×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
平和堂の再起を見て
デモによる被害を受けて悲惨な状況でした*国と国との事で、民間が犠牲になる。それくらいの事を想像出来ていなかったらしいですね*国有化するタイミングが悪かったとか?購入時期が悪かったなどと言っていますが、如何にも後付けです。クダラン!小手先で、どうにかなる問題ではない*時期をズラしたら、何とかなるだろう?と思う考え方に日本の甘さがある。平和堂の皆さんは、一生懸命再建に取り組んでおられました。日本人と中国人が助け合いながら*中国の指揮官の女性の方は涙ぐんで頑張っていました。涙は見せませんでしたが、悔しさと悲しみが交差していたのでしょう*
孔子は神様より信用出来る
孔子の教えとは、自国が激変して国家が強大になり、多民族の集落が交じり合い統治出来なくなっていた。そこで、統治理論が必要になったと言う背景がありました。その根本は、人は教育することで良い人間になれる*人は勉強を通じて美徳を磨くことで協力し助け合うことが出来るだろう!との哲学でした。勉強とは受験の勉強ではありません。孔子の考えた勉強とは、自分が好むことを楽しく学ぶことでした。何も好むモノがない時にでも、何かすることによって頭を遣えば良いとも言っています。ただ飯を食って何もしないでボーとすることは良くないのです。それらを説く論語は日本を初め全世界で指針にされています。知ることは好む事に及ばない 好む事は楽しむ事に及ばない 楽しむことは人生だと思います。でも人間は楽しむことが下手な様です。楽しむことと言うモノを、本当に深く掘り下げて見ては如何でしょうか? 私がサッカーを教えていましても、楽しくと言うもの隔たりやズレを、保護者さん、指導者、コーチなどと話していても感じます。楽しくと言いつつ、叱ったり、怒鳴ったり、理屈を捏ねたり、難しく語ったりするのです。私の楽しむとは大分掛け離れています。言い放しだと卑怯になりますから、私なりの考えを申し上げますと、先ず楽しむとは、どんな楽しみ方でも良いと思うのです。人かた見て?親から見て?コーチから見て?そんなモノを意識して居ては、楽しいとは言えない!自分自身がもっとヤリタイ*もっと知りたい*もっと続けたい*そう感じるものではないでしょうか?人それぞれ楽しみ方は違うモノです。その方が良い*その楽しむモノに制限があっても、無くても良いと思います。自由であっても、自由でなくても、その人が好きなら良いではありませんか?何が功を成すかは未知数です。今だけの評価や価値だけではイケナイと思います。本人にとって運命はどうしようもないことです。でも、その運命の中で自分なりのことをする。楽しみを見つけて謳歌して欲しいものです。サッカーのことで申し上げますと、ボールを追っ駆けることが楽しい*ボールを蹴ることが楽しい*ゴールを決めるのが楽しい*みんなとヤルことが楽しい*そんな切っ掛けから入ると感じています。しかし、コーチや親たちは、試合に出て行く様になりますと、欲と申しましょうか?成果みたいなモノを求めて参ります。コーチ自身も教える立場ですから、当然の様に勝利=評価が上がる!優越感が生まれる*親も勝利すれば満足感を得られ、我が子が褒められれば、誇らしくもなるのでしょう*自分が楽しむことが、みんなからも褒められれば、これは大変な幸福感です。しかし、そんなモノは長くは続きません。それは負けることもあるからです*コーチや親も勝ち続けている時は、優しいでしょうが、負け続けると、楽しみの中に介入して来て、叱られ!怒鳴られ!叩かれたりもする。負けを受け入れられないのでしょうか?負けを知らない人間は弱い者です。イジメと同じです。子供時代も大人になってからも、人と係わることで嫌な思いを必ずします。人それぞれに感じ方は違いますが、嫌な事があるのが当然です。無い方がオカシイ?今は善悪時代ですから、子供に嫌な事があれば、先のことも考えないで、親はそれらから遠避け様としてしまいます。子供と言うモノは、色んな子供たちと接し、大人になる為に生きる術を学んでゆく筈です。それを我慢できない親が非常に多いのは、年々増え続ける相談の件数や内容で分かります。人よりも出来ない*あの子の方が巧い*あの子にこんなこと言われた*などなど~。もはや楽しみではなく義務?使命?何て言うのでしょうか?親の為の運動教室?そう思うこともあります。体だけ健康になっても、精神が強くなければ体も悪くします。自殺者がこれほど多いのは、精神が育まれていない?揉まれていない?社会の一人一人に余裕がないのか、寛容になれなくなっているのかも知れません。楽しむからこんな話までしてしまいましたが、楽しむ環境の問題ですから、元の部分の話だと思いますのでお許し頂きたく存じます。楽しみ方は、必ず変化が起こります。今までして来たことが、ある日、幼稚に感じて気が付き、一つ上を見る様になる。そのキッカケの多くは、年上の子供たちの存在です。バカにされたり、教えられたり、プレーを見たり、それらの多くは遊びの中で感じることでしょう*
人間の在るべき姿
遠目には威厳があり、近づくと温かく、言葉を聞くと厳格*
日本の考え方は国益を履き違えている
国益とは、その場だけのことだけでは、単なる利益に過ぎない*感情論だけでは、怒りだけで終わる*国益とは未来永劫の事を考えた利益でなくてはならないと思います。勇ましいのは右翼的だからでしょうか?口だけで言わずに行動が伴わない?何時しか攻撃先は内に向けられます。長崎市長、猪木さん、首相などに向けられる*広島と沖縄と長崎を見て下さい。大義のない戦争をすれば、こんな結果になってしまう*
協力してゆくことの意味
一時の感情に押し流されず、協力してゆくことが世界平和の道です。小異を捨て大同につく*
デモによる被害を受けて悲惨な状況でした*国と国との事で、民間が犠牲になる。それくらいの事を想像出来ていなかったらしいですね*国有化するタイミングが悪かったとか?購入時期が悪かったなどと言っていますが、如何にも後付けです。クダラン!小手先で、どうにかなる問題ではない*時期をズラしたら、何とかなるだろう?と思う考え方に日本の甘さがある。平和堂の皆さんは、一生懸命再建に取り組んでおられました。日本人と中国人が助け合いながら*中国の指揮官の女性の方は涙ぐんで頑張っていました。涙は見せませんでしたが、悔しさと悲しみが交差していたのでしょう*
孔子は神様より信用出来る
孔子の教えとは、自国が激変して国家が強大になり、多民族の集落が交じり合い統治出来なくなっていた。そこで、統治理論が必要になったと言う背景がありました。その根本は、人は教育することで良い人間になれる*人は勉強を通じて美徳を磨くことで協力し助け合うことが出来るだろう!との哲学でした。勉強とは受験の勉強ではありません。孔子の考えた勉強とは、自分が好むことを楽しく学ぶことでした。何も好むモノがない時にでも、何かすることによって頭を遣えば良いとも言っています。ただ飯を食って何もしないでボーとすることは良くないのです。それらを説く論語は日本を初め全世界で指針にされています。知ることは好む事に及ばない 好む事は楽しむ事に及ばない 楽しむことは人生だと思います。でも人間は楽しむことが下手な様です。楽しむことと言うモノを、本当に深く掘り下げて見ては如何でしょうか? 私がサッカーを教えていましても、楽しくと言うもの隔たりやズレを、保護者さん、指導者、コーチなどと話していても感じます。楽しくと言いつつ、叱ったり、怒鳴ったり、理屈を捏ねたり、難しく語ったりするのです。私の楽しむとは大分掛け離れています。言い放しだと卑怯になりますから、私なりの考えを申し上げますと、先ず楽しむとは、どんな楽しみ方でも良いと思うのです。人かた見て?親から見て?コーチから見て?そんなモノを意識して居ては、楽しいとは言えない!自分自身がもっとヤリタイ*もっと知りたい*もっと続けたい*そう感じるものではないでしょうか?人それぞれ楽しみ方は違うモノです。その方が良い*その楽しむモノに制限があっても、無くても良いと思います。自由であっても、自由でなくても、その人が好きなら良いではありませんか?何が功を成すかは未知数です。今だけの評価や価値だけではイケナイと思います。本人にとって運命はどうしようもないことです。でも、その運命の中で自分なりのことをする。楽しみを見つけて謳歌して欲しいものです。サッカーのことで申し上げますと、ボールを追っ駆けることが楽しい*ボールを蹴ることが楽しい*ゴールを決めるのが楽しい*みんなとヤルことが楽しい*そんな切っ掛けから入ると感じています。しかし、コーチや親たちは、試合に出て行く様になりますと、欲と申しましょうか?成果みたいなモノを求めて参ります。コーチ自身も教える立場ですから、当然の様に勝利=評価が上がる!優越感が生まれる*親も勝利すれば満足感を得られ、我が子が褒められれば、誇らしくもなるのでしょう*自分が楽しむことが、みんなからも褒められれば、これは大変な幸福感です。しかし、そんなモノは長くは続きません。それは負けることもあるからです*コーチや親も勝ち続けている時は、優しいでしょうが、負け続けると、楽しみの中に介入して来て、叱られ!怒鳴られ!叩かれたりもする。負けを受け入れられないのでしょうか?負けを知らない人間は弱い者です。イジメと同じです。子供時代も大人になってからも、人と係わることで嫌な思いを必ずします。人それぞれに感じ方は違いますが、嫌な事があるのが当然です。無い方がオカシイ?今は善悪時代ですから、子供に嫌な事があれば、先のことも考えないで、親はそれらから遠避け様としてしまいます。子供と言うモノは、色んな子供たちと接し、大人になる為に生きる術を学んでゆく筈です。それを我慢できない親が非常に多いのは、年々増え続ける相談の件数や内容で分かります。人よりも出来ない*あの子の方が巧い*あの子にこんなこと言われた*などなど~。もはや楽しみではなく義務?使命?何て言うのでしょうか?親の為の運動教室?そう思うこともあります。体だけ健康になっても、精神が強くなければ体も悪くします。自殺者がこれほど多いのは、精神が育まれていない?揉まれていない?社会の一人一人に余裕がないのか、寛容になれなくなっているのかも知れません。楽しむからこんな話までしてしまいましたが、楽しむ環境の問題ですから、元の部分の話だと思いますのでお許し頂きたく存じます。楽しみ方は、必ず変化が起こります。今までして来たことが、ある日、幼稚に感じて気が付き、一つ上を見る様になる。そのキッカケの多くは、年上の子供たちの存在です。バカにされたり、教えられたり、プレーを見たり、それらの多くは遊びの中で感じることでしょう*
人間の在るべき姿
遠目には威厳があり、近づくと温かく、言葉を聞くと厳格*
日本の考え方は国益を履き違えている
国益とは、その場だけのことだけでは、単なる利益に過ぎない*感情論だけでは、怒りだけで終わる*国益とは未来永劫の事を考えた利益でなくてはならないと思います。勇ましいのは右翼的だからでしょうか?口だけで言わずに行動が伴わない?何時しか攻撃先は内に向けられます。長崎市長、猪木さん、首相などに向けられる*広島と沖縄と長崎を見て下さい。大義のない戦争をすれば、こんな結果になってしまう*
協力してゆくことの意味
一時の感情に押し流されず、協力してゆくことが世界平和の道です。小異を捨て大同につく*
PR
この記事にコメントする