんだ。美徳の施しはしても、手を汚すことは嫌なのさ* 疑わしいもんだ!」と・・・ 人間が生きるとはどういうことなのか?   自分の信じたモノを貫き、人の役に立つことを喜びとすることを信じますが、その人に役立ったと思われることも、実はそうではなかったとしたら、どうでしょう? 表面的には「ありがとうございます」と言われても、「何だこんなモノ!」何て言うこともあるのです。太宰さんから見れば「人間の恐ろしい本性も生きて行く資格なのだ!」と教えて下さるのかも知れません*  また歌の話ですが、友人のことを思い出す歌があります。それは、「景子」と言う伊藤敏博さんの曲です。「サヨナラ模様」と、この「景子」と言う歌はセットで聞きますと、男女が別れる情景が臨場感溢れる形で映し出され、切ない気持が抑え切れなくなります。秋が漂う季節になりましたから、この曲が余計に胸に沁みます*    好きな者同士が結ばれないのは悲し過ぎませんか?人生の最大の喜びを得ようとして、それが最大の悲しみを生んでしまう*何事も全て上手く行かないのが人生でしょうか?それに耐え忍び生きることが人生なのかも知れませんね☆この2曲は、伊藤敏博さんの実体験に基づいた歌だとお聞きしています。お辛い経験をなさっていますね*敏博さんも☆とても悲しく辛かったでしょう*でもその体験があったからこそ素晴らしい歌が出来たのだと思います。大勢の皆さんが、この歌を聞き心を揺さぶられ涙するのです。本当の悲しみを味わったからこそ、本物の歌が唄えるのだと思います。 今でもご活躍されているそうですから、頑張って頂きたいものです。クラウドの卒業生達も、成長し大きくなっています。 会って話をしていますと、恋をしているなどとも聞きます。是非、好きな人と結婚して幸せになって欲しいと切望します。もし、恋の相談を受けたら、どうしましょう?笑 「親の反対を押し切ってでも好きな人と幸せになりなさい」と言えるでしょうか? 私のことですから、多分そう言ってしまうでしょうね?  「人間、人生は一度切りなんだ!どうせ意地を通すなら、クダラナイ小さなモノに拘るより、一番大切なモノに命を懸けて見ろ!」 何て恰好の良い事が言えると良いのですが*何時までもクラウドの生徒は可愛いですからね!本当に幸せになって欲しい*

赤い糸

暗くなりましたから少し明るくします!笑 友人はその後、違う女性と結婚をして、幸せになっていますから良かったのです*ずっと拘っていても仕方ないですもんね!友人は、その後にこう言っていました。 「オレが可哀想ではない!悪いのはオレだ★彼女には何の罪も無いんだ*」と*** 唐突ですが、「結婚」と言う漢字と、「名前」の名の漢字で思い出したことがありますからついでに話します!強制的に話題を変えますね!笑    名前の「名」の字は、夕刻で暗くなり誰か分からないことから、名前を告げていた! だから「夕」の字に「口」を付けたのだそうです。面白くないですか?もうひとつ「結婚」と言う字に何故、黄昏の字が入っているのか? 不思議でしたが、昔は、結婚して初めて新婦が心労?笑  新郎に顔を見せるのは、初夜の晩だったからだそうです。明るい内に顔を見せることを恥ずかしく思っていたのですね!カワイイ☆  時代が変われば漢字の意味も分からなくなってしまうモノですね!昔は、顔も知らない親が決めた相手と結婚をして、信頼をゼロから築いて行ったのでしょう! 想像力豊かな私は、お互いの赤い糸を結んで女の氏が変わり、日々を暮らすから、「結婚」と書くのかなあ?何てバカなことを考えていました。最近は、夫婦別姓ですか?これをして女性の人権が確保されるのでしょうか?分かりませんが、子供はどうするのでしょう!選ばせるの?  アメリカのマネをして、ミドルネームでも付けるのでしょうか?日本の文化も変わりつつありますね!  良いことなのか?悪いことなのか?でも何故、赤い糸と言うのでしょうか?白黒つけるとか!腹が黒い!真っ赤なウソ!笑 「赤」には、黒や白と同じ様に、色分けがハッキリ分かるという意味があると、何処かお聞きした記憶がありますが、白い糸でも、水色でも、幸せの黄色でも良さそうではありませんか?  白無垢の着物を着ていたのですから?やっぱり白ですね*あっ!そうだ!赤は血ですね*血が通い合う* 血が混じり合って新しい命が生まれるから、「赤」にしたのでしょう!どうですか皆さん?赤ちゃんとも言いますもんね*自分だけ納得しています!笑

赤い疑惑とカメレオン

この話は、しない方が良いと感じましたから、止めておきます。余計暗くなりますから*

鳩山さんの奥様

暗いニュースが多い中で、唯一、心が温かくなることがあります。それは、鳩山さんの奥様の姿を拝見した時です。献身的に夫を支えているお姿は、優しい日本女性の象徴として映り、美智子様と同じ印象を受けます。本当に心が和みませんか?マスコミに虐められない事を絶対希望します!笑 鳩山さんの奥さまは、太陽の様な明るさと優しさが滲み出て博愛を感じませんか?鳩山首相は本当に幸せですね*ぜひ、この日本を良い国にして下さい。善い妻がいないと良い仕事は出来ませんからね!笑 気は心と申しますが、世界各国に行かれます時にも、必ずそのお国の事を気遣われていることが分かり、これこそ「内助の功」だなあと思いました。素晴らしい*同じ様な話が猪木さんにもありますので、ご紹介致しますと、猪木さんが、モハメッド・アリさんと戦った次の日、妻の倍賞さんが、アリさんの宿泊しているホテルに、メッセージを付けた花束を送り、アリさんがとても感激したと聞きました。アリさんは言われたそうです。 「こんなことを戦った相手からして貰ったことは初めてだ!私は、自分を鼓舞する為に、何時も相手選手に罵詈雑言を吐いている。猪木に対してもそうした*それなのに、こんなことをしてくれるなんて***何て日本女性は素晴らしいのだ」と言われたそうです。 最近は、女性が前に出て、男が後ろに下がる傾向がある様ですが、内助の功が「内緒で乞う」に変わっているのかも知れませんね!アハハ 上手い?笑  男性の皆様、頑張りましょう*私もガンバリます!

人を動かす

カーネギーの「人を動かす」と言う本は、世界中で沢山買い求められ読まれているそうです。私も十代の後半に所々読んで見ました。素晴らしい教えが書いてありますが、私はマネをするのを拒否してしまいました。だから人間が出来ていないのかも知れません!笑 人を動かす目的として自分を変える?自分を演ずる?一生演じ続ければ、それはそれで何か本物に近づけるのかも知れませんが、しかし、私は、「成功の秘訣」だとか!「上手く行く五カ条!」「カネが溜まる習慣!」とかの本に対して拒絶反応してしまうのです。多分、そうなったキッカケは、私が中学生の時に、「間違えだらけの車選び」と言う本がべストセラーになった時からだと思います。もう30年以上前、非常に沢山売れていました。車の情報や、その執筆者が色々な車に乗った感想が書かれていた本です。この車は悪い!良い!と・・・また、その本に書かれることで、車の売れ筋が変わり影響を及ぼしたとお聞きしています。だから車メーカーの方々は、その執筆者を、まるで腫れものにでも触る様に戦々恐々として特別な接待をしていました。そんな社会や人間に対して、私はとても疑問に感じていたのです。車は道具です。愛車とも言いますが、物に変わりありません。愛着が湧くのは少し分かります!笑 でも、自分のお金で自分に合った車選びをするのに、何故、人の感じたものを参考にしなければならないのでしょうか?私が感じます所、何かを当てにしないと何も出来ない?何か情報を得ないと不安? 大人の自分が自分の感性を信じられなくて、専門知識がありそうな人からのアドバイスを受けることが損をしない?他力本願の世の中になりつつあった時代ではなかったと思います。上辺の情報を、何の疑いを持たずに受け入れたくなかったのでしょう!私は人を動かそうとするよりも、自分を動かそうと思っています。その方が人間らしくありませんか?  商売人的には失格でしょうが・・・情報は恐ろしい!マスコミの情報も操作され意図されたモノと受け止めた方が良いのかも知れませんね!人間失格にならない様に*そう言えば、その頃から名前の字画に拘ったり、有名な占い師に高額なお金を払って、子供の名前を付けて貰い始めた奔りだったですね!今の難しい漢字を子供に付けたがる前兆だったのかも知れません?私は占い師が本当に嫌いです。品がないです*「分」を弁えない方々だと感じます。人の人生が?運命がそう簡単に変わってしまう訳がない!自分の弱さを知り、自分の領分や役割を謙虚な姿勢で探さなければイケナイのではないでしょうか?一瞬が左右することもあるのが、人生です。人ではありません。自分自身です*

子供は神の子

良いも悪いもなく、生きているのが幼い子供達です。それが損得を覚え、バカと利口を知って行きます。罪のない神の子から人間になって行く*指導をしていますと、そんな過程を垣間見ることが出来ます。嬉しい様な悲しい様な複雑な気持ちにもなりますが、でもやっぱり成長する姿は言葉では表現出来ない喜びです。何時か私達なんかよりも、もっともっと立派な考え方を身に付け、勇気のある行動が執れ、尊敬される様な人間になってくれるでしょう*これは大きな希望ですが、でも心の何処かで?片隅で?普通でも良いんだよ*小さなことでも感動し、感謝して喜び合える人が近くにいるだけで、掛け替えのない幸せを掴むことも出来るんだ!とも伝えたい気持ちがあります。   おわり 

 

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