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最後の試合
オリンピックと同時進行します。昨日、6年生最後の試合を鈴鹿でして来ました。 皆自分の個性を活かしながら、自由に戦っていました。その姿を観ていて、とても嬉しい気持ちと、寂しい想いとが交差し、何か離れて映像を観ている様な感じでした。不思議な感覚に包まれました*「みんな大きくなったなあ*」と・・・
私の部屋
美味しい夕食を食べ、素晴らしい風呂(露天風呂・五右衛門風呂・サウナ)に入り、その後、私の部屋に全員集り話をさせて貰いました。最後まで遣り遂げる意味や、一番哀しいこと*一番嬉しいこと!目に見えない想いとは?など私の素直な気持ちを出来るだけ分かり易く伝えたつもりです。よく監督コーチは、遠征時や試合後に必ず選手達を座らせたり立たせながら延々と指導する姿を拝見致しますが、私はその様なことが苦手です。何か立場を利用している様で?失礼しました。何か一方的な気がしてしまい出来ないのです。本当は立場上、遣るべきことなのでしょう!私が逃げているだけなのかも知れません*そう思いつつも偉くない私などがしてはいけないことと考えてしまいます。しかし、今回は、それが自然と出来てしまいました。きっと節目と言うことですね*一人の人間として、また人生の先輩として、ちょっと恥ずかしいことも隠さずに伝えることが出来たと思っています。
猪木の弟
他のチームの子供達から、「猪木だ!」と言われる事に最近は慣れて来ましたが、今回もそんなことがありました。私達クラウドが皆で風呂に入っていましたら、前に入っていたチームの子供達が、代わる代わる風呂場に戻って来て私の裸を見に来るのでした。エッチ*笑 最初は、同じチームの子を探しに来ているのかなあと思っていましたが、みんな私の顔を見てニヤニヤしながらハシャイで笑っていたり、「スゲー」と言い逃げては戻りを繰り返していたのです。 私が風呂から上がりますと、「サインを貰っとけ」とか、「猪木の弟ですか?」、「鍛えているのですか?」何て聞いてきました。面白いですね子供達は!みんなカワイイ*
傘がない
「想い」を感じて貰おうと、「禁じられた遊び」や、ビートルズの「レット・イット・ビー」を弾き、最後に「傘がない」を唄いました。傘とは何だろう?冷たい雨とは何だろう?ズブ濡れになっても会いに行きたい気持ちとは、どんな気持ちなんだろう?と魂で問い掛けました。想い=感じる力 「禁じられた遊びって、どういう遊び?」と言う質問をされて説明しましたら深刻な顔をして聞いていました。私の英語も歌なら通用することが解り安心しました!笑 私が歌い始めますとシーンと静まり返り静寂な空間になりました。きっと想いの「何か」は伝わったと思っています。独り善がりかも知れません*
モノトーン
白でも黒でもない世界は必ず、どの世界にもあると思っていますが、人間が行うことなら尚更でしょう!それを今の日本社会は、キッチリ決め事を作りそれらに全てを押し込めようとしてはいないのでしょうか?子供達の悩みを真剣に聞きますと、そんなことを強く感じました。子供達が可愛そうです*色んな子供達がいますから、全部の子供達ではないにしろ、真面目に考えている子にとっては大変な世の中です。全てが確立されつつある世界では、寛容?融通?アソビ?そんなモノが無い為に自身を追い込んでしまいます。もっと広い世界を観て欲しいと心から願います*そんなことを考えていましたら一睡も出来ませんでした*不憫に想う気持ちと、そうやって一つ一つ乗り越えて欲しい*という気持ちが波の様に押し寄せ、その渦が私の心を揺さぶりました*自身の無力さを痛感し切ない・・・この日の眠れない夜のことは生涯きっと忘れることがないでしょう*
言葉にはならない
言葉にすると嘘になり、行動で示せば真実になるのでしょうか?想いとは、姿を隠しそっと遣って?さし上げた方が良いのでしょうか?何も知らない方がお互い幸せ?昔、アメリカの物語で、「ケインとアベル」と言うモノがあります。ケインは、お金持ちのエリートで大銀行家になり、アベルはポーランドから命辛々逃げアメリカに移住して来た貧しい移民です。アベルは必死に働き、そして苦労の末、ホテル王になるのです。そのサクセストーリーの中で、アベルは大恐慌により人生最大の危機!苦境に陥ります。銀行に掛け合いに行った相手がケインでした。現実?合理主義のケインは感情を抜きにして、無慈悲にもホテルを売却すると、アベルに銀行の決定を通達しました。アベルは、その時、復讐を誓い席を立ってこう述べました。「今に見ていろ」と・・・でも何も言わずにケインは自分の資産をアベルに投資したのです。アベルの直向な生き方に感じ入ったのです。利害関係のある投資は、立場上に問題があることと、またルールに反するので名前を伏せて行いました*それを知る由も無いアベルは、ホテル王になって銀行の株を買い漁り、頭取の地位にあるケインを引き摺り下ろすのでした。 骨肉の争いの後、ケインは敗れて死んでしまいます。心労が祟ったのです*そして、融資先からアベルに連絡が入り、以前自分を救ってくれたのは、ケインだと初めて知りました。 アベルは、「悔やんでも悔やみ切れん*」と手を手摺に打ちつけ泣いていました*子供達と話しながら、何故か、この物語を思い出しました!伝えることが直接的であればあるほど、「虚」に成ってしまう様で自制心から蘇ったのかも知れません。言い過ぎて、やり過ぎてはあかんよと***
虚実の真実
人間と言うモノを真剣に考えて見ますと、何が嘘で何が真実なのか解らなくなります。口は都合の良い様に発し、行動さえも演じることが出来てしまう!何を以って人は信じるのでしょうか?その中に生きていましても子供達の心は信じられる自分がいます。純真な心は、ある一面残酷な部分もありますが、それさえも剥き出しの本能として善意に捉えることが出来ます。虚と実の中間もあって良い筈です。グレーと申しましょうか?何処までが真実で何処までが嘘なのでしょう?全てが明確でなくても良いのかも知れない?また、それが無ければ息苦しいのではないでしょうか*曖昧とは悪いことではない気がします。子供から、「どうして人間には社会が必要なの?」と聞かれました。私は真剣に考え、こう答えました。「人間は弱い動物だからだと思うよ*」「何で?」「人間は元々夜行性だったと聞いている。多分それは嘘ではない気がする!昼間に出歩くと、強い動物に食べられてしまうから、きっと夜、行動していたんだね!しかし、弱いから群れを作り、また、色んな人間が集まれば沢山の知恵が生まれる!そして、石で武器を作ったり、鉄を発見してもっと強力な武器が作れたから、今の様に生活が逆転し反対になったんだ。弱い動物だから集団になる。弱いから助け合う。そんなものが社会の始まりじゃあないのかな?」「何故お金が要るの?」「どうして皆がすることをしないといけないの?」 思い出すだけでも胸が詰まります。現状よりも良くしたいと言う思いや行動は、必ずしも良くは成らないこともあります。 その辺が哀しい人間の「性」なのかも知れません。井上陽水さんの歌は、正しくグレーな歌詞?詩です。そのグレーのモノを一つの価値観として素敵に感じられていたことを知りました。自分がモノ(曲)を作ってしまうという事に対して、恥じらいやハニカミを持ちながら、想いを伝えている?高倉健さんにも同じ様な匂いを感じます。 同列に論じては失礼なのですが、私も時々我に返り自問自答しています。穴に逃げ込みたい様な恥ずかしい思いをすることもシバシバ*そんな時、私が指導者で良いのかと真剣に考えます。
それぞれの人生
今の子供達には情報が沢山あり過ぎて溢れんばかりです!そのことによって様々な不安に駆られて一人で苦しんでいます。大人は、それらの手立て?救う術を知りません。文明の発達は止めることが出来ない*便利なものは捨てられない!頭の良い現代人は、安直に物事の範囲を設けて防ごうとしますが、難しい話だと思います。携帯電話にしましても制限を付ければ安心だと言われていますが、そんなものは何も役に立ちません*望まなくても情報は必ず入って来ます。それを恐れ親や学校、警察などの関係者は、更に情報を意図的に提供?与え危険を察知させ様と予防線を廻らせます。でも、おそらくそんなことも子供達に過剰な警戒心や、不安を煽っている様な気がしてならないのです。諸刃の剣の様に*子供達の情報網を舐めてはいけません。大人の想像を遥かに超えています。
生きる喜び
生きる喜びとは一体何でしょう?ただ遣りたいことが出来て自由なら喜びとなるのでしょうか? イヤそうではなく、何かに耐え忍びながらも少し思い通りに出来るから嬉しい?幸せを感じるのではないか?そんな風に私は感じています。 もう直ぐ釣りキャンプに出掛けますが、釣りが好きな人と、嫌いな人間が居ると、よく言われます。性格が影響するのだと!?気が短いから!気が長いから!向いている?向いていない?と誰が、どう言う根拠を持って言い始めたのかは分かりませんが、そういうことをお聞きしますと、バカな私などは反発したくなってしまいます。狭い傾向を見て言われるのでしょうが、人間は何でも解った様に結論付けたがる?笑 最近のニュースでも、釣り場所などで事故があった為に、釣り禁止という立て看板が掲げられ、監獄の様な柵や鍵が設けられています。そして、釣り人達を極悪人の様に報道して、追い出される光景を見ます*自由に釣りすら出来ない国になりました。誰しも危険は承知の筈です。 どんどん管理しますが、もう一方では、個性を出せ!伸び伸びと!個人の自由に!皆自然を楽しみましょう!自由に遣りなさい!と言いつつズボンの裾を踏みつけている?リスクを背負わないことに真の喜びや高い価値はない!子供達にどう説明をすれば良いのでしょうか?イカンモノはイカン!ダメなモノはダメ!良いことは良い! 単純明快には答え難くなりました。でも私は単純に生きます。解らないものは解らんと!本当はイカンけど、これなら少し良いよ!笑 何てね* 危険は道端も一緒だよ*生き物は必ず死にます。そして、事故も起こる!便利になればなるほど警戒心が薄れ多発することでしょう!
合気道
帰りのバスの中で、合気道の達人のDVDを子供達に見せました。その中には、興味心身で前の座席に移って来て真剣に観ていた子もいました。想いが伝わったのでしょうか?一つのモノだけに囚われず、様々なことから感じ取って欲しい*真剣に観ている子供達の横顔が嬉しかったです。何事も否定するところから入らず、認めた上で自分の「ろ過機」に通す!そんなことを望みます。 何時か近い将来、武術道場が開けた時には、皆を無料で呼んであげたいですね*猪木さんの延髄斬りはサッカーから、私の延髄斬りシュートは、猪木さんを観て自分流にアレンジし編み出した技です。どんなモノも否定していては可能性や独創性は生まれません。ヨーロッパの強豪クラブチームでは、ボクシングの「シャドーボクシング」や「マスボクシング」を取り入れて練習していることもあるのですよ!それを観ても私には全く違和感がない!不思議にも感じませんが、日本では多分?絶対受け入れられないでしょうね*「サッカーなんだから、サッカーの練習しろよ!」と・・・役に立ちそうなこととは、結構無駄と思われている所にヒントや発想の転換があるものです。 スポーツも武道も一緒です。人間同士が戦うのですからね!関係の無いこと何て、「何も無い」のです。
猪木さんと陽水さんの共通点
私は最近気付いたのです!このお二方は、深い部分で非常に似てるのではないか?とそう思いました。感性の部分が人並み外れて素晴らしいことは申し上げるまでもありませんが、カテゴリーを持たない?基本のベースがニュートラルなのでしょう!ですからスポーツや格闘技、音楽の中に拘り?壁がない!根幹?人間の資質にそれを感じます。猪木さんは常々、「私には基本がない!アマレス・柔道・空手・相撲というモノが無かったから、臨機応変の対応出来たのだと思う!相手の出方次第と言う部分と、自分から意表を衝いて、こちらのペースに引き込んだりする発想があった!それは純粋に拘りがないからそう出来たのでしょう!」と・・・また、「プロレスは格闘技ではない!」などと批判された時には、真剣に怒り、「お前、何言ってんだ!」と反論されていました。命が掛かってない?ルールがある!などとも言われるのですが、猪木さん自身ノールールで戦ったことが何度もありましたから、そう反論されるのはごく自然です。お気持ちは凄くよく解ります。陽水さんも同様に、フォーク・ブルース・ロック・パンクなどの隔たりが無いことを発言から感じたのです。純粋に、この音楽が好きだ!から入ったのだと思います。形からではない* 例えば、「あれがパンクと言う音楽なのかどうか、私には解りませんが?」や、「私は他を知らかった!」、「フォークとか、ブルースなどを知らずに、この世界に入った!」、「ただビートルズの音楽が好きなだけだったのです。」 この様なことをお聞きしまして、何か分けないといけない!とか、これはこの分野!とか、その種類に入る!などとは考えなかったとお察し致します。実は、私もそういうことに疑問を持っています。音楽に壁はあるのかなあ?と・・・良いものは良い!区別を設けることに一体どれくらい意味があるのでしょう?せいぜいレンタルショップや、CD販売店で、買い求め易いくらいのことではないのでしょうか?音楽は、音を楽しむと書きます。そして、どんな音楽を好むのかは個人個人の自由です。誰を好み、どんな音楽を好きになるのか?ジャンルではないと思います。親戚の兄ちゃんから、「フォーク何て暗い*」と言われ!ロックに走ったことも一時期ありましたが、直ぐに飽きてしまいました。きっと、格好良さそうな音楽をやっていれば女の子にモテるとでも考えたのでしょうね?バカな奴です。 私の体に流れる血は、シリアスで、センチメンタルなモノが良いと感じるのですから、無理をすることは何もないのです。音楽ではなくなってしまう*その人が良いと感じるものが本当に良い!自由とは縛られないこと!知らず知らずの内に自分自身が目に見えない何かに縛られてはいないのか?と自分を疑うこともあります。孫悟空がお釈迦様の手の平の中で遊ばされている様に*音楽もスポーツ同様にデスポート!囚われているものから、開放?離れる意味がありますから、雑念があったりしてはいけません。まして色気などは全く以って不必要です!笑
デューク
私の部屋で最後にデュークを読み聞かせました。そして、数名眠ってしまいました*笑 寝る前に本を読みますと、やっぱり寝てしまうものですね!笑 鈴鹿サーキットでハシャギ!ナイターの試合で頑張り!風呂で大騒ぎした後ですから、眠くなるのも無理はありません。寝顔が可愛く*愛しい気持ちになりました*この年代は、6年生全ての選手が最後までクラウドに居てくれました。自分の為だけではない!後輩を育て教える立場なんだ*それが最後の大仕事!その意味は、責任感を養い、他者に対する想いの芽生え!善い生き方とはどういうことなのか?を学んで欲しい*そんな想いが、きっと通じたのでしょう*それもこれも保護者様のご理解あってのことだと心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
手紙
昨日の夜中に一人で、6年生たちや、お母さんから頂いた手紙を読みました。勿体無い気持ち*ありがたい気持ち*畏れ多い気持ちなどから、中々読めなかったのですが、やっと読めました。涙が嫌いな私ですが、込み上げて来るものが押さえ切れませんでした。色々なことが走馬灯の様に蘇り、心散り乱れました。教えることは本当に難しいです。でも手紙を読んで安心しました。この選手達は私が至らなかった分、しっかりしていて自分の判断で決められる*また、偏った情報を得ても一度立ち止まり、ちゃんと考えることが出来そうだと感じたのです。 皆素直な分だけ中学、社会に出て行けば、沢山嫌な思いをすることもあるでしょう*そんな時、クラウドを思い出してくれたらなあと思います。 あんな変な先生も居たから、きっとオレも大丈夫だと!笑*この手紙達は私の宝物です。一生懸命考え与えていたつもりですが、与えられていました。本当に申し訳ありません。 何時でも「クラウド」は、あなた達を待っていますよ*何時も心に居なくて良いのです。苦しい時に思い出して下さい。 雲の形を自分で変えながら創って下さい。そして、良い風が吹き、善い方向に流れて行って欲しい*クラウドは、その目に見えない風に成れていたでしょうか?自問自答が続きます・・・手紙の中で、「先生が今の勝ちだけに拘らなくても、勝ち進み県大会まで行けた!」との言葉*「クラウドは、すごくいいクラブだと思います*」との美しい文字が、私の頭に焼き付いて離れません。幸せです*多くの子供達が、手紙の中に書いてくれました。「サッカー以外のことを沢山教えて貰いました。」とあります。本望です*生きる上に於いて大切なことを私なりに?イヤ、時には私から離れて真剣に考え伝えて来ました。
逞しく生きて欲しい* 強く優しくあって欲しい* 後ろを振り向くな! 胸を張り上を向いて歩こうぜ!
心もよう
さみしさのつれづれに 手紙を認めています あなたに
黒いインクが綺麗でしょう 青い便箋が悲しいでしょう
井上 陽水
一振りに 風は流れて 桜かな
想いの果ては 大空の雲
兼田 康行
オリンピックと同時進行します。昨日、6年生最後の試合を鈴鹿でして来ました。 皆自分の個性を活かしながら、自由に戦っていました。その姿を観ていて、とても嬉しい気持ちと、寂しい想いとが交差し、何か離れて映像を観ている様な感じでした。不思議な感覚に包まれました*「みんな大きくなったなあ*」と・・・
私の部屋
美味しい夕食を食べ、素晴らしい風呂(露天風呂・五右衛門風呂・サウナ)に入り、その後、私の部屋に全員集り話をさせて貰いました。最後まで遣り遂げる意味や、一番哀しいこと*一番嬉しいこと!目に見えない想いとは?など私の素直な気持ちを出来るだけ分かり易く伝えたつもりです。よく監督コーチは、遠征時や試合後に必ず選手達を座らせたり立たせながら延々と指導する姿を拝見致しますが、私はその様なことが苦手です。何か立場を利用している様で?失礼しました。何か一方的な気がしてしまい出来ないのです。本当は立場上、遣るべきことなのでしょう!私が逃げているだけなのかも知れません*そう思いつつも偉くない私などがしてはいけないことと考えてしまいます。しかし、今回は、それが自然と出来てしまいました。きっと節目と言うことですね*一人の人間として、また人生の先輩として、ちょっと恥ずかしいことも隠さずに伝えることが出来たと思っています。
猪木の弟
他のチームの子供達から、「猪木だ!」と言われる事に最近は慣れて来ましたが、今回もそんなことがありました。私達クラウドが皆で風呂に入っていましたら、前に入っていたチームの子供達が、代わる代わる風呂場に戻って来て私の裸を見に来るのでした。エッチ*笑 最初は、同じチームの子を探しに来ているのかなあと思っていましたが、みんな私の顔を見てニヤニヤしながらハシャイで笑っていたり、「スゲー」と言い逃げては戻りを繰り返していたのです。 私が風呂から上がりますと、「サインを貰っとけ」とか、「猪木の弟ですか?」、「鍛えているのですか?」何て聞いてきました。面白いですね子供達は!みんなカワイイ*
傘がない
「想い」を感じて貰おうと、「禁じられた遊び」や、ビートルズの「レット・イット・ビー」を弾き、最後に「傘がない」を唄いました。傘とは何だろう?冷たい雨とは何だろう?ズブ濡れになっても会いに行きたい気持ちとは、どんな気持ちなんだろう?と魂で問い掛けました。想い=感じる力 「禁じられた遊びって、どういう遊び?」と言う質問をされて説明しましたら深刻な顔をして聞いていました。私の英語も歌なら通用することが解り安心しました!笑 私が歌い始めますとシーンと静まり返り静寂な空間になりました。きっと想いの「何か」は伝わったと思っています。独り善がりかも知れません*
モノトーン
白でも黒でもない世界は必ず、どの世界にもあると思っていますが、人間が行うことなら尚更でしょう!それを今の日本社会は、キッチリ決め事を作りそれらに全てを押し込めようとしてはいないのでしょうか?子供達の悩みを真剣に聞きますと、そんなことを強く感じました。子供達が可愛そうです*色んな子供達がいますから、全部の子供達ではないにしろ、真面目に考えている子にとっては大変な世の中です。全てが確立されつつある世界では、寛容?融通?アソビ?そんなモノが無い為に自身を追い込んでしまいます。もっと広い世界を観て欲しいと心から願います*そんなことを考えていましたら一睡も出来ませんでした*不憫に想う気持ちと、そうやって一つ一つ乗り越えて欲しい*という気持ちが波の様に押し寄せ、その渦が私の心を揺さぶりました*自身の無力さを痛感し切ない・・・この日の眠れない夜のことは生涯きっと忘れることがないでしょう*
言葉にはならない
言葉にすると嘘になり、行動で示せば真実になるのでしょうか?想いとは、姿を隠しそっと遣って?さし上げた方が良いのでしょうか?何も知らない方がお互い幸せ?昔、アメリカの物語で、「ケインとアベル」と言うモノがあります。ケインは、お金持ちのエリートで大銀行家になり、アベルはポーランドから命辛々逃げアメリカに移住して来た貧しい移民です。アベルは必死に働き、そして苦労の末、ホテル王になるのです。そのサクセストーリーの中で、アベルは大恐慌により人生最大の危機!苦境に陥ります。銀行に掛け合いに行った相手がケインでした。現実?合理主義のケインは感情を抜きにして、無慈悲にもホテルを売却すると、アベルに銀行の決定を通達しました。アベルは、その時、復讐を誓い席を立ってこう述べました。「今に見ていろ」と・・・でも何も言わずにケインは自分の資産をアベルに投資したのです。アベルの直向な生き方に感じ入ったのです。利害関係のある投資は、立場上に問題があることと、またルールに反するので名前を伏せて行いました*それを知る由も無いアベルは、ホテル王になって銀行の株を買い漁り、頭取の地位にあるケインを引き摺り下ろすのでした。 骨肉の争いの後、ケインは敗れて死んでしまいます。心労が祟ったのです*そして、融資先からアベルに連絡が入り、以前自分を救ってくれたのは、ケインだと初めて知りました。 アベルは、「悔やんでも悔やみ切れん*」と手を手摺に打ちつけ泣いていました*子供達と話しながら、何故か、この物語を思い出しました!伝えることが直接的であればあるほど、「虚」に成ってしまう様で自制心から蘇ったのかも知れません。言い過ぎて、やり過ぎてはあかんよと***
虚実の真実
人間と言うモノを真剣に考えて見ますと、何が嘘で何が真実なのか解らなくなります。口は都合の良い様に発し、行動さえも演じることが出来てしまう!何を以って人は信じるのでしょうか?その中に生きていましても子供達の心は信じられる自分がいます。純真な心は、ある一面残酷な部分もありますが、それさえも剥き出しの本能として善意に捉えることが出来ます。虚と実の中間もあって良い筈です。グレーと申しましょうか?何処までが真実で何処までが嘘なのでしょう?全てが明確でなくても良いのかも知れない?また、それが無ければ息苦しいのではないでしょうか*曖昧とは悪いことではない気がします。子供から、「どうして人間には社会が必要なの?」と聞かれました。私は真剣に考え、こう答えました。「人間は弱い動物だからだと思うよ*」「何で?」「人間は元々夜行性だったと聞いている。多分それは嘘ではない気がする!昼間に出歩くと、強い動物に食べられてしまうから、きっと夜、行動していたんだね!しかし、弱いから群れを作り、また、色んな人間が集まれば沢山の知恵が生まれる!そして、石で武器を作ったり、鉄を発見してもっと強力な武器が作れたから、今の様に生活が逆転し反対になったんだ。弱い動物だから集団になる。弱いから助け合う。そんなものが社会の始まりじゃあないのかな?」「何故お金が要るの?」「どうして皆がすることをしないといけないの?」 思い出すだけでも胸が詰まります。現状よりも良くしたいと言う思いや行動は、必ずしも良くは成らないこともあります。 その辺が哀しい人間の「性」なのかも知れません。井上陽水さんの歌は、正しくグレーな歌詞?詩です。そのグレーのモノを一つの価値観として素敵に感じられていたことを知りました。自分がモノ(曲)を作ってしまうという事に対して、恥じらいやハニカミを持ちながら、想いを伝えている?高倉健さんにも同じ様な匂いを感じます。 同列に論じては失礼なのですが、私も時々我に返り自問自答しています。穴に逃げ込みたい様な恥ずかしい思いをすることもシバシバ*そんな時、私が指導者で良いのかと真剣に考えます。
それぞれの人生
今の子供達には情報が沢山あり過ぎて溢れんばかりです!そのことによって様々な不安に駆られて一人で苦しんでいます。大人は、それらの手立て?救う術を知りません。文明の発達は止めることが出来ない*便利なものは捨てられない!頭の良い現代人は、安直に物事の範囲を設けて防ごうとしますが、難しい話だと思います。携帯電話にしましても制限を付ければ安心だと言われていますが、そんなものは何も役に立ちません*望まなくても情報は必ず入って来ます。それを恐れ親や学校、警察などの関係者は、更に情報を意図的に提供?与え危険を察知させ様と予防線を廻らせます。でも、おそらくそんなことも子供達に過剰な警戒心や、不安を煽っている様な気がしてならないのです。諸刃の剣の様に*子供達の情報網を舐めてはいけません。大人の想像を遥かに超えています。
生きる喜び
生きる喜びとは一体何でしょう?ただ遣りたいことが出来て自由なら喜びとなるのでしょうか? イヤそうではなく、何かに耐え忍びながらも少し思い通りに出来るから嬉しい?幸せを感じるのではないか?そんな風に私は感じています。 もう直ぐ釣りキャンプに出掛けますが、釣りが好きな人と、嫌いな人間が居ると、よく言われます。性格が影響するのだと!?気が短いから!気が長いから!向いている?向いていない?と誰が、どう言う根拠を持って言い始めたのかは分かりませんが、そういうことをお聞きしますと、バカな私などは反発したくなってしまいます。狭い傾向を見て言われるのでしょうが、人間は何でも解った様に結論付けたがる?笑 最近のニュースでも、釣り場所などで事故があった為に、釣り禁止という立て看板が掲げられ、監獄の様な柵や鍵が設けられています。そして、釣り人達を極悪人の様に報道して、追い出される光景を見ます*自由に釣りすら出来ない国になりました。誰しも危険は承知の筈です。 どんどん管理しますが、もう一方では、個性を出せ!伸び伸びと!個人の自由に!皆自然を楽しみましょう!自由に遣りなさい!と言いつつズボンの裾を踏みつけている?リスクを背負わないことに真の喜びや高い価値はない!子供達にどう説明をすれば良いのでしょうか?イカンモノはイカン!ダメなモノはダメ!良いことは良い! 単純明快には答え難くなりました。でも私は単純に生きます。解らないものは解らんと!本当はイカンけど、これなら少し良いよ!笑 何てね* 危険は道端も一緒だよ*生き物は必ず死にます。そして、事故も起こる!便利になればなるほど警戒心が薄れ多発することでしょう!
合気道
帰りのバスの中で、合気道の達人のDVDを子供達に見せました。その中には、興味心身で前の座席に移って来て真剣に観ていた子もいました。想いが伝わったのでしょうか?一つのモノだけに囚われず、様々なことから感じ取って欲しい*真剣に観ている子供達の横顔が嬉しかったです。何事も否定するところから入らず、認めた上で自分の「ろ過機」に通す!そんなことを望みます。 何時か近い将来、武術道場が開けた時には、皆を無料で呼んであげたいですね*猪木さんの延髄斬りはサッカーから、私の延髄斬りシュートは、猪木さんを観て自分流にアレンジし編み出した技です。どんなモノも否定していては可能性や独創性は生まれません。ヨーロッパの強豪クラブチームでは、ボクシングの「シャドーボクシング」や「マスボクシング」を取り入れて練習していることもあるのですよ!それを観ても私には全く違和感がない!不思議にも感じませんが、日本では多分?絶対受け入れられないでしょうね*「サッカーなんだから、サッカーの練習しろよ!」と・・・役に立ちそうなこととは、結構無駄と思われている所にヒントや発想の転換があるものです。 スポーツも武道も一緒です。人間同士が戦うのですからね!関係の無いこと何て、「何も無い」のです。
猪木さんと陽水さんの共通点
私は最近気付いたのです!このお二方は、深い部分で非常に似てるのではないか?とそう思いました。感性の部分が人並み外れて素晴らしいことは申し上げるまでもありませんが、カテゴリーを持たない?基本のベースがニュートラルなのでしょう!ですからスポーツや格闘技、音楽の中に拘り?壁がない!根幹?人間の資質にそれを感じます。猪木さんは常々、「私には基本がない!アマレス・柔道・空手・相撲というモノが無かったから、臨機応変の対応出来たのだと思う!相手の出方次第と言う部分と、自分から意表を衝いて、こちらのペースに引き込んだりする発想があった!それは純粋に拘りがないからそう出来たのでしょう!」と・・・また、「プロレスは格闘技ではない!」などと批判された時には、真剣に怒り、「お前、何言ってんだ!」と反論されていました。命が掛かってない?ルールがある!などとも言われるのですが、猪木さん自身ノールールで戦ったことが何度もありましたから、そう反論されるのはごく自然です。お気持ちは凄くよく解ります。陽水さんも同様に、フォーク・ブルース・ロック・パンクなどの隔たりが無いことを発言から感じたのです。純粋に、この音楽が好きだ!から入ったのだと思います。形からではない* 例えば、「あれがパンクと言う音楽なのかどうか、私には解りませんが?」や、「私は他を知らかった!」、「フォークとか、ブルースなどを知らずに、この世界に入った!」、「ただビートルズの音楽が好きなだけだったのです。」 この様なことをお聞きしまして、何か分けないといけない!とか、これはこの分野!とか、その種類に入る!などとは考えなかったとお察し致します。実は、私もそういうことに疑問を持っています。音楽に壁はあるのかなあ?と・・・良いものは良い!区別を設けることに一体どれくらい意味があるのでしょう?せいぜいレンタルショップや、CD販売店で、買い求め易いくらいのことではないのでしょうか?音楽は、音を楽しむと書きます。そして、どんな音楽を好むのかは個人個人の自由です。誰を好み、どんな音楽を好きになるのか?ジャンルではないと思います。親戚の兄ちゃんから、「フォーク何て暗い*」と言われ!ロックに走ったことも一時期ありましたが、直ぐに飽きてしまいました。きっと、格好良さそうな音楽をやっていれば女の子にモテるとでも考えたのでしょうね?バカな奴です。 私の体に流れる血は、シリアスで、センチメンタルなモノが良いと感じるのですから、無理をすることは何もないのです。音楽ではなくなってしまう*その人が良いと感じるものが本当に良い!自由とは縛られないこと!知らず知らずの内に自分自身が目に見えない何かに縛られてはいないのか?と自分を疑うこともあります。孫悟空がお釈迦様の手の平の中で遊ばされている様に*音楽もスポーツ同様にデスポート!囚われているものから、開放?離れる意味がありますから、雑念があったりしてはいけません。まして色気などは全く以って不必要です!笑
デューク
私の部屋で最後にデュークを読み聞かせました。そして、数名眠ってしまいました*笑 寝る前に本を読みますと、やっぱり寝てしまうものですね!笑 鈴鹿サーキットでハシャギ!ナイターの試合で頑張り!風呂で大騒ぎした後ですから、眠くなるのも無理はありません。寝顔が可愛く*愛しい気持ちになりました*この年代は、6年生全ての選手が最後までクラウドに居てくれました。自分の為だけではない!後輩を育て教える立場なんだ*それが最後の大仕事!その意味は、責任感を養い、他者に対する想いの芽生え!善い生き方とはどういうことなのか?を学んで欲しい*そんな想いが、きっと通じたのでしょう*それもこれも保護者様のご理解あってのことだと心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
手紙
昨日の夜中に一人で、6年生たちや、お母さんから頂いた手紙を読みました。勿体無い気持ち*ありがたい気持ち*畏れ多い気持ちなどから、中々読めなかったのですが、やっと読めました。涙が嫌いな私ですが、込み上げて来るものが押さえ切れませんでした。色々なことが走馬灯の様に蘇り、心散り乱れました。教えることは本当に難しいです。でも手紙を読んで安心しました。この選手達は私が至らなかった分、しっかりしていて自分の判断で決められる*また、偏った情報を得ても一度立ち止まり、ちゃんと考えることが出来そうだと感じたのです。 皆素直な分だけ中学、社会に出て行けば、沢山嫌な思いをすることもあるでしょう*そんな時、クラウドを思い出してくれたらなあと思います。 あんな変な先生も居たから、きっとオレも大丈夫だと!笑*この手紙達は私の宝物です。一生懸命考え与えていたつもりですが、与えられていました。本当に申し訳ありません。 何時でも「クラウド」は、あなた達を待っていますよ*何時も心に居なくて良いのです。苦しい時に思い出して下さい。 雲の形を自分で変えながら創って下さい。そして、良い風が吹き、善い方向に流れて行って欲しい*クラウドは、その目に見えない風に成れていたでしょうか?自問自答が続きます・・・手紙の中で、「先生が今の勝ちだけに拘らなくても、勝ち進み県大会まで行けた!」との言葉*「クラウドは、すごくいいクラブだと思います*」との美しい文字が、私の頭に焼き付いて離れません。幸せです*多くの子供達が、手紙の中に書いてくれました。「サッカー以外のことを沢山教えて貰いました。」とあります。本望です*生きる上に於いて大切なことを私なりに?イヤ、時には私から離れて真剣に考え伝えて来ました。
逞しく生きて欲しい* 強く優しくあって欲しい* 後ろを振り向くな! 胸を張り上を向いて歩こうぜ!
心もよう
さみしさのつれづれに 手紙を認めています あなたに
黒いインクが綺麗でしょう 青い便箋が悲しいでしょう
井上 陽水
一振りに 風は流れて 桜かな
想いの果ては 大空の雲
兼田 康行
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