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NHKの特集

学校で怪我をする子供たちが増えていると放送されていました。数年前は10人中4人が怪我をしていたそうですが、今は7名になっているそうです。怪我の程度にもよりますが、擦り傷までもカウントすれば何処までも増え続けそうですね*しかし、原因を調べて見ますと明らかに危険回避能力の低下や、体力の低下、予測能力の部分?も欠如している様な印象を私は受けました。鉄棒にぶら下がれなくて落下し、鎖骨骨折!両手をズボンに入れたまま階段に躓き前歯が折れた!体育館の入り口に頭をぶつけて切った!側溝の蓋の段差で転び骨折などでした。

体育の先生

そんな中で、体育の先生がきっと工夫をされたのでしょう?体育館の壁から壁に走り、手を着いて止まる練習授業をしていました!最初は申し訳ないのですが、正直、力が抜け非常に残念に思いました* 何でこんなことをさせているのかなあ?もっとやれることは沢山あるのにと感じました。子供たちの表情を観て見ますと、笑えば良いのかと、戸惑いながら行っていました。きっとツマラナイからですよね*訓練でしょうから、楽しくなくて良いのですが、ただ遣らされているだけで何も感じていない様に感じました!条件反射的な訓練ですから、全く意味がない訳ではないのでしょう!しかし、冷静になって観て見ますと、もしかしたら、逆にあれ位の事しか出来ないのではないのか?と思ったのです。怪我の防止をしようとする練習で怪我をさせてしまったらどうなるのか?笑い話にもなりませんね!一部の保護者さんの餌食になることは明らかです。☠ 体育の先生に同情致します。そんな時、丁度私はこんな練習をしていました。それは、「ボール亀」「ボール騎馬戦」「抱っこボール」です。全て押し合い引き合うと言う様々な練習です。そのキッカケは日本代表の試合を見て感じるところがあったからです。それは「何故、日本選手は技術があるのに、こんなに弱いのか?失礼しました*何故あんなに倒され易いのだろう?バランスが崩され過ぎる!意表を突く感性が無い!ありふれた攻撃ばかりだ!日本のオリジナルはない!」と思いました。 先ず体の遣い方ですが、相手に押されると弱いのです。ボールキープ時はそんなに弱くはないのですが、動いている時にぶつかって来られますと、本当に弱い!サッカーでは、ショルダーチャージが許されています。怪我させる目的であればファールを取られますが、限度の範囲であれば当たり前のプレーなのです。サッカーは格闘技とも言われています。オママゴトではない!死に物狂いでボールを奪いに来るのですから当然ですね。体の使い方が悪いと少し押されただけでもバランスを崩してしまいます。相撲すら遣れない子供社会で育ったからでしょうか? それともサッカー一筋で培ったモノしかないからなのでしょうか?或いは上品過ぎる? お稽古事の様なだだ何でも教えて貰えるという優しく親切なサッカーをして来たからなのかも知れません?養うとは一つのモノだけで学べるとは思えません。小学生の内には沢山のモノに触れ、多芸を知りませんと体の使い方が偏ったモノになってしまうと感じています。また、意表を衝く閃きなどはもっともっと深みのある色々な場所に目を向け感じてこそ生まれるのでしょう?通り一辺倒な答えばかりを探している内は、表層的な所に留まる事になると思います。 「人と同じではツマラナイ!」と子供達によく言ってしまいますが、決してマネを全て否定しているのではなく、何でも自分で感じて行って欲しいと願っているからです。私は特異な人間ですから、様々なモノの観方をして活かそうと考え、動物や異種スポーツ、武道、職人、生活の中からヒントを貰い指導に反映させようとします。どちらかと言えば異端です! しかし、前述のことなどからも、その考えに間違いはないと今も固く信じています。そこに工夫があればもっと良くなる!見せ掛けのテクニックや早く知ると言うことだけの小手先に囚われない指導を目指しています。

時代と共に

私は、クラウドのコーチ達によく言うのですよ?「我々は、幼児から小学生までの指導者だ!サッカーや野球に囚われないでメニューを考えなさい*今の勝ちに拘ることなく、未来に拘ろう!」と・・・その中には様々な意味があります。今の勝ちに拘れば狭い範囲に押し込め未来の可能性を潰してしまう*また、もっと大切なことは将来、自立心が芽生えどんな道を選択し歩んでも役立てる様にしなければならない*体がまだ出来ていないのだから、多様な機能性を育む為に心血を注ごう!と・・・ 親の目を気にし過ぎたり、コーチ自身の自己満足を求めてはいけない*目に見え難いのですが、国が豊かになり都市化が進みますと、体の機能は低下して行きます。  それは、便利な物に溢れ人間自体が自分の体や頭を遣わなくなるからです。その中で育った子供達に専門的なモノだけを積み込み教えれば偏ってしまいます。  いくらサッカーが上手い子でも、ボールを投げるのはビックリするくらい下手!何て言うことなど、今では珍しくありません。体の機能ベースの部分が無い中で、早く結果を求めれば、穴の開いた船で出航する様なものです。帆は付けました!櫂は沢山持ちました!エンジンも付け、モーターを装備した!でも、沈没してしまっては元も子もありませんよね*スタートは勢い良く飛び出したとしても後が続かなくてはいけません。それに、航海途中で何か事故に遭ったり故障をしたとしても、創意工夫して進める様に成って欲しいものです。 その為には、時間を掛けじっくり幅の広い所から学ぶしかないと思っています。 また、その上で関連性を持たせて行く!それが望ましいと私は考えています。

早い事は良いことですか?

幼児から外国語を習わせる保護者さんが多いと思います。その想いは解らなくもありませんが、しかし、日本語を正しく話せない内から、外国語を習えばどんな風になるのか?きっと将来の為にはならないと思います。スポーツも同じです。結果を急げば今は強くなってもその後には弱くなる*急げば回れです!そこには深い意味がある*今優れた選手を集めて勝ち続け、良い道ばかりを歩いてきた人間は逆境に弱い! 悔しさや辛さを知らなければ、苦境にあった時に何も出来ない*先を見越した育成をしなければいけません。企業関係者からもよくお聞き致しますが、面接で会話が成り立たないことが多くなって来たそうです。それは、日本語になっていない!質問をしても返ってこなかったり、質問の意味すら解らなく、履き違えたことを答えてしまうとのことでした。 私が早いことは、ご飯を食べること!着替えること!虫を捕まえること!走ることです*アハハ

有名女子大生

私の友人のホテルマンがこんなことを教えてくれました。有名大学に通うバイトの女の子が4年生になり、卒業に伴い就職活動をしていたそうです。でも一次の書類選考では全部受かるのですが、二次面接では必ず落ちてしまうのです!性格や容姿もよく学歴も申し分ないにも拘らず?本人はとても落ち込み悩んでいました。その相談を受けた友人は模擬面接?をしてあげることにしたのです。  その結果、これでは受からないだろうなあ?と率直に感じてアドバイスをしたと教えてくれました。その一例を挙げますと、面接官から、「今まで3年間ホテルでのアルバイト経験があるそうですが、何故、そのホテルに留まらないのですか?また何故当社に入社希望をしようと考えられたのですか?」と問うと、「ホテルの仕事は休みが取り難く、休日も定まりません*またホテルの仕事では色々経験しましたので、もうそれは卒業して休日もしっかり取れる新たな仕事をして見たかったからです*」こんなことを平然と答えてしまいました。面接ですから、当然良い答えのつもりで本人は考えて答えたのでしょう*それなのにこんな答えをしてしまう?残念*若さ故!では済まないのが大人社会です。勉強は出来ても人間が出来ていません?自分本位です*いくら英語が堪能でも、相手の立場から物事が見えない様では、良い会社には就職出来ませんね* 友人のアドバイスを紹介しますと、「ハイ!ホテルから慰留を勧められておりますが、しかし、私はその培ったモノを生かし、新たな分野に挑み自身を更に磨いて、是非御社のお役に立ちたいと考えたからです!」 その大学生はメモを必死に取り、一言一句洩らさず書き留めていたそうです。その介あって、あるトヨタ系の会社に直ぐ就職が決まったそうです。愛でたし愛でたし*でしょうか?それを聞いた時、私は喜びと不安?何て言うのでしょう?これで良いのだろうか?と正直思ってしまいました。ただ合格すれば良いのでしょうか?ただ大学に入り卒業すれば良いのでしょうか?是非、心根の部分に響いて欲しいと思います*最近では親が就職活動を一緒にしたり、面接に付いて来る親もいます。また、面接が受かる様にトレーニングする教室講座もあるそうですが、人間性?人格の根本を見直し、自分自身を見つめ直す良い機会として捉えられたのなら良いと思います*人間性に劣る私が一番気が付かなければいけませんね***友人の会社でも、面接を終えますと、「じゃあ、考えて来ます!」と言い帰ろうとする人には、「もう来なくていいよ*」と言うそうです。どちらが就職希望者なのか?今は勘違いしている人が多い!考えるのは会社の方だ!と怒り心頭で笑いながら私に教えてくれました。立場を履き違えていると???確かに*
 
母国語

会話が成り立ち難いのは、少なからず幼少の時の習い事が影響していると私は思います。そんなことを考えていた時に、フランスの話を聞きました。フランスではそういったことを懸念し研究され、母国語教育がある一定の水準に達するまで外国語は教えないと言われていました。そのことを聞いて、やっぱり頭も体も一緒なんだなあ!と思いました。そう言えば企業もそうだそうです。急激に業績が伸びる会社は危ないと!落ちるのも早い*効率的だったり、生産性、合理的ではなくても大切にしなければいけないモノはあると思います。初心を忘れず無駄なことでも、毎日それを行うことによって目に観得ない徳育がある*早い事、遅い事の意味をもう一度考えて見たいです。

変なヤスユキ語

私は、よく子供達から「溜息」を疲れる?笑 時があります*それは、子供達に対してマトモな受け答えをしないからです!アハハ*ダメだこりゃ~とガックリ肩を落とし呆れて去って行きます。それには少し訳がありまして、子供達の質問や会話の中に、母国語以外の勉強をしている為に、日本語が可笑しくなってはいないのか?と少し感じる所があるからです。そんなに大袈裟に?いや重大に受け止めている訳ではありませんが、そんな風に思う時もあるのです。では何故私自身がハチャめちゃなことを言うのか?私の言葉や文法が可笑しければ、自分で気が付くからです。何か変だぞと???「英語習ってる?」と、私の方から子供に聞くこともシバシバですが、大抵予想が当たってしまうのは、偶然でしょうか?子供達はきっと思っているのでしょう?「ヤスユキ先生は、きっと頭が本当に可笑しいのだ!」と・・・でも子供達の為にワザとそうしていることが、知らず知らずの内に身についてしまっている私自身も居たりしますから、子供達は絶対正しいと思います。ミイラ取りがミイラになってしまうとは、この様なことを言うのでしょうか?  何度も私から違うことを言われると、正しく直る子もいますが、頭が混乱して来て更に言い回しが変になり、自分自身で笑ってしまうのです。また、それを聞いていた皆が大笑いになることもあるのですよ!カワイイもんです*

発想の違い 

リフティング=基本との考えは否定も肯定もしませんが、転んで手をつくことは、人間が二足歩行し始める赤ちゃんから自然に身について行くものです。本来は?しかしそうではなくなっている!どうしてでしょうか?ゲーム遊びや外での遊びが減ったから?トラブルを出来るだけ回避したい大人の影響も、少なからずある様に感じます。転んで手をつくことは、当たり前で基本中の基本です?人間の本能と申し上げた方が良いですね*その本能が消えている*サッカーコーチなら誰でも知って行っていることですが、ボールキープと言うものがあります。簡単に申し上げますと、一人がボールをキープして守り、もう一人がボールを奪うのです。細かい所は省きますが、押し合って相手を崩しボールを奪い、押されながらも体勢を保ちつつボールを渡さないのです。本当にありふれたモノです。私は発想の転換をして?イヤ!もっと掘り下げて手の綱引きをさせたり、ボールを持って騎馬戦をさせたり、マットプロレスをさせながらバランス感覚を養っています。私のオリジナルですから、子供達はビックリです。「そんな練習はね~よ!」と目をまん丸としていますが、遣ってみたいモードにスイッチが入り生き生きとした目で楽しく取り組んでいます。やはり子供は大したものです。自分で方法を編み出し、それに誘発されまた次の子は新たな秘策を考えて挑戦するのです。時々その発想が突飛でドツボに嵌って皆に笑われている子もいます!アハハ 「マット押しくら」「前方回転シュート」「延髄斬りシュート」「インディージョーンズ」「ブランコヘディング」「アイランドバトル」「アイランド綱引き」と、私のトレーニングのアイデアは膨らみます!

基本の本当の意味

基本を英語で言えば、ベーシックです。ベーシックの意味の中には、「面白くない」「ありふれた」と言う意味もあるそうですが、それを工夫すれば大変面白い遊びを思いつきます。ただ走って手をつく様な練習訓練は、正しくベーシック過ぎます。ロボットではない人間ですから、対決があったり、協力があったり、駆け引き、勇気、創造性を搔き立てる様なモノ編み出したいと思います。ベーシックの初心は何でしょう?私にとってそれが「カメ」の遊びでした! 

遊びとお遊びの違い

お遊びは、「ママゴト」や「カードゲーム」「テレビゲーム」の様なモノで怪我をする心配は殆どありませんね!しかし「遊び」は常に危険性を孕みます。体格であったり年齢差があれば尚更です。 遊びとは、冒険心を煽り勇気と恐怖の狭間でスリルを楽しむモノだと私は考えます。皆さまはどう捉えられますか?危険だから楽しい!スリルがあるから達成感が得られる*その中で危険を察知したり、体の機能を育み発達して行きますよね?そして知恵も芽生えてあらゆる方法を編み出すのです。本当に素晴らしい*そんなモノから引き離されて成長した結果が、今の怪我の根本にあると思い至ります。遊びだから怪我をしないだろう?は、全くもって違うと思います。そんな遊びはない!また場違いな例えをしてしまいますが、お茶は安心して飲めるものです。しかし熱いお茶もあれば、冷たいお茶もある!また昨日のお茶は飲んでイケナイとも言われます。私は飲んでしまいますが*笑 不用意に飲めば、舌を火傷したりしますね*同様に遊びでも、ある時は怪我をしなくても、安心仕切っていれば大怪我します。ふざけ過ぎて驕れば必ず竹箆返しが来るものです!スポーツでも、慣れて来ますと初心を忘れて効率的なことばかりを求めて驕りがちになり、スランプになると初心を思い出す?そして、個人的な今勝つ為だけのトレーニングや目的になってしまい、自ら成長を止めてしまっていたことに気が付くのでしょう!何の為に練習をするのか?金の為!自分の幸せの為?子供の遊びの中にはそんなモノはない。ただ遣って見たい!もう一度遣りたい!今度こそ成功したい!純粋な心の中で切磋琢磨し、今の自分よりも良くなりたい!自分でしたい!と言う自然崇高的な本能の表れだと思っています。だから遊びは素晴らしい*その遊びの中から、スポーツ指導者は本当に学ばなければいけないと私独りで思っています*笑  バカバカしいことの中に真実は隠れている!そんなことを考える馬鹿な指導者がいても良いではありませんか?初心忘れべからず=何処から生まれたのか?と真剣に考えれば答えは直ぐに見つかります*

安全は危険?

安全に完全はありません。逆に安全は警戒心がなくなり、事故が起こった時に命に拘ることにも繋がります。初心に返れば、警戒心に満ち僅かな変化にも気が付き感じ取ろうとするのでしょう*そして、感じるモノと感じていなかったモノに触れて段々と解る!初心を忘れず慣れて行き、身につけるべきものとそうでないものが淘汰され、少しずつ体の中や感覚に刻み込まれて確かなモノに成って行きます。現代社会に潜む危険性のあるものは、ドンドン見え難くなっていると感じています。しかし、それは本当に危険なことです。

想い

以前、そのモノに「想い」が芽生えれば、自分自身で単調で地味なことでも遣り続けることが出来ると申し上げました。拘りがあるからこそ続けられる!このことをどんな風にお伝えすれば良いのか?また良い例え方は無いのだろうかと色々模索しましたが、私の質が低い?質が悪い為にその時は見つかりませんでした。でも、先日見つかりました*井上陽水さんが、こんなことをさり気無くおっしゃったのです。 「月が出た出た~月が出た~ア・ヨイヨイ!」の歌詞を読み、この歌は全国区の歌だと褒めていました。その続きで、「あんまり~煙突が高いので~さぞやお月さん煙たかろう?」この部分が優れています*と言われたのです。  モノに対する想いとは、きっとこんなことかも知れません?モノに対する想いと言えば、数年前私は、「お粥さん」と「ご飯」のことについて素朴な疑問を持ったことがありました。それは、「何でお粥さんは、(お)もつけ、(さん)までもつけて有難く言うのに、ご飯は(ご)しかつけんのやろう?」と・・・   そう独り言を言いましたら、横から母が、「それもそうやね~???アホー!そんなクダランこと考える前に、嫁さん貰うことを真剣に考えろー*」と叱られました!ガハハ~人間は体が弱った時には、有り難味を感じるから、「お粥さん」と言うのかも知れませんね*人間は勝手なもんです。お粥さんは、米から煮詰めると本当に粘りが出て美味しくなるんだ!と母から教えて貰った事を思い出します。手間を掛けて想いを寄せて?馳せて作ってくれる*ありがたいことです。「ご飯さん」ではやっぱり使い難いですね!笑 ~なんで~なんで~ですし~と言う様な利己的で軽くチャライ言葉が横行する一方、過剰な敬語や謙譲語も出て来て可笑しな世の中になりました。ただ何でも丁寧なら良いのではなくて、想いをそこにどれだけ込められるか?その気持ちがあるのか、ないのか?が重要だと思いました。立場とか会社、クラブとかではなく、私ヤスユキ個人の気持ちで接する*それが大切であると「女将さん」?イヤ「お粥さん」から教えられました。


 
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愛知県で活動しているクラウドサッカークラブの運営をしています。
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