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私は、どんな事でも「何かを失う」という恐怖に対して「真正面から立ち向かいたい」と考えています?はカッコ良過ぎますね!笑 「見っとも無い意地を張り通して」と申し上げた方が真実です。でも本当に強く成りたいと思っています。しかし、こんな事で落ち込んでしまいました。*情けない! 暗い話題が続いてしまっていたからでしょうか?言い訳ですね*止めましょう! 気を強くしっかり持って生きたいと思います。 私なんかよりも、口には出さなくとも沢山の苦労されて見える方や、悲しみを乗り越えて立派に生きている人間は沢山いらっしゃるのですから*そう思えば、全然大したことはありません。真実の話題ではありませんが、昨日の日曜日に愛知県体育館で大きな大会に出場して参りました。 その中で、本拠地が東海市にあるチームの監督さんとコーチの方が、態々私の席にまでお越しになられ、このホームページを観て共感しているとの旨を、伝えに来て下さいました*私の様な破天荒で、特殊な考え方にも共感共鳴して下さる方が遠くに一人でもいらして下さったことが、嬉しくてジーンと胸に沁みました。有難いことです*
目に映るモノ
人間は、目に映るモノを信じて自分がどうするのかを決めています。しかし、目に映って見えたモノが真実だとは限りません。人間の目を疑うと色々な事が観えて来ます。普段の生活の中でも、映っていても見えてないことは日常茶飯事です。興味のある対象だけ見得て、他の周りのモノはボヤけています。反対に、その様に見える人間の習性?感覚を利用して意図的なことをする時もありますね!例えば、女優さんをより綺麗に撮る為の技術で背景を薄っすらとボカし、女優さんの姿だけを浮き上がらせる技法です。私達はそれに騙されます★ 笑 私は騙されませんが!どうして?見た目の美しさや容姿よりも、内面の心が美しい女性に魅かれる人間だからです。綺麗なモノには必ず棘がある ☠ どうでも良い事ですね*笑 アハハ 心は目に映り難いですから、本当によーく見なければ観えて来ません。それと同じ様に、「よく見る」とは何を以って、どういう風に見ることなのでしょう?一点に集中することでしょうか?全体を見ることでしょうか?動く所を見ることでしょうか?難しいですね?
トラやネコの目
困った時は、超人的能力を持つトラやネコ先生にお聞きしましょう!笑 ネコ科の動物は特に反射神経に優れ俊敏に動きます。また相手の気配を察知する能力も秀でています。そこには、人間が忘れてしまったと申しましょうか?退化してしまった。安心安全のサービスの中で、機能が低下して行ったのだと思います。その能力とは、自分の気配を消す能力や、相手の気配を察知する能力です。おそらくネコ科の動物は、周りの空気が動くことを敏感に感じたり、相手の指一本が1ミリ動きかけただけでも察知してちゃんと観ているのです。 全体を見ながらでも、一つ一つをしっかり見ているのでしょう? 人間の目は見てはいますが、経験知から辻褄を合せながら、次の状況や相手の行動を予測判断し、自分の行動も決めています。と言うことは見ている様で見ていないと言っても過言ではないのかも知れませんね?
アフリカの目
マサイ族の方や、アフリカに住んで見えます方々は、数キロ先まで見えると言われています。同じ人間にも拘わらず、何故こんなに違うのでしょう?単純にアフリカの人だからで片付けられてしまいがちですが、私はそうは思いません。 先進国に住む私達は、生活環境によってその様な能力が退化してしまったのではないか?と感じます。 しかし、そんな中でも、よく見える人や、よく聞こえる人は、私達の身近の中でも差はあるのですから、普段の生活や習慣によって潜在的な能力が育まれたり、または育まれなかったりするのだと思います。危険が沢山あれば、機能も発達するのでしょう!「退化」するとは、生活に必要なくなる能力だからなくなるのでしょうか?何を私は言っているのでしょう!笑 「よくなくなくな~い?」になっていますか?最近、私も今風の言葉や発音に侵されつつあるものですから、反省ばかりしています。ニュースやCMでも、「何々ですし~!」「何々なんで~!」が当たり前の様に遣われていますよね*本当に危機苦しいです?
ライダーの目
私は、年に数回大きな単車に乗りますが、ライダー達の目は他の方々達?オートバイに乗らない方々よりも、幾分か?多少!笑 優れていると感じています。 ただ単に視力が良いとか、悪いとかではなく、察知能力に長けていると私は感じています。この前方の車の運転は危険そうだとか、この運転手は右の景色が綺麗だから、きっと左を見ていない?この運転の仕方だと右に曲がる?だとか、常に予測し準備をしています。そういったことが出来なければ?イヤそうしなければ、剥き出しの体を曝け出して運転しているライダー達は、即、「死」に繋がってしまうからなのです。
目の違い
緊張した時の目と、集中した時の目に違いはあるのでしょうか?緊張すれば真白になり、何も観えない気がします。目が見えるから、それ故に感じない?そういう事もあるのでしょう?鳥や昆虫の目は、人間とは違っています。あっ!犬や猫の目の観え方だって違いますもんね!実家の犬や猫は、何時も耳や尻尾を噛む私を、きっと悪魔の様な姿に映っていやしないでしょうか?現代社会の人間は、見える目を持っていることで、安心仕切り、目に頼り過ぎているのかも知れませんね?都市整備化された中に住んでいれば、そうなることは当たり前なのでしょう!自然の中に暮らしていれば、耳で観て、鼻で観て、匂いで観て、肌で観て、目で観る!五感を全て使いながら生きています。 農家のお年寄りの天気予想は外れませんし、来年の気候まで言い当ててしまいます。自然の中で学んだ経験は、計算されて出来たものではありませんから、予想は外れません。
指導者の目
子供達の指導に対して真剣に取り組んでいる方なら、先ずコーチは子供の現状現実を受け入れる所から入ります。そして、子供達から様々なことを感じ取り、あらゆる方法を考え、そして編み出し、試行錯誤しながら如何に体と頭で理解させる事が出来るのか?という視点で指導すると思います。手法は様々ですが、私はそのことを出来るだけ側面的に?間接的に指導することを心掛けているつもりです。但し、断定的なことは言いません。ある一つの方法だと伝えます。子供達の将来を真剣に考え指導していましたら、自然にそのことが身に付き辿り着きました。まだまだ指導者として道半ばなのですが!きっと、それは大きく外れてないと思っています。しかし、それで満足している訳ではありません。何時も自分自身に疑問の目を向け模索しています。その中で、「観る!見る!感じる!勘!聞く!」などの指導を私なりに掘り下げていますと、指導法に大きな疑問が湧いて来ました。「ちゃんと見ろ!顔を上げろ!目と目で合図しろ!」または難しい言葉で「スクリーンしろ?関係性を持て?クイックしろ?アプローチ?ライン?フェイク?」などの言葉を掛ける指導も拝見致します。それらの事を、カッコ良く?コーチは念仏を唱えるかの如く言い続けますが、私は変わり者ですから同じことの繰り返しを好みません。更に、専門用語を用いることにも抵抗感をもっています。少しサッカーを知っている方や、指導者は、よく遣いたがるのですが、私はどちらかと申しますと、恥ずかしく感じるのです。尤もらしく聞こえるだけで、自分の言葉ではない!自分の指導ではない!と、気付いたのです。難しい言葉で、子供達が理解するとは到底思えませんし、それよりも本当に選手の心や、真髄に響く、私自身の想いを素直に言葉にして伝えた方が、より深く浸透し、広がりを持たせる気がしています。 必ずしも私の考え方が、正しいとは申し上げられないのですけど、ウソがない指導をしたいとの強い信念から何時しかそうなっていました。 今でも自分の吐いた言葉の意味を、もう一度、疑問や疑いを持って指導し続けています。 「この言葉は、今の子供達に通じているのか?」「このことを言って本当に分っているのだろうか?」「この例え方は、体の中や頭に響くアドバイスなのか?」と・・・立派なことだけを言い続け、指導者が優越感だけ味わい、それを実戦出来ない子供達がダメで遣れないだけだ!という勘違いをしていないか?分野は違いますが、詩人や作詞家の皆様は、詠んだり作った詩の一言一句を本当に深く考え、付け加え様か?削ろうか?変えようか?変えまいか?と、沢山の時間に労力を費やすされていることを、何処かでお聞きしたことがありますが、私も同様に進んで苦労したいと考えています。 子供達を教える指導者が、何とかの一つ覚えの様に、ダダこれを言えば良い? これを言い続ければコーチングをしている様に見える?その様な錯覚をしてはいけないのです。失礼ですが私はそう思います。子供達に拘わらず、大人に対する指導でも同じで、同じことの繰り返しのみのアドバイスしか出来なければ、指導者としては如何なモノでしょう? 勿論、指導者が手取り足取り親切丁寧に指導することだけが、良い指導だと考えている訳ではありません。「一」を伝え、その先は本人が深く考え広げて行くことの方が、より高度な指導法だと思います。 その意味からしても、真の指導者とは、その人の特徴や性格などを把握した上で、伝え方も変わって行かなければなりませんし、また、その人の練達?上達段階によって、伝授伝達して分かることと、解らないことが出てくるのは当然のことだと考え及んでこそ、きっと指導者と呼べるのでしょう!更に、また教えを乞う側にも問題があります。一つのことを教えて頂いたら?水面の波紋が広がるかの如く、自分自身で幅を持たせ応用をしなければ薄っぺらな知識で終わります。「1を聞いたら、10を悟る!」のです。話が少しズレましたから元に戻しますが、「真実」を見るとは一体何でしょう?
善いクラブの目
クラブチームにも色々な考え方があります。 どのクラブを否定して、どのクラブを肯定する訳でもありませんが、ある時に、「当クラブでは勝ち方は教えない?」と、コーチから言われた違うクラブに所属しているお子様の保護者さんが、私の所に相談したいことがあると訪ねて来て下さいました。「そんなことを言われたけど大丈夫でしょうか?」と・・・ 私は即座に、「そのクラブは素晴らしいクラブですから、何もご心配は要らないですね!」とお答えしました!首を傾げておられましたので、私の考えを出来るだけ噛み砕いてご説明しましたら、納得して帰っていかれました。少し中身を話しますと、「しかし、どうしてそんな話になったのですか?」と、逆に私がお聞きしましたら、親にもサッカー経験があり、そのクラブの指導法に対して口出しをしてしまったのだそうです。その流れから前述の勝つ方法は教えない話になったとのことでした。今勝つ事を第一の目的にしてしまえば、「こうすればこうなる!」という狭い範囲の指導に陥り易くなります。 また大人の選手への指導やアドバイスとは、根本的に違うのです! この先、将来が最も大切な子供達と、今が大切な大人と指導が同じである筈がありません。可能性や見識を幅広くさせてあげたいのに、狭くしてどうするのですか?それには、言われたことだけを「タダヤレ!」だけでは指導になりませんね*勝ち方を教えることは、答えを教えてしまうこと=答えを教えてしまうことは自分で失敗をして、答えを導き出せるという喜びや楽しみを子供達から奪うことなのです。本当に勿体無いことです。大人の?指導者の知っていることを誇示して、存在感を示す為の子供は道具ではありません。
夢の中へ
またまた、井上陽水さんの歌の話です!笑 陽水さんの有名な曲で、「夢の中へ」と言うモノがあります。「♬ 探しモノは何ですか?見つけ難いモノですか?カバンの中も、机の中も、探したけれど見つからないのに、まだまだ探す気ですか?それより僕と踊りませんか?夢の中へ~夢の中へ~行ってみたいと思いませんか?ウフフ~」 人間は目や情報に頼り様々なことを知ろうとします。しかし、見えないことを信じようとはしません。しかし、科学的に証明されていることは、知らないことなのに?自分が見てもいないのに信用してしまいます!この歌の、「探し物」とは、一体何でしょう?愛する人の心でしょうか?愛の形でしょうか?それとも世間の正義でしょうか?道徳心でしょうか?自分の良心でしょうか?「探すのを止めた時~見つかることも良くある話で~踊りましょう夢の中へ~行ってみたいと思いませんか?ウフフ~」 目で見て一生懸命探そうとしても見つからないモノが、探すのを止めると見つかる!人生を教えてくれている様な気が致します。陽水さんは本当に素晴らしい詩人です。
動物 気配 俊敏性 感性 相手の動き カメラ 他のモノは見ていない 見えない 人間の危機 察知能力を失う 動物的とは? 善いクラブは勝ち方を教えない
*連絡事項*
このブログの容量を超えてしまい、記事データが保存されなくなりましたので、解決策を決めるまで、お休みをさせて下さい。クダラナイ事や私の身勝手な事ばかり綴っていますから、こんなに早く満タンになってしまったのでしょう!今、暫くお時間を頂戴致します。
目に映るモノ
人間は、目に映るモノを信じて自分がどうするのかを決めています。しかし、目に映って見えたモノが真実だとは限りません。人間の目を疑うと色々な事が観えて来ます。普段の生活の中でも、映っていても見えてないことは日常茶飯事です。興味のある対象だけ見得て、他の周りのモノはボヤけています。反対に、その様に見える人間の習性?感覚を利用して意図的なことをする時もありますね!例えば、女優さんをより綺麗に撮る為の技術で背景を薄っすらとボカし、女優さんの姿だけを浮き上がらせる技法です。私達はそれに騙されます★ 笑 私は騙されませんが!どうして?見た目の美しさや容姿よりも、内面の心が美しい女性に魅かれる人間だからです。綺麗なモノには必ず棘がある ☠ どうでも良い事ですね*笑 アハハ 心は目に映り難いですから、本当によーく見なければ観えて来ません。それと同じ様に、「よく見る」とは何を以って、どういう風に見ることなのでしょう?一点に集中することでしょうか?全体を見ることでしょうか?動く所を見ることでしょうか?難しいですね?
トラやネコの目
困った時は、超人的能力を持つトラやネコ先生にお聞きしましょう!笑 ネコ科の動物は特に反射神経に優れ俊敏に動きます。また相手の気配を察知する能力も秀でています。そこには、人間が忘れてしまったと申しましょうか?退化してしまった。安心安全のサービスの中で、機能が低下して行ったのだと思います。その能力とは、自分の気配を消す能力や、相手の気配を察知する能力です。おそらくネコ科の動物は、周りの空気が動くことを敏感に感じたり、相手の指一本が1ミリ動きかけただけでも察知してちゃんと観ているのです。 全体を見ながらでも、一つ一つをしっかり見ているのでしょう? 人間の目は見てはいますが、経験知から辻褄を合せながら、次の状況や相手の行動を予測判断し、自分の行動も決めています。と言うことは見ている様で見ていないと言っても過言ではないのかも知れませんね?
アフリカの目
マサイ族の方や、アフリカに住んで見えます方々は、数キロ先まで見えると言われています。同じ人間にも拘わらず、何故こんなに違うのでしょう?単純にアフリカの人だからで片付けられてしまいがちですが、私はそうは思いません。 先進国に住む私達は、生活環境によってその様な能力が退化してしまったのではないか?と感じます。 しかし、そんな中でも、よく見える人や、よく聞こえる人は、私達の身近の中でも差はあるのですから、普段の生活や習慣によって潜在的な能力が育まれたり、または育まれなかったりするのだと思います。危険が沢山あれば、機能も発達するのでしょう!「退化」するとは、生活に必要なくなる能力だからなくなるのでしょうか?何を私は言っているのでしょう!笑 「よくなくなくな~い?」になっていますか?最近、私も今風の言葉や発音に侵されつつあるものですから、反省ばかりしています。ニュースやCMでも、「何々ですし~!」「何々なんで~!」が当たり前の様に遣われていますよね*本当に危機苦しいです?
ライダーの目
私は、年に数回大きな単車に乗りますが、ライダー達の目は他の方々達?オートバイに乗らない方々よりも、幾分か?多少!笑 優れていると感じています。 ただ単に視力が良いとか、悪いとかではなく、察知能力に長けていると私は感じています。この前方の車の運転は危険そうだとか、この運転手は右の景色が綺麗だから、きっと左を見ていない?この運転の仕方だと右に曲がる?だとか、常に予測し準備をしています。そういったことが出来なければ?イヤそうしなければ、剥き出しの体を曝け出して運転しているライダー達は、即、「死」に繋がってしまうからなのです。
目の違い
緊張した時の目と、集中した時の目に違いはあるのでしょうか?緊張すれば真白になり、何も観えない気がします。目が見えるから、それ故に感じない?そういう事もあるのでしょう?鳥や昆虫の目は、人間とは違っています。あっ!犬や猫の目の観え方だって違いますもんね!実家の犬や猫は、何時も耳や尻尾を噛む私を、きっと悪魔の様な姿に映っていやしないでしょうか?現代社会の人間は、見える目を持っていることで、安心仕切り、目に頼り過ぎているのかも知れませんね?都市整備化された中に住んでいれば、そうなることは当たり前なのでしょう!自然の中に暮らしていれば、耳で観て、鼻で観て、匂いで観て、肌で観て、目で観る!五感を全て使いながら生きています。 農家のお年寄りの天気予想は外れませんし、来年の気候まで言い当ててしまいます。自然の中で学んだ経験は、計算されて出来たものではありませんから、予想は外れません。
指導者の目
子供達の指導に対して真剣に取り組んでいる方なら、先ずコーチは子供の現状現実を受け入れる所から入ります。そして、子供達から様々なことを感じ取り、あらゆる方法を考え、そして編み出し、試行錯誤しながら如何に体と頭で理解させる事が出来るのか?という視点で指導すると思います。手法は様々ですが、私はそのことを出来るだけ側面的に?間接的に指導することを心掛けているつもりです。但し、断定的なことは言いません。ある一つの方法だと伝えます。子供達の将来を真剣に考え指導していましたら、自然にそのことが身に付き辿り着きました。まだまだ指導者として道半ばなのですが!きっと、それは大きく外れてないと思っています。しかし、それで満足している訳ではありません。何時も自分自身に疑問の目を向け模索しています。その中で、「観る!見る!感じる!勘!聞く!」などの指導を私なりに掘り下げていますと、指導法に大きな疑問が湧いて来ました。「ちゃんと見ろ!顔を上げろ!目と目で合図しろ!」または難しい言葉で「スクリーンしろ?関係性を持て?クイックしろ?アプローチ?ライン?フェイク?」などの言葉を掛ける指導も拝見致します。それらの事を、カッコ良く?コーチは念仏を唱えるかの如く言い続けますが、私は変わり者ですから同じことの繰り返しを好みません。更に、専門用語を用いることにも抵抗感をもっています。少しサッカーを知っている方や、指導者は、よく遣いたがるのですが、私はどちらかと申しますと、恥ずかしく感じるのです。尤もらしく聞こえるだけで、自分の言葉ではない!自分の指導ではない!と、気付いたのです。難しい言葉で、子供達が理解するとは到底思えませんし、それよりも本当に選手の心や、真髄に響く、私自身の想いを素直に言葉にして伝えた方が、より深く浸透し、広がりを持たせる気がしています。 必ずしも私の考え方が、正しいとは申し上げられないのですけど、ウソがない指導をしたいとの強い信念から何時しかそうなっていました。 今でも自分の吐いた言葉の意味を、もう一度、疑問や疑いを持って指導し続けています。 「この言葉は、今の子供達に通じているのか?」「このことを言って本当に分っているのだろうか?」「この例え方は、体の中や頭に響くアドバイスなのか?」と・・・立派なことだけを言い続け、指導者が優越感だけ味わい、それを実戦出来ない子供達がダメで遣れないだけだ!という勘違いをしていないか?分野は違いますが、詩人や作詞家の皆様は、詠んだり作った詩の一言一句を本当に深く考え、付け加え様か?削ろうか?変えようか?変えまいか?と、沢山の時間に労力を費やすされていることを、何処かでお聞きしたことがありますが、私も同様に進んで苦労したいと考えています。 子供達を教える指導者が、何とかの一つ覚えの様に、ダダこれを言えば良い? これを言い続ければコーチングをしている様に見える?その様な錯覚をしてはいけないのです。失礼ですが私はそう思います。子供達に拘わらず、大人に対する指導でも同じで、同じことの繰り返しのみのアドバイスしか出来なければ、指導者としては如何なモノでしょう? 勿論、指導者が手取り足取り親切丁寧に指導することだけが、良い指導だと考えている訳ではありません。「一」を伝え、その先は本人が深く考え広げて行くことの方が、より高度な指導法だと思います。 その意味からしても、真の指導者とは、その人の特徴や性格などを把握した上で、伝え方も変わって行かなければなりませんし、また、その人の練達?上達段階によって、伝授伝達して分かることと、解らないことが出てくるのは当然のことだと考え及んでこそ、きっと指導者と呼べるのでしょう!更に、また教えを乞う側にも問題があります。一つのことを教えて頂いたら?水面の波紋が広がるかの如く、自分自身で幅を持たせ応用をしなければ薄っぺらな知識で終わります。「1を聞いたら、10を悟る!」のです。話が少しズレましたから元に戻しますが、「真実」を見るとは一体何でしょう?
善いクラブの目
クラブチームにも色々な考え方があります。 どのクラブを否定して、どのクラブを肯定する訳でもありませんが、ある時に、「当クラブでは勝ち方は教えない?」と、コーチから言われた違うクラブに所属しているお子様の保護者さんが、私の所に相談したいことがあると訪ねて来て下さいました。「そんなことを言われたけど大丈夫でしょうか?」と・・・ 私は即座に、「そのクラブは素晴らしいクラブですから、何もご心配は要らないですね!」とお答えしました!首を傾げておられましたので、私の考えを出来るだけ噛み砕いてご説明しましたら、納得して帰っていかれました。少し中身を話しますと、「しかし、どうしてそんな話になったのですか?」と、逆に私がお聞きしましたら、親にもサッカー経験があり、そのクラブの指導法に対して口出しをしてしまったのだそうです。その流れから前述の勝つ方法は教えない話になったとのことでした。今勝つ事を第一の目的にしてしまえば、「こうすればこうなる!」という狭い範囲の指導に陥り易くなります。 また大人の選手への指導やアドバイスとは、根本的に違うのです! この先、将来が最も大切な子供達と、今が大切な大人と指導が同じである筈がありません。可能性や見識を幅広くさせてあげたいのに、狭くしてどうするのですか?それには、言われたことだけを「タダヤレ!」だけでは指導になりませんね*勝ち方を教えることは、答えを教えてしまうこと=答えを教えてしまうことは自分で失敗をして、答えを導き出せるという喜びや楽しみを子供達から奪うことなのです。本当に勿体無いことです。大人の?指導者の知っていることを誇示して、存在感を示す為の子供は道具ではありません。
夢の中へ
またまた、井上陽水さんの歌の話です!笑 陽水さんの有名な曲で、「夢の中へ」と言うモノがあります。「♬ 探しモノは何ですか?見つけ難いモノですか?カバンの中も、机の中も、探したけれど見つからないのに、まだまだ探す気ですか?それより僕と踊りませんか?夢の中へ~夢の中へ~行ってみたいと思いませんか?ウフフ~」 人間は目や情報に頼り様々なことを知ろうとします。しかし、見えないことを信じようとはしません。しかし、科学的に証明されていることは、知らないことなのに?自分が見てもいないのに信用してしまいます!この歌の、「探し物」とは、一体何でしょう?愛する人の心でしょうか?愛の形でしょうか?それとも世間の正義でしょうか?道徳心でしょうか?自分の良心でしょうか?「探すのを止めた時~見つかることも良くある話で~踊りましょう夢の中へ~行ってみたいと思いませんか?ウフフ~」 目で見て一生懸命探そうとしても見つからないモノが、探すのを止めると見つかる!人生を教えてくれている様な気が致します。陽水さんは本当に素晴らしい詩人です。
動物 気配 俊敏性 感性 相手の動き カメラ 他のモノは見ていない 見えない 人間の危機 察知能力を失う 動物的とは? 善いクラブは勝ち方を教えない
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