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三年生の優勝と4年生の敗退

雪が降る中、三重県の鈴鹿カップに参加して頂き保護者様には感謝いたします。嬉しく思いますのは、何方からも開催有無の問合せのお電話を頂くことなくお越しになって下さったことです。環境が厳しいほど喜びや得るものが大きいと何時も考える私は、車の中でワクワクした気持ちになっていました!皆様の大変さを感じつつも*三年生が優勝出来ましたのは、私が何もしなかったからだと思います。笑

喜びの危険性と悲しみの裏側

頂点まで昇り?上り詰めると人間の気力は段々失ってしまうのだと考えています。実際、子供達の成長を観ていましても、少年時代の栄光を引きずる選手は、壁にぶつかった時、勘違いを起こし簡単に諦めてしまったり、悶え苦しんで命を絶ったり、更に道を大きく踏み外すことも見て参りました*ですから、今回優勝しましても、褒めてあげることをしませんでした!心の中では、「皆の力を合わせて本当に良く遣った*」と思っていましても、子供達の未来を真剣に考えればそう簡単には喜べません。勝って兜の緒を締めよ!と、昔から言われていますが全くその通りだと思います。これとは逆に、負けて悔しい思いを沢山知っている子供達は、伸びシロを自分で決めることなく無限に広がり発想も豊かで、何か障害があっても、どうにかしてやろうとの逞しさが育むと感じています。頂点を極めることの危険性は何時も感じていなければならない* 指導者の立場であれば肝に銘じなければなりません。勝った時ほど気をつけます。

善いお父さん方

今回参加のお父様方は本当に善い方ばかりでした。皆さん一生懸命応援して下さいました。閉会式後、私からの挨拶で、「公式戦では保護者様からプレーヤーに対して指示がありますと監督が退場になる!」と、ツマラナイことを申し上げました。転ばぬ先の杖ではありませんが、毎年協会関係者からご注意を受けて嫌な思いをされる親の姿を見るものですから、敢えて私からお伝えした次第です。私は、子供達と同様にクラウドの保護者さんも大好きで大切に思っているものですから、協会関係者様から注意を受けていますと「グッ!」と来てしまいます。もっと言い方があるでしょう?と思うことも正直シバシバあります。  色んな方は何処にでもおられますからね!私が憎まれた方が安心です!笑 変な言い方ですね*しかし、コーチでさえ公式戦では三人までベンチに入れますが、アドバイスや指示が出来るのは1名だけなのです。このルールが出来ましたのも、ベンチがウルサイと健全に子供達が戦えなくなるからなのでしょう?クラウドのサッカーは、「自由」ですから丁度良いことです。個別の大会と公式戦の違いは解り難く、中々区別出来ませんよね! 保護者様のお気持ちも十分私は理解致します。三月二十八日(日)には、三年生の公式戦大会があり、4月、5月と、公式戦全農ちびりんピック大会が控えています。あの応援の仕方ですと必ず注意を受けてしまうのは目に見えています。勝っても負けても出来れば気持ちよく帰って頂きたい。 また、保護者様の応援に熱が入り過ぎれば我が子だけではなく他の選手にまでキツイ指示が飛んでしまい、親同士が険悪になったり、他クラブでは掴み合いのケンカにまで発展してしまったこともあるようです。そんな心配や想いもありまして敢えて優勝した時にお伝えしました。中和されましたでしょうか?そうでなかったとしましたら、私の不徳の致すところです。

スタッフに感謝

今回は、本当にスタッフに助けられました*雪の為に二時間、試合開始が遅れましたから、時間的余裕が無くなり、段取りが無茶苦茶になってしまいました。3年生と4年生の試合時間差が僅か5分でした!PK戦になれば、どうなるのか?笑 そんな感じでしたね*波乱万丈の私の人生を物語っているかの様でした!クラウドのスタッフは、私の指示がなくても各々自分で判断して、次の段取りをしてくれました。一緒に働けて本当に幸せです*ありがとう!突発的なことが起きても何一つ嫌な顔を見せずに行動してくれた!忘れてはいけませんね***

主催者のご苦労

何時も痛切に感じますのは、主催者様のご苦労や大変さです*今回の様に雪が降ったり、雨が降りますと苦渋の選択をして中止せざるを得ない時もあります。本当に判断に悩みます*それだけでも精神的苦痛が大きいと思いますが、参加チームの取り止めや、ドタキャンなどは想定外のことですから、その処置に翻弄されながらも何とかしなければなりません*こんな目に見えない所こそ、子供たちに感じ取って欲しいと願っています。「人の気持ちが解らない者が善い選手になれる訳はない」が私の口癖です!

個人と団体

相手を読める?感じる力がなければ勝てません!個人競技でも団体競技でも同じです。相手と戦うのですから当然です*偶に保護者様から、「家の子は団体競技に向いていない!」と言って辞めさせてしまうことも時々ありますが、私には理解出来ません?自分で自由に遣れないモノはスポーツとは言わない!何処をどう見られてそう思われてしまうのかなあ?と感じます。小学生の段階で分かるのでしょうか?角度を変えて見ましても、将来の為には苦手なことも必要でしょう?効率的なことを求め過ぎていたり、結果が全てだ!と言うお考えが観えてしまって非常に残念です。人間の生きる意味とはそんな事だけが大切ではないと私は思います。また不得手なことを経験したからと言って全部が無駄にはならないと思います。例えそれが今苦手なことであっても、後に本当の楽しさを知り生き甲斐となって大好きになることもあります。 更に、それが本当に苦手かどうなのかも今は解りません!色んな人間と関わることで自分が出来て行くものを閉ざして、どうしてそれが子供の為になるのでしょうか?そんなことは本人自身が決めることであって、親が決めることではない!自由を奪うのは罪だと思います*子供の内は大人が、「痛い?」と聞けば、「痛い*」と言って泣き、「これやる?」と聞けば、「ウンやる!」と言ってしまうものですよね!それが子供です。スポーツが本当に好きになれば、誰かに言われなくても自分で無意味そうな反復練習を無心になって取り組む筈です。「想い」がそこに芽生えますと、そう言う世界に辿り着くものです。それは、スポーツ選手に限らなく、箸を作る職人でも包丁を作る職人でも同じです。そこに想いがあるからこそ単純な作業の繰り返しでも飽きることはありません。何処かに喜びのある拘りが生まれるからでしょう!ボールを投げるのも蹴るのも一緒*バカになるくらいの想いが生まれるのか?それは誰にも分かりません。その部分に指導者は関与出来ませんから運命に任せるしかありません。 話を元に戻します。私は、主催者側からどんなことを頼まれましても、何事も無かった様に振る舞い受け入れているつもりです。突発的なことでも、大騒ぎしないでそのままに従います。どんな時でも、何があってもハプニングを楽しむ位の余裕を持ちたいものです。この大会でも積雪の為に、1チーム参加不能になり4年生の試合が1試合不戦勝になりました。それをお聞きしましたのは、試合開始3分前位です!笑 子供たちは残念がっていました*しかし私は毅然と、「雪でこれなくなったから仕方がない!」と、当たり前の様に伝えました。不満そうでしたが、私は相手のチームの子供たちの方が気の毒でした*楽しみにしていた筈です。1試合でも2試合でも出来ただけ幸せです。考え方次第!最近特に感じますのは、「子供を叱れない?厳しく出来ない?毅然と言えない!」大人が多いと思います。そして、自分勝手な子供たちも大変多い!それは全て大人の責任です。躾をされていない子供が大人になると、成人式で暴れる子供?や、スノボーのオリンピック選手の様な人間を作ってしまうのでしょう!親や大人の責任は大きい。大人になってからでは躾は出来ませんよね*

何物にも代えられない喜び

ここ最近はクラウドの卒業生がアルバイトでスクールを手伝ってくれる様になりました。皆、礼儀正しくて、自分のことよりも人を思い遣り働いてくれます。本当に涙が出るくらい嬉しくて堪りません*一人の青年は姿勢を正し、真剣な表情を浮かべながら私にこう言いました!「クラウドで最初にサッカーを教えて貰ったから、自分ひとりで練習することが出来たのだと思います!」何て言ってくれます。何も言葉がありません*嬉し過ぎると言葉何て出ない?要らないのかも知れませんね*また、もう一人の青年も、私が休日返上の仕事を頼むと、「ありがとうございます*」と言い快く引き受けてくれます。仕事を与えて貰って礼が言える*世間の大人に教えて貰いたい!仕事はこうでありたいものです!現代の人間は、きっと働ける喜びを忘れてしまったのでしょう?不平や不満を持つことよりも、進んで困難に向かい生きた方が、どれだけ幸せを周りに与えられる善い人間になれるか*クラウド生が成長し、真面目に真剣に生きていてくれている!幸せです。長くやっていれば、何時か恩恵に与るのですね*こんな喜びが待っていてくれました。何時か近い将来、立派なクラウド卒業生達がクラウドを引き継いでくれることを夢に観ています!!!ありがとう*

喜び方

喜びと言えば、こんなことを何時も感じています。悪いことではありませんが、日本はアメリカの影響を強く受けているのでしょう?優勝したり、勝ったりした時に、馬鹿騒ぎをしてビールを掛け合うことが慣例になりました。またそれを見て喜ばしいと感じている世の中ですね*しかし、私はそう言う喜び方は、直ぐに冷めて行くものではないか?と思います。きっとアメリカ人にはそれが合っているのでしょう?日本も真似していますが、空しい思いで私は観ています。本当の喜びとは、後から後からジワジワと湧いてくるのが日本的だと思うのですが、どうでしょうか?例え方が適当かどうか解りませんが、一目ぼれ?一瞬で好きになった者同士は、一瞬で冷める?何処か共通している様に私は感じます。喜ぶ時は、本当に良かったと静かに乾杯したいですね*私は、犬や猫と祝杯したい!笑 どんな喜び方でも自由なのですが、ビール掛けを見る度に、そんなことを感じてテレビを切るのでした。どちらでも構いませんね!人それぞれです。しかし、大袈裟に喜べません私は!笑 私が若い時、こんな言葉が遣われていました。「ガムみたいな人?」 初めの内は面白く味があって美味しいが、直ぐに味が無くなる人間のことを揶揄した表現です。対象的に、「スルメみたいな人」は、初めは硬くて美味しくないが、噛めば噛むほど味が出て来て美味しくなる!」 そんな人間にならなければいけませんね! 喜びも後からジワジワと***

選手の個性

少しこの試合で感じた事をお伝えさせてください。Kくんと言う選手は、ゴール前で何時も冷静なプレーをしています。大抵は慌ててしまうのですが、それが何処までも冷静沈着なのです! どこからその冷静さが生まれるのかは解らないのですが、ただ一つだけ確かなことは、「相手との拍子が違う」と言うことです。リズムが違う!相手に合わせてプレーをしていないのです。味方とは息を合わせ、相手とは合わさせない!こんなことが出来てしまうなんて本当に素晴らしいです。まだ三年生です!もしかしたら、5年生の新人戦に出場し活躍した経験の中で、「オレって結構出来るのかも?」笑 と、感じてより一層自信を持ったのかも知れませんね? また、チームの要になるセンターバックの選手S君は、機を見てトップ位置まで出て行きます! そして失敗しますと、もう大慌てで、「テイヘンダ~大変だー!」とばかりに、大急ぎで元のポジションまで戻って来てくれるのです* 本当にカワイイ*役割をしっかり果たした上で役割以上のことが出来る!責任感が強いです。簡単なことではありません。本当に教えて貰うことばかりです。一年生のY君は小さくても誰より必死に戦っていました*息遣いが聞こえていました。こんな粘り強い選手と戦うのは、私でも嫌です!笑  一年生でも二年生でも関係ないという逞しさを感じさせ勇気を与えてくれます。また違うタイプですが、二年生のY君も本当に素晴らしかったです*何度も試合中、「素晴らしい!」と私は叫んでいました。冷静で機敏な動き!またクレバーなサッカーをしていましたね!将来が楽しみな選手です。あるお父様が私に三年生の試合と4年生の試合を見比べられて、「こんなに違うものなんですね!迫力が全然違う!」と、おっしゃっていました。本当にその通りです。一年の違いは大きいです。しかし、年齢差がある中で戦うのは、成長の過程ではとても重要且つ大切だと思います。幅のある中で様々なモノを感じ取り成長を促します。特に「群れ遊び」が減った子供社会だから尚更貴重なことになっているのかも知れませんね!「一つや二つ上だからと言ってビビルんじゃあないぞ!」と、よく中学時代の日体大出身の厳しい教員監督から言われていました*思い出されます。そして、指導の手伝いで来て下さっていた中京高校のOBで作るチームの方達から誘われ大人の試合に出させて貰っていました。私一人だけでした。何故か?その方達からボールを奪えるのは私だけだったからです。他の選手はフェイントで幼児相手の様に笑いながら遊ばれていたのです。唯一本気にさせる相手が私でした。懐かしい*とてもよい経験をさせて頂いたと今でも感謝しております。  手加減は一切ありませんから、怖い思いや痛い思いも沢山しましたが、「アイツは本当に中学生か?」とよく褒められ嬉しかったことを覚えています。逆に中学生相手に大学生や大人が本気で戦ってくれる喜びに変化していました!自慢話ですみません* ですから、年齢差があることはとても良いことだと思っています。

違って当然の事

大まかなことを皆に伝えることは出来ますが、個人個人に対するアドバイスや言葉、伝え方は違って当然です。その選手の家庭環境まで察しながら指導させて頂いています!笑 兄弟のあるなしや、親の性格、持って生まれた資質などなど・・・その理由は性質をある程度見極めないと、アドバイスの針が逆に振れてしまう時もあるからです。 アドバイスの反応を出来るだけ注意深く見つめ、感性で感じ取りながら伝え方を途中で修正し変えたりもします。キツイ言葉と優しい言葉、小さな声と大きな声!の中にも様々な想いや願いがあります。

リフティング

よく新米のコーチに多く見られることですが、リフティングやインサイドキックに固着して反復練習をさせることがあります。おそらく一番手っ取り早く上達が目に見え易いことと、成果を保護者様に納得して貰うことが出来、また自身の功績が得られるからだと思います。おまけに指導者は苦労をしないで済みます? 感性を育む部分を置き去りにして、目に見え易い所から手を付けたがります。またそれを望む保護者さんが多いのも事実です。親の目が行き届き過ぎます。そして早く成果や結果が見えることを望む!「基本を教えて欲しい?」「基礎を身に付けさせて下さい」「お金を払っている以上成果を上げて下さい」などなどよくお聞き致します。リフティングが基本なのか?どうか私には解りませんが、しかし私が思いますのは、先ずリフティングと言うものは本来自分で練習するものであって、コーチが教えることではない!と考えています。全て教えることが悪い訳ではありません。問題は教え方です。もし教えるのであれば、段階段階によって変化しなければいけないと思っています。上級者と初心者は違う!同じ内容のアドバイスである訳が無い!回数だけなら最悪です*それしか出来なければ指導者失格ですね*それは上達によって伝える内容が変わるのは当たり前のことだからです。人間同士の会話とある意味似ています!お互いが成熟し親密になり知っていれば、「人生って良いよなあ?」と言えば、「ああ!そうだなあ*」と会話が成り立ち通じ合います。しかし、成熟度合いが違えば、「人生って良いよなあ?」に対して、「何で~?」となったり、「そうだね*美味しいものも食べられるし*」何て言って噛み合いませんよね!そんなことに類似していると思います。指導は相手の上達に沿った伝え方をして初めて活きるのです。ちょっと例えが可笑しい?例えを代えます。剣術の話になりますが、木刀を正眼(中段)に構えて相手の左右の面に打ち込み戻します。 これなら誰でも出来そうですが、奥はとても深いのです。先ず握り方を体を通して覚え、次に振り方となるのでしょう。その振り方も同じ道で行って、同じ道で返ります。また、左手の位置は変らずに前後します。そういったモノに対する指導の意味は直ぐ伝わることと、何回も行わないと解らないものがある。初心者に難しいしことを最初から伝えても何が何だか分かりませんよね*初心者に邪心を消せ! 何て伝えては何がなんだか?笑 木刀をただ振るのでも今伝えるべきものと、もう少し上達を待たないと伝わらないこともある!指導する観点は段階があるのです。余計に分かり難くなりましたね!笑  スポーツも同じです。リフティングがただ出来ても、剣の道に例えれば、木刀がただ振れるだけなのです。見た目だけで実用に伴わなければ無用の長物だと思います。昔、ブラジルでこんな選手がいました。フットサルの世界では神様くらいに巧いとされていた選手が、本当のサッカーの試合に出て見ると全く活躍出来なかったのです。ですからフットサルも側面的なものだと思います。ちゃんと観れば解りますね!狭い所で行い、デコボコの無いイレギュラーしない場所で遣り続ければその癖が身に付いてしまいます。  両方を遣って初めて活かされるのでしょう?要するに色々な経験をした方が役立つのだと思っています。何もサッカーに限りません。何事も体と頭を遣いながら知る!指導も選手の段階を見計らうことが重要です*また例えが変ですが、石田光成が秀吉に三杯のお茶を出した時の様に、相手を察して行うタイミングが大切ですね!

年齢差が刺激* 一年生の必死なプレー! 二年生の見事なプレー! キツイ言葉と優しい言葉を掛ける違い? 個性によって対応が違う訳? 鼓舞する言葉と勇気* 小さい声と大きな声*





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愛知県で活動しているクラウドサッカークラブの運営をしています。
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