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本題に入る前に、このブログは容量が一杯になって来てしまいました。そこで、古いモノから順番に消去して行きますので、ご了承下さい。

高倉 健さん

男の中の男と言えば、高倉 健さんです。芸能人を好まない私ですが、この方だけは好感を持っています。無口で軽はずみな言動は一切しません。映画俳優にも拘わらず目立つことを嫌います。実直で頑固で不器用な方だとお見受けします。「不器用ですから、シンプルライフ!」何て言うコマーシャルが昔ありました。健さんにピッタリの言葉だったと思います。芸能人ではただ一人、私が私淑する方です。 そんな健さんの書いた本が、一冊だけ手元にありますから、私の好きなお話だけを抜粋して、ご紹介させて下さい。当然、そこにはクダラナイ私の感想も入ってしまいます*笑

アフリカの少年 

アフリカに健さんが行かれた時に、砂嵐に襲われたそうです!それを避け様と車に乗ってホテルへ逃げ帰る途中、道端で膝を抱え砂嵐に耐えている少年を見つけました。 しかし、その少年と目が合っても健さんは助けませんでした。その代り「夢を見ろよ*」と、心の中で呟いたのだそうです。現地の人達にとっては珍しいことではなく、貧しい人達は、そうやって凌ぐのも日常的なことだと教えて貰いました。旅人である健さんは考えました。助けることは簡単だ!しかし、ずーとは助けてあげられない*だから見て見ぬ振りをする。 子供は、どんな土地に生まれるのか?どんな親に育てられるのか?どんな家に生まれて来るのか?は選べない。ただ生まれて来ます。 しかし、夢を見ることは自由なのです。 人を助けることの意味を、もう一度深く考えさせてくれた良いお話でした。 見て見ぬ振りをする=それも大人の優しさ*     「悪いな!だから、夢を見てくれ*」

北極のインド人 

北極へ映画ロケの撮影に行きましたら、その世話をしてくれる方がインドの方だったそうです。何故、こんな所にインドの人がいるのだろう?と不思議でもあり、暖かい国の人が本当に北極の案内なんて出来るのか?と信用していませんでした。 それが、ある時に凄い吹雪に遭い健さんも、撮影クルーの人達も、全てが遭難して死にそうになりました。 しかし、そのインド人の方が機転を利かせ命を救ってくれたのです。その後、親しくなり、「どうして、インド人のあなたが北極にいるのですか?」と、健さんが尋ねましたら、こんな答えが返って来ました。「最初は、電気技師の仕事でカナダに就職しました。その仕事で、時々北極にも来ていましたが、何度も来る内に、ここが好きになったのです。」 その好きになった訳は、「ここに住むと人を信じることが出来る」そうおっしゃいました* 厳しい環境では、人間と人間を強く信頼で結びつける! 皆で助け合わないと、生きて行けないのです。 「お金は、燃やせば無くなる」とも言っていたそうです。家には鍵を掛ける習慣もない!警察もいない!命懸けで生きているからこそ皆で助け合えるのでしょうか?物がないから純粋な心のまま生きられるのでしょうか?奪われるモノがないから人間らしく生きられるのでしょうか? カネ、物、欲、そんなモノに囚われていても、死ねば何もかも無意味なモノになります。

ハワイの失恋 

あるベトナムの方がハワイで美味しいベトナム料理店を経営されています。健さんが料理を注文すると、日本語で紙に書き留めました!日本語を書けることに感心して、健さんが聞きました? 「どうして、日本語が書けるの?」すると、寂しそうに笑いこんな話をしてくれました。昔、戦争で荒れ果てた祖国を捨て、香港で料理人として働きました。 その時、香港に遊びに来ていた日本女性と知り合い恋をしました。一生懸命働き、そのお金は全て日本の恋人との電話代で無くなりました*愛した人に伝えたいこと*話したい事が沢山ある!だから手紙を書こうと必死で勉強した。  そして、交際を続けている内に彼女から、「一度、日本の私の家に遊びに来ませんか?」との誘いを受けて喜び、お金を貯めて行った。しかし、その時私は別れを決心し、自ら身を引いた*彼女は、大きな家に住んでいるお嬢さんだったのです。貧しい自分とは結婚出来ないと諦めました。彼女に貧乏する苦労はさせたくなかったのです。少年の様に涙をポロポロ流し、健さんにそう教えてくれました。  それから、「ジョウダン ジャア ナイヨ!」の言葉が口癖になってしまいました***   戦争で祖国を捨て、異国の彼女を愛し諦め、ハワイで料理店を営む!  どれほどの苦労を重ねて、辛い想いをされてこられてのでしょうか? 「ジョウダン ジャア ナイヨ*」 私ヤスユキには悲しい響きに聞こえます。 そう自分自身に言い聞かせながら歯を食い縛り、「負けるもんか!」と、きっと生きて来られたのでしょう? 何時もニコニコ笑いながら店に立ち、一生懸命に働き生きておられるそうです。

報われない

ここで話を終わらせた方が良いのかも知れませんが、続きのお話があります。人生はそんなに甘くはありません。常に過酷です*ハワイの店が繁盛して、暗い過去があっても今幸せなら良いのですが、良いことばかりでは無い様です。「この仕事は難しい」と言われます。 偶々忙しくて注文を聞きに行けなかった時、あるお客さんから、こんな酷いことを言われたそうです。  「あんた最近、生意気になったわね!何故、注文を聞きに来ないの!手抜きをして料理も作っているんでしょう?」と、立腹して乱暴に席を立ち帰ってしまいました。 そのベトナム人店主は言います。  「ジョウダン ジャア ナイヨ!手抜き何か一度もしたことはない*  何時だって、誰にだって一生懸命心を籠めて作っている!ジョウダン ジャア ナイヨ*」悲しそうに訴える店主に健さんは言いました。「あなたの料理には優しい心を感じる*食べると幸せな気分になれるよ☆」  そう言うと、怒りながらお客の話をしていた店主が、急に笑い出しクチャクチャな笑顔になりました。どんなに一生懸命に働いても、その想いを踏み躙って行く心無い人は、何処のお国にも要るものです。 子供達の事を真剣に考え、役に立とうと必死に努力していても、憎しみの表情で苦情を言われる度に心が折れそうになります。 「ジョウダン ジャア ナイヨ*」と、心の中で叫び黙って耐えるのが男です*  健さんならどうするだろうなあ?何て考える時もあります。きっと猪木さんなら、「どうってことないよ!」と笑い飛ばすことでしょう☆  本当に御二人とも素晴らしい方です。

垢スリ

そう言えば、同じ様なことが私の身近にもありました。肩こりがある私は、疲れがピークになりますと、偶にお風呂屋さんで垢スリをやって貰います。新陳代謝が良くなり肩が和らぐのです。一日中、垢をスルという大変な仕事に対して私は労いこうお聞きしました。「この仕事はキツイでしょう?大丈夫ですか?」その問い掛けに、何時も担当してくれる韓国の女性が私に言いました。「お金の為だから仕方ないね* 祖国の弟の大学費用がいるから・・・」また、続けて曇った表情を浮かべ、こんな事を教えて下さいました。  「私は誰にでも一生懸命に垢スリをしている*でも、この前、三人組の女の人を順番に私一人でやったんだよ!一生懸命に汗を掻いてやった!強さは大丈夫ですか?痛くないですか?と、聞きながら一生懸命にやったよ*  それなのにその帰り、フロントで三人が文句を言って帰った!全然力を入れてくれなかったと?そして叱られた*「私は悔しいよ★」と、悲しそうに教えてくれました。それを聞いた私は、とても他人事とは思えなく、その人に、「そう*」とだけ言い黙ってしまいました・・・ でも最後に私は、「ありがとう*気持ち良かったですよ*楽になった!またお願いします*頑張って*」と、お礼を言いましたら、女性の顔が少女の様な笑顔に変わり片言で、「アリガト マタ キテクダサイ マッテルヨ*」と、言って頂けました。 豊になると恵まれ過ぎて、人の優しさが感じられなくなる*有難味もなくなる*逆に人を傷つけたくなってしまうのでしょうか?残念です。もっともっと殺人事件が増える予感がします。

評論

最近のニュースを見ていて、よく感じますのは、ネチネチとした批判です。質問もそうですけど、品がない、品性に欠ける私ですが、本当に悲しく感じます。日本は何処へ行くのか?・・・こちらを正せば、あちらに影響があることは当たり前なのに?また、理屈的には正しくても、矛盾を受け入れなくては、何も進まないことだって当然あります。なのに、「ああ言えば、こう言う?」の繰り返し?批評する側は、何となくインターネットの悪口の言い合いに聞こえています。言うのは簡単ですよね!行うのが大変なのですから*菅さん、ガンバレ~意地悪な質問には、鋭く反論して下さい。余り国民の人気を気にし過ぎて、正しいことが出来ないのはイケマセンからね!最近の記者も、コミニュケーションの取り方が上から目線だと感じます。謙虚さがない!一国の総理大臣、国民の代表に向かっての言葉が軽すぎませんか? 「イジメが悪い、体罰が悪い、安易なルールを直ぐ作る、と言う一面的な環境で育って来た人間は、コミニュケーションの取り方が軽く、陰湿になり易くなるのかも知れません?その様なことが身近な社会生活の中でもよく感じています。真っ当なことであれば、その場で本人と会話を交わせば仲良くなれるのにそれをしない!また、仲間で言うことも争いを複雑にします。また遺恨を残しそうです。幾ら正しくても遣り過ぎれば恨みを買います。ヤッタ方は忘れても、ヤラレタ側は皆の前で侮辱を受けた上、恥を掻かされるのですから、きっと忘れることは出来ないでしょう?正しくても、逃げ道を少し残してあげられる余裕を持ちたいものです。 徒党を組んで自分達の力を大きなモノにし、屈服させ様とすれば尚更ですね!事は違えど反社会的な組織の遣り方と何ら変わりありません。一人で、ケンカして自分を曝け出し本音でぶつかり合えば、友情が生まれることも沢山あります。大勢で寄って集って個人攻撃し、他の責任者や誰かに言って懲らしめ様とする ☠ こんな遣り方で、人間社会が良くなる訳がないと思います。 その場では言えなくて?直接伝えずに後から陰で言う?黙って忍のも立派な大人の行いだと思います。その場で我慢出来たことなら言わなくても済みそうです。気分の問題なのでしょうか? 自分よりも相手を気遣い許してあげることだってある筈です。お互い様ですよね*本当に愚かなことだと私は思います。 私も違う意味で、もっと愚か者ですが☠ 笑 インターネットやパソコンが普及し、どんなことでも首を突っ込み姿を隠し批判することの、何処が楽しいのか、私にはさっぱり理解出来ません?無責任な人間だと思ってしまいます。 「個人情報保護法」と言う法律も役には立っていない気がいたします。「名簿屋」何て言う業者が、その法律に乗じて個人情報を高値で商売し取引されていますから。逆に、自分勝手な法律解釈を付け、自分の言質を誤魔化すこともあります。「皆が言っている?」「ある方が言っていた?」と言われます。では、「そのある方とは何方ですか?」と尋ねれば、「個人情報だから言えない?」それが個人情報?エセ個人情報保護法を盾にして、自分の意見を大きく見せて相手の気持ちを動かそうとします。口だけは立派です。男は黙って行動ですよね!「男らしい」何て言う言葉は死語になりつつあります。可愛くて、綺麗で、頭が良く、口が達者で、口動力がある男は一体誰が作りあげるのでしょうか?笑 世の中の女性?母親?父親?社会?教育?私ヤスユキ???でしょうか?笑 また、法は何の為に誰の為にあるのでしょう?自分の体と姿を隠せば意見も言い易いと思います?責任はありませんもんね*古い私には分かりません。自然の中での遊びや、趣味のことなどを自分の体を通して体感する喜びしか知らない私は時代遅れなのでしょうね*バーチャルはバーチャルだと思ってしまいます。無いものはない!有るものはあるのです。お金と一緒ですね!有るものはある。無いものはない。無い者の方が強い何ていう事も言われます!笑

少年院

先日、愛知県の豊田市にあります、「愛知少年院」へ勉強に行って来ました。率直な感想は色々ありますが、一つはとても強いエネルギーを感じました。強烈なと申し上げた方が正しいと思います。院生が作った様々な作品を観てそう感じたのです。そのエネルギーを集中し仕事に向ければ、どんな職種でも、きっと花が咲き立派に果たすことでしょう! 昔は、脱走者がちょくちょくいたそうですが、今は殆どいない事も教えて頂きました。 体制や環境改善を沢山して、本当に更生させようとされたのでしょうね?想い起こせば、私の同級生にも少年院にお世話になった者がいます。 何せ1,500名以上の生徒がいたマンモス中学校だったのですから、一人くらい居ても不思議ではありません。でも、その同級生は更生するどころか?ハクを付けて出所して来たのでした! ☠ 更生させるのは難しいことなのですね*悪い人間の集まりの中に入り余計に知恵を付けていました。小学生の頃から、家庭環境に問題があり、イジメられたりしてヘソが曲がった子だったものですから、学級委員だった私は監視役の様に命ぜられていました。家が隣の町内で近いと言うこともあったのでしょう?私の言う事は聞いてくれました。だから「見といてくれ!」と先生からよく頼まれたりもしていました。中学2年の頃、入所して中学3年の夏に出所しました。開放感からでしょうか?出所して間もなく、その同級生から、「海に行きたいから一緒に行こう!」と誘われ行ったことがあります。 しかし、この行ったことが事件を引き起こしてしまったのでした。私にとっては、「人生最初の命懸けの戦いをした?しそうになった?」苦い苦い思い出なのです。笑 海に着き二人でボートに乗って遊んでいました。そして、遊んでいる内、私は海にプカプカ浮かぶ気持ち良さに誘われウトウトと寝てしまいました。 でも、友人の怒鳴り声と誰かとの言い合いで目を覚ましたのです!それは、少し離れて浮かぶ二艘のボートの人達との間で、口論をしていたのでした*見掛けは私達もそう良くは無いと思いますが、あちらは明らかに年上の高校生で暴走族風の出で立ちです ☠ それも14、5名のグループでしたがドンドンこちらに向かって来ています!これは逃れられないだろうと私は観念しました。そこで、同級生に「どうする?」と聞くと、「ヤッテやる」と言うのです。私も同級生を見殺しには出来ませんから、「分かった」とだけ言いました。集団とは恐ろしいモノですね*怒りに満ちた顔で私達のボートに乗り込み喧嘩を売って来ます。 私に向かって、「お前やるんか?」と怒鳴ります。私は、静かに「やる」と申し上げました。笑 当然相手も、「よーし」と言いました。気が付きますと、既にもう一人の同級生は、相手のボートに移らされ何やら言われています?その数人が、私のボートにまた移って来まして、「アイツはヤラナイと言って謝っとるぞ!それでもお前は一人でやるんか?」と凄みました。一瞬呆気に取られて私は黙りましたが、もう引き返せないことを悟り、「一人でもやる!」と告げたのです。 「ハーン?」と、叫び何回も何回も同じ質問を繰り返すものですから、「イッペンやると言ったらオレはやるんや!お前ら何回同じこと聞いとるんや?」と言い返してしまいました。(イッペン=一度と言う意味です!笑 因みに、マッペン=もう一度と言う意味ですね!笑)バカですね*勝てる訳もないのに!笑  その私の言葉がキッカケになり、「よーし!ほんなら陸でやったるわ~」と、皆でボートを漕ぎ出し、浜に向ったのでした。  そして、直ぐ浜に辿り着きました。  皆で漕ぐものですから、速いこと速いこと!笑 何も考える暇はありませんでした。でも辿り着いて、またまたビックリしました!相手の人数が増えているではありませんか?そうです浜辺にも仲間がいたのです。☠ 三十人は居たと思います。そこで、もう一度リーダー格の方が私に尋ねました。「おい!この人数でヤッタらお前死ぬぞ!本当にヤルんだな?」と・・ 少し考えましたが、もう一度だけ静かに答えました。「やる*」  相手も私に、こんな事を言われて引き下がれませんから、「ヨ~シ、こっち来い!」と、私の腕を掴み裏手の方に連れて行こうとしますが、私はそれを振り払い、「逃げえへんわ~」と、破れかぶれの抵抗をしました。開き直りですね*笑  そして、私を皆で囲み浜辺を歩き始めました。 すると、今度は二十歳位の人相の悪い大人の集団が私達を呼び止めます ☠  まだいるのかよ?何人の仲間がいるんだ*笑 もう何人でも一緒だ!でも、その方達は見掛けと違い善い人達でした!「お前ら何やっとるんじゃあ?」と聞き、リーダー格が「イヤ、こいつが一人でもケンカをする言うからやるんです。」と答えました。すると、「お前ら恥ずかしないんか?相手はお前らより年下やろが、それも一人に何人でやる気や?見っとも無いで止めとけ*」と言われました。当然、そのリーダーは先輩に逆らえませんから、舌打ちをして私を睨んでいました。 私は何故か無表情です*きっと命を捨てる覚悟が出来ていたからだと思います。正直に言えば、内心助かったと思う気持ちと、死ぬかも知れない?でも、やるからには一人でも倒す?何も悪い事をしていないのに、ただやられるのは嫌だ!という覚悟を決めていた気持ちの力が抜けて行くのが自分で分かりました。例えるのなら、風船の口を開けスーと空気が抜ける感じです。その後、解放されたのですが、この話には後日談がありまして、ある祭りで再会してしまいました。☠ でも、相手の方達は私を認めて下さっていました!変な意味で*笑   その時に分かったのですが、その暴走族は名古屋北部にあります、とても大きな組織で伝統のある?笑 有名なグループだったのでした!そのお祭りでもまた集団で群れていました*話を元に戻します。解放された私は、同級生を探しました。見渡すとキッカケを作った彼は、恥ずかしそうに離れた場所で下を向いていました。 近寄り、「まあ仕方ないで気にするな*でも何でケンカになったの?」と聞きますと、「オレも寝てたら、大声で騒がしい連中が近づいて来たから、ウルサイと言ったんだ!そうしたら、何だと~となった*」と、初めて私は事情を知ったのです!笑   その同級生の裏切りに、怒りが湧かなかったと言えばウソになりますが、でも許せる自分がいました。それは、彼の家庭環境を知っていること。彼が皆から嫌われていたこと。そんな彼を普段から可哀想に思っていたからだと思います。例えばこんな話があります。小学校の給食で、フルーツポンチや、様々なデザート?果物が出て参りますが、彼はオカズを後にして一番に食べていました!彼からすれば珍しくて堪らなかっただけなのです? きっと、家では食べさせて貰った事がないのでしょう? 真っ先に喜んで食べていました。クラスの子達は、そんな彼を見て、「お前はアホか?」「常識がない」「どんな家庭で育っているんだ?」などなどの批判を浴びせていました。 先生も、「フルーツは最後に食べる物だ~」と叱っていましたね*善意の教育的配慮の指導からです。 先生が注意すると、クラスの皆は余計に我が意得たりと、批判のボルテージは上がるモノです*  彼は悔しそうな顔で下を向き、涙をポロポロ流しながら耐えていました。 手を固く握り締め床を睨んでいましたね* 私は、そのことを今でもしっかり覚えています。本当に可哀想でした。確かに彼には標的にされる要素は沢山あったのです。クラスメートが悪い訳ではありません。へっちゃらでウソを付く!真っ赤で派手な洋服を着て登校して来る!人の物を勝手に使う!そして、家に持ち帰ってしまうからです。 私も中学の時に、新聞配達で買った大切なギターを私本人の留守を見計らい、母に上手いことを言って持ち去られた事もありましたね* 取り返しましたが!だから嫌われていました。 でも、それは貧しさから来るものなのです。そんな彼を知っていた!だから許せたのかも知れませんね?振り返り思い出しますと、懐かしい気持ちと、苦い想いが交互に交差致します。小学生の頃、イジメられた鬱憤や家庭環境の格差に反発して、成長と共に凶暴化して行きました*でも体が大きくないものですから、喧嘩になりますと、直ぐ物を持つので皆から恐れられていました。私に対しては物を持って向かっては来ませんでした?自分が物を持って戦っても、刃向かって来る頭が壊れた奴だと思っていたのかも知れません?笑 今、彼はどうしているのでしょう?音信はありません。何処かで真面目に生きていると良いのですが・・・ 子供は、「どんな家に生まれて来るのか?どんな親に育てられるのか?どんな所に生まれて来るのかは選べない。ただ生まれて来ます。だから夢を見ろよ」と***夢見てるかなあ?少年院へ研修に行き、初めて内情を知りました。その同級生もここに居たんだな!と想いながら歩いていました***

期待感

人間、殆んどの方が期待します。私もそうです。自分の事、子供の事、世の中の事、色々です。でも、期待を持てば不幸も付いて来ませんか?恋愛でもそうですが、良い彼女が来てくれる?イイ男が現れてくれる?と・・先日、こんな記事を読みました。「期待感」が「警戒心」を上回ると、騙されると言うお話です。最近起こった事件で、女性が男を騙し、次々と殺して行った事件が二件ありましたね*練炭で殺されたとニュースで流れていました。きっとその男達は、気が強く自己主張の激しい女性に魅力を感じず、余り容姿が良くなくても、優しく気立て良い女性を求めて騙されたのではないか?と解説していました。美人な方よりも、見掛けの悪い女の人は優しくて騙さないだろう*と妄信的に信じ、期待をして警戒心が薄れたのではないか? 話し相手が欲しい*老後の面倒を見て貰おう!とかの裏側が見えてきそうです?何故、人と同じ生き方を望むのでしょうか?人と同じでなければイケナイのでしょうか?ご迷惑を世間の皆さまにお掛けしなければ良いと思うのですが、人並み?月並み?の生き方をすれば、きっと安心なんですよね! 若い女性が自分の子供は要らないと言う考え方が半数もある世の中です。  多種多様な生き方を望んでいるにも拘わらず、底辺のベースの部分は何も変わらない?皆と一緒!変な世間の常識や過剰な情報に左右されない自分の生き方だって、あると私は何時も思います。他人に迷惑がなるべく掛からない自由な生き方だって、きっとある。 株価が下がったとか?円高だとか?財政がどうとか?育児手当がどうとか?地球温暖化!環境問題で大騒ぎをしていますが、身の丈にあった生き方をしていれば、何も気になりませんし、関係なくなりませんか?時代は移りゆくモノです。人間が行ってしまったものは仕方ないのです。また、変化することも仕方がないと思いますが、私の考え方が間違っていますかね?「オイルショック」を子供の時に経験している私は、慣れているだけなのかも知れません!大騒ぎをすればするほど、私は冷めて行きます。 オイルショックの時は、皆アタフタして、石油が無くなる!もう日本は終わりだ!と言っていました?笑 でも、どうだったでしょうか!石炭から石油に変わる時代も大混乱だったとお聞きしています。 成る様にしかなりません。無ければないで生きて行けます。  他の動物を見習いたいものです。 人間が自分勝手に何をしようと、そのまま文句も言わずに受け入れ、当たり前の様に生きて死んで逝きます。しかし、人間は何かを期待をし外れれば、人生最大のショック!さあ大変* 期待をして上手く行かなければ、きっと自分が最も不幸に思えるのでしょう?国が悪い誰か何とかしてくれ!と・・・病気や体の不自由な方々を見て下さい。 どれだけの困難を克服して生きておられるのか?先日も、NHKの番組で生れつき右頬に紫色のアザがある女性と、身体障害者の方が出演しておられ、差別について話しておられました。それはそれは、酷いものでした。その中でも、自分なりの生き方を切り開き、明るく何事も無かったかの様に強く生きておられる姿を拝見して、私たちの苦悩何て贅沢な悩みだなあ*と本当に感じたのです。 小さいことなのに自身で広げ!また大きく受け止め、贅沢な期待を懸けている! 私は人生に於いて、余り期待を賭けない様に、また持たない様に生きたいと思いました。その代わり健さんではありませんが、「夢」は見たいと思います!「夢は叶えるモノ」と言われる方もおられますが、叶えたばかりに不幸を招くこともある様です。「ある社長は、こんな話をして下さいました。寝る暇も惜しんで働き、少し遊んでいた頃の方が充実していた。 余裕が生まれて優雅に暮らしながら遊んでも、あの時の充実感は味わえないと・・・身近な同級生でも、ビジネスが成功して余裕が出来たが為に、仲の良かった家族が離散してしまったということもありました* 成功は、必ずしも良いことばかりを呼んではくれません。私は老後のこと何て一生考えないでしょうね!心配はない。皆誰でも死ぬのですから*笑      死ねば極楽!生きているだけで儲けもの!生きている内が花!死んで花実が咲くものか?笑 などなど「死生観」と言うモノを、どの様に捉え考えるのかは、一人の人間として、最も大切な部分だと私は思います。  樹木に例えれば、根っ子の部分が生まれ持った資質で、死生観が木の幹!後は、様々な出会いや出来事、環境などによって思想信条、哲学が芽生え形成され、どんな枝葉を付けて、どんな花を咲かせ、どんな実をつけるのか?本人次第ですね!更に、どういう枯れ方をして朽ちて行くのかは、最期の見せどころですね*「最期に一花咲かせる」の本当の意味は、朽ちてどんな風に倒れるのか?ということなのかも知れません。 外形は虚偽に満ちて、誠は奥にあり*何事も中々見えないものです。

干し柿

私の実家には渋柿の木があります。毎年、母が皮を剥き干して食べていますが、何時も自然の甘味に感動しています。それで、今年はサッカーの子供達が怪我をすると、何時もお世話になっている「ほねつぎ」?接骨院の先生にも普段からのお礼の気持ちとして御裾分けしました。御持ち致しますと、先生は私にこう聞いて下さいました。「ありがとう*でも誰が柿の皮を剥くの?」と・・貰った物ではなく、裏側にある人の手間や、気持ちを汲み取って頂けて嬉しい気持ちにさせて頂けました。本当に尊敬致します。ありがとうございました*

ペンギン模様 

北極よりも更に厳しい寒さの為、南極には、ペンギンとアザラシしかいません。命懸けで6日間かけ苦労して撮影場所に辿り着くと、去年には40万匹いたペンギンは、1匹もいませんでした!健さんは怒るのではなく大笑いしたそうです。その数日後、ペンギンがいる情報を得てまた違う所に撮影に出かけました。やっとペンギンの大群を見付けて喜び少し観察したそうです。みんな巣作りの真っ最中でした。 そうすると健さんは面白い事に気が付きました!その場に立ったまま、首だけ動かして石を積み上げるペンギン!気に入った石を探し回るペンギン!石を横取りされてケンカを始めるペンギン!まるで人間を見ている様だ*いい加減な奴★拘る奴★ケンカ早い奴★ひょうきんな奴☆人間にそっくりだ!命って似ているのかなあ?と感じたそうです。きっと、お人好しで優しいペンギンもいることでしょう* ペンギンさんに動物園ではなく、住まわれている土地に私がお邪魔して会ってみたいです。自然の成り行きで、突然、住所変更をするみたいですから難しいでしょうか?アハハ

絵描きの一生

ある島で、一人の少女がベンチに座り、一枚の写真をじっと見つめていました。瞬きもしません!その横をある画家が通り掛かります。それにさえ気付かないくらい少女は凝視していましたから、画家は不思議に思い、「何を見ているの?」と尋ねました。少女は、「おかあさんの顔」と悲しそうに答えました。余りに寂しそうだったものですから画家は横に座りました。ふたり黙って座っていると、少女の体から消毒薬の匂いがして来ました。そう*この庭は、ハンセン病の人が入院する病院なのです。昔は、伝染すると思われていましたから、家族から引き離され隔離されていました。この少女も皆から恐れられ、無理やりここに送られて来たのです。 おかあさんに、「寂しい時は、この写真を見なさい*いつも、おかあさんは、お前のことを想っているよ☆」と、渡された写真を見ていたのでした。しかし、何年も肌身離さず持ち歩き、指で撫でていた為に写真が変色して、おかあさんの顔が分かりづらくなっていました。それを見て画家は思い付きました!「この写真を貸してくれない?」少女は聞き返します。「どうして?」「この、おかあさんの顔を見ながら絵を描いてあげるよ*」「でも???」と、少女は困っています。「絵を描いて貰っても、私お金がないから、お礼が出来ないの*」 恥ずかしそうに少女は言いました。「お礼は欲しいな!」画家は言います。続けてこうおっしゃいました。「お礼は君が元気になること、それが一番のお礼だよ*」と・・・ そう言い少女の髪を優しく撫でると、少女は咄嗟に立ち上がり、「私に触ると病気がうつるわ★」  画家は、「うつるのなら、もうとっくに病気になっているよ*」と答えて気にしません。そして、少女はその画家を信じ、おかあさんの写真を渡しました。 少女は、何日も何日も画家が来てくれる日を玄関で待ち続けました。少女は写真を貸したことを後悔しました。ある日、高熱を出しベットで寝ていると、優しい声で「ほら約束通り出来たよ*」と、画用紙に描いたおかあさんの絵を渡しました。  約束を果たして帰りかけた画家は、直ぐに戻って来て、おかあさんの写真を少女に返しました。「これ、大切な写真」と・・・ この後の話は私が言わない方が良いと思いますから書きません?書けません* この方は、画家として生きている間は認められなかったのです*しかし、世の中に認められなくても、自分を信じ描き続け、命を絵の具に溶かして描いたのだろう☆そう実際の絵を、ご覧になって健さんは感じられたそうです。私も何時か、そんな魂の絵を観に行きたいと思っています。また、そんな絵を描いてみたいとも思いました☆ この画家は、生涯独身を通しました。何故か?それは結婚すれば「生活の為に、売る絵を描かなければいけなる」と考えたのだそうです。「自分の良心で描きたい*」神様の様な方ですね*南の島の借家で、ひっそり亡くなったそうです。良い最期です* お茶も節約して飲まれなかったそうですから、生活が窺われます。節約して、絵具を買っていたのでしょう*** 岡本太郎さんも同じ様な生き方をしていたのかも知れませんね?芸術は、売り物ではない。芸術は放射線の様に、ただ与え続けるものだ!と・・・     

死の修行僧

健さんも私と同じで独身です。違うところは、一度離婚をされている処です。私は一度もありません。健さん、すみません*お許しください。健さんは一度離婚を経験された時に、本当に苦しまれたのでしょう*そんな時、比叡山の滝に打たれに行かれたそうです。 悲し過ぎて辛いことが沢山御有りになられて行かれたのだと思います。好きな女の人と別れなければならない辛さは、その身にならないと解りません。今でも命日の早朝に、一人そっとお墓に訪れ、元妻の冥福を祈っているそうです。離婚原因を、身内との確執や収入?財産?と、マスコミやメディアは短絡的に伝えますが、その事も苦しみを増大させたに違いありません。好き勝手なことを面白おかしく書き立てられ、じっと耐え忍ばれていました。プライベートなことに立ち入られることを嫌う健さんですから、どんなに苦しまれたのかは私の想像を超えます。しかし、その滝に打たれに行ったことがご縁で、「生き仏」と言われる大変立派なお坊さんと出会いました。そのお坊様は、「千日回峰」と言うモノスゴイ修行を二度も達成された方だそうです。成し遂げる根底には、一体何が存在していたのでしょうか?生きていれば辛い事や悲しいことがあります。その立派なお坊様は、何時も穏やかな微笑みで人々を優しく包み込んでおられるそうです*人の心ほど気まぐれで信じるに値しない!しかし、人の心ほど有難いモノはない* 何も死を恐れることはありません。魂が開放されるのですか*

日本の宗教観はデタラメ  無宗教  日本のお坊さん 坊主丸儲け  修行 

*来客がありますと書きかけが出来てしまいます。お許し下さい。
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愛知県で活動しているクラウドサッカークラブの運営をしています。
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