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お爺ちゃんへの愛
私の祖父は小学校1年生の時に死にました。働いて働いて働き続けて一生を終えました。戦後ですから、祖父だけではなく、皆大変な世の中を生きて来られたのだと思います。今からは想像もつかない時代だったことでしょう!一生懸命働いて貯めたお金を信用していた方に持ち逃げされたりして、途方に暮れた時期もあったと聞いています。 それでも祖父は家族を養うために、クズ芋を集めて商売をすることを農家の方に教えて貰い、お爺さんは苦境を乗り切ったと聞いています。そんな働き者の祖父でした。朝から夕方までは、お金を払い山の木を伐採する権利を買い、木を切り陶器を焼く窯屋さんの燃料になる木材を売る商売を始めました。また、一般家庭の家事や、風呂に使う炊き木を斧で割り針金で組んで売りながら、夜は珪砂(ガラスになる砂のことです。)を、トラックにスコップ一本で積む重労働の仕事をやっていました。その為に、小学生だった私の父は、弁当を祖母から預かり暗い夜道を30分掛けて届けに行ったと聞いています。それだけ一生懸命働いても、お金を払ってくれない窯屋さんも沢山あったそうです。戦後ですから皆貧しかった!ある陶器屋さんは、お金がどうしても工面出来ないと祖父に頼み込む為、仕方なく債権を放棄してあげることにしましたが、しかし、他の取立てが厳しかったのでしょうか?その後、首を吊って自殺してしまいました* それを聞き祖父は、とても悲しんでいたそうです。「死なんでもええのに*」と・・・優しい人間でした。そんな祖父のことが祖母は本当に好きだった*死んだ時には泣いて泣いて泣き崩れていました。
お婆ちゃんの想いは涙の分だけ
亡くなって、それから一年くらいは毎日泣いていました*私が学校から帰ると、必ず祖母は縁側に座って泣いていたのです。昔のモノ哀しい民謡みたいな歌を唄い膝を叩きながら、しゃくり上げ泣いていました。 枯れてしまうくらい泣いていたのです。 私は、それを見るのが辛くて辛くて見てみぬ振りをして、一目散に逃げ出して外へ遊びに出掛けていました。何とも表現し難いのですが、今思えば愛情を超えた愛があったと思います。
他人同士
他人同士が一緒になっても、これほどの情愛が育める*本当に素晴らしいことだと思います。人間は非情にもなりますが、自分の命に代えても良いくらいの愛もある*祖父は、きっと幸せだったと思います。その人に対する無償の愛や想いを感じます。自分のことよりも、先ず人のことが一番に考えられる人は、人間として本当に尊敬致します。 「人間て良いもんだなと・・・」
涙が嫌いな訳
私の「涙嫌い」の訳は、もしかしたら、そんな出来事が影響しているのかも知れません?泣いてどうなるものでもないと私は思っています。 そんな人間の極限の涙を、多感で無垢な時期に見たものですから、本当の涙か?そうではない涙かは直ぐに観得てしまうのです。 心打たれる涙もありますが、そうではない涙は、逆にその人の人格を疑ってしまいます。努力が報われなかったとか?自分の思い通りには行かなかった!自分の遣ったことが認められない!私がこんなにしたのに?可愛そうに思って貰い何とかして頂こう!そんな涙は、「屁のツッパリにも成りません?」アハハ*品がないですね!申し訳ありません。でも本当に最近は良く泣きますね!安っぽいとは申し上げませんが、疑わしい気持ちになり溜息が出てしまいます。 簡単に泣ける人は、軽く薄い?幼稚に感じてしまうのです。しかし、他人を慮って泣く涙や、動物を不憫に思ったりした涙*言い換えれば自分から離れた「想い」のある涙は本当に美しいです* 保護者様の中には、私がクラブ運営で様々な問題を抱えていることに対して何時も気遣って頂き、涙ぐんで察して頂ける方や、何もおっしゃらずに、そっと応援して下さる優しい想いも感じていました。本当にありがたいものです*愚痴は言うまい!溢すまい!と、気をつけていますが、このブログや手紙で感じさせてしまっているのですね!でも、これは仕方ないことなのです*自分で行っていることですから当たり前です!良いことばかりでないことは解っています。もし、それが嫌だったら辞めればいい事です。「文句を言って嘆くくらいなら辞めてしまえ!」 何て心の中で呟きますと、情けない自身に気が付き強くなれます。涙って一体何でしょう?涙と言えば、私は人前では絶対唄えない歌があります。それは、「人生が二度あれば」と言う、井上陽水さん作曲の歌です。 何回弾いても自然に心の汗が流れ、見っとも無くて唄ったことがありません。何かあるのでしょうね?私と、この歌には!
好きになることは永遠ですか?
離れても想いがあれば生きられる*そんなことを祖母から学びました。 祖父が亡くなった後、一日も欠かさずに毎朝早く起きて一番に、ご飯や水、花を代えてお供えし、心を込めてお経を唱え供養していました。それは祖母が死ぬまで続けていたのです。二十数年間も! 好きな人がここに居なくても、想ってあげられることって切ないことなのですが、これ以上の愛情表現はない*本当の強さと優しさだと想います。
想いを踏み躙ることは簡単 想いの重みが軽くなった*
私はそんな祖父や祖母から沢山の愛情を受けましたが、何も恩返しが出来ませんでした。 想いを大切にしなかったです。後悔後に立たずと申しますが、その通りで居なくなって初めて気付きました。 世間や社会も上辺の人権意識や、言葉などは綺麗にされたのかも知れませんが、本質はどうでしょうか?人の想いを大切にしているでしょうか?
動物は裏切らない
その点、動物は偉いですね*疑わしい様な心地良い言葉など一切吐きません。そして裏表がない*何時も偽りのない真実に基づいて行動します。実家の猫のクロは、私に爪を立てない様に何時も遠慮してジャレて来るのです。言葉はなくても、気持ちが解る!尊いものだと思いつつ、言い知れぬ幸福感を覚えます。
私の祖父は小学校1年生の時に死にました。働いて働いて働き続けて一生を終えました。戦後ですから、祖父だけではなく、皆大変な世の中を生きて来られたのだと思います。今からは想像もつかない時代だったことでしょう!一生懸命働いて貯めたお金を信用していた方に持ち逃げされたりして、途方に暮れた時期もあったと聞いています。 それでも祖父は家族を養うために、クズ芋を集めて商売をすることを農家の方に教えて貰い、お爺さんは苦境を乗り切ったと聞いています。そんな働き者の祖父でした。朝から夕方までは、お金を払い山の木を伐採する権利を買い、木を切り陶器を焼く窯屋さんの燃料になる木材を売る商売を始めました。また、一般家庭の家事や、風呂に使う炊き木を斧で割り針金で組んで売りながら、夜は珪砂(ガラスになる砂のことです。)を、トラックにスコップ一本で積む重労働の仕事をやっていました。その為に、小学生だった私の父は、弁当を祖母から預かり暗い夜道を30分掛けて届けに行ったと聞いています。それだけ一生懸命働いても、お金を払ってくれない窯屋さんも沢山あったそうです。戦後ですから皆貧しかった!ある陶器屋さんは、お金がどうしても工面出来ないと祖父に頼み込む為、仕方なく債権を放棄してあげることにしましたが、しかし、他の取立てが厳しかったのでしょうか?その後、首を吊って自殺してしまいました* それを聞き祖父は、とても悲しんでいたそうです。「死なんでもええのに*」と・・・優しい人間でした。そんな祖父のことが祖母は本当に好きだった*死んだ時には泣いて泣いて泣き崩れていました。
お婆ちゃんの想いは涙の分だけ
亡くなって、それから一年くらいは毎日泣いていました*私が学校から帰ると、必ず祖母は縁側に座って泣いていたのです。昔のモノ哀しい民謡みたいな歌を唄い膝を叩きながら、しゃくり上げ泣いていました。 枯れてしまうくらい泣いていたのです。 私は、それを見るのが辛くて辛くて見てみぬ振りをして、一目散に逃げ出して外へ遊びに出掛けていました。何とも表現し難いのですが、今思えば愛情を超えた愛があったと思います。
他人同士
他人同士が一緒になっても、これほどの情愛が育める*本当に素晴らしいことだと思います。人間は非情にもなりますが、自分の命に代えても良いくらいの愛もある*祖父は、きっと幸せだったと思います。その人に対する無償の愛や想いを感じます。自分のことよりも、先ず人のことが一番に考えられる人は、人間として本当に尊敬致します。 「人間て良いもんだなと・・・」
涙が嫌いな訳
私の「涙嫌い」の訳は、もしかしたら、そんな出来事が影響しているのかも知れません?泣いてどうなるものでもないと私は思っています。 そんな人間の極限の涙を、多感で無垢な時期に見たものですから、本当の涙か?そうではない涙かは直ぐに観得てしまうのです。 心打たれる涙もありますが、そうではない涙は、逆にその人の人格を疑ってしまいます。努力が報われなかったとか?自分の思い通りには行かなかった!自分の遣ったことが認められない!私がこんなにしたのに?可愛そうに思って貰い何とかして頂こう!そんな涙は、「屁のツッパリにも成りません?」アハハ*品がないですね!申し訳ありません。でも本当に最近は良く泣きますね!安っぽいとは申し上げませんが、疑わしい気持ちになり溜息が出てしまいます。 簡単に泣ける人は、軽く薄い?幼稚に感じてしまうのです。しかし、他人を慮って泣く涙や、動物を不憫に思ったりした涙*言い換えれば自分から離れた「想い」のある涙は本当に美しいです* 保護者様の中には、私がクラブ運営で様々な問題を抱えていることに対して何時も気遣って頂き、涙ぐんで察して頂ける方や、何もおっしゃらずに、そっと応援して下さる優しい想いも感じていました。本当にありがたいものです*愚痴は言うまい!溢すまい!と、気をつけていますが、このブログや手紙で感じさせてしまっているのですね!でも、これは仕方ないことなのです*自分で行っていることですから当たり前です!良いことばかりでないことは解っています。もし、それが嫌だったら辞めればいい事です。「文句を言って嘆くくらいなら辞めてしまえ!」 何て心の中で呟きますと、情けない自身に気が付き強くなれます。涙って一体何でしょう?涙と言えば、私は人前では絶対唄えない歌があります。それは、「人生が二度あれば」と言う、井上陽水さん作曲の歌です。 何回弾いても自然に心の汗が流れ、見っとも無くて唄ったことがありません。何かあるのでしょうね?私と、この歌には!
好きになることは永遠ですか?
離れても想いがあれば生きられる*そんなことを祖母から学びました。 祖父が亡くなった後、一日も欠かさずに毎朝早く起きて一番に、ご飯や水、花を代えてお供えし、心を込めてお経を唱え供養していました。それは祖母が死ぬまで続けていたのです。二十数年間も! 好きな人がここに居なくても、想ってあげられることって切ないことなのですが、これ以上の愛情表現はない*本当の強さと優しさだと想います。
想いを踏み躙ることは簡単 想いの重みが軽くなった*
私はそんな祖父や祖母から沢山の愛情を受けましたが、何も恩返しが出来ませんでした。 想いを大切にしなかったです。後悔後に立たずと申しますが、その通りで居なくなって初めて気付きました。 世間や社会も上辺の人権意識や、言葉などは綺麗にされたのかも知れませんが、本質はどうでしょうか?人の想いを大切にしているでしょうか?
動物は裏切らない
その点、動物は偉いですね*疑わしい様な心地良い言葉など一切吐きません。そして裏表がない*何時も偽りのない真実に基づいて行動します。実家の猫のクロは、私に爪を立てない様に何時も遠慮してジャレて来るのです。言葉はなくても、気持ちが解る!尊いものだと思いつつ、言い知れぬ幸福感を覚えます。
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