忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

幽霊

こんな話をしてしまって、よいモノなのか?と思いますが、でもしてしまいますね!笑 キッカケは友人の家に、幽霊が出るらしいのです*最近、友人から電話が入り「どうしたらええやろ?」と相談されました。「どうしたらええ?と聞かれても、どうも出来んもんで!ほんやけどお祓いをしてまった方がええんやない?」と言いました。 今度お祓いをするそうです!笑 見えないモノには勝てませんよね?

金縛り

私は、幽霊を見たことがありません。でも金縛りは、何回か経験があります。身内の不幸があった時なので、多分、挨拶に来たのでしょう?

火の玉

もう一つこんな経験があります。祖母が亡くなった時に、実家の道路脇で友人三人と話をしていましたら、電線よりも少し低い所に、青白い光が浮かんでいました。私の眼を見て話さない友人の目線を追って行きますと、そこに火の玉があったのです。そして、数秒した後、突然その光が真っ直ぐ私の顔をめがけて飛んで来て突き抜けたのです!お婆ちゃん子だった、私は直感しました。「お婆ちゃんだな*」と・・・私は、全然怖くないのですが、友人二人は涙をポロポロ流し、身体を震わせながら「もう帰るもんで*」と言い残して去って行ったのでした~笑

感受性とオネショ

私は、感受性が少し強いのかも知れません?オネショも、3・4年生くらいまでしていました。兄弟のなかでは私だけだったです。オネショを沢山したのは*学校から帰宅し、干してある布団の世界地図を見ると、憂鬱な気分になり、いち早く外に遊びに行っていたのです。  「アレをしたのは、ぼくじゃあない!」と心で叫びながら・・・

予知能力

私に「予知能力」なんてありませんが、しかし、スポーツに限らず様々な事の先が見えてしまうことがあるのです。特に、無欲無心の時に?自分自身の事で言えば、例えばサッカーのプレイ中でも、多分あそこにボールが来るなあ?と思えば大抵そこに来ますし、また、ヘディングシュートを思い浮かべると、本当に丁度良いボールが飛んで来るのです。偶々なのですが、もしかしたら、それが「勘」の良さなのかも知れません?特に、最近は、子供の試合を観ていましても、多分あの選手の近くにボールが来るなあ?と感じますと、やっぱりそこに来たり、ここからあの子にフリーキックを蹴らせたら、こんな風になる!と見えてしまう時もありました。本当に不思議です?

見えないモノを観る

ここ最近、私のサッカー指導の中で、子供達に目を瞑らせることや、腹の下、丹田で観るトレーニングをしています。目で見ることと、心で観ることを訓練するのです。目は現実の情報を脳に与えてくれますが、丹田で観ることは、相手の気持ちや気配、心理を読み未来予想をします。しかしながら、この丹田で見ることは非常に難しく、訓練を少ししただけでは身に付きません。正に鍛練を必要とします。ダジャレです!笑 見えないものを観ようとすれば、目ではなく感覚を研ぎ澄ませた丹田で観るのです!客観的に見るという意味で、私はこの「観る」という字を使います。子供達に「心は何処にあると思う?」と聞きますと、中には股間に手をやるお下劣なおバカくんもいますが(最悪です*)大抵は胸や頭と言います。そこで、私はこんな話をするのです。「サムライがいた昔から、肝試しはあったそうです!肝試しというのは、心を試すということで、怖い時でも逃げ出さないか、驚かないかどうか?を試すのです。何故、そんなことを子供達にやらせていたかと言うと、命を懸けた戦いの時に、勇気を出して立ち向かえるサムライにする為でした。肝というのは、心のことです。肝が据わった人間とは、心の強い勇気ある人のことを指して言うのですが、では肝は何処にあるのかと言うと、おヘソの下です。皆も怖い時には、おヘソの下の丹田に力をエイッ!と入れてごらん?きっと怖くなくなるから!」何て教えるのです。昔、座頭市という盲目の居合の達人映画がありましたが、私は、あの方は架空の人物ではなく、本当に実在していたのではないか?と思っています。きっと丹田で見えていたのでしょう? 剣術の中にも、敢えて目を瞑り、相手の次の動向を知る技がありますし、また刀をゆっくり円の形に動かし、自身の隙をワザと見せ、相手の心理を読んで斬る技もあるくらいですから?あっ!そう言えば、ラストサムライの中でも、トム・クルーズが二度、丹田で観ながら戦う場面がありました。 目を瞑り、瞑想状態になり相手の動きを覚っていましたね!あの監督さんは、きっと武術をよく研究されたんでしょう。幽霊も、雑念がなく自然に自我を解放できる方は、丹田で観えているのかも知れませんね? 観える人と見えない人がいるのですから・・・

武道の帯

丹田と言えば、武道に使用する帯も深く関わりがあります。何と言っても丁度、丹田の位置に結び目を作りますから・・・丹田を意識させ、肝を据わらせます。また、体中の力を丹田に集中させたエネルギーは、放出の仕方次第で物凄いパワーを生み出すのです! 時々、帯の結び目がヘソの所になっている方を見掛けますと、それでは意味がないのでは?と思うのですが・・・

息を合わせる

サッカー指導の中では、どんなコーチでもアイコンタクトが基本と教えています。私自身も「何か違うじゃあないかなあ?」と違和感を覚えつつ、その様な指導をして来ました。しかし、武術の勉強をする内に「息を合わせる」という素晴らしい文化が日本にはあることに気付いたのです!西洋的でスポーツ科学的な教えを乞わなくても、理屈ではない当り前のことが存在しているのです。綱引き・カシ締め・刀鍛冶の鍛練・餅つき・などなど然りです。目から得る情報だけに頼るよりも、空気を読んだり、皮膚感覚や五感全てを遣って、敏感に感じ取ることが出来る筈なのです。上手く表現できませんね?もう少し言い方を変えれば「相手の呼吸を読み合わせる」と言った方が良いのかも知れません?最近の私の指導では、感覚的な気配や触覚的な事を間接的に気付かせたり、また選手達が目先を利かして行えそうなことのキッカケを与えて、出来るだけ弊害のない様に褒めています。 気が付けることの素晴らしさや、面倒なことでも、後先や損得に囚われずに行うことが、どれだけ大切なことなのかを!相手や周りのことが観えることは、どんな事に対しても、一番の武器に成り得ると私は信じています。そういった見えない貢献が子供達に出来たら、本当に幸せです*気が付く方や、気配りが出来る方との仕事は、本当に楽しくなりますし又、喜びを感じられと共に、信頼関係も築けると思います。幸せとは、そんなことではないのでしょうか?ただお金を稼ぐだけでは空し過ぎます*

声が聞こえた!

7月の下旬に、元同僚のお通夜がありました。そのことを少し話します。その元同僚は、享年56歳でした。十数年前、少し一緒に仕事をしただけなのですが、きっと何かの縁があるのでしょう?偶然、ボランティアをしている時に再会しました。 ガリガリに痩せてしまい、変貌していましたが、元同僚の方が気が付き声を掛けてくれたのです。 その数日後、風の便りで噂を聞いた所、余り先が長くないとのことでしたので、慌ててお見舞いに行きました。すると病室には、その元同僚の他に年老いた足の悪い87歳のお母さんもいらっしゃったのです。お見舞いが済み、私が病室を後にして廊下を歩いていますと、追っかけてこられ、お母さんは静かにこう教えてくれたのです。「私は、誰にも迷惑を掛けずに、今まで生きて来ました。 食べる物も、借りた小さな畑で作り、あとは僅かな年金でやっと暮らしています。 でも、息子の入院費が毎月20万円づつ掛かってしまい、それが溜まって70万にもなっているのです。病院に相談しても、少しずつ払えばいいと言われますが、その少しが払えないのです。どうすればよいのでしょう?」と相談されたのです。 お母さんの潤んだ瞳と悲痛な表情が、私の祖母の姿に重なり、私は目が熱くなってしまいました。  そこで私は、「何とか出来るかも知れないので、また来ます。」と言い残し帰ったのです。自宅に戻り、医療保護が受けられるのかどうか、直ぐに市役所に電話をして聞いてみましたら、体育指導員の時にお世話になった方が対応して下さり、条件を満たしていれば、受けられるとのことでした。そして日を改め、後日そのお母さんを伴い、一緒に市役所へ行きました。結局、少しでも、財産や貯金があると医療保護の対象にならないことが分かり、受けられませんでした。 しかし、傷病手当が受けらることを、教えて貰いましたので、その手続きの仕方を教わり、何とか解決出来そうでした! 本当に良かったです*お母さんは、安心してくれたのですが、まだ何か表情が冴えません? 私が「まだ何かありますか?」と、お聞きしますと「私の息子は不肖の息子で、病院まで洗濯物を毎日取りに行っても”早く帰れ!何時までおる!と憎まれ口を言うのですよ*」と悲しそうに呟かれました。 「そうですか*体が思う様にならない分、そんなことを言ってしまうのかも知れませんね?私から、さり気無く伝えてみます」と述べて自宅までお送りしたのです。そして、再度お見舞いした時、元同僚が「色々迷惑掛けてすみません。ありがとうございます」と言うので、「お礼は、お母さんに言ってあげて下さい。87歳の足の悪いお年寄りが、毎日、バスに乗って洗濯物を取りに来てくれるのだから、一度で良いから優しい言葉か、言葉が恥ずかしかったら、そっと何かして上げて欲しい」とお願いすると「分かった!そうする」と約束してくれたのです。 実行してくれたのかは定かではありませんが、その数日後から歩行出来なくなり、翌月お亡くなりになられました* 訃報を聞きスクールを途中で抜けさせて頂き急いでお通夜に行きました。そして、私の焼香の番になり、手を合わせて拝んでいますと、右の耳元で、声がハッキリ聞こえのです!「~ありがとう*」と、ビックリして、一瞬拝んだ手が開き横を見てしまいましたが、しかし、焼香の最中に話し掛ける方など誰もいないのです。あっ!00さんだなと分かり、改めてお祈りさせて頂きました。人間は亡くなった後も、何か出来る力があるのだなあ!と再認識したのです。「ありがとう」のお返しに私からも「ありがとう」と心から申し上げました。今も忘れられないのは、お母さんの顔です。息子さんをご自身よりも、先に見送らなければならないという悲しみは、どんなにお辛かったことでしょう*

無神論者の私

私は、特定の神様や宗教を信仰していませんが、畏敬の念は人や自然、動物、植物、山、海、宇宙などに常に抱いています。神様が人間で在る筈がないと何処かで思っていますが、存在自体を否定も肯定もしないというのが、素直な本心です。人間は愚かな動物ですから、気付いていても何もしないことは沢山ありますし、悪いことだと知っていたり、分かっていながらそのまま行ってしまいますよね!「生は悪なり」とも言う所以なのでしょうか?宗教と言えば、何時も疑問に思っていることがあります。 それは、悩める人間全てを救うという立派な思想に立って布教しているにも拘わらず、戦争をしてしまうからです。戦争=人殺しです。そして、死んでしまうのは、何時も罪のない子供達や老人や女性です。何故、そういう立派な思想を持っているのに、意見の違いや憶測だけで人を殺せるのでしょうか?右の頬を打たれたら、左を差し出すのではないのですね?罪のない者が石を投げよ!という教えを乞いながら、どうして自分達の都合で使い分け出来てしまうのでしょう?それこそ神の冒とくにならないか?と思います。宗教の神様は、太陽や自然界だけだったら良いのにと考えてしまいます。書物や教本がありますと、それを用いて商売にする方も現れて来ますから、気をつけなければいけません。お金の価値を超越するからこそ宗教ですよね*古典的な刑罰ですが、宗教では罪に対して「目には目を、歯には歯を」用いていたそうですが、これは大賛成で、私には、一番シンプルで受け入れ易かったです。その罪を犯せば、同じ痛みを味わうことになるとの刑罰は、抑止力が沢山働くと思います。人を故意に殺して、十年ちょっとで社会復帰出来てしまう世の中は、犯罪者の方が優位だと感じるのは、私だけでしょうか?宗教と犯罪の刑罰とは切っても切れないモノだと思います。犯罪者をどう扱うのか?難しい所ですね?宗教が人間によって歪められないとよいのですが・・・。人を殺してはならない。盗んではならない。偽ってはならない。どれも当たり前のことですよね! 私は、ある意味自由ですから、どんなお国の宗教でも、素直な気持ちで従い、流儀に拘らず祈りを捧げることが出来ます。 ただ絶対に行わないと生涯決めているのは、自身の頼みごとです。

NHK番組

最近の番組で、アメリカの偉い?方が、ある貢献?を称えアメリカ政府から表彰されていました。それは、軍の兵士が、人を沢山殺しても精神異常者にならない様にと、人間の形に似せた射撃板を作ったそうなのです。また、ベトナム戦争で命令によって、農民の母と子どもを殺してしまった兵士が病気になってしまい、その自責の念に囚われた自殺前のインタビューも放送されていました。憎しみも何もない相手を殺して、精神に異常が生じない方が異常ですよね!信じて来た宗教の狭間で苦しみ自ら命を絶ったのでしょう*そんな悲しい番組を観ましたので、宗教にも少し触れてみたくなりました。 終わります。

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
プロフィール
HN:
やすゆき
性別:
非公開
自己紹介:
愛知県で活動しているクラウドサッカークラブの運営をしています。
日々の指導の中で感じたことを綴ります。
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
忍者ブログ [PR]