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CDを聴きまして先ず思いましたのは、音質がパソコンの音と全然違うと言うことです。ミディさんにお聞きしましたら、パソコンに落とすと音が制限され、質がかなり落ちるそうです。知りませんでした!断然、CDの方が音が良い*私の音楽は別として*笑
飛べない鳥よ
ピポが家に来なければ、この歌は無かったです。生死を何度も乗り越えて生きています*ある夜、元気のないピポを家に残し、体育指導員総会に出席しなければなりませんでした。その帰り道に車を運転して居ましたら、とめどなく頬を伝うモノがあった。それを歌詞にしました。こんな涙もあるんだなあ?車の中は独りきりですから、気が緩んだのだと思いますが、鳥の目には、ズル賢さが全くない*聡明です。綺麗とはこう言うことを言うのでしょうね*人間の綺麗さは見た目ばかりに囚われています。また鳥の鳴き声も、心のまま鳴いていると感じます。人間の泣いている姿は嘘が多いです。そんな無垢で純粋な鳥の心に触れて自分が恥ずかしい*でも、その崇高で清廉な命が、儚くも消えてしまうかも知れない?沢山の想いが消えて、また新たな想いが生まれるのです。この歌の中の、「君は一人で居た~」「君は渇いていた~」「飛べずにじっとして~」のフレーズがとても気に入っています*私だけだと思いますが?笑
ゆれる月
蒼白い月や、その月明かりに照らされる街を見て、こんな詩が浮かびました。月を見て居ると、段々ゆれて観えます。そして、心もゆれる*
天国のあなたへ
灯油を被って自殺してしまった大好きな叔母さんの歌です。私の唯一の理解者でした。子供の時の気持ちや、大人になってから色々な真実を知って、様々な言い知れぬ感情が生まれました。取り戻せない過去を想う歌です。 諦めるしかない*仕方ない*どうにも出来ない物語です。大人になっても、どうにも出来ないことだらけです。強くならなければいけません。挫けてはいけない*
十五夜
虫の儚い命と、人間の逃れられない煩悩を重ね合わせて作りました。
歸國
倉本 悤さんの戯曲、「歸國」を観て出来ました。太平洋戦争で亡くなった日本兵の皆さんが、数十年後、8月15日の夜に帰国して、今の日本を観て嘆き悲しむと言う物語でした。旧日本兵になって書きました。親が死んでも人任せにして直ぐに駆けつけない時代*面倒だからと会話をしないでメールでやり取りする時代*老人ホームに親を預けて財産がないと会いにも来ない時代*そんな今の世の中を観て、「俺たちはこんな日本にする為に、命を犠牲にしたのではない*」と、嘆き悲しんで戻ってゆきました。私の詩では全く足りないです***日本は豊かになりました!便利になったと喜んでいますが、それは、体力を遣わないで怠けることを覚えて心も無くしたのだ!」と言われていました。
南の島
「好きだ!」とか、「愛している!」と言う歌が嫌いです。嘘っぽく感じる*飾った言葉が嫌いな私です。だから愛の歌は作れないと思っていましたが、小さな子供と穢れのないキスをして、この歌が生まれました*
鎖
親の意向が強過ぎる!社会環境が殺伐としている!子供は習い事や塾ばかり!自由がない* そう常々感じています。また他のクラブや、団体の子供たちがキャンプに来ても泳がさせて貰えなかったり、制限のあるものでしか遊べないと言う現実と現状を知り、この歌が出来ました。
心
母親に対する悶々とした想いや、家族に対する様々な感情を、この詩に書いたのでしょう!ヨシと私、同じ想いを共有出来るからこそ、この歌が完成しました。家庭環境は全然違いますが、お互い母親に対しては口を余り利かない!余分な事は親子間であっても喋らない。重要なこと、大切なことなんて尚更言わない性格なのです。父親に対して特別な感情がある。逃れ様のない屋根の下で、もがきながら成長した。私が、いつもヨシに、「お袋さん、元気にしとる?」そう聞いています。この詩をくれる時に、ヨシは、「ヤス君は何時も、お袋元気か?そう聞いてくれる!」と、恥ずかしそうに照れながら目を逸らし、ハニカミながら言いました。お母さんが、子供たちを迎えに来て出掛けている*何てヨシから聞きますと、私は何かとても幸せな気分になり嬉しいのです。
ステイ
詩が書けない!愛の歌が書けない!そんな私のことを不憫に思って作ってくれ、プレゼントしてくれた詩が、このステイです。こんな曲にしてしまい申し訳ない*
虫けら
一人の男としてどう生きるのか?何時も悩んでいます。男の優しさ、弱さや強さとは一体何でしょうか?優しくなれば傷付き易く*強くなれば傷付けてしまう*人に左右されない虫たち!虫の様に文句を言わずに黙々と働き、サボることなく男で生きたい* そんな気持ちで作りました。
写真
ジャケット写真は虎にしました!「飛べない鳥よ」と言うタイトルなのに?笑 これでは飛べない虎です。笑 虎が飛べたら最強でしょうね!でも、歌詞カードの中にしっかりピポの写真を大きく入れて貰いました。ピポを保護した次の日に撮った写真です。産毛が生えていてカワイイ*
犬の写真
犬の写真も載せて貰いました。この犬と小学二年生くらいの時に家出をしました。 遠い公園に、二人で居ましたら、段々辺りは夕焼けから夜に*辺りが暗くなり始めて不安になったのでしょうね* 犬は私の顔を見ながら、「クーン*クーン*」と情けない声で泣き出し、一緒に帰ることを促していました。その鳴く声を聞いていると、私も段々気持ちが弱くなってしまいました。
保育園運動会の鳥の写真
この写真の記憶がありません。ただ母親がクジを引き自転車競走をさせられていたことが、友達から指摘されて恥ずかしかったことだけは、よく覚えています。でも、写真を観ると段ボール箱で作った鳥で私が必死に走っていますね!笑 その頃から鳥に縁があったのでしょうか?
母と妹と私の写真
アルバムと言うくらいですから、アルバムになる様な写真を載せました。恥ずかしいですが*私の兄弟は、特別仲が悪い訳ではなく、また良くもないのですが、母が、あんただけには話しておく!そんな事が沢山ありました。 何か親子間の兄弟の中でも、相通じる人間とそうではない人間があるのでしょうね*私は、一人っ子が大好きです。それは差がなく育てられると思うからです。
母と私
私は、兄弟が多かったせいでしょうか?幼い頃から二十歳くらいまでは、母親の存在を意識したことはありませんでした。家の中は、怒られる存在ばかりの人達に囲まれている様な感じでしたから、とても窮屈でしたね*私の頼み事や誘いを断れない性格もあったのだと思いますが、甥達や叔父、叔母など親戚の誘いがあると、嫌でも何時も付き合っていました。そんな素振りを見せないで*そう言う子供だったのです。自分が犠牲になるしかない!自分が我慢すれば、それで済む*外で友達や動物と遊んで居た方が良かったのに!昔の写真を見て居ますと、そんなことを考えていた記憶が蘇ります。余り良い思い出はありません。我慢我慢の連続だった*こんな事は誰にも話していませんが・・・黙っていた方が良いことです。
叔母さんの写真
叔母さんが、ボーダーの洒落たセーターを着て、一緒に青少年公園に行った写真が見つかりませんでした*このCDに載せたかったのですが・・・私の母も姉である叔母さんが居ると優しかったです。普段の家事の忙しさや、毎週日曜日の度に遊びに来て、昼ご飯から夕食まで食べて帰る親戚連中のこと、とても厳しい姑、自分勝手な叔父、亭主関白を通り越した父など、様々な事から逃れて解放され、本来の自分に戻っていたのかも知れません?一番母が楽しそうでした*そんな姿を見たのは、その時だけの一度切りです*それがこの日でした。でも、写真はありませんでした。はしゃいでいた母や叔母さんを見た、たった一度の日。忘れられません*もう戻らない日です。母に休養はなかった*酷い風邪を引いても弁当を作り続けていました。当たり前の様に*気を抜ける日は無かったのだなあ?そう今は可哀想に感じています。命懸けで母親孝行をしなければいけませんね*
寄り添う
私のクダラナイ歌でも、何かを感じて頂き、誰かの人生に少し寄り添うことが出来たならなあと思っています*それが小さな望みです。
飛べない鳥よ
ピポが家に来なければ、この歌は無かったです。生死を何度も乗り越えて生きています*ある夜、元気のないピポを家に残し、体育指導員総会に出席しなければなりませんでした。その帰り道に車を運転して居ましたら、とめどなく頬を伝うモノがあった。それを歌詞にしました。こんな涙もあるんだなあ?車の中は独りきりですから、気が緩んだのだと思いますが、鳥の目には、ズル賢さが全くない*聡明です。綺麗とはこう言うことを言うのでしょうね*人間の綺麗さは見た目ばかりに囚われています。また鳥の鳴き声も、心のまま鳴いていると感じます。人間の泣いている姿は嘘が多いです。そんな無垢で純粋な鳥の心に触れて自分が恥ずかしい*でも、その崇高で清廉な命が、儚くも消えてしまうかも知れない?沢山の想いが消えて、また新たな想いが生まれるのです。この歌の中の、「君は一人で居た~」「君は渇いていた~」「飛べずにじっとして~」のフレーズがとても気に入っています*私だけだと思いますが?笑
ゆれる月
蒼白い月や、その月明かりに照らされる街を見て、こんな詩が浮かびました。月を見て居ると、段々ゆれて観えます。そして、心もゆれる*
天国のあなたへ
灯油を被って自殺してしまった大好きな叔母さんの歌です。私の唯一の理解者でした。子供の時の気持ちや、大人になってから色々な真実を知って、様々な言い知れぬ感情が生まれました。取り戻せない過去を想う歌です。 諦めるしかない*仕方ない*どうにも出来ない物語です。大人になっても、どうにも出来ないことだらけです。強くならなければいけません。挫けてはいけない*
十五夜
虫の儚い命と、人間の逃れられない煩悩を重ね合わせて作りました。
歸國
倉本 悤さんの戯曲、「歸國」を観て出来ました。太平洋戦争で亡くなった日本兵の皆さんが、数十年後、8月15日の夜に帰国して、今の日本を観て嘆き悲しむと言う物語でした。旧日本兵になって書きました。親が死んでも人任せにして直ぐに駆けつけない時代*面倒だからと会話をしないでメールでやり取りする時代*老人ホームに親を預けて財産がないと会いにも来ない時代*そんな今の世の中を観て、「俺たちはこんな日本にする為に、命を犠牲にしたのではない*」と、嘆き悲しんで戻ってゆきました。私の詩では全く足りないです***日本は豊かになりました!便利になったと喜んでいますが、それは、体力を遣わないで怠けることを覚えて心も無くしたのだ!」と言われていました。
南の島
「好きだ!」とか、「愛している!」と言う歌が嫌いです。嘘っぽく感じる*飾った言葉が嫌いな私です。だから愛の歌は作れないと思っていましたが、小さな子供と穢れのないキスをして、この歌が生まれました*
鎖
親の意向が強過ぎる!社会環境が殺伐としている!子供は習い事や塾ばかり!自由がない* そう常々感じています。また他のクラブや、団体の子供たちがキャンプに来ても泳がさせて貰えなかったり、制限のあるものでしか遊べないと言う現実と現状を知り、この歌が出来ました。
心
母親に対する悶々とした想いや、家族に対する様々な感情を、この詩に書いたのでしょう!ヨシと私、同じ想いを共有出来るからこそ、この歌が完成しました。家庭環境は全然違いますが、お互い母親に対しては口を余り利かない!余分な事は親子間であっても喋らない。重要なこと、大切なことなんて尚更言わない性格なのです。父親に対して特別な感情がある。逃れ様のない屋根の下で、もがきながら成長した。私が、いつもヨシに、「お袋さん、元気にしとる?」そう聞いています。この詩をくれる時に、ヨシは、「ヤス君は何時も、お袋元気か?そう聞いてくれる!」と、恥ずかしそうに照れながら目を逸らし、ハニカミながら言いました。お母さんが、子供たちを迎えに来て出掛けている*何てヨシから聞きますと、私は何かとても幸せな気分になり嬉しいのです。
ステイ
詩が書けない!愛の歌が書けない!そんな私のことを不憫に思って作ってくれ、プレゼントしてくれた詩が、このステイです。こんな曲にしてしまい申し訳ない*
虫けら
一人の男としてどう生きるのか?何時も悩んでいます。男の優しさ、弱さや強さとは一体何でしょうか?優しくなれば傷付き易く*強くなれば傷付けてしまう*人に左右されない虫たち!虫の様に文句を言わずに黙々と働き、サボることなく男で生きたい* そんな気持ちで作りました。
写真
ジャケット写真は虎にしました!「飛べない鳥よ」と言うタイトルなのに?笑 これでは飛べない虎です。笑 虎が飛べたら最強でしょうね!でも、歌詞カードの中にしっかりピポの写真を大きく入れて貰いました。ピポを保護した次の日に撮った写真です。産毛が生えていてカワイイ*
犬の写真
犬の写真も載せて貰いました。この犬と小学二年生くらいの時に家出をしました。 遠い公園に、二人で居ましたら、段々辺りは夕焼けから夜に*辺りが暗くなり始めて不安になったのでしょうね* 犬は私の顔を見ながら、「クーン*クーン*」と情けない声で泣き出し、一緒に帰ることを促していました。その鳴く声を聞いていると、私も段々気持ちが弱くなってしまいました。
保育園運動会の鳥の写真
この写真の記憶がありません。ただ母親がクジを引き自転車競走をさせられていたことが、友達から指摘されて恥ずかしかったことだけは、よく覚えています。でも、写真を観ると段ボール箱で作った鳥で私が必死に走っていますね!笑 その頃から鳥に縁があったのでしょうか?
母と妹と私の写真
アルバムと言うくらいですから、アルバムになる様な写真を載せました。恥ずかしいですが*私の兄弟は、特別仲が悪い訳ではなく、また良くもないのですが、母が、あんただけには話しておく!そんな事が沢山ありました。 何か親子間の兄弟の中でも、相通じる人間とそうではない人間があるのでしょうね*私は、一人っ子が大好きです。それは差がなく育てられると思うからです。
母と私
私は、兄弟が多かったせいでしょうか?幼い頃から二十歳くらいまでは、母親の存在を意識したことはありませんでした。家の中は、怒られる存在ばかりの人達に囲まれている様な感じでしたから、とても窮屈でしたね*私の頼み事や誘いを断れない性格もあったのだと思いますが、甥達や叔父、叔母など親戚の誘いがあると、嫌でも何時も付き合っていました。そんな素振りを見せないで*そう言う子供だったのです。自分が犠牲になるしかない!自分が我慢すれば、それで済む*外で友達や動物と遊んで居た方が良かったのに!昔の写真を見て居ますと、そんなことを考えていた記憶が蘇ります。余り良い思い出はありません。我慢我慢の連続だった*こんな事は誰にも話していませんが・・・黙っていた方が良いことです。
叔母さんの写真
叔母さんが、ボーダーの洒落たセーターを着て、一緒に青少年公園に行った写真が見つかりませんでした*このCDに載せたかったのですが・・・私の母も姉である叔母さんが居ると優しかったです。普段の家事の忙しさや、毎週日曜日の度に遊びに来て、昼ご飯から夕食まで食べて帰る親戚連中のこと、とても厳しい姑、自分勝手な叔父、亭主関白を通り越した父など、様々な事から逃れて解放され、本来の自分に戻っていたのかも知れません?一番母が楽しそうでした*そんな姿を見たのは、その時だけの一度切りです*それがこの日でした。でも、写真はありませんでした。はしゃいでいた母や叔母さんを見た、たった一度の日。忘れられません*もう戻らない日です。母に休養はなかった*酷い風邪を引いても弁当を作り続けていました。当たり前の様に*気を抜ける日は無かったのだなあ?そう今は可哀想に感じています。命懸けで母親孝行をしなければいけませんね*
寄り添う
私のクダラナイ歌でも、何かを感じて頂き、誰かの人生に少し寄り添うことが出来たならなあと思っています*それが小さな望みです。
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