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生きる意味
人間が悩むのは何故か?その辺りに人間の本質がありそうです。悩み過ぎて病気になる人もいます。考える事と悩むこととはどう違うのでしょうか?こんな風に書き始めましたが、難しい事に取り組もうとして頭が痛いです。笑 アホな私が難しいことに手を出すとロクな事ないです!☠ 孫悟空の様に頭が締まる*
苦悩する人間は役に立つ人より
強制収容所に居た経験を持つユダヤ人の方がこう言われていたそうです。「苦悩する人間は役に立つ人間よりも高い所にいる*」と・・・人間は、苦悩することで何を得られて、他者に何を与えられるのでしょうか?私が子供の頃、彫刻家ロダンの、「考える人」を見て、「この人は一体何を考えているのかなあ?」と、想像をしたことを思い出します。この方も価値の序列では、高い所に居たのでしょうね*
母の人生
今の時代は、女の時代です。それが良いことなのか、悪いことなのかは別として、どう生きるのか?は本人の考え方次第の筈です。母を見ていますと、自分の人生を生きているのかなあ?と少し不憫に感じます。全てを子供たちや他者に捧げている様に映ります。少し話が逸れますが、特に今切実に感じて想いますのは、日本の常識になりつつある、「過剰な丁寧さ」です。そんなモノに溢れていますが、それは間違っている!言葉だけではないとつくづく思います。「お気を付けて下さい!」「ご自愛して下さい。」などなど非常に丁寧ですが、私には気持ちが伝わらないと申しましょうか?言葉だけになっている様に感じてしまいます*それは、これを言っておけば良い?言えば世間的に体裁が良い?または安心?優しい人に見て貰える?そんな媚びる人間のヤラシイさを感じてしまうのです。だったら、言葉はない方が良い!または言葉は粗いが根は優しい*その方が、まだ信じられます。善人の様な顔をして、優しい言葉だけを掛けても、裏側は意地が悪い!☠ こう言う方の方が人を騙しているのですから罪が重い様に思います!言葉なんか無くても、気持ちは伝えられます。靴を揃えてあげること*靴ベラを、そっと置いてあげること*ゆっくりお茶を置くこと*母の例えで言えば、おにぎりの握り方ひとつ* 弁当の詰め方や洗濯物の畳み方、果物のムキ方、ご飯のよそい方、一つ一つに気持ちが込められていたことに気が付いた時、人の心に触れた様に思います。 最近そう感じられる様に、やっとなれた私は!笑 生き方の根本を教えられていると感じています*先日、橋下市長の教育論の話を読みましたが、正直賛同出来ませんでした。言っていることは正論なのでしょう?でも現実を知らない?失礼!頭の良い人の考えだなあ?現場を理解されてないのではないか?そう思いました。学力!それは大切な事です。競争!それも大切なことです。正しい*しかし、人間としての根本のスタンスを何処でどんな風に育むのでしょう?貧困、格差、学歴社会など相容れない物事や矛盾をどんな風に伝え教育してゆくのでしょう*今の教育を語るのであれば、現実の問題を直視した上で、未来に対する希望が見えないといけないと思います。今の競争社会の在り方、情報社会の弊害、民主主義の悪い所と良い所を、もう一度よくよく見直して見ることが、今の日本を考える上では一番必要に感じます。また考える時期に来ていると、私は思います。今の日本社会に付いてゆけない弱者の人達は集まり、生活保護の下に働く意欲を無くしています。 大人が汗を掻く姿を子供たちに見せないで、生きてゆく人間の根本の教育することが出来るでしょうか?偉そうですが、そう心から思いました。制度が悪いことをする訳ではなく、人間が何時もする*制度に罪はない!
老人の自殺
先日、事務所近くの、市営団地に住んでいた老婆が4階から飛び降り自殺してしまいました。何があったのか想像するだけで涙が溢れます。幸せとは何か?不幸とは何か?生きるとは何か?死ぬとは何でしょうか?
弁当を買いに来たお婆さん
その翌日、私がよく行く弁当屋さんで、長靴を履いたお婆さんが海苔弁当を買いに来られていました。その姿を見ただけで、胸が詰まってしまいました。誰も作ってあげる人がいないんだなあ?一人で食べるのかなあ?一人暮らしなのかあ?不幸がないと良いなあ*と・・・しかし、どんなに同情しても、何も出来ない*ただ想うだけ*虚無感に苛みながら、繰り返して繰り返して、諦めの境地を辿り、何も出来ずに彷徨い歩いてゆくしかないのでしょうね*
自由なのに幸せがない?
自由の様で自由がないとしたら幸せもマヤカシなのでしょう!個人情報保護法・PL法・農地法など様々な法律を作りました。しかし、それによってどんなに不便を被っているのでしょうか?少しのことでも、「まあまあそれくらい良いじゃあないか*」とシナヤカに許容する社会ではなくなりました。情が消え、情けを掛けなくなり、薄情な遣り取りばかりです。例えば、「それは法律で決められていますから!」その一言で冷たく片づけます。そんな国に温かい絆はありません。絆と言うよりも思い遣りです。私は絆が嫌いになりました*笑 言葉に縋って生きたくはない!市役所や学校などに苦情を言いに来る人が多いこと多いこと!直ぐ何かあれば、言ってやれば良い!そんな考え方が、この日本には蔓延ってしまいました。自分では何も解決出来ない大人ばかりです。みんながチクリ合う!情けない*誰かになんとかしても貰わないと生きてゆけないのでしょうね*そして、チクられた側は、陰湿な仕返しを考える*その繰り返し!ドンドン人間が醜くなってゆきます。インターネットで幼稚な悪戯をしたり、車に傷を付けたり!針をパンに入れたり!
繋がりがある様でない
簡単に作られたモノは簡単に壊れる!どんなことでもそうではないのでしょうか?スピードの時代!情報のスピード!と、テキパキ仕事を熟す!迅速に対応するのとは全然意味が違うと思うのです。簡単に人間関係を築きますと、思わぬ苦悩を引き起こして苦しむことにもなると思います。
相反する欲求 自由からの逃避
何をするのも自由!何を信じるのも自由!でもある本に、「それは結構辛いことである*」と書かれていました。簡単に理由を述べますと、「絶対的なモノがないと不安になるからです。」 絶対的なモノがないと、今、自分が考えていることや、行動し様としていることなどなど・・・自分が何かを選択しようとする度に、自分自身と向き合うことになるからです。自分の無知さ?愚かさ?醜さ?ズルさ?弱さ?利口さ?嘘?全ての自分が見える*
真面目をバカにするな
真面目が馬鹿を見る世の中に誰がした!日本のバブルがそうさせました*
知ってるつもりなだけ?
物知りが「知性に」変わる時はどんな風に変わるのでしょうか?知るとはどう言うことでしょうか?インターネットで知っているだけは、おそらく知っているつもりだけなんでしょうね*
人間が悩むのは何故か?その辺りに人間の本質がありそうです。悩み過ぎて病気になる人もいます。考える事と悩むこととはどう違うのでしょうか?こんな風に書き始めましたが、難しい事に取り組もうとして頭が痛いです。笑 アホな私が難しいことに手を出すとロクな事ないです!☠ 孫悟空の様に頭が締まる*
苦悩する人間は役に立つ人より
強制収容所に居た経験を持つユダヤ人の方がこう言われていたそうです。「苦悩する人間は役に立つ人間よりも高い所にいる*」と・・・人間は、苦悩することで何を得られて、他者に何を与えられるのでしょうか?私が子供の頃、彫刻家ロダンの、「考える人」を見て、「この人は一体何を考えているのかなあ?」と、想像をしたことを思い出します。この方も価値の序列では、高い所に居たのでしょうね*
母の人生
今の時代は、女の時代です。それが良いことなのか、悪いことなのかは別として、どう生きるのか?は本人の考え方次第の筈です。母を見ていますと、自分の人生を生きているのかなあ?と少し不憫に感じます。全てを子供たちや他者に捧げている様に映ります。少し話が逸れますが、特に今切実に感じて想いますのは、日本の常識になりつつある、「過剰な丁寧さ」です。そんなモノに溢れていますが、それは間違っている!言葉だけではないとつくづく思います。「お気を付けて下さい!」「ご自愛して下さい。」などなど非常に丁寧ですが、私には気持ちが伝わらないと申しましょうか?言葉だけになっている様に感じてしまいます*それは、これを言っておけば良い?言えば世間的に体裁が良い?または安心?優しい人に見て貰える?そんな媚びる人間のヤラシイさを感じてしまうのです。だったら、言葉はない方が良い!または言葉は粗いが根は優しい*その方が、まだ信じられます。善人の様な顔をして、優しい言葉だけを掛けても、裏側は意地が悪い!☠ こう言う方の方が人を騙しているのですから罪が重い様に思います!言葉なんか無くても、気持ちは伝えられます。靴を揃えてあげること*靴ベラを、そっと置いてあげること*ゆっくりお茶を置くこと*母の例えで言えば、おにぎりの握り方ひとつ* 弁当の詰め方や洗濯物の畳み方、果物のムキ方、ご飯のよそい方、一つ一つに気持ちが込められていたことに気が付いた時、人の心に触れた様に思います。 最近そう感じられる様に、やっとなれた私は!笑 生き方の根本を教えられていると感じています*先日、橋下市長の教育論の話を読みましたが、正直賛同出来ませんでした。言っていることは正論なのでしょう?でも現実を知らない?失礼!頭の良い人の考えだなあ?現場を理解されてないのではないか?そう思いました。学力!それは大切な事です。競争!それも大切なことです。正しい*しかし、人間としての根本のスタンスを何処でどんな風に育むのでしょう?貧困、格差、学歴社会など相容れない物事や矛盾をどんな風に伝え教育してゆくのでしょう*今の教育を語るのであれば、現実の問題を直視した上で、未来に対する希望が見えないといけないと思います。今の競争社会の在り方、情報社会の弊害、民主主義の悪い所と良い所を、もう一度よくよく見直して見ることが、今の日本を考える上では一番必要に感じます。また考える時期に来ていると、私は思います。今の日本社会に付いてゆけない弱者の人達は集まり、生活保護の下に働く意欲を無くしています。 大人が汗を掻く姿を子供たちに見せないで、生きてゆく人間の根本の教育することが出来るでしょうか?偉そうですが、そう心から思いました。制度が悪いことをする訳ではなく、人間が何時もする*制度に罪はない!
老人の自殺
先日、事務所近くの、市営団地に住んでいた老婆が4階から飛び降り自殺してしまいました。何があったのか想像するだけで涙が溢れます。幸せとは何か?不幸とは何か?生きるとは何か?死ぬとは何でしょうか?
弁当を買いに来たお婆さん
その翌日、私がよく行く弁当屋さんで、長靴を履いたお婆さんが海苔弁当を買いに来られていました。その姿を見ただけで、胸が詰まってしまいました。誰も作ってあげる人がいないんだなあ?一人で食べるのかなあ?一人暮らしなのかあ?不幸がないと良いなあ*と・・・しかし、どんなに同情しても、何も出来ない*ただ想うだけ*虚無感に苛みながら、繰り返して繰り返して、諦めの境地を辿り、何も出来ずに彷徨い歩いてゆくしかないのでしょうね*
自由なのに幸せがない?
自由の様で自由がないとしたら幸せもマヤカシなのでしょう!個人情報保護法・PL法・農地法など様々な法律を作りました。しかし、それによってどんなに不便を被っているのでしょうか?少しのことでも、「まあまあそれくらい良いじゃあないか*」とシナヤカに許容する社会ではなくなりました。情が消え、情けを掛けなくなり、薄情な遣り取りばかりです。例えば、「それは法律で決められていますから!」その一言で冷たく片づけます。そんな国に温かい絆はありません。絆と言うよりも思い遣りです。私は絆が嫌いになりました*笑 言葉に縋って生きたくはない!市役所や学校などに苦情を言いに来る人が多いこと多いこと!直ぐ何かあれば、言ってやれば良い!そんな考え方が、この日本には蔓延ってしまいました。自分では何も解決出来ない大人ばかりです。みんながチクリ合う!情けない*誰かになんとかしても貰わないと生きてゆけないのでしょうね*そして、チクられた側は、陰湿な仕返しを考える*その繰り返し!ドンドン人間が醜くなってゆきます。インターネットで幼稚な悪戯をしたり、車に傷を付けたり!針をパンに入れたり!
繋がりがある様でない
簡単に作られたモノは簡単に壊れる!どんなことでもそうではないのでしょうか?スピードの時代!情報のスピード!と、テキパキ仕事を熟す!迅速に対応するのとは全然意味が違うと思うのです。簡単に人間関係を築きますと、思わぬ苦悩を引き起こして苦しむことにもなると思います。
相反する欲求 自由からの逃避
何をするのも自由!何を信じるのも自由!でもある本に、「それは結構辛いことである*」と書かれていました。簡単に理由を述べますと、「絶対的なモノがないと不安になるからです。」 絶対的なモノがないと、今、自分が考えていることや、行動し様としていることなどなど・・・自分が何かを選択しようとする度に、自分自身と向き合うことになるからです。自分の無知さ?愚かさ?醜さ?ズルさ?弱さ?利口さ?嘘?全ての自分が見える*
真面目をバカにするな
真面目が馬鹿を見る世の中に誰がした!日本のバブルがそうさせました*
知ってるつもりなだけ?
物知りが「知性に」変わる時はどんな風に変わるのでしょうか?知るとはどう言うことでしょうか?インターネットで知っているだけは、おそらく知っているつもりだけなんでしょうね*
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