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講習会

土曜の夜に、小学生と中学生を教えているコーチに対しての講習会に行って来ました。場所は犬山に近い、旧尾関学園?誉高校です。小雨降る寒い日でしたが、30名くらいの指導者が一生懸命に受講されておられました。しかし、誰よりも真剣に聞き、メモを沢山取って居たのは何を隠そう?私でした!笑 隠す必要は何もありません。話の脈絡で書いてしまいました。皆さん、だから言葉なんて信用出来ないなあと感じられませんか?私は、自分の言葉を一番疑いますもんね!笑 しかし、世の女性たちは言葉が欲しい様です。「同じだね!一緒だよ!皆もそうだよ!絆があるよね!他にも居るから安心して!」と???男の私には理解出来んです。もし、私がそう言う言葉を並べ立てられたら、その人を絶対信用しませんもんね!笑 男は子供の頃から競争して、オレが一番だ!と競い合う事が楽しく感じて遊びますが、女の子は、「一緒に遣ろう*」とか、「あの子嫌いだもんね~同じだね☠」と共有する喜びを楽しいと感じている!のでしょうか???笑 最近の男も草食ですから、女の考え方に近づいている?そう感じることも多々ありますね!

中学生の子供達

子供達は、非常に素直な子供達ばかりでした。それは良いことなのでしょうが、皆良い子ばかりで何か物足らないと申しましょうか?マラナイ?大丈夫かなあ?と、私などは逆に心配になりました。私達世代は同じ様な最低学力を身に付け、同じ様な事が大体出来る様にとの教育方針だったものですから大量生産世代でした。しかし、それでも結構みんな個性的だったです。今の方が色が薄いと申しましょうか?個性がない!と、感じました。正直な感想です。個性の光を放つ選手は一人も居ませんでした。また、講習受講者は、皆指導者ばかりを観ていましたが、私は、どうしても子供中心に観てしまいます。全般の指導を観させて頂いて、一番強く感じましたのは、サッカーの専門的な事を教えているのですが、根本の体の事については目を向けられていないなあと改めて分かりました。向けられていないと言うよりも、そう言う指導法が一般的ですし、当たり前なのでしょう?私が変態?笑 いや変わり者なのです。でも少し気になりましたのは、トレーニングの合間に、ストレッチを沢山何回も入れている事でした。正直、役に立たないモノだと思います。あのペースで頻繁にストレッチを入れていたら、そんな癖が体に染みついてしまう!まるで老人に教えている様にも観えました!中学生の様な体が柔らかい時期に、ストレッチなどは、そう何回も必要ないと思います。 まして、ストレッチなどは、自分のペースで遣らせるのが当たり前なのです。少し勉強した指導者なら皆知っている!それは、体の固さは個人個人違うからです。こんな事を話していますが、そんなに気にしていません。人のすることに一々文句を付けなくて良いです。その人はその人で一生懸命遣っておられるのですから*恥を知れ!自分に言っています。笑

オフェンスとディフェンス

オフェンス中心の練習をしていました。ヘソを相手に向けるとか、股抜きをされない為に、チョキの形を作るなどの指導はあっても、手の指や肩の脱力の仕方、頭の位置、足の運び、踵の遣い方、足の指、相手の観る場所、顎の位置、目の開け方などの指導はありませんでした。私の指導の視点とは、全く違う事が分かります。元の体の事は二の次で、見え易い所の指導だと思います。例えが悪いですが、言い換えれば、ロボットの配線をいい加減にしているのに、巧く動かないのは何故?こんなに沢山プログラム?プログラミングしたのに、何故出来ないんだ!初期のマッキントッシュの様な物ですね!機能は沢山付いていても、本体が容量について行かない?起動するのに時間が掛り過ぎていました。例えが悪いでしょうか?元に戻します。そして、少し出来ないだけで、才能が無いだの、素質が無いだの、能力がないだの、練習が足りないだのと、子供を叱り、追い詰めて大人の自己満足にされてしまうのです。辞めちまえ!団体競技は向いてない!遊びじゃねーぞ!と***技や技術をいくら仕込んでも、またソフトの部分やアプリ機能を沢山詰め込んでいても、ハードの部分の体や思考そのものが育まれていないければ役に立ちません。時間を懸けてハード面を鍛えたいものです*そうでなければ子供たちが気の毒です。 私は、絶対そう言う指導者にはなりません。もし、そうなってしまったらキッパリ辞めます。体が思い通り動かないのに、応用とか適応は勿論のこと、創造出来る筈がないと私は思います。更に、考えてたら遅いことなんて、教えようとして教えられるものではない!しかし、色んなサッカーの工夫をしたり、サッカーの枠を超えた事や、想像と創造性を掻き立てる独自の遊びなどの経験をさせることによって、無意識に記憶が刻まれ、洞察する能力の素地が出来た上で、一瞬の閃きや、瞬間の動きが出来る様になるのだと私はそう信じています。

指導者は、クラウドのアルバイトコーチの親

グランパスのコーチが指導者として来て頂いていましたが、実は、その方を私は存じ上げています。何故なら、クラウドのアルバイトに来ていたコーチのお父さんだったからです。少し、私の前では遣り難そうに観えました!行かない方が良かったのかも知れませんね*いや、きっと気のせいでしょう!

指導者の資質

指導者の資質は、一番は子供が好きなことです。しかし、好きだけではいけません。厳しさも必要です。言葉がキツイとか、怒鳴るとか、よく叱るとかではない!そんな低次元なモノではない!全く違います。自分自身と向き合わせる本当の厳しさです。そして、どんな子供に対してでも、柔軟な捉え方が出来なければならないと強く思います。上達の仕方や、発育、成長の過程は様々ですからね*焦ったり、自分の固定観念を押し付けてはならない。指導者と言えども、一人の人間!子供達も一人の人間なのですから*

子育てのコーチングは?

このグランパスのコーチは、人間的に非常に良い方だと思います。しかしながら、良いコーチであるのと、良い父親かは別問題だと思います。指導は上手くても子育ても良いとは限りませんもんね! 人間教育が根本になければならないと言う私の考え方からすると、少し疑問に思う事もありました。批判したくないものですから、詳細は申し上げられませんが、良いコーチは良い親父であって欲しいものですね*

中学生と小学生の違い

小学生と中学生は指導が異なります。中学生の頃になると、もう大体身体的な機能が備わってきますから、次の段階に移行します。私が考える指導では、先ず全体を観る目を養わなければならないと思います。自分を犠牲にすることも必要になって来ます。自分も活かし、味方の選手の良い所を引き出すトレーニングが必要です。分かり易く申し上げますと、自分なりにサッカーの深い部分の理解を探るとでも言いましょうか?プレー一つ一つの意味合いを見出して行くのだと思います。相手を感じ、味方のことも感じながら、イマジネーションを働かせ、自分らしいサッカーを創り出してゆく喜びの手助けをする! それが、私達指導者の役割ではないでしょうか*自分らしくとは何か?その答えを自分で導きだせよ!と・・・

私と似ている所と全く違う所

グランパスの指導者と、私が似ているなあと感じましたのは、タイミング良く声を掛けて、選手達を鼓舞させる所ではないか?そんな事を思いました!タイミングが同じだったです。褒めるのも叱るのも!それとは逆に違う所は、やはり指導する視点と伝え方に大きな違いがあったと思います。グランパスの方は、科学的ですし、論理的です。理に適っている!しかし、一方の私は目に見えない感性の部分を大切にしますから、答えを言わないで、失敗を良しとして、経験させる事を重要視するのです。敢えて口では伝えないとでも申し上げましょうか?失敗を望んでいる訳ではありませんが、失敗をしたその子が何を感じて、次に何を遣ろうとするのか?また同じことをしている様に観えても、ほんの一ミリ何か変化の兆しがないかを探る?この辺が指導者の我慢が必要な所だと思います。教える側は、中々待てません。何故か?それは直ぐに答えを言えば指導しているとの満足が得られる!または観られる!そして、教える側本位の優越感も得られます。 ここが難しいですが、一歩踏み留まりたいものです。もしかしたら、私のアプローチが悪いのではないか?次は、少し違う側面から試して見よう!もっと申し上げれば、私の範囲を超えた意図や可能性を秘めた失敗ではないのか?と、そんな考えも巡らす様に努力しているつもりです。 その理由の一つとしては、全ての指導者や私自身が、今常識とされているモノや、指導の定石の中に、可能性を潰してしまっている部分!また進化を止めてしまっている事も、絶対あると考えているからなのです。私は、今正しい答えとされているモノを疑い続け、その選手の感性的なモノを信じ伸ばすことが最重要だと思っています。全てに於いて絶対こうだ!と言うモノは少ないです。私の経験からそう感じます。相手が居ることだったら尚更です!ディフェンスの練習も、相手があってのことです。指導の中で、グランパスの指導者がこんなことを言いました。それは、「ディフェンスの練習も、オフェンスの練習も、どちらもある一定のレベルで指導されていないと成り立たなくなるのは、皆さん当然御承知のことだ思います。それが無いと指導出来ない?成り立たない!」この言葉の意味は、非常によく分かります。実に日本的な正論です! でも、私などのハミ出し者からすれば、全くナンセンスに聞こえます。それは相手だって常に考え努力して向かって来るのは分かっているからです。強い選手は、二度同じことをされない様に戦うでしょう!この方の意味の詳細を申し上げますと、攻めも守りもある一定のレベルでないと指導が成り立たない!相手が想定する動きをしてくれないと、高い戦術が通用しなくなるとおっしゃっている。想定の積み重ねなんですよね!私は子供の時から、人と同じに様に遣ったり、想定することが面白く感じられない人間でした。今も同じです!そう言う考え方では、そこで指導が留まってしまう?停滞していると思うのです。知識とは恐ろしいモノで、ある事を教えられ反復練習をさせられれば癖になります。所謂、良い癖です。しかし、その時には、良い癖であっても、いつかそれが足かせになり、邪魔になる時が必ず来るのです。ですから、本当の指導は難しいのですよ*今の事だけを教えて勝って満足しても、本当の意味に於いて、子供の役に立ったとは言えません。キツイ言い方になりますが、それは指導のマネごとにしか過ぎない*指導者は、その選手が成人する時までの責任が持てる指導をしなければならないのです。それが責任感と言うものです。

体の遣い方の指導は私が一番だと思う

驕ったモノ言いで申し訳ありませんが、本当にそう思っています。自信もあります。  何故なら、私自身の体を日々遣い訓練し試しているからです。速く走るのと、速い動きは違います。また、速い動きと一瞬の動きも全く異質なモノです。力も強ければ良いと考えがちですが、強いから弱いと言うこともあるのです。大切な事は、力を働かせる方向性と相手に感じさせる伝達の工夫です。体の向きも大切ですが、遣り難い体の向きを作っていた方が、逆に速く出来る!不安定な体の方が、相手に悟られ難くなり、技が良く利くと言うこともある!既成概念から遠ざかれば、見えないモノが観えて、こんなことも出来る!あんなことも出来ると、目から鱗が落ちることでしょう!元は体ですからね*不思議なことだらけです。それらを探る手掛かりの一つが武術の道だと私は考えています。

専門家の不思議

専門家とは何でしょうか?最近では訳の分からない専門家が多いです。料理研究家?地震予知専門?法律専門家?精神分析専門家?どんなことでも専門に学ぶ訳ですから、普通の人よりは知識があるのは当たり前です。データを元に説明も出来るでしょう?しかし、そのデーターの取り方に問題があれば、見方や捉え方は真逆になることもある。何を信じるかで大きく違って来ます。 専門知識は確かに素晴らしいですが、信じるか、信じないのか?その判断の基準で重要なことは、その人間そのものです。客観的なモノの考え方が出来ているのか?そこに利害関係が無いか?どう言う背景があるのか?見極めなければいけません。机の上だけのことでモノを言っている方を私は信じません。また、ある研究によると!と言うものは信じてはいけないと思います。人の受け売りですからね!本や伝聞で勉強した事何て真実ではない。限られた専門の目ほど気を付けない思わぬことになります。原発然りです。専門家は慣れてきますと、知らず知らずの内に周りが観え難くなくなって行くものです!専門家故の死角と言えば、自転車の事を例えて申し上げます。法律の専門家にタレントたちが聞きました。「自転車は何処を走るべきなんですか?」と・・・法律の専門家である弁護士がこう答えました。「皆さん自転車は、車と言う文字が使われていますね!だから車なのです。従って歩道は走ってはいけません。車道を走るべきです!」こんな専門家の程度なんです。三輪車も車ですか?笑 法律論を翳し、法の番人の様に偉そうにテレビでおっしゃいます!老人や子供も車道を走るのでしょうか?想定好きの日本ですが、そう言う都合の悪いことは想定しないんですよね?笑 法律専門家の方も、今の日本の現状を把握して進言して欲しいです。今の日本の現状は、自分の事でもリスクを取らずに他人に責任を負わせようとしています。そんな国民に安易なことを言えば益々社会が混乱して、小さなことでも市民同士がトラブルになって住み難くなるのです*どうして考え至らないのでしょうか?!自転車と言えば、つい最近も私の身近でこんなことがありました。それは、ある方が自転車に乗っていましたら、凄い勢いで自転車同士衝突してしまいました。一人は鎖骨骨折!一人は擦り傷程度です。警察を呼んだらしいのですが、自転車同士の事については、警察は余り関与したがらないのです。本人たちで話し合い解決する様にと言われたそうです。それはそうですよね*免許も要らない乗り物ですからね*車なのに?笑 シツコイですね*すみません。えせエコの影響で、大人達が沢山自転車に乗る様になりましたが、嫌な事が沢山起こり始めています。地球に優しいとか、環境に良いのだと言っています。しかし、社会や人間関係は醜くなる一方です。法律はこうだ!何て言って?どちらを大切にしたいのでしょうか???人間でしょうか?社会でしょうか?法律でしょうか?地球に優しい何てよく言えるものだと思われませんか?電気は遣いたい放題!大量生産大量消費!物を大切に使わないのに、エコだ何て?人間失格ではなく、生物失格です!笑 

答えはないのに、定義出来るのか?

議論するに於いては、定義付けが必要なのは何となく分かります。しかし、指導ではどうでしょうか?答えは無いモノだとしたら、定義は要らないのかもしれませんね? ただ普遍的な哲学は要ると思います。閃きは自由で面白い遊びからだと思う私にとって定義はありません。常に一人ひとりの個性を信じ感じて否定しないで認めてゆく*自分らしく生きて欲しい*自分で作り上げて欲しい*自分で悩んで欲しい* 自分で乗り越えて欲しい*自分で元気を出して欲しい*元気ですか!笑 今回、人様の指導を真剣に観させて頂きまして、本当に勉強になりました。グランパスの指導者に感謝申し上げます。この講習には、知らない指導者ばかりでしたから、おそらく中学生の指導者が多かったのでしょうね!本音で申し上げますが、コーチの講習は難しそうですね!詳細は批判になりますから言いませんが、そう言うことを感じました。マネをして遣ってもダメな様な気が致します。やはり自分で苦労しなければいけません。情熱があるか!無いか?そこが一番大切です。
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愛知県で活動しているクラウドサッカークラブの運営をしています。
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