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昨日の日曜日の試合は雨の中でした。
体が凍え、手の指先と足の指は氷っていました。

二名が風邪で欠席でしたので、
低学年の弟たち二名が助けてくれました。
可愛かったです*

寒い中での試合でも一生懸命戦っていました。
反則はありませんでした。

4試合連続でしたから、非常にキツかったでしょう。
でも必死に頑張っていました。
勝ち負けよりもそれを褒めました。

試合中は厳しいことも言いましたが、
それは全て選手個人の為です。
少しでも成長して欲しいと思います。
ただそれだけです*

保護者さんたちも寒いのに応援をして観て下さいました。

クラウドの保護者さんは、みんな紳士で淑女な方ばかりです。
本当に嬉しいです*

見苦しい応援は一切ありませんでした。
感謝申し上げます。

コーチ二人も死にそうな顔をしていました。
審判でずぶ濡れでしたから*

最後のゴールを片づける時、
コーチたちに私が少し強い口調と態度を見せたので、
コーチたちはビックリしていました。

それは如何にも寒そうに見せていたことと、
テキパキ動いていなかったからです。
人の手を借りようとする男ではない心を感じた。

濡れて体と心がシンドいのは分かる。
でも、そんな時こそ、男をみせなければいけません。
こんなものに負けるもんか!やったるぞ!という男の意地です。
男なんてしょせん小さくて精神的に弱い生き物ですけど、
こういう時は、体と意地を張らなければ男の意味がないのです。
それを私は言葉と態度と背中でコーチたちに教えたつもりです。

一人のコーチは私の気迫に何かを感じたのでしょう。
私からネットを受け取り走って片づけに行きました。
彼には通じたと思います。

仕事で辛いことは山ほどあります。
肉体的にも、精神的にも。
どちらがキツイとかと言ってもしょうがない。

それを跳ね返そうとする気持ちが男には要るのです。

寒いのがなんじゃあ!と・・・


こういう雨の日や、雪の日にはいつも思い出すことがあります。
それは多治見で働いていた頃のことです。


私が多治見で働いていた時、凍える様な寒い日に、
雨やミゾレや雪が重なる日が沢山ありました。
昼休みは別として、一日中屋根の無いところで働いていた。

もう雨の日は最悪でした。

そういう日は、朝からツナギという作業着が濡れて体の芯まで冷え切る。
身を斬る寒さと言うよりも骨がキレる感じです。

その中でスコップを持ち汗を掻きながら作業をし、
溶接をし、重量の重い鉄板や部品を運び、
ダンプの修理やタイヤ交換をし、夜まで働きました。

一切、人の手は借りませんでした。
何でも一人でやろうと*

それが日曜日の時も沢山ありました。
愛犬のボクサー犬を連れて働いていた。

男が働くという厳しさは、ここで自分で養いました。
辛い方がイイ*
一人で苦労してやれば男になれると思っていました。

私の性質は、仕事は自分の思い通りヤリタイ性格です。
綺麗に早くやらないと気が済まない。
男の働く姿で、気のない動きや表情を見るのが嫌いでした。
男同士だとは思えなかった。
だったら一人でやったろうやないか*
重い物やキツイ仕事、危険な仕事ほど進んで引き受けました。
一人でやると色んな知恵が付きました。
一人でも出来るよう工夫することが。
また人の有難味も知りました。
分からないことでも、やったことが無い事でもやりました。
そういう意地があったのです。

じゃあイイ男になれているのか?
と、言えば必ずしもそうではありません!笑

情けない自分といつも向き合っています。

ある時、工場を増設して建てることになり、
基礎工事が始まりました。
私が日曜日に修理に行くと、
その外構工事の人達も来ていました。

中年の人が数人と若者二人で鉄筋を組んだり、
ブロックを積んだりしていました。

私は一人で3,000坪のプラント工場の修理をしていました。
ここの鉱山は100万坪もある大きな所でした。
私が大きな鉄板の筒の中に入って溶接していると、
もう、すっかり日が暮れていました。

その工事の方々が私が修理している所に来て、
仕事を終えたので帰る挨拶をしに来てくれました。
「まだやるの?」と・・・
「もう少しで終わるで!これをやらんと明日プラント回せんもんでね*」

そんな会話をしていましたら、若者の二人がじーと私の仕事を見ていました。

その頃、私は25歳~31、2、3歳くらいでした。
体力も力もありましたから、無理が無理じゃなかったのです。
他の人たちからは、スーパーマンと呼ばれていました!笑
大きなコンクリートのU字講も酸素ボンベも、
アセチレンガスのボンベも、
一人で担いで階段が上がれたのです。
ボンベ屋さんは「初めてそんな人を見た!」と目を剥いていました。
「いくら力がある人でも大抵は胸に抱いて持って運ぶのに、
あんたはバケモノだ!肩に担いで階段を登るか???
これは転がして運ぶモノですよ!」と・・・笑

だから、そういうあだ名が付いたのです!あはは!
あっ!ターザンとも言われてました。
夏は暑くて裸で仕事をしていましたから!笑
暑い日に酸素溶接や電気溶接などをやると、
もうサウナ以上の状態になるので、
服なんか着て居られなかったのです。
それこそ土人でした*

皆がいなくなり、辺りが暗くなってくると、
ボクサー犬も不安になるのでしょう?
山の中ですからね。真っ暗になる。
プラントの下で「クーン*クーン*」と泣いていた。

上から私が名前を呼ぶと、三階まで走って階段を登って来てました。
私に頭を撫でられると、一層寂しそうに泣いていました*
「腹が空いたんやな*ごめんな!」と。
今思い出すとジーンと来ます。

「もうちょっとで終わるでな!待っとれよ」
ライトを照らしながら仕事を続けていました。
そして、仕事が終ると犬を助手席に乗せて、
抱き合いながらラブラブで愛岐道路を通り瀬戸市まで帰って来ていたのです。

あっ!多治見の音羽町という所にサークルKがあって、
よく夜に寄っていました。
そこで犬の分の唐揚げ棒と私の唐揚げ棒を買って食べていました!
店員さんも私の犬のことが大好きで、いつもサービスしてくれていました*
あんなにイカツイ顔なのですが、愛敬がありますので、
みんなに好かれていたのです*

日曜の朝に犬と多治見へ仕事に向かう時、
愛岐道路で沢山の若いカップルとすれ違いました。
二人が笑顔で楽しそうに車に乗って、デートしている姿が羨ましかった。
「どこに行くんやろうなあ?エエなあ*幸せそうやな~*
オレは今から夜まで仕事や!なあバグジー!」
と犬の名前を呼び抱き寄せて車を走らせていました。
懐かしい思い出です。


それから何年後か忘れましたが、あの時の若者の話が私に伝わって来ました。
別々の話ですが、二人の同級生から聞きました。
大体同じことを教えてくれたのです。
一つは居酒屋?BER?洒落た飲み屋!を経営している同級生からでした。
その若者は、将来の夢があるらしく外構工事の他に、
夜は、その居酒屋でバイトをしていたのです。
そして、私のことをその経営者に話したらしいのです。
もう一人は、ある日急に電話が掛かって来て、
「俺の知り合いで、アンタのことが凄く好きだと惚れとる人がおるよ*
店を出したそうやで一緒に行ったって!喜ぶで*」・・・

私が働いていた所をじーと見ていた外構工事の暴走族風の若者二人。
同級生曰く「あの二人は瀬戸市の子で、
その二人がアンタみたいな男になりたい!
オトコとして尊敬しとると言っていたよ!憧れやと*」と言うのです。
私は名前も告げてないし?何で知っているのか?
凄く不思議でした。
私は、深くは追及しない性格なので今も謎です!笑

私は何か気恥ずかしい様な気持ちでしたが、
一生懸命に人の倍働いたり、陰で懸命に働く姿は、
そういう影響を与えるんだなあと思いました。

その若者の一人が、店を出したことを聞きまして、
少しですが、お祝いを持って行った記憶があります。
その若者の名前は知りませんが?笑
照れくさいので余り話しませんでした*

瀬港線の頂上付近にあった当時は珍しいドッグカフェでした。
今はありませんが、どうしているのか?
きっと立派にやっているでしょう。

男やでね*元気は自分で作る!


私は雨が好きです。特に激しい雨が好き。
もっと降れー!じゃんじゃん降れー!
魂が燃えて来るのです!笑
その一方では哀しい思い出が浮かぶ。

その相棒だった犬は、私が阪神大震災の一年前に、
産廃免許の試験を神戸まで一人で受けに行っている時、
鼻の病気になり死にました*一週間会えなかった。

犬は私を一度も裏切ることもなく、ずーと側にいました。
嫌な顔もせず、私の顔を見ると、
ワン!ワン!と二度吠え、凄い嬉しそうな顔をして、
一秒でも早く私の体に抱き付きたい!
そんな猛ダッシュで飛付いて来てくれて、
いつも抱き合っていました*
海に行った時も私を信じてボートにも乗りました!笑
海風に当たり二人で砂浜に寝そべり幸せな時を過ごせた。

プラントの面倒を見ながら、
生コン屋の営業もしていましたので、嫌な事も沢山ありました。
また数十名いる仕事仲間での確執や、男同士の女の様なイジメもあり、
人間の汚い部分が沢山観えて人が嫌になっていました。
そんな中で、この犬は私に信じさせる力を与えてくれた。

その犬が死に唯一の拠り所がなくなった*
悲しみの果てを観ました。長ーく辛い日々でした*
仕事をしていても忘れられず、
溢れてくる日々を何か月も何年も過ごしました。

今も思い出す*雨が降る度に。
私の心や胸にも雨が降る*

私の存在を何時も同じ様に喜んでくれた*
何もウソは言わなかった*
全て委ねてくれていた*
信じていてくれた*
不平も不満も一度も言わなかった*
どこへでも一緒に行きたいと付いて来た*
私が居ないと必死な形相で探し回っていました*
一緒の物を食べて一緒に寝ていました*

こんな素晴らしい相棒を失えば、
魂が抜かれてしまいます。

このことがあって、この仕事を退社することを決めました。
直ぐにではありません。
私が辞めても困らない様にして、一年後に辞めました。
辞める理由は他にもありますが、ここでは話せません。
筆舌に尽くし難い内容です。
犬が死に腹を括らせました。
あの時、犬が死に私を助けてくれたのだと今は思っています。
あのまま働いていたら私は自殺していた。
絶対そうなっていた。
何もかも嫌になって。

辞めることに対して周りからは大反対されました。
給料は人の4倍か5倍貰えていましたから、
何もそれを捨てなくても!そう言われました。
お客さんからも何度も電話や会社まで来て引き留められました。
中には内の生コン屋に来てくれ!
と言って破格の提示も受けましたが、全部断りました。
何でも出来ると思われていたからでしょう*
でも、そんなに仕事が出来る訳ではありませんでした。
毎日が必死だっただけです。

桁違いな給料を貰っていたのに、
退職した時には、貯金がたった300万しか残っていませんでした!笑
計画をちゃんと立てていれば、その10倍は残っていた事でしょう。
しかし、私はそういうタイプではないのです。
無計画にその時に感じれば動いてしまいます。
賢くは生きられない人間。
毎日の様に同僚に驕り、私は酒は余り飲めませんが、
夜ヒマが出来れば若い子を遊びに連れて行きました。
色んな子を預かっていましたからね*
社会に順応して貰う為に。
だから、すべて私持ち。
老舗大手の生コン会社の人達からも頻繁に誘われていました。
しかも何十人も連れて来るので数十万円はかかる。
それも全部、私持ち。
こんなことを繰り返していたら残りませんよね。
会社で使う道具や工具、部品も自前で買っていました。
領収書を取って、会社から貰えばいいのですが、
それも面倒だし、姑息に思えたからしませんでした。
残る訳ないですね*笑
まあ、そういう人間だから仕方ないと諦めています。


営業何てやったことありませんでしたが沢山お客が取れました。
最初は、ゼネコンの営業マンたちにバカにされていたのです。
一種、独特の世界ですから一番汚いのです。
直ぐに袖の下を要求したり、裏金をヨコセとか、接待漬けとか、
女をアテガッタリ、クラブの女を囲ったり、カナズエンで遊ばせたり!
私は、そういうのを全く無視して営業をしました。
それが返って信頼されてドンドン増えたのです。
一年で3,000万取れた!そして更にビックリ!
それが、一か月3000万!になった。
ゼネコンの営業マンが私にひれ伏した*
ある営業マンは自分の息子を預けたいとまで言って連れて来たこともありました。
このやり手営業マンは、最初私を一番バカにしていた人でした。

そう言えば、岐阜のある大手の会社とケンカしたこともありました。
御嵩の会社です。年間50億を稼いでいた最大手です。
御嵩町長が暴漢にバットで襲われて瀕死の重傷を負った事件ありましたよね、
それを疑われた会社です。産廃問題でね*

ある日、その会社の番頭から喫茶店に呼び出されました。
お客を取られたと思い込んでね。
そして身を乗り出してこう言いました。
「内のお客に手を出すな!ケツ捲るぞ!」と言われました。
そして、名古屋の一番大きいヤクザの名前を出されて私は脅されたのです。

私もこの性格ですから、私も身を乗り出して
「ほうか、何でもやれ~!
オレは一人者やし、家族はおらんで命は要らんぞ!
好きにしやーえーがや!」
何て小さな男を張りました*
番頭は怒り狂い発狂していました!
他のことも言いましたが、この場では相応しくないので言いません。
しかし事実は、私がお客を取った訳ではないのです。
続けてこう言いました。
「これはなあ、先方からの話やぞ!自分らの営業の仕方と、
品質管理がしっかりしとらんから、こっちに話が来たんやろ!
俺に言って来るのはオカド違いや!」
そういうとやっと黙りました!笑


この会社には高給で雇っていた、
元刑事さんが二名も天下りしている会社でした。
そんな会社でもヤクザの名前出すんやなあ?
と、当時は不思議に思いました。
同時に自分の幼さに気付かされました。
世間知らずだった。
そんな綺麗事ある訳ないですもんね*
力とカネのある所は、表も裏も使うのです。

この番頭は、私よりも20歳も年上でしたから腹が立ったでしょうね!
このクソガキ生意気な~と・・・
でも年なんか関係ない。
私は、仕事に命を懸けていましたから、何にも怖くなかった。
開き直れました*
未だに直ぐに開き直ってしまう?
困ったものです。
今では、これは直らない性質だと諦めています。
若くはないのにね*笑
大切なモノほど直ぐに捨ててしまう寂しい奴です*
アホ。

しかし、その番頭さんは、その後何故か私のことを好いてくれ、
仲良くなりました。
逆にお客を紹介してくれました!笑
確か前田道路だったと思います。
サッカーのことでも助けてくれたのですよ。
可児市とクラウドが警察も挟んでグラウンドの事でモメてた時にも*
今はもう亡くなっています。
糖尿病になり、透析を受けていたのですが、
早死にしました*

人生どこで、どうなのるか分かりませんね*

休み何て一年に数日くらいじゃあなかったのかなあ?
働く時間も5時半に家を出て6時に着いてから夜まで!
それから接待に食事に行く*それからスナックやクラブ!
帰りは二時か三時でした。
今から思うと、よくヤレタナア?と思います。
若さでしょうね!
一人で泊まって修理していたことが何度もありました*

そんな中、犬だけが心や気を許せる存在だった。
100%の信頼が出来た存在は今も私の中に居ます。
日曜の雨が降る中、溶接をしなければならず、
やっていると、そばで私を振えながら待っててくれたこともあった*
私も雨で皮手袋が濡れ感電して震えました!笑
一段落すると、いつも抱き合ってキスをしていた。



次に飼う犬がいたら、同じ犬種が欲しいなあと思います。
でも、もう二十年くらいの月日が経ちますが、
飼えません*
飼う気になれない。
環境がアパートということもありますが、
飼おうと思えば家を買えば出来ます。

しかし、飼えば忘れてしまいそうです。
あんな恩義のある犬のことを・・・
ずーと一途でいたいと思います*


クラウド学校が出来たら飼えるかなあ?笑
同じ名前を付けて*
殺処分される犬を救う施設でもありますから、
許してくれることでしょう*

こっちがダメになったから、あっち!
あっちがいなくなったから、こっち!

そんなのは男として最低です。
気持がふらつくのは意地も心もない証拠です*

辛くても哀しくてもオトコで居たくないですか?
貧乏でも良い。認められなくてもイイ*

どうせ思い通りに行かないのですからね。
でも意地は通せますよ*自分次第で。

犬が居なくなって寂しくないですか?
と聞かれれば、そりゃあ寂しいですよ。
でも、この寂しさは、あの犬にしかワカランのです。
他人様に言うことではない。
痩せ我慢でも寂しくない*自分の犬は飼わないと言い、
20年通せば意地になっていると思います。

この仕事の中で、ある日、当時は部下であり、
先輩の60歳前後の同僚の二人が真剣な顔をして、
私にこう声を掛けてくれました。
「ヤスくん、全部一人で背負ったら潰れてしまうよ!死ぬよ*
俺達に出来ることはやるで任せや~*」と・・・

忘れられない言葉です。
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