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https://youtu.be/mEtlt0c0Mgo
二十歳の秋
私は大阪のステージで
私は愛する人の名を明らかにしました
そして、またあの人の存在がまたクローズアップされた
あの人のやり方は巧妙だった
日本人的な情緒を利用して同情を引くやり方を、
私は許せなかった
各雑誌は、あの人の悲惨さを訴え、
その根底には成功した冷たい娘に対する攻撃が感じられた
いつだったか、彼にあの人に関する一切を話したことがあった
「生きている内は絶対に会いたくない。
葬式にも出ないと思う」
母は昔からよく酒を口にした
母の歴史の中には、
計り知れない無数の酒の味があったに違いない
母への手紙 ~ 旅先から
私が生きてきた二十一年間、とても短く感じます
だけどあなたにとっては決して短かったとは思えません
私が三歳の時、家の前でママごとをしていた私と一緒に遊んでいた子が、
包丁がわりに使っていた安全カミソリを取り合って、その拍子に、
右の目じりにケガをしたのは
大きな声で泣く私をおぶって、
あなたは病院へ走ってくれました
その時の痛みは忘れてしまいましたが、
今でも心配そうに私をのぞきこんだ時のあなたの痛みを感じる時があります
私の記憶の中のあなたは、いつも背中を向けていました
朝早くから夜遅くまで、座りっぱなしで内職をしていたあなた
私が話しかけてもいつも後ろ姿
寂しい思いをしました
あなたに叱られてばかりいた私
叱られる度にあなたが嫌いでした
反発精神からか、言えなかった言葉
「ごめんなさい」
これから私もひとりの女として嫁ぎ
人の妻となり、いずれは母となります
私を生んで下さったことに感謝します
ミラノにて・・・